男子高校生三人が女子高生の死体を捜しに行った時の話

棺之夜幟

男子高校生三人が女子高生の死体を捜しに行った時の話

 赤く染まる夕暮れが、深く青い夜の裾をちらつかせる頃。湿った土は夏の暑気に湿度を足して、少年達の頬を撫でた。

「無いな」

 ふと、長身の少年がそう声を上げた。彼は大きく溜息を吐くと、足下に突き刺さっていたシャベルを頭上に放り投げた。少年の頭上――――彼が掘った穴の傍に、がらんと音を立ててそれは落ちた。その音に肩を振るわせた、もう一人の細身の少年は、長身の少年が入る穴をそっと覗いた。

「菅沼君が無いと言うなら、無いんだろうな……」

 その声に向けて、長身の少年――――菅沼龍平はハッと鼻を鳴らして笑った。嘲笑を多分に含んだそれを、細身の少年は困り眉で逸らした。

「見たかったか?」

「んなわけないだろ。馬鹿言ってないで出てこい。こっちは早く帰ってシャワーを浴びたいんだよ……」

 細身の少年――――村松凛はそう言って、顔を顰めた。そんな彼を眺めて、菅沼はその巨躯を延ばして、自らが掘った土穴からトンと飛び出す。高さ一九五センチメートルから降り注ぐ視線を前に、身長一七〇センチの村松の四肢には、僅かな緊張が走った。

「あ、菅沼君終わった?」

 菅沼と村松の間に沈黙が放たれてすぐのこと、彼らの足下から明るい声が響いた。少女とも少年とも取れるそれは、夜の迫る山中でよくこだました。それがもう一つの穴から響いていることは、二人とも理解していた。

「そっちも無かったんだね! こっちにも無かったよ! いやー、となると不思議だな……何処に消えたんだろう……いや、それともあっちに……『錫見原』にいる『金子鈴実』は本人……?」

 およそ会話とは言えない乱雑な独り言の垂れ流しに、村松は眉を顰めた。彼は小さく溜息を吐くと、チラリと菅沼と目を合わせた。

「……もうそのまま埋めて帰るか?」

 村松がそう呟くと、菅沼はただ無表情に穴の中を眺めていた。その視線の先、小動物のように動く一人の少年は、軽快に笑い声を上げた。

「村松君、その選択はおすすめしないね。その場合、菅沼君が金子を殺害した事実を知っているのは君だけになってしまって、数日後に君は今日自分で掘った穴に埋められているだろうからね」

 幼い中学生のようにも見える彼は、一瞬、表情を地面に落とした。そして再び口角を上げると、視線の合った菅沼に向けて目を細めた。

「とりあえず、出してくれよ、菅沼君」

 一転して淫靡とも言える声色で、彼はにんまりと微笑んだ。名を呼ばれた菅沼は、それに何の反応を示すことも無く、腕を伸ばした。その手を掴んだ少年が「ありがとう」と言うよりも前に、菅沼はその細い腕を勢いよく引き付け、少年の身体を宙に降り上げた。

「……!」

 丸く目を見開いた少年が歯を食いしばった頃、その背中は強く地面に叩きつけられた。小さく息をする彼に駆け寄った村松は、何も出来ないまま周囲をうろつくことしか出来なかった。

「あまり調子に乗るなよ、井森」

 村松の背後、ゆっくりと長く太い足を前に出した菅沼は、そう呟いて人差し指を少年――――井森響介へと向けた。地面に伏した響介は、そんな菅沼を見上げて、再び声を絞り出して笑った。

「お優しいお言葉感謝する……まあ、実際、君は最大限優しくしてくれているのだろうしね」

 上半身を起こした彼は、土の付いた髪を払って、打ち付けた背を撫でた。軽い唇に口笛を乗せた後、唖然とする村松の横を過ぎる。響介の視線と細く少女のような肢体は、菅沼に向いていた。

「やっぱり君は僕や村松君を最初から殺すつもりは無かったんだね。予想が当たって良かったよ。少し冷や冷やしたけど……まあ、流石に今日のタイミングで僕が死んだ場合、村松君を脅して証言させても菅沼君が疑われることは避けられないし、選択としては正解だと思うね」

 回り続ける響介の口元に顔を歪めたのは、村松だった。

「色々話が飛躍してるんだが、僕は何を何処から説明して欲しいと願い出れば良いんだ?」

 精一杯の茶化し加減に、フッと小さく嘲笑が響く。それは菅沼の口元から放たれていた。そんな短い吐息を吹きかけられて、響介は一度だけ目を瞑った。

「村松君の主張はもっともだと思うよ。そうだな、まず村松君は、菅沼君が金子鈴実という女子高生を殺害して、この場所に埋めたということは理解しているよね」

 さも当たり前だとでも言うように、響介はそう微笑んで見せた。動く足は市街地の明かりに向かって斜面を下っていた。雑談の様相を呈するそれを追いかけるようにして、菅沼が足を前に出した。二人に続いた村松は、「そうだな」と唾棄した。

「宜しい。その殺害動機は省こう。本人がいるのに僕が代弁する意味は無いし、村松君や僕がその理由に納得する必要は無いからね。それで、だ。菅沼君はかなり慎重な性格だ。金子の殺害に加えて他数名を殺害し処理した際には今日の僕たちのような手伝いを呼んでいるが、その後その手伝いすらも殺している。その事実を並べれば、今日、金子の死体が出た場合、僕は死んでいたと考えても構わない筈だ」

 ころころと転がるような舌を回して、響介は身体を半回転する。その足下には、三人が掘った穴が夕暮れの中に暗く落ちていた。

「死体を見て『誰にも言うな』と菅沼君に脅されたところで、僕は黙っていられるタイプではない。じゃあ口封じのためには僕を殺す方が簡便だ。村松君はビビりだからね、男子高校生としての菅沼君になら虚栄を張れるが、お手軽に凶行に走るケツカチカチクソサイコゴリラの菅沼君には怯え震えて言うことを聞くしかなくなる筈だ。だったら僕を殺して村松君に口裏合わせるように指示した方が良い。だというのに、菅沼君は僕を殺す準備すらしていないんだ」

 多弁な口元に、「は」と小さく疑問を呈したのは、村松だった。彼の歪む表情に、響介はまた唇で弧を描いて見せた。

「だって、僕の持ち物を把握しようとすらしなかったじゃないか」

 そう言って、響介は羽織ったジャケットの袖を振った。そこからぼとぼとと音を立てて落ちたのは、真新しい業務用カッターと空のコーラ瓶だった。落ちたコーラ瓶の一つをおもむろに手にすると、響介はその底を周辺の岩に叩きつけた。鋭く割れたそれを菅沼に差し向ける。二人の表情が変わることは無かった。

「君が鉄の皮膚でも持っていない限り、抵抗に及んだとハッキリわかる程度の傷を付けることは可能だ。その傷で状況を察する程度の知能は、まあ、あの人に期待はしてるんだよ」

 そんな薄らとした微笑みを湛えながら、響介は菅沼を見上げた。視界の外で、パチと音が聞こえた。それが村松の足が枯れ枝を折った音だと気付いた時、響介は頸動脈の横に冷えた肉の感触を感じた。その肉は、太く冷淡な菅沼の指だった。力は入っていない。だが、少しでも力を入れれば、首が折れる。そんな予感を理解して、響介は「ははは」と乾いた唇を開いた。彼の嘲笑にあわせて、僅かに菅沼の口元が緩んだ。

「本当にべらべらとよく回る舌だな」

「弁が立つと言って欲しいね! 獣よけのラジオ代わりには丁度良いだろう!」

「よく喉が渇かねえもんだ」

「小さい頃に犬たちと遠吠えの練習だとかしていたせいかな、喉は強いんだ」

 数秒の沈黙が走る。その間に、二人の視界の端には唖然と座り込んだ村松の、震えて閉じない口元が見えていた。それを笑ってやるべきか考えて、菅沼は口を閉じた。代わりに、その隙を縫うようにして、響介が再び口を開いた。

「流石に君の握力で締め付けられたら死んじゃうよ。頸椎は鍛えられないし、僕は元々そこまで身体の強い方じゃ無い。多分明日は筋肉痛で寝込むと思う。今はアドレナリンが出てるおかげで歩けてはいるけど、家に帰る頃には君に米俵のように抱えられて運ばれているだろう」

 茶化している。その自覚はあった。とっととこの素手という凶器を退けて欲しい。そんな願いのようなモノを込めて、響介はころころと舌を回した。

「……何故」

 響介が息で喉を膨らませた瞬間だった。菅沼はゆっくりと唇を動かした。

「何故、俺がお前を殺さないと確信しているんだ。今、お前がうぜえとか、むかつくとか、怪しまれるだのなんだの差し引いて殺してえってなったら、殺せるだろ。人間を生かすのには金も手間もかかるが、殺すだけならタダだ。その後の俺の社会生活を確保するコストはかかるが」

 その発言に驚いていたのは、響介ではなく、菅沼の方だった。自分がよくもまあここまでよく喋るモノだと、珍しさすら感じていた。そんな彼の自己の揺れをつつくようにして、響介は大きく溜息を吐いた。

「あのさあ、君は感性で行動する人間じゃないだろ」

 眉間に皺を寄せて、響介は半分怒鳴るようにして声を上げた。そこには先程まであった余裕も、微笑みも無かった。少年らしい柔らかな表情で、彼は前髪を掻上げた。

「いや、いや。他にも理由はあるけどさ。主立った理由はさっき説明した通りだ。金子の死体が無い限り、君の殺人を証明することは出来ないのだから、僕たちが何を言ったって君はしらを切り通せる。故に、僕たちの口を封じる必要さえ無い。でも、そもそも君は金子の死体が出ても僕たちを殺さない。はじめから、少なくとも僕だけは殺さないだろうなって、思っていたよ」

 そう言って、響介は菅沼から目線を逸らす。何も無い木々の隙間に、視線を置いた。いたたまれなかった。そんな精神を吐き出すようにして、彼はまたフッと短く息を吸った。

「君、香織ちゃんに頼まれたんだろう。僕をよろしくって」

 眉間の皺が深くなっていく。その要因がある少女の名であることは、傍で震える村松にも、ただ黙って喉の震えを指で撫でる菅沼にも理解出来ていた。

「菅沼君。君は感性で行動する人間じゃない。でも感性が無いわけじゃない。ベクトルが違うんだ。センサー機能がイカれている。殺人が禁忌であるという概念が無いのと同時に、君は自分以外の人間の殆どを全て同列の生物個体として扱っている」

 淡々と呟くその分析は、何処か生物の観察情報を垂れ流す図鑑染みていた。

「君にとって憲法や法律は標準和名ヒトという種の習性を明文化したものに過ぎないし、ヒトがヒトを殺さないという習性は進化ゲーム理論で説明の付くものだと思っている」

 そう言って、響介は息を吸った。菅沼の様子を伺うようにして、彼は指先で菅沼の腕の血管を撫でた。夏の夜が迫る。湿った空気の粘度と、人間の皮膚から放たれる熱気の違いは、鋭い響介ですらわからなかった。

「その根本にはグロテスクなほどの自尊心の無さがある。僕は君の過去を知らないが、君がその自己愛をぐっちゃぐちゃに腐らせるほど育てなければならなかったのだろう何かがあったことは、察することが可能だ」

 きゅっと、自分の首が絞まりかけたのがわかった。視線を菅沼の瞳に向ける。僅かに揺れた。それは確かに、動揺だった。だが揺さぶったところで何が起きるかは響介にも理解出来ていた。故に、再び息を吸って、些事の思考を外に吐き捨てた。

「ま、それを語る気は無いよ。君の過去など然程重要ではないからね。問題は、君と似たような……けれど全く異なる人間がいたということだ」

 その言葉の瞬間、音が消える。心臓の音は確かにあった。菅沼龍平という人間の指先の血流の、その流れる音が聞こえた。否、それ以外を聞く耳が失われた。山中に響く木々の揺れる音は、コンマ数秒の精神集中の中に消える。

「君が唯一、自分と同じ『人間』だと理解出来たのは、香織ちゃんだけだったんだ」

 その単語選びが正解であったかどうかは、菅沼の手の中にあった。目を瞑った響介が、恐る恐る瞼を開けると、そこには変わらずこちらを見下す菅沼がいた。

「わかるよ、彼女は自分でさえも無価値な何か、ヒトゲノムで構成される一つの個体程度にしか考えていなかった。彼女には感性さえ無かった」

 正解を踏みしめて、響介は大きく息を吸った。

「だから彼女は自分が死ぬことを選べた」

 そこから先は、停止を知らない感情の吐露だった。

「古畑香織は、自らが死ぬことに抵抗は無かった。どんなに絵に描いたような青春を送っても、友達が増えても、僕が言葉を重ねても、彼女は死を選んだ。生物とは死ぬまでがプログラムされた有機的機械に過ぎないから」

 選ぶ言葉に意味は無い。菅沼にも、傍で聞いているだろう村松にも、理解させる気は無かった。寧ろ、一種の防衛本能にも近かったかもしれない。

「……君は一連の彼女の行動を見て、人生で初めて共感した。いや、共感と呼ぶには悍まし過ぎる。彼女に感化された結果、彼女の世界観に取り込まれたと言うのが正しい」

 浮かんだ言葉をただ垂れ流せば、こいつらに理解出来るわけがない。何故ならこの言葉選びは僕にしか出来ないのだから。

 そう高をくくって、響介はハッと大きく口を開けた。吐き出す嘲笑の方向性は、あまり決めていなかった。

「君は古畑香織の世界の一部であるために、僕をずっと観察している。彼女の言ったことを、彼女が望んだことを実行し続ける」

 そう言って、響介は一度目を瞑った。その一瞬、口の中をまさぐるものがあった。二本のそれは、響介の二対の犬歯を撫で、そのまま舌を挟み取った。強制的に動かなくなった舌を突き出して、響介はその指の主を睨んだ。

「――――羨ましい。とか、悔しいとか。正直に言ったらどうだ」

 フッと短く、菅沼は口角を上げる。開いた口は、確かに笑みを浮かべていると判断できた。

「多弁のくせしててめえの感情は語らねえ。だが知ってほしいとも思っている。故に――――動きに出ているんだ。全部。わかりにくいがわかりやすい。そういうところが似ていると言われるんだ、父親に」

 菅沼はそう言うと、指先をさするようにして、人差し指で響介の舌先を延ばした。その指を己の舌ごと噛み切らんと、響介は歯を立てた。その顎に力が入るよりも前に、菅沼はその指を響介の喉へと押し込んだ。

 突発的な動きからなる驚愕と、喉仏を撫でられた感触で、胃が底から持ち上げられる。響介は菅沼の嘲笑を睨みながら、木々の隙間に未消化の昼食と胃液を流した。

「……きっしょ、あの人は関係ないでしょ」

 口の中を蹂躙する独特の酸味に顔を顰める。それでも、響介の舌は動いた。

「不快だな。君は会話をしようという意思がない」

「お互い様だろ。村松の方がまだ言葉のキャッチボールが出来る」

 なあ。と、菅沼は村松を見た。視線が合った瞬間、彼の視界に広がったのは自らの顔に投げられた土の塊だった。ひょいとそれを避けてみれば、その土塊を投げたであろう村松が、短い息と共に肩を震わせていた。

「何でそこで僕を引き合いに入れるんだ!」

 開口一番、村松はそう叫ぶと、もう一回土塊を投げた。その先には響介の顔があった。彼の鼻の前で広げた菅沼の手が、腐葉土を掴んだ。

「君たちみたいな僕以外に友達がいなさそうな狂人と同列の人間だと思われているなら言っておくがね! 僕は君たちとは違うぞ! 菅沼君みたいに簡単に人の首捻ったりしないし! 井森君のように手当たり次第周囲の人間をおちょくったりしない! あとなんか変な喋る犬とか牛とかカラスがいたら普通にビビる! 人間の死体にだってビビる! 僕は普通だぞ! 君たちと違って! 僕を巻き込むな! 馬鹿!」

 そう叫んで、村松は大きく息を吸った。一息のうちに吐き出されたそれらを咀嚼するようにして、響介は首を傾げる。

「……僕たちのこと、友達だとは思ってるんだね、村松君」

 響介がそう言うと、菅沼が小さく「らしいな」と呟いた。

「あぁ!?」

 返事とも言えない怒気を含んだそれに、フッと笑って見せたのは菅沼だった。

「お前は俺達と違って良い奴だってことだよ、村松」

 菅沼の言葉に、「そーだよ」と響介はパッと歯を見せた。その快活な笑みを見て、村松は整えきらない息の隙間、腹の底から「だから」と声を上げた。

「当たり前だろ! 人殺しと比べるな!」

 脈絡無く叫ぶ村松の顔に、汗と涙が混ざっていたと気付いたのは、菅沼の方だった。だが、その様子を面白がったまま、彼は口を閉じた。そんな菅沼の動向を見て、響介は気の抜けた微笑みで肩をすくめた。

「まあまあ、落ち着いて。そうだ、夜ご飯、何食べる? 新宿に戻る頃には結構時間経ってるでしょ」

「肉」

「じゃあステーキハウスにでも行くかあ」

「焼き肉がいい」

「食べ放題のお店空いてるかなあ」

「冷麺食べる」

「今夜は熱帯夜らしいしねえ。まあ、その前に、銭湯にでも行こうよ。うちの風呂は流石に怒られるし、菅沼君の家には道具だけ置いてさ、みんなで」

「冷麺食べる」

「いじけちゃった……銭湯代くらいなら驕るから、ほら、行こ」

 そう言って、響介は壊れたレコードのように短文を呟く村松を引き摺った。

 数分歩いた後、彼ら二人を抱き抱えていたのは、菅沼だった。


 夏の夜道を行く中で、ふと冷えた風が吹いた。遠くのビルの隙間、そこから香った煙草と潮風は、三人が確かに錫見原で嗅いだそれと同じだった。

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