ささくれは指の上で語りだす

yagi

ささくれは指の上で語りだす

 小学校の帰り道。

 初めて来た公園で、僕は徐に滑り台の階段を上る。

 木製のボロボロの滑り台。いつ撤去されてもおかしくはないくらいには、ボロボロの滑り台。

 そんな階段を登り切り、一番上まで来た。

 なんとなく、周りを見回す。

 どこもかしこも見たことのない風景に、どっと疲れがこみ上げて、ランドセルの中に溜まっていくような気がした。

 

 僕はこの場所につい最近引っ越して来たばかりだ。

 僕の父というのが世間でいるところの転勤族という奴で、砂漠を放浪するような旅人についていくラクダのように、僕もまたついて行くしかなかった。

 友達というのも出来ては離れ、出来ては離れ、その繰り返し。

 毎度毎度、新しく関係を作っていくことにも疲れを感じてきてしまう。


「痛っ」


 何かが手に刺さる。

 見てみると。人差し指にささくれが一つ。

 爪を使って引っこ抜こうとするけれど、なかなか取れない。

 全くもって最悪だ。

 イラついていたから、無理やりにでも取ろうとする。


「ちょっと、待ってくれ‼」


 不意に声がした。指からだ。

 見ると、ささくれが頭を出して話し始めた。


「抜くのは勘弁してくれないか? ようやくこうして生を得たんだ。俺の名前はササ・クレ男よろしくな」

「うわ、きもっ」

「あー、ちょっと待ってくれますか⁉」


 気にせずに引き抜こうとすると、ささくれは慌てたようにそれを制止する。


「お前はこんなにメルヘンで可愛らしいささくれを情け容赦なく引っこ抜くのか? もう少し話を聞いてくれても良いんじゃないか?」

「聞かなくても、確実にめんどくさそうなことだけは分かる」

「普通の子供ならこういう時、興味本位で飛びついてくるんだけどなあ。なーんでよりにもよってこんな夢も希望もないような顔をしてるガキに刺さっちまったんだか。少年、君はもっと互いを理解しようとする努力をしてみても良いと思うぞ」


 気だるげな声で話すささくれ。多分手があったら頭でも掻きながら話しているんだろう。

 ただ、絵図らとしては確かに面白いのかもしれない。

 指の上にある棘がこうもぴーちくぱーちく話しているというのはあまり聞かない話だからな。

 話くらい聞いてみるか。


「じゃあ、お前は一体何なんだ」

「俺が一体何者なのか、か。まあ、ささくれなんじゃないか?」

「引っこ抜くぞ」

「ああああああっ‼ ちょっと待ってくれ。もう少し時間をくれまいか? いきなり自分とは何かなんていう、深いのか浅いのか分からない漸深海ぜんしんかいみたいな質問をされても困っちまうんだ」


 唸りながら答えをまとめるささくれ。

 唸るたびに体というべきか、棘を右左と動かして傷口がピリピリ傷んでくる。

 動きも相まってうっとうしくなってくる頃、ようやく口を開く。


「そうだな、お前が今建っている古い滑り台がもののけになった説と、木の妖精さんが宿っていた杉の木説、あるいは拗らせた妄想が具現化してしまった説の三つの内どれが良い?」

「こういう質問で選ばすタイプ、初めて見たぞ」

「生まれたばっかりの無個性なささくれである俺が知る訳がないだろう? 生まれたばかりの生き物が『自分が何者か』なんて哲学的な事を考えると思うか?」

「それは、まあ確かに」


 しかもどの選択肢も違う気がする。

 まあ、三番目はなくはなさそうだが、これを選んだ場合、自分は妄想大好きな変人ということになってしまうから、それは絶対にヤダ。

 結局、こいつが何者なのかは分からずじまいだ。


「というか、お前お前って呼ぶのは嫌だな。少年よ、名前はなんて言うんだ?」

「セイジだけど」

「じゃあ、せっちゃん」


 せっちゃん? 言われたことねえよ、そんなあだ名。

 こいつ、凄い距離感が近い。

 刺さっているから、物理的には一心同体みたいにはなっているけれど、仲良くなったつもりは微塵もない。


「なあ、せっちゃんよ。どうしてそんなに夢も希望もないような目をするんだ? 見たところ小学生だろう、せっちゃんは。まだその段階は早いんじゃないか?」

「……」

「痛い痛い、折れちゃう! 折れちゃうから一旦止めてもらえますか?」


 どうして会ったばかりだというのに「夢や希望もない顔」と、まるで今の自分を否定するようなことを言われなくてはならないのだろうか。

 好きでこんな顔をしているわけではない。好きで一人、公園の滑り台に上っている訳じゃないんだ。

 というか、百歩譲って人間ならまだしもささくれ如きに指摘されなくてはいけないんだ。

 普通に腹立つ。


「分かった、俺が悪かった。俺が悪かったから一旦話し合おう。一旦その指を離してはくれないだろうか?」

「……分かった」


 指を離す。

 焦っている様子を見て、少し気分がスカッとした気持ちになった。

 自分は案外、性格が悪いのかもしれないな。


「……ふぅ、まったくさっきも思ったが本当に情け容赦がない子供だな」

「今ところ、非は全てお前にあると思う」

「いや、まあ良い。今ので確信した。お前、自分の内に何かつっかえたものがあるんじゃないか」

「ささくれは今刺さってはいるけど」

「そうじゃない。悩みがあるんじゃないか、と言いたいんだ。その顔といい、苛立ちといい、実に分かりやすい」


 確かにささくれの言う通り、悩みがあった。

 こうして公園にいるのも、そのせいである。

 だからといってそれが一体なんだって言うんだ。


「それが一体なんの関係が?」

「その悩みを聞いて解決へと導く手助けをしてあげよう。ようはササ・クレ男の人生相談という奴だ」

「今生まれたばかりの棘が何を解決できるんだ?」

「まあ、この瞬間に生まれたばかりの無個性のささくれではあるがね。この地に根付いて20年の滑り台としての経験があるから、まだ10年くらいしか生きていないせっちゃんよりは、多くの案が出せるだろうさ。———ただしっ‼」

「ただし?」

「心のささくれを抜く条件として、俺を抜くのは勘弁してくれまいだろうか?」


 条件。つまり、交渉しようということか。

 正直このささくれが自分の悩みを解決できるとは思えないのだけどなあ。

 よし、この場はイエスと答えて、終わったら解決の有無関係なく引っこ抜こう。


「分かった。その条件で良いよ」

「あー、一応言っておくが、世界から戦争をなくしたいとか、不老不死になりたいとか、ギャルのパンティが欲しいとか、そういう類のは専門外だからな」

「そんなぶっ飛んだ事じゃない、ただ学校のことだ」


 僕は話始める。

 

 前述でも言った通り、僕の父はよく転勤をする。

 それにくっついて行く僕もまた、場所を点々とする。

 毎年毎年違う学校、違うクラス、違う友人。その年限りの友情に虚しくなる、なんてことは思っていない。

 良い出会いというのもあるかもしれないと、前向きに見ようと努めているからだ。


「存外に前向きなんだな、せっちゃんは」

「話に割り込んで来るなよ、ささくれの癖に」

「スギスギスギ! 遅かれ早かれ短い命だ。無個性だから出番を増やさなくちゃね」

 

 何その笑い方、急に個性出して来るじゃないか。


「次出てきたら引っこ抜くから」

「すんません」


 まあ、そんな風に思ってはいるがあまり友人が出来ないことが現実だ。

 すでに出来ている人間関係に割って入れるスペースなんて、幾らもない。

 どんなに仲良く話してみたり、輪に入ったってみたりして仲良さそうにはするのだが、自分と他のクラスメイトとは決定的な壁というのは存在する。

 時間というそうそう越えられない壁というのが存在するのである。


「時間で積み重ねた関係か。最近の小学生は難しいことを考えるのだな」

「まだ話は終わってないぞ」

「こいつは失敬。続けてくれ」


 そうは思っても行動を起こさなければ何もならないことは知っていた。

 例え上手く馴染めなくても、隣の席の人にはそれなりの仲になっておこうと思って、今回もそれを実行したんだ。

 だけど今回の隣に座っている人というのが、いつもと毛色が違う子だった。

 話しかけた瞬間に、怒鳴られた。

 ただ挨拶しただけだというのに、怒鳴られた。

 意味が分からなかった。

 何もしていないというのにどうして嫌われているのだろうか。


「随分とささくれた子だな」

「やさぐれたという言葉を勝手にアレンジするな。これが僕の話だ。悩みは分かっただろう」

「つまり、自分がどうして嫌われているかを知りたいってことだな」

「違うよ」

「え、違うの?」

「どうすれば怖がらずに、彼と話せるようになるのかが、知りたいんだ」

「つまり、仲良くなりたいってことか? そのささくれ少年と」

「そうだよ。でもなぜか大きな声で『話しかけてくるな』と怒鳴られる。怖がっているのが顔に出るせいで嫌な気持ちにさせているのかもしれない」

「一つ質問だ。そのささくれ少年はいつも一人かい?」

「……多分。僕以外にも同じように接しているからね」


 「うーん」と先ほどよりも長く唸りながら、体をぐるぐると動かしている。

 答えと言うのにはそれほど期待はしていない。

 所詮はささくれだ。ただの木くずでしかない。

 会ったばかりの人間の悩みなんて、適当にあしらわれて終わりだろうから。


「凄いな、せっちゃんは」

「え?」


 ささくれの言葉に思わず驚く。

 想像していた言葉とは違うものが飛んできたからだ。


「普通こういう時、どうすればそいつと関わらないように出来るのかだったり、怖い思いをせずに済むのか、みたいな悩みが出てくると思う。そういう場合、目が見えないからとか適当に理由を付けて席を変えてもらって、距離を取るというのが解決策だ。ささくれというものは、触れなければ付きようがないからね」


 声量を上げて強調するように言葉を続ける。


「でもせっちゃんはささくれ少年に歩み寄った。ささくれになる事を知ってて友達になろうと声をかけた。傷つくことを知っていてなお、歩み寄るというのは皆ができる事じゃない。とても勇気がある行動だ。胸を張って言いふらしても良い」

「そ、そうかな」

「そうだぞ、もっと自信を持つべきだ。君は立派な人間だとも。俺が言えることといえば、そうさなあ……せっちゃんに必要なのは楽しい事を見つける事と、嫌なことは適度に発散する事、それと自分を卑下しない事だな。それが出来れば、もう師匠である俺からは何もいう事はあるまい」


 なんだか嬉しいような、むずがゆいような、そんな気分だ。

 こうも褒められるとどういう反応をしていいのか分からなくなる。

 あまり褒められ慣れていない僕は、こういう時なんと返せば良いのだろうか。

 おっと危ない。危うく流される所だった。


「で、結局、僕はどうすれば良いんだ?」

「どうすればって?」

「仲良くする方法だよ」

「え? あー、それね。特別何かする必要はないよ。ただ、いつものように挨拶して話してあげれば良い」

「本当に? 本当にそれだけ?」

「そうさ。俺のことを信じるスギよ」

「……」


 あんなに褒めてもらっては何だが、やっぱり信用できない。

 今まで通りに接するだけでは何も変わらないことを、結果が証明しているじゃないか。

 一瞬信じそうになったが、やはりささくれに頼るのは間違いだった。

 今度こそ本当に抜いてやろうと、ささくれに爪を立てる。

 しかし———


「あれ、抜けない」

「ふっふっふ、全ては茶番よ。これまでの会話は全てせっちゃんの指に深く刺さるための時間稼ぎに過ぎないのさ! はっはっはっはっはっ‼」


 このささくれ、とうとう正体を現しやがった。

 それを証拠に笑い方が「スギスギスギ」からただの高笑いになってるし。


「仕方がない。帰ってピンセットで抜こう」

「……君、人が嫌がることを的確にしてくるタイプだろ」


 


 うるさいささくれを指に残したまま、帰路に着く。

 一瞬の命を謳歌する蝉のようにギャアギャアずっと喋っている。

 普段あまり人と話さないし、興味がなければ聞き流すということも出来るのだが、こう指にいてずっと自分に話しかけらているという状態は、なんというかノイローゼになりそうだ。

 そんなことを考えていると、前から小学生が歩いてくる。

 歩いてくる子は、スポーツ刈りで釣り目が特徴的なやんちゃ少年と言う感じ。

 というか、ささくれ少年こと東正平ひがししょうへい君であった。

 東君は僕に気付くと足を止める。

 また、何か言われるのだろうか。

 そう思って身構える。

 視線は自然と足元に向いてしまう。


「ょ、よお、遠藤誠司えんどうせいじ

「あ、うん……」


 何故フルネーム? 果たし状でも渡されるのか僕。

 少し、視界を上げると少し気まずそうな東君がいた。一体何を気にしているのだろうか。


「その、なんだ。遠藤……」

「はい、遠藤です……」


 会話が途切れる。

 互いに何かを話そうとするが、喉で詰まって言葉にはならない。

 ……気まずいな。

 そう思っていると、東君が口を開く。


「……わる、かったよ」

「……え」

「いつも声出してよぉ……自分でもどうすれば良いのか、と、友達がいたことなくて、ゎかんなかったんだ」


 そうか、彼の怒鳴るアレは威嚇のようなものだったのか。

 何となく、分かったような気がする。

 彼は一人だったんだ。

 僕と同じで一人だったんだ。

 一人というのは心細い。

 いかに強がろうが、大人のように背伸びをしようが、孤独感を埋めることは出来ない。見えない敵に襲われると常に考えるような感覚に近いのかもしれない。

 だから僕らは身を守ろうとする。

 ただ自己防衛の方法が違っただけ。


 彼にとっての自己防衛は周りを威嚇する事だった。威嚇は相手を怖がらせるためにすることだが、それは何よりも本人が怖いと感じているからだ。


 僕にとっての自己防衛は周りに合わせる事、関係を作って環境に溶け込むこと。群れの中にいれば少なくとも襲われることはないと、そう思っていたからだ。


「あ、あのっ‼」

「うわっ、急に大声」

「僕と、友達になりませんか」

「お、い、いいのか? 散々嫌なことしてきた俺でも」

「だからこそ、仲良くなってみたいんだ」


 誰かにこんな固執するような事はなかった。

 自分でも不思議だと思ったけれど、今何となく理由が分かったような気がする。

 きっとそれは、僕と東君が似た者同士だったからだ。

 初めて、仲良くなりたいと、そう思った人間だからだろう。


 僕らは握手をする。

 実に在り来たりな、そんな握手。

 けれど僕等にとっては初めての、そんな握手。

 指についていたささくれは、気づけば静かになっていた。




「いやあ熱い友情、ハートフルストーリーっていうのはいつの時代にも色褪せないものですなあ。スギスギスギ‼」

「お前、成仏してなかったのか」

 

自室に響くささくれの声に頭を抱える。


「東君が来た時は全然喋らないから、役目を終えてどっかに行ってくれたと思ったのに」

「ささくれっていうのは抜いた後にだって痛みが残るんだぜ」

「ピンセット、どこに置いたかな」

「あれ、聞いてます? もしもーし」

 

 確かに一瞬指に残しておいても良いかもしれないとは思ったけれど、その思いを考え直させるくらいには、こいつうるさすぎる。

 東君と別れた後、家に帰るまでずっと、ずっと、ずううっと話してる。蝉だって、少しは休憩するぞ。

 絶対に抜きとってやるという覚悟が伝わったように、引き出しからピンセットが現れる。


「あー、もしかしたら忘れてるかもしれませんか、心のささくれを取ったら俺を抜かないって約束覚えてらっしゃいますでしょうか」

「覚えているよ」

「なおたちが悪いな。一体俺の何が悪かったって言うんだ?」

「やかましい。あと奥に刺さってるから普通に痛い」

「くっそ、相棒キャラ路線で行こうと思ったが駄目だったか。次回はメインヒロイン枠で検討してみるか」


 そうぶつぶつ言っているささくれをピンセットでつまむ。

 上手い事つかめたささくれは、徐々に指から抜かれていき、最後というところで「待ってくれ」と声を上げた。


「何」

「一応最後だと思うから聞くんだが、俺の相談レビューは何点だった?」

「え、あー、まあ……相談の事だけで言えば助かったと思う。それは本当にありがとう」

「そうか、なら良かった。最後になるが俺を抜いたとしても、こうして語り合ったことは忘れないでくれよ」

「最後の最後で心のささくれになろうとするな。さっさと逝け」

「あうっ」


 抜いたささくれはあっけなく抜けて、それ以降喋らなくなった。

 なんだか少し寂しいような……いや、そんなでもないな。

 でもまあ、また会う機会があれば話してやっても良いかもしれない。


「じゃあな、クレ男」


 親愛を込めて、宙に呟いた。




「はあ……友達ってどう接すれば良いんだ」


 東正平は古い滑り台に上って悩んでいた。

 初めて友人が出来たのだが、彼は友人経験がほとんどなかったからだ。

 柵に手をかけると指先に痛みを感じて、見てみると人差し指にささくれが出来ていた。


「私、ササ・クレ子。よろしくねっ‼ キャピキャピ(裏声)」

「え、きもっ」


 ささくれは、今日も誰かの指で何かを語る。

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