第36話 不本意な婚約 2

それから半年ほどの間、わたしはこのつまらない世界での生活にジッと耐えたわ。


毎日毎日、詩織の顔や声、温もりや匂いを忘れないように、朝起きたらまず詩織のことを考えて、眠る時も詩織のことを考えて眠った。


エドウィンと一緒にいる時間は苦痛以外の何ものでものなかったけれど、それでも嫌われないように気をつけた。わたしの作戦は、結婚式でみんなが見ている前でないと決行できないから。それまでに結婚が中止にならないようにするためにね。


そして、毎日毎日、長い時間をかけて、ようやくその日は訪れた。


それまでに起きたエドウィンとのことや、ミルティアーナ家でのわたしの生活は特に詩織に話す必要もないと思うから、割愛しておくわ。そんなつまらない、不愉快な話は詩織にはしたくないし。


けれど、これだけは伝えておかないといけない。わたしがエドウィンの前で一度たりとも生身の体を晒さなかったことは。エドウィンの必死のアプローチをうまく交わしたわたしのことは、一通り話が終わったら、頭を撫でて褒めて欲しいところね。


まあ、それはさておき、わたしにとって本当の婚約者と婚姻関係になる為の、偽りの結婚式が始まったというわけ。わたしにとって2度目の結婚式になるけれど、それに対しては何の感慨もなかったわ。


実際に式場に立つと、あの日の嫌な思い出が蘇ってくるみたいで辛かった。綺麗なドレスの上に嘔吐でもしてしまいそう。モノクロの世界に来たみたいな、そんな暗い雰囲気に感じられたわ。実際は陽のしっかり当たっている屋外にいたはずなのに。


両家の親族や知り合いがまるで以前のことは何も無かったかのように、祝福ムードで振る舞っている。そんな様子にもかなり苛立ってしまったけれど、わたしは偉いからギリギリまで表情を崩さなかったわ。


腹立たしくはあるけれど、少なくとも、周囲がわたしに対して友好的な雰囲気であるのならそれは追い風だから。加えて、一人でも多くの人間が、わたしに対して同情心を持っているのなら、それも追い風。


あとは、みんながエドウィンに対して不信感を持ってくれたらもっと良かったけれど、残念ながらそんなことは無さそうだったわ。わたしは優しいエドウィンに拾ってもらった不憫な令嬢とでも思われているのだろうか。だとしたら、ここにいる全員を順番に引っ叩いてやりたい気持ちね。そんなわたしの気持ちなんて、当然のようにエドウィンは知らないだろうけど。


「リディア、やっぱり僕の相手にはキミが相応しいよ」

聴衆の視線はわたしたちに向かっていた。

「あら、……」

わたしは微笑んでから、小さく息を吸った。この穏やかなムードを壊すために、気合いをいれる。


見ててね、詩織。わたし、今からとっても頑張るから!


「わたしみたいに麗しい令嬢と、あなたのような卑しい人物が釣り合うとは思わないけれど?」


しっかりと、はっきりと大きな声でエドウィンに伝えた。周囲がざわつく前に畳み掛ける。今度はさっきよりも大きな声で、はっきりと言った。


「わたしにはエドウィンと会っていなかった間に婚約者ができたの! わたしの婚約者は、詩織というとっても可愛くて優しい、わたし思いの子よ! エドウィンでは無いわ! けれど、今わたしは一度わたしのことを捨てた人と婚約させられそうになっているの。こんな茶番、許していいのかしら!」

会場全体がざわついた。


「リディア、どういうことだい……?」

エドウィンの顔が青ざめている。冷え切った会場の中で一人、わたしのことを恐ろしい熱量で睨んでいる子がいる。


ジェンナだ。


けれど、これは想定通り。エドウィンのためにわたしの都合を一切無視してこの世界に連れてきたジェンナが怒らないわけがない。本人は主人思いの優しいメイドになっているつもりが、主人に大恥をかかしてしまったのだから。


「お前、よくも……」

わたしと詩織の前に現れた時の余裕のある様子は一切ない。これも想定通り。


強い魔法を使える相手を激昂させてしまっている状態が怖くないと言えば嘘になる。でも、わたしは詩織に会うためならなんだってできてしまうのよ。


ここまでエドウィンに靡いているフリをして、大衆の面前での婚約破棄をするというショックの大きい状況を作って、彼女の感情の負の部分を少しでも多く引き出したかったのだから。


もっとも、わたしは一度目の結婚の時には、ほとんど何も悪いことをしていないのに、大衆の面前で婚約破棄を告げられて、捨てられてしまったのだから、それよりもは今の方がずっとマシでしょ。わたしと詩織の仲を引き裂くなんて大罪を犯した者の受ける罰にしては軽すぎるくらいだわ。


ジェンナが顔を真っ赤にしてわたしの方にやってきた。ここからが大勝負なのだ。その様子を見て、エドウィンは横でオロオロとしていて、まったく頼りにならなさそう。もう彼はお役御免みたいだから、どうでもいいけど。


ジェンナはわたしの方に近づきながら、今にもわたしを攻撃しようと企んでいる。前に詩織と一緒に会った時の脅しではない本気の顔。だから、わたしはわざとらしく大きな声を出した。


「た、助けて! あのメイドはエドウィンの専属メイドなの! こんなところで真実を打ち明けてしまったから、わたしは殺されてしまうわ……!」

ジェンナの方を指差しながら、できる限りの悲しそうな声を出した。


今までのプライドの高かったわたしには出せなかったようなか弱い声。でも、大切な子がいる今のわたしには、プライドなんていらないわ。詩織の為なら、どこまでも強くもなれるし、どこまでも弱くもなれるようになったみたい。


わたしミルティアーナ・リディアは、この瞬間、ルーナを虐めていた(ことになっている)悪役令嬢から、恋人との仲を引き裂かれた悲劇の令嬢になったのだ。


「そ、そういうわけじゃ」と慌てるジェンナは場の騒ぎが落ち着いてから、またこっそりわたしを消しに来るかもしれないから、追撃をする。


「無理やり好きでもないエドウィンと婚約させるために、わたしの大事な人との仲を引き裂かれてしまったのに、さらにジェンナがわたしに危害を加えようとするなんて! 嫌よ、もう嫌だわ! エドウィンの顔なんて見たくない! 元の世界に帰りたいわ!」


思いっきり大きな声で泣いて見せた。ねえ、詩織。わたしの一世一代のお芝居、詩織にも見せてあげたかったわ。これは詩織の為の涙よ。だから、きっととっても綺麗なはず。みんな、わたしの涙に同情して!


「戻して〜。帰らせて〜。本当の婚約者に合わせて〜」

わんわん泣いた。さすがにワザとらしかっただろうか、とも思ったけれど、これで良かったみたい。


群衆がわたしに哀れみの視線を向けた。

「可哀想に」「無理やり連れてこられたんだってさ」「この家も落ちたもんだな」

周囲から孤立していくエドウィンとジェンナ。その様子にエドウィンが耐えきれなくなったみたい。


「戻してやれよ。そもそも僕はリディアを無理やり連れてこいなんて頼んでないぞ」

「だ、だって、リディア様を探してきてって……」

「早く戻してやってくれ。これ以上、恥をかかすな」

うぅ……、とジェンナの泣きそうな声が聞こえてからは、わたしは気づけば詩織のアパートの近くの路地にいたわ。


だから、その後2人がどうなったかなんて知らないし、興味もない。


ただ、わたしは詩織と再会する権利を得て、おまけに婚約破棄された時の意趣返しまでできた。


でも、婚約破棄の意趣返しなんて本当はどうでもよかった。とにかくまた詩織に会えたことが、本当に嬉しかったの……。


そこまで話して、わたしは小さく息を吐き出してから、涙ぐんだ瞳で詩織をジッと見つめた。詩織が微笑んでくれたのを見ると、また泣きそうになった。

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