第6章 第3節『再戦と逆襲』

 年端も行かない少女アッキーナに乙女のおしゃれの基本は何たるかを教授された3人は、その翌日、託されたあの勝負下着を身に着けて、通りの警邏にあたっていた。その日は、アカデミー前から進路を東にとってリック通りを北上し、クリーパー橋の高架下を移動していた。ちょうど『アーカム』に至るために M.A.R.C.S. を辿るのに似た道筋だった。今日も雪は深く風が強い。吹雪くとまではいかないが、天候は荒れ、月は厚い雲の中に隠れていてた。星はちらちらとその瞬きを見せるが、冬の悪天候が3人を容赦なく襲っていた。そんな中、ひとりそわそわしているのはウィザードだった。

「どうしたのよ?」

 ソーサラーが訊ねる。

「いや、あっちーんだよ。おまえらなんともねーのかよ?」

 そういってウィザードが毒づく。

「私は寒いわよ。外がこれだけ寒いってのに中まで寒くて芯にいるわ。」

「私はなんだか身体が消えていきそうです。」

 ソーサラーとネクロマンサーがそう応じた。

 この服飾を身に着けていられるのは3時間。それ以上は危険が及ぶ。3人は慎重に時間を計りながら、警邏を続けていた。クリーパー橋の高架を抜けて南大通りを南下するころにはちょうど時間になる。今日はひとまずそこまでになりそうだ。

「着替えてからもう少し警邏する?」

 そう訊くソーサラーに、

「おいおい、こんな真夜中に通りのど真ん中で素っ裸になんのかよ。勘弁だぜ。」

 そう言ってウィザードは首を横に振った。


 雪はどんどん深くなり、風もひっきりなしに鳴いている。熱かったり寒かったり、消えそうだったり、三者三様の事情を抱えながら、クリーパー橋の高架下を過ぎて南大通りを南下していた。その日はマーチン通りを通っていないので、あたりが霧に覆われることはない。アーカムへ至る暗号は極めて精緻に機能していて、わずかでもその所定の道筋を外れると目印となる霧を生じることはなかった。

 南大通りを南下している途中で、喧騒な事態に出くわした。

「あそこだ!」

「追え!」

 そんな声が聞こえる。

 その声のする方に駆けてみると、先日煮え湯を飲まされたローブの人影がアカデミーの治安維持部隊と交戦していた。

 治安維持部隊も必死に対抗しているが、実力の差は明らかで、どんどんと追い詰められていく。

「こいつ、抵抗するな!」

 そういって所持している錬金銃砲を発砲する。弾丸は命中するが、一向に効いている様子がない。そうこうしているうちにその影が繰り出す強力な魔法によってたちまち窮地に追い込まれていった。

 3人はそこに駆けて行って、声を上げた。

「ここは『南5番街22-3番地ギルド』が引き継ぎます。怪我人を連れてすぐに退去してください。」

 その声を聞くや、治安維持部隊は撤退を始めた。

「すまない、よろしく頼む。我々の手には負えない。」

 そう言って引き上げを開始する治安維持部隊の面々。

「ここは任せてください!」

 こうして、再びそのローブの異形と対峙することとなった。相手は禍々しい殺意に満ちている。果たしてこの勝負下着とやらがどこまで効果を発揮してくれるのかはわからないが、残された時間はそれほど長いわけではない。3人は各々その異形と距離をとって対決姿勢を鮮明にした。


 * * *


「このやろう。前回の借りは返してやるぜ。アッキーナ様直伝の勝負下着の威力を見せてやる!」

 それもどうなのよ、と言いたげなソーサラーを尻目にウィザードが詠唱を始める。

『火と光を司るものよ。水と氷を司るものとともになして、わが手に力を授けん。火と光に球体を成さしめて我が敵を撃ち落とさん!砲弾火球:Flaming Cannon Balls!』

 中等術式だが、根限り輻輳を効かせて、これでもかという数の火球を繰り出す。先日とは違い、今日は相手も回避行動をとってきた。明らかに直撃を嫌っているようだ。繰り出した火球の何発かが命中する。

 相手は大きく上半身をのけぞらせ、火球が命中した個所から火を噴きだし、その箇所が赤く燃え上がっている。

「効果があるぞ!」

 ウィザードが声を上げた!

「どうやら、アッキーナのアドバイスは間違いないようね!」 

 そう言って、ソーサラーが『氷刃の豪雨』の術式を詠唱する。

『水と氷を司る者よ。我は汝の敬虔な庇護者也。わが手に数多の剣を成せ。氷刃を中空に巡らせよ。汝にあだなす者に天誅を加えん!滅せよ。氷刃の豪雨:Squall of Ice-Swords!』

 数多の氷刃がその影を襲撃する。それは障壁を展開し、防御を図ったが、いくつかの氷刃がその体を捉え、確実にそれを切り裂いた。

 低くおぞましく唸る声が聞こえる。勝負下着には確かな効果がある。基礎魔法威力を高めることで、相手の耐性能力を上回ることができているようだ。そのローブの人影は見覚えのあるぎこちない動きを連続させながら、居住まいをただしてこちらに向き直る。

 その手に魔力が込められるのがわかる。

「来るわよ!」

 ウィザードはそのソーサラーの声に呼応して『光の盾:Lighte Shield』の術式を展開した。相手は凄まじい勢いの雷撃を展開したが、どうにかそのすべてを遮蔽することができた。勝負下着の効果は攻撃術式だけではなく防御術式にも及ぶようだ。

 その傍らでネクロマンサーが詠唱をしている。

『慈悲深き加護者よ。我が祈りに応えよ。その英知と力をその庇護者に授けん。我が頭上に冥府の門を開き、暗黒の魂を現世に誘わん。開門せよ!暗黒召喚:Summon Drakness!』

 彼女の頭上に冥府の門が開き、そこから多数の死霊が飛来する。ローブの人影は、前回と同じように対霊術式を行使した。一部の死霊はそれに飲まれて消滅するが、今回はそれに耐えるものも少なくない。やがて3、4体の強力なレイスがその人影にとりつき、ひとしきり格闘する。耳を裂くような声のたびにその人影を食いちぎり、引き裂く。人影はとても人間の者とは思えない、どす黒い血を噴き上げながら、手にした術具であろう剣で悪霊を薙ぎ払っていた。

 もう一息。そう思ってネクロマンサーは詠唱を重ねる。

『天候を司る者よ。我が手に暗雲をなせ。大気を帯電し、その力を解き放たん。我が敵を撃て!Thunder Cloud!』


 詠唱が終わるやあたりに一層の暗雲が垂れ込め、そこから幾筋もの稲妻が、そのローブの人影をめがけてほとばしった。それは『転移:Magic Transport』を駆使した巧みな回避行動でそのほとんどを交わしたが、それでも幾筋かは確実にその身体を捉える。稲妻の命中したところからは閃光と炎がほとばしり、その影は明らかに怯み狼狽している。その身体からは、いよいよ炎が吹き出、燃え盛らんばかりとなったが、その瞬間、それは『転移:Magic Transport』の術式を行使してそこから逃げ去ってしまった。

「ちきしょう。あと少しだったのに!」

 ウィザードが悔しがる。

「まぁ、撃退できただけでよかったわよ。」

 ソーサラーはそう言いながらも肩で息をしていた。

「それにしても、強いですね。今日はたまたまタイミングが良かったですが…。」

 そういって、ネクロマンサーもその場に片膝をついている。

「こちらにタイムリミットがある以上、そう何度もやりあえるわけじゃねぇ。早めにケリを付けねぇといけねぇな。」

 ウィザードは言い聞かせるようにそう言った。

「時間と言えば、今は何時?」

 ソーサラーが慌てて聞く。

「大変、もう1時20分を回っています。急いで着替えないと!」

「って、こんなところで真っ裸になるのか!勘弁してくれよ。」

 ウィザードが嘆く。

「死ぬよりましよ。」

 そういって、ソーサラーが服を脱ぎ始めた。

「まて、まて、いくらなんでもやばすぎる。おい、死霊召喚してくれよ。そいつらを目隠しにしてくれ。」

「こんな夜中に誰も見ちゃいないわよ。とにかく寒くてたまらないわ。」

 そういってどんどん服を脱ぎ始めるソーサラーの周りを、ネクロマンサーが召喚した死霊が覆い隠すようにその周囲に集まってくる。3人は、着替えを済ませて、なんとか人心地ついた。

「この方法はリスクがありすぎるぜ。」

「確かにね。もうすこし抜本的な解決策を考えないと、今後やっていけないわね。」

 ウィザードの懸念にソーサラーもそう答えた。

「とにかくも、ひとつ前進ではあります。」

 ネクロマンサーが静かにそう言った。

「まったく対抗できないということはなくなりました。あとはもっと効果的な方法を探すだけです。」

 3人は深くうなづいてから、リック通りまで撤退していた治安維持部隊に追いつき、状況を説明して帰寮した。


 天候は荒れる一方で、改善の気配を見せない。冬の厳しさはまだまだ続いている。空はうなるように風の音をしきりに響かせていた。春はまだ遠い。


 * * *


 その翌日、3人の姿は『アーカム』にあった。

 今日の扉は押し開きで、3人を迎えてくれたのは少年アッキーナである。

「いらっしゃい。昨晩はご活躍だったみたいですね。」

 お茶を淹れながらアッキーナが言う。

「あなたが勧めてくれたあのアンダーウェアの効果は確かに間違いがなかったけれど、今後あいつとやりあうにはもう少し抜本的な対策が必要になるわ。」

 ソーサラーはそう告げた。

「そうですか。まぁ、確かに、3時間というのは便利が悪すぎますよね。あれをいつも着ているというわけにいかないわけですから。」

 アッキーナもそれは承知していたという調子で言う。

「なにかいい方法はないものかしら?」

 そう問うソーサラーに、

「とにかくも、魔法下着は皆さんが思っているよりも重要です。呪われたものを身に着ける必要はありませんが、魔法力の拡張に優れたものを常に身に着けておくことは大切です。」

 とアッキーナは答えた。

「それは今回のことでよくわかったわ。でも、今の私たちにはもう少し現実的な対策が必要なのも事実よ。」

 ソーサラーははっきりと現在の懸念を伝えた。

「確かにそうですね。まあ、とりあえずはお茶を。今日は『ガリーニーデン』です。」

 そういって、彼は3人にお茶をふるまった。


 そのお茶は、にんにくのような辛みとショウガのような薬味の効いた独特のもので、ウィザードはとても飲めたものじゃないというような顔をしている。

「遠からず、あれとは再戦しなければならないわ。アッキーナ、何かいい対策法はないかしら?」

 ソーサラーが問う。

「皆さんが、禁忌術式や究極術式を身に着けてくだされば解決なんですが…。」

 そういうアッキーナに、

「でも、そんなことをしたらあたしら、そろって退学だぜ!」

 ウィザードが食い下がった。

「ごめんなさい。わかっていますよ。困りましたね。」

 そう言いながら、アッキーナはポットをゆっくりとゆすっている。

「いらっしゃっているの?」

 奥から声が聞こえた。

「はい、おいでになられています。」

 その声にアッキーナが答える。

「すぐに行くわね。」

 そう言うと足音が近づき、奥から貴婦人が姿を現した。

「いらっしゃい。」

「お邪魔していています。」

 3人は貴婦人と挨拶を交わした。

「通り魔に手を焼いているようね。」

 アッキーナが淹れたお茶のカップを傾けながら貴婦人が言う。

「そうなんです。呪いの下着は確かに効果がありますが、いつでも使えるわけではありません。」

 ソーサラーは状況を説明した。

 貴婦人はいつものように目を細めてから、

「いっそ、あなたがたも、裏口の魔法使いになる?」

 そう問うてきた。

「いや、それは…。」

 言いよどむ3人を前にして、

「ごめんなさい。ちょっと意地悪を言っただけよ。あなたたちにそんな無理を強いるつもりはないわ。」

 そういって、貴婦人はさらにカップを傾けた。彼女の言う、あなたたち「も」というのが少し気になった。

「実は、あなた方に立ちはだかっている相手は、とても強力なの。」

 貴婦人は続ける。

「本当は、政府やアカデミーが中心となって対処すべき問題なのだけれど…。」

 言いよどむようにして貴婦人は続けた。

「残念ながら、今は彼らの協力を請うことは難しいわ。事態は深刻な局面を迎えつつあるの。そういえば、P.A.C. についてはまだお話ししていなかったわね?」

 3人はその言葉に、食い入るように聞き入った。

「P.A.C. とは、Production of Artificial Creatures の略、つまり、人工生命体の製造ね。」

 驚くべきことを貴婦人はさらりと言った。

「マークスは、アカデミーから簒奪した遺体を錬金術と魔法により冒涜することで、そこから人為の生命体、いうなれば『人為の魔法使い』を錬成しているのよ。」

 貴婦人はお茶を一口含んで続けた。

「あなたたちが、これまで対峙してきた敵、ポンド・ザックの闇市や、P.A.C. 商店、リリーさんのお店で戦ってきた相手はみんなその犠牲者の成れの果て…。」

 そういうと貴婦人は大きくため息をついた。

「そして、奇死団の一件を経て『魂魄の結晶』を手に入れたマークスは、ついに究極の P.A.C. を開発することに成功したわ。先日来あなた方が交戦したのはその究極の P.A.C. の一つよ。」

 3人は息を飲む。

「それはもう人間をあらゆる点で凌駕しているわ。いまや、正直呪いにでも頼らなければ、傷一つつけることはできない存在となっている…。」

 そう言って彼女は再び深いため息をついた。その美しい瞳は静かに虚空を見つめている。

「マークスの狙いは一体何なのですか?無差別殺人が目的とも思えないのですが…?」

 ネクロマンサーが貴婦人に問うた。

「おそらく…。」

 貴婦人は静かに語り始めた。

「彼は、創造主になったつもりなのでしょうね。」

 それに続く言葉を3人は固唾をのんで見守った。

「おそらく、何か明確な目的があるというより、自分の力で生命を思うままにできるということ、それ自体が、いま彼の心を深く捉えてているのだと思うわ。自分の生み出した究極の生命が他の生命を蝕んでいく。そのこと自体を純粋に楽しみ喜んでいるのだと思うわ。」

 貴婦人は驚くべきことを口にした。

「そんな、それって…。」

 ソーサラーが驚嘆の面持ちでこぼす。

「そう、狂気ね。彼、マークスは今完全な狂気にとらわれているわ。自分は万能の創造主になったという幻想にね。」

 そう言うと、貴婦人はカップを空けた。

「あなたたちと、それから、この魔法社会それ自体がとんでもない狂気との対峙を迫られているのよ。」

 貴婦人はそう言った。

「私たちに、私たちにできることはありませんか?」

 ネクロマンサーが声を震わせて貴婦人に問うた。

「そうね、あなたたちにできることは、マークスを止めることだけ。でも、その力はあまりにも強大だわ。」

 3人は言葉を失った。

 しばしの沈黙がその場を覆う。

「アッキーナ、あれをもってきて頂戴。」

 貴婦人が静かにその静寂を破った。

「かしこまりました、マダム。」

 そういって少年アッキーナは奥に姿を消した。


「あなた方は正義をどのように考える?」

 貴婦人は難しいことを聞いた。

「正義ってのは、あれだろ。悪を挫いて弱きを助ける。悪辣を退けて、善を敢行するってやつだ!」

 ウィザードが自信満々に答えて見せた。

 貴婦人は、いつものように一層目元を細めてから、

「若いっていいわね。でも、その純粋さは嫌いじゃないわ。いいでしょう。あなたに力を授けます。呪われたものではなく、本物の力を。ただし、それを決して私欲のために濫用しないとここで約束できるかしら?」

 貴婦人は不敵な笑みを浮かべて、そう言った。

 みな、突然の申し出に当惑を隠せない。

「正直であることはいいことよ。」

 そう言って、貴婦人はポットから自分のカップにお茶をついだ。


 その時、店の奥からアッキーナが戻ってきた。その手には、いくつかの美しいティアラが携えられている。

「これがなんだかわかる?」

 貴婦人が訊ねる。

「『神秘のティアラ』ですよね?」ネクロマンサーがそう答えた。

「あなた方に、本当に善を探求する意思があるなら…。」

 そういって、貴婦人はアッキーナの手からそのうちの一つを手にした。

「でもそれは、『終学:マスター』の位階を得るまでは身に着けてはならないのでは?」

 アカデミーの規律についてネクロマンサーが懸念を表明した。貴婦人はその言葉を受けて話始める。

「力の資格って、いったい、なんなのかしらね?」

 3人は顔を見合わせた。

「私はね。思うの。それは形式ではないのだと。力を授かる資格とは、それにふさわしい意思を宿した時、そうではないかしら?」

 そういうと、その瞳に微笑みをたたえた。

「あなたがたは、この魔法社会のために、というより、あなた方の心にある善のために力を尽くしたいとは思わないかしら?」

 突然の問いに狼狽する3人。

「その善っていうのは、こうありたいとか、こうあるべきではないとか、そう思う心のことか?」

 ウィザードが問うた。

「そうね、それは近いわね。あなたは『どうあるべき』だと思うの?」

 貴婦人はそう訊く。

「あたしは、よくわかんねぇけど、自分が嫌なことを相手にするのはなしだと思うぜ。だれもがそれを守っていれば、きっと苦痛は減るはずだ。」

 いいわね。そういって貴婦人が目配せすると、アッキーナはウィザードにティアラを差し出した。

「これをあなたに。」

 そういって、うやうやしく手渡す。それは見事な真石ルビーのティアラだった。

「あなたはそれにふさわしいわ。」

 貴婦人は一言そう言った。


「あなたたちはどう?正義をどのように考える?」

 貴婦人がソーサラーとネクロマンサーに視線を送る。

「正義とは…。」

 ソーサラーが口を開いた。

「きっと人それぞれにあるもので、画一的に決まるものではないと、そう思います。でも、きっと、喜びや愛を増し加え、苦痛や悲しみを退けること、それが正義なのだと思います。喜びはひとに活力を与え、生に導きます。その一方で、苦痛は活力を削ぎ、希望を損なうからです。人は、みな生に向かって生きる希望と責務を負っているのだと思うのです。その道筋に連なるものが正義ではないでしょうか?」

 貴婦人はその答えに満足したようだった。アッキーナに流し目を送る。それを受けてアッキーナが差し出した。

「これはあなたにふさわしいものです。」

 それは、真石エメラルドで彩られた、極上のティアラであった。

「遠慮はいらないわ。それを手に取って身に着けなさいな。」

 貴婦人はそう言って促した。


 ソーサラーは恐る恐るそれを受け取って、そっと頭上に据えた。彼女の美しい銀髪の上で、それは見事な輝きを放っていた。


「最後はあなたよ?あなたにとって正義とはなに?」

 貴婦人はネクロマンサーに優しいまなざしを向けた。

 しばしうつむいてから、こぼすように答えた。

「ごめんなさい。正直私にはわかりません。でも、生きること、生き続けることは人間にとって大切なことだと思います。私たちは生まれたその瞬間から死を運命づけられ、いわば有限の時の中である意味では無為な人生を紡ぐことを強いられています。しかし、その歩みは決して無意味なものではなく、喜び、悲しみ、怒り、愛情、そういったかけがえのない感情に彩られています。そのひとつひとつの経験、瞬間が人生の意味を形作るのだと、そしてそれらがその人なりの正しさを紡ぐのだと、私はそう思っています。」

 そういう彼女に、貴婦人はあたたかい視線を送った。

「正直なことはよいことです。迷いもまた人生の重要な要素。でも、その中で、あなたは確実に大切なことを掴みつつあるわ。」

 そう言って、アッキーナに促した。

「これをどうぞ。」

 彼は真石パールに輝くティアラをネクロマンサーの前に差し出した。

「これは、あなたにふさわしい。」 

 そういって、それを手に取るように促した。


 彼女はそれを手に取ると、静かに頭上にいただいた。つややかな黒髪の上に、乳白色のティアラの放つまきとてりが、優雅に鎮座していた。

「少し早いけれど、あなた方の新しい第一歩よ。」

 そういって貴婦人は、3人の顔を眺めた。

「このティアラは呪いの品などではなく、本物の『神秘のティアラ』です。あなた方の魔法特性を大きく拡張してくれるでしょう。これからあなた方の前には力の強い巨悪が立ちはだかります。いざという時は、これを身に着けてそれらと対峙しなさい。」

 その言葉を聞きながら、3人は、頭上に輝く『神秘のティアラ』を静かになでていた。


 『神秘のティアラ』とは、上等位階、すなわち高等部を卒業して『終学:Master』の位階に進んだものだけが身に着けることを許される、いわば修行の修了の証であった。実際は、各々が魔法具店で、めいめいの懐事情にあうティアラを購入するのが魔法社会のならわしであったが、その場合、真石を配したティアラはあまりに高価すぎて、まず手にすることはできなかった。しかし、貴婦人は、3人にその成長の証として、真石をあしらった本物のティアラを用意してくれたのである。これで、下着の着用時間に煩わされることなく、その力を存分に引き出すことができるようになるだろう。


「それは、あなたたちがこれまでに様々な困難を乗り越えて、立派に力を獲得した証です。アカデミーでそれを身に着けるのは、学則上いろいろと問題があるでしょうけれど、必要な時にはそれを頭上にいただいて、信じる道をお進みなさい。」

 そう言って、貴婦人は3人に優しい視線を送った。


 * * *


「さあさあ、せっかくですから、鏡をごらんなさいな、っと。」

 そういって、少年アッキーナが鏡を持ってきた。3人は『神秘のティアラ』を頭上にいただくそれぞれの顔を見て、照れくさそうにしていた。


 その時だった。

 普段は滅多に訪れる者のないはずのアーカムの入り口を乱暴に打ち破るような轟音が響いた!


「やっと見つけたぞ!」

 聞き覚えのある声がする。

「こんなところに隠れていたのか。面倒な暗号を張り巡らしおって。」

 その声はマークスのものだった。

 3人と、そしてアッキーナ、貴婦人が入り口を見やると、そこに異形の存在を伴ったマークスの姿があった。


 彼は、彼女たちを見据えて言った。

「これはこれは。これまで私の崇高なる研究をたびたび邪魔してくれた面々が勢ぞろいではありませんか。好機とは実にこのことですな。」

 そう言ってなんとも嫌な笑顔を浮かべた。

「おや、かの失敗作もご同席とは。これはいい!」

 それを聞いてアッキーナが渋い顔をした。

「君たちのおかげで、私の研究は思いがけない時間を要したが、しかし同時に君たちが道化を演じてくれたことで、奇しくも完成にこぎつけることができたのだ。その例をたんとさせていただかなければなるまい。どうか心ゆくまで私のこの素晴らしい研究の成果をその身で堪能してくれたまえ!」

 そう言うと、彼の背後から甲冑とローブに身を包んだおぞましい存在がゆっくりと姿を現した。


「ある意味、君たちのおかげで完成した究極の P.A.C.:人為の魔法使いだよ。その成果を確かめるための被検体には、君たち以上の存在はないとそう思ってね。ずいぶんかかったがようやくここを突き止めることができた。さあ、歓迎してくれたまえ!」


 その究極体なるものがゆっくりと前に歩み出てくる。

 3人は、椅子の背に駆けてあったローブをさっと身にまとい、それと正面から対峙した。通り魔は、ここアーカムに至る道筋を夜な夜な探していたのだ。そしてついに、彼はあのコイル巻きの暗号を解読して今ここに立ちはだかっている!マークスとの直接対決時がついに到来した!


 両者の間の空気が鋭く張り詰めていく。


続く。

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AIと紡ぐ現代架空魔術目録 本編 Omnialcay @Dollghters

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