Lost and Found...
創代つくる / 大説小切
僕にとって普通ということとは
この作品はフィクションだ。実在の人物、団体、事件、楽曲、映画などにはいっさい関係ないし、なんなら時代だって大嘘だ。きっと信じる人は居ないだろう。
子供の頃、それこそスマートフォンだとかいう概念すらない時代。パソコンだってあったか怪しかったんじゃないかな?いや、学校だったかで見たことはあるから、有ったのかもしれない。どちらにせよ、それは
僕はひたすら親の皿洗いを眺めるのが好きだった。なんなら手伝いたがったが、それは一蹴された。まあ狭いしね。しょうがない。それが普通なんだろう。
だけど、当時に聞いた「働くものの綺麗な手だ」というフレーズに心惹かれた僕にとって、その母の乾いた手が潤っていく時間、それでいて皿も一緒に綺麗になっていく時間。それを眺めるのが好きだった。今から思うと少し邪魔だったかもしれないけど、それを許してくれた母の偉大さも なんとなく分かる。
当時、僕にとって人が家族が助けてくれるというのは当たり前で、それは別に何とも思っていなかった。有り難いとか、そういう感覚が無い
それを「子供だから」なんていう言葉で済まして良いのかは分からないけど、どちらにしても誰もが当たり前のようにするもんで、それが普通だと思いこんでいたのは確かだ。ちょっと高いところや遠いところにあるものを取ってくれたり、転んだ時に助けてくれたり、席や道を譲ってくれたりとか。まあ、これくらいは普通なんだって。
だけど小学生に上がった時くらいから、なんだか話が変わってきたように思う。
変わり者の自分が
それから普段は別に何ともない。ただ、自分にとって当たり前だった「助けてくれる」というのが無くなった。正確には先生とかの前ではあるのだけど、それが無くなったのだ。それも陰湿な理由とかでなく、ただ「先生が怒ったりするから」先生の前ではするようになっただけで。それで
そこから、僕の世界を観る目は一変した。全くの別物になった。ひどく疎外感を覚えた。心も
そこらで楽しく手を繋いで遊ぶクラスメイトも、鉄棒やジャングルジムで遊ぶ低学年の子も、ドッジボールなんかで遊ぶ高学年の子も、みんなみんな嫌いだった。先生も"普通に"助けてくれるんじゃなく、"嫌々に"助けてるんだろうと思い込んだ。
僕だけが、ただ遠くから彼らを眺めるようになった。それすらなんだか厭になってきたので、
まだ傲慢な自分は、どうして家族は助けてくれるのに、他の人は助けてくれないのか。そうやって、家族こそ普通なんだと思うようになった。それすら違うのだと気付くには姉が泣き始める事件が必要だった。そうなるまで気付きもしなかった。
普段は付けていた、「それ」を取っている時のことだった。家で僕が姉に助けを求めると、言うのだ。"どうしてそれくらい自分で出来るのに頼むの!"って叫んだのだ。そこから姉は泣き始め、慌てた両親が飛んでくるなり、縋りついて叫びだした。
姉曰く、どうして僕だけ特別扱いされるのか。どうして僕だけ構われるのか。どうして自分も僕を手伝わないといけないのか。姉だからっておかしい。悪い子だって思われたくないから我慢してたけど、もう我慢の限界だって。そう言い始めた。
その主張が なんだか分からない僕は、ぼうっと、呆然と眺めていたように思う。
どうして泣いてるのかが分からなかったのだ。今までずっと普通だったのにと。冷たいように思うかもしれないが、自分にとって天が引っくり返るような思いだったし、現実味のある事件だとは思えなかったのだ……それこそフィクションのように。
だが、それに対して親が言った事こそが、僕の心に突き刺さるのだった。
"しょうがないじゃない。だって、翔ちゃんは特別なんだから……"
それを聞いた時、僕は何が何だか分からなくなった。
自分は普通だと思っていたのだ。
別に特別だとか、そんなつもりは一切なかった。
ただ、もっと小さい頃に聞いた事を真に受けて、
ちょっと人と違うだけだって思っていたからだ。
途端に、僕は何だか分からなくなって、外に逃げ出した。今から思うと、実に器用な真似をしたもんだ。それすら特別なノウハウなんだとは思っていなかった。
きっと親も驚いただろう。だが、あの日以来、度々に僕は自分一人で外に出たりしていたのだ。これも親が昔から「勝手に出ようとしないでね」とか「出る時は言ってね」って言うからで。たまに こっそり出ては、やっぱり諦めて帰っていただけで。
そこからは怒涛の逃亡劇にして捜索譚だった。僕は頬から流れるそれを邪魔だと振り払い、ただ目的地もなく、どうしようという考えもなく、ただただ走り続けた。
どれだけ走ったのか分からない。それこそ記憶が無いのだ。そんなに遠くまで逃げれただろうか。今でも分からない。風景が滲んで見えないのだから。
そして車道に出ようとした瞬間、捕まった。危ないだろうと叫ぶ声。それが逃亡劇の終了だった。 だけど諦めの悪い僕は、その掴まれた腕を見ては泣きじゃくって振り払い、自分は別に平気なんだって、先生だって普通だって言ったじゃないかって。
そうやって地面に転がって這いずり回ってジタバタしては他人を困らせていた自分に追いついたのは、他でもないさっきまで泣いていた姉で。なんなら一部始終を見られていて。それに気付いた僕は、なんだか恥ずかしくなってしまった。
姉は その人に謝って感謝して。僕のほっぺたを叩いて。どうして車道になんて飛び出そうとしたのって怒って。だけど、同時に姉もボロボロ泣いて。ごめんねって。
それを見た自分も何だか悲しくなって、だけど同時に姉を追い詰めていた自分が何だか恥ずかしくなって。そして今までの事が全て申し訳ない気持ちになっていって。
そうやって、僕と姉はごめんなさいをした。お互いに。
そして僕は、きっとこれから永遠にささくれ立ちやしない「手」を差し出した。
今までとは違う感覚で。
それから何年たっただろう?
今となっては僕は自分で皿を洗えるようになった。姉にも両親にも、他の人にも多分そこまで迷惑はかけていないし、気遣えるようになったとは思う。たぶん。
だけど自分に欠けている部分が完全に補えるようになった訳じゃないし、他人の心が読める訳でもない。あくまで自分自身は人に気を払うようになっただけだ。
だけど科学や医療の進歩に、そして希望を叶えてくれた両親の頑張りに、これほど感謝した事はない。自分一人で「これ」を手に入れるのには、何年かかるだろう?
だけど、それでも普通の人と全く同じという訳にはいかない。そんな自分を肯定できるようになるまで、あの事件が無ければ、永遠にそんな日は来なかっただろう。
今でも特別扱いは嫌いだ。自分が普通の人じゃないというのは分かってる。だけど、それでも、それを理由に蔑まれたり、可哀想だって思われたり、そういう気持ちをぶつけられるのは本当に厭で仕方がない。これが自分なんだって事を見ていない。
世界だって、そうだ。テレビやモニターを眺めてみると、やれ戦争だAIだ何だと話題になりそうな事ばかり流れている。だからといって、それを俯瞰的に外から眺めているのも、自分を特別扱いしているようで嫌だった。ちゃんと向き合いたかった。
少しでも積極的に人と関わろうと思ったし、そういう「自分には関係ないこと」だって思う事は、自分だけを特別扱いするのと何ら変わらないからだ。
レッテルだとか国境だとか、そういう何かで線引きする。そこから差をつける事が始まる。繋がった同じ地球の存在なのに、別けられるようになってしまう。
確かに違いというものは存在する。だけど、それは誰にだって存在するもので、つまり誰もが特別で、誰もが普通とも言えて、なんだろうな……この気持ちを、どう表現するべきかは分からない。僕だって、まだ他人を特別視してないとは言えない。
だけど、永遠にささくれ立つ事がない「手」を眺めては、思うのだ。
僕にとっては、この僕が普通なんだと。それが分からない人には、それが普通。
でも、その普通を押し付け合うことが、きっと争いの原因なのだと思う。
この作品はフィクションだ。実在の人物、団体、事件、楽曲、映画などにはいっさい関係ないし、なんなら時代だって大嘘だ。
本気で信じる人は、きっと居ないだろう。だけど、そういった一人ひとりの世界に本気で向き合える事が、虚構を虚構じゃなくするための第一歩なんだと思う。
ただ怒りのまま暴れるでもなく、相手を否定するでもなく。自分なりに世界に真剣に向き合うことが……世界をありのまま観れる、唯一の手段なんだと思う。
Lost and Found... 創代つくる / 大説小切 @CreaTubeRose
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