精霊
この世界に九尾が来てから3日が経った。
九尾のゆっくりとした草木の解析はあらかた終わった。
九尾は本殿の縁側のような場所に腰掛け、植物をいじりながらつぶやく。
「やっぱり栄養価が高く、強靭だね。この環境ならあんな動物達が育つのも納得できる。元の世界でいうアロエやヨモギなどの薬草という面で期待できるものもあったな。まぁ、この世界特有の効果がないって言うのは少し残念だったけど」
残念という言葉を出しておきながらも、九尾は上機嫌に見える。
「ただ引っかかると言うか、違和感......。ここに来た初日と比べて草木が変化してるような気がするんだよなぁ...。確かに魔力濃度は濃いけど3日で目に見える変化はないと思うから思い過ごしの可能性が高いけど......。それに、生き物もあのゴブリン以降会ってないんだよね、上から見た時には居たはずだけど...」
九尾は己の感覚を疑うという中々珍しい事態に陥りながらも、植物に目を向け思案する。
「まっ、考えても答えなんて出ないよね!」
お気楽九尾様に長い思案なんて似合わないし、いらない。
「それより、明らかな変化があるよねぇ...♪」
そう言うと九尾は偵察用の形代を作り出し、慣れたように飛ばす。
九尾は植物解析の中、妙な感覚を味わった。
なにやら妙な異物が近づいてくる感覚。
異物というには不快感のない気配だったが。
「あっちは確か湖だよね。一段落したら行こうと思っていたけど、なにかあったかな?」
ーー湖sideーー
人の手が加わっていない影響だろうか、底が見えるほどに澄んだ水の質、人が百人入ろうとも余裕のあるほどの大きさを持っている。
それは自然の美を彩る一つの要素として堂々と存在していた。
そしてそんな湖に聞こえる声が二つ。
「どう?エル姉、傷は癒えてきた?」
まず目につくのはその髪色、清涼な小川を想像する、腰ほどの長さの水色の髪をツインテールにまとめている。
その下には少し吊り目の勝気な美貌がある。
更にその下に目を向けると控えめな胸があり、全体的に締まっている印象がある。
多くの女性が憧れるようなスレンダーな体型をしていた。
名をリュスルミノスと言った。
そしてそれに答える声が一つ。
「ええ、おかげさまで。明日には完全に治っていると思うわ」
答えたその者は、深い海の底をイメージするような濃い青色の濃さを持つ、腰まで伸びる滝のような髪を持っていた。
その下の顔は前者とは違い、穏やかな印象を抱かせる、また違った"美"であった。
身体の形においても出るとこが出て、引っ込むとこが引っ込んでいる、簡単に言えばグラマラスな体型というのだろう。
名をエルラメルという。
それらの特徴から前者と後者にどこか繋がりを感じながらも、どこか対照的なイメージを抱かせる。
精霊。彼女達はその通り名で呼ばれる種族のうちの一つ、水の精霊であった。
リュスが、足で水をパシャパシャさせながら言う。
「それにしても、運がいいどころの話じゃないわね。逃げた先で魔物に遭わず、しかもこんな神性を持った場所があるなんて...」
自らの幸運に、多少機嫌が良くなっていた。
しかしそれも束の間、急激に機嫌が降下し始めた。
「それにしても、あいつらは本当に勝手で野蛮ね、早く世界からいなくならないかな...」
エルがどこか悲しげな顔を向ける。
「リュー......」
「......分かってるわよ、あいつらの中にいいやつがいるってことくらい、でも仕方ないじゃない!!ここまで逃げることになったのも!姉さんが傷を負ったのだって全部あいつら人間のせいでしょ!!」
リュスの溜まった怨嗟が吐き出される。
「......ここまで来れば種族に偏見の一つくらい持つわよ...」
リュスがバツの悪そうにエルから目を逸らす。
それを聞きエルが続ける。
「...いえ、いいのよ、人間の中にも善い者はいる、その認識があれば十分。むしろ人間と関わる上で警戒は必須、その偏見は行き過ぎなければ悪いものではないかもしれないわ」
「エル姉......」
パンッ、と仕切り直すようにエルが手を叩いた。
「この話はお仕舞い、現状が最優先、ところでリューはさっきここが見つかって運が良かったと言ったけれど、未だ私達の命は風前だってこと分かってる?」
話を目下のことに変え、エルはリュスに問いかける。
リュスは問いかけに対し、特に考えることもなく反射的に答える。
「?、なんで?確かにこの森には上澄みの獣が住み着いてるけど、ここの周り、というかここみ着くまでの間に獣の気配なんてしなくなったわよ?」
そんな特に考えた跡のない答えにエルは嘆息する。
素直で真っ直ぐな所は彼女の美徳だが、多少は思考という手順を踏んで欲しい、そんな思いと共に言葉を続ける。
「今の現状に少しは疑問を持って考えてみなさい、なぜ獣がいなくなったのか、なぜこんなにも神性が満ちているのか」
「......確かに神性を帯びている場所は珍しいけど、他に無いわけでもないし、獣は単純に神性が強いから住み着いてないだけじゃない?」
「この強さの神性よ?自然にできるものじゃないわ。それに獣に関しても、神性の大元は避けるにしても環境に適応してもう少し近くに生息してもおかしくない、ここの森で生き抜いているものなら尚更、むしろこの溢れる力を好んで生き生きしてるかもしれないわ」
エルはリュスを答えに導くように誘導する。
「じゃあなんで獣は......警戒してる...?どうして...?」
それに対しリュスは今度は脊椎で答えるようなことはせず、考える。
「......ここに住んでいる者達にとってもこの場はイレギュラーってこと?」
そんなリュスの答えにエルはひとまず満足する。
「そうね、それに周りを見てみなさい」
「周り?」
リュスは素直に周りを見渡す。
湖の他には森の入り口にも生えているような変哲のない草木ばかりだ。
困ったように呟く。
「...特に変わったものは......」
「そうね、特に変わったものは無いわね、でもおかしいと思わない?」
姉に言われた言葉を反芻する。
変わったものが無い、おかしい、そこで気づいたようだ、リュスの目に理解の色が宿った。
「...そっか、確かにおかしい、これだけの神性の中なら、変質するはず。多少変質しているようだけど、あまりに小さい。...これだけ証拠があればこの場所が最近起こったイレギュラーの影響だと理解できるわ」
「ええ、そこで問題なのが大元の原因よ」
「......」
リュスは黙って先を促す。
「これが唯の超常的な自然現象だったのならば問題ないわ、ただ私達の運が良かったということにして良いわ。問題はこれが意思あるものの影響だった場合ね。これだけの神性だもの、きっととんでもない存在でしょう、今の状況はそんな存在の足元いるようなものよ」
リュスはその事実を理解し、息を呑む。
「じゃあここを出るしか無いの?」
「当てはあるの?」
エルの当然の問いに言い淀む。
「無いけど......」
リュスの苦しそうな顔を見て多少の自己嫌悪に陥った。
「....ごめんなさい、意味のない質問だったわね」
そしてエルは息を整え、自らの意思を伝える。
「少し、いや大分掛けになるけど、その存在に交渉してみようと思うわ。」
「____っ、危ないわよそんなの!」
取り乱すリュスを宥めるように静かな声で返す。
「落ち着いて、あてもなく言ったわけじゃないわ。勝算はある」
リュスは姉に危険を犯さないよう叫びたかったが、計算高い姉のことだ、無謀なことは言わないだろうと、無理やり落ち着き先を促す。
「正直、私達のことはバレていると思うわ、あれだけの存在だもの、消そうと思えば消せるのだと思う。それをされてないのは私達に興味があるか、ないかのどっちかで敵意は持っていないはず。交渉は可能だと思うわ」
一旦息を整え、続ける。
「それに、交渉がうまくいけばこの恵まれた環境を手に入れられる、更に気に入られれば圧倒的強者の庇護下にも入れるかもしれない、メリットが大きいのよ」
リュスは姉の主張を聞き、考える。
自らの不安と姉の言った利益、それらを天秤にかけ、1分ほどじっくりと思考し、結論を出す。
「......分かった。不安は大きいけれど、その案に乗るわ」
その答えを聞き、エルはひとまず安堵した。
「そう、なら_____『だけど!』」
今後の具体的な行動を話そうとするが、リュスに遮られた。
「私も着いて行くわ。これは譲れない」
その主張を聞き、エルは悩む。
当初リュスは置いて行くつもりだった。
利益は大きいが、不確定要素が大きすぎる交渉だ。
姉としては、とりあえずは安全であろうこの湖に置いて行き、交渉が失敗した万が一の時少しでも生存確率を残してあげたかった。
が、リュスの目を見て、それは無理だと悟る。
「...えぇ、分かったわ。一緒に行きましょう」
その答えを聞き、リュスは満足げに笑顔を浮かべた。
「よし!じゃあいつ行く?いつでもいいわよ?さっさと行って、成功をもぎ取ってこよ!大丈夫、もしかしたらそいつ面食いで高待遇かもしれないわよ?私達美人だもの、湖くらいくれてもおかしくないわ!」
そんな調子のいいリュスの物言いに対し、呆れたような、しかしどこか楽しそうな様子のエル。
「もう......」
そう言いながらもリュスのこういった所には正直助けられる。
「(悲しい顔にはさせないわ)」
こんな愛しい妹に悲しい未来は相応しくない、そんな思いと共に交渉に対し、意気込んだ。
ーーーお気楽狐sideーーー
そして、そんな姉妹の様子を俯瞰して見ながら九尾は、リュス以上の笑顔で一人ニタニタしていた。
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