第34話 待ってるから 5

玖実と別れたわたしはトボトボと帰り道を歩いていた。月の光に照らされた婚約指輪がキラリと光る。リディアに指輪を渡せる日は本当にやってくるのだろうか……。


そんな不穏なことを考えてしまって、わたしは慌てて首を横に振った。


「変なこと考えちゃったな……。リディアは絶対帰ってきてくれるのに……」


呟いたけれど、わたしは立ち止まる。


いつ?


一体リディアはいつ帰ってきてくれるの……?


「ねえ、リディア……。わたし、リディアに会いたいよ。もう我慢できないよ……」


わたしも玖実みたいに空に向かって呟いてみた。


「いつ帰ってきてくれるのさ! わたし待ちくたびれちゃうよ!」


リディアだって、好きで向こうの世界にいるわけではないのはわかってる。わたしがとってもわがままなこともわかっている。でも、もうリディアのいない生活に、これ以上耐えられなかった。


「待っとくけど……、リディアが帰ってくるまで待っとくけどさ! 何年でも待っとくけど……。でも、早く会いたいよ……」


眩しいくらいに綺麗な星。横にリディアが居てくれたら、もっと綺麗に見えたんだろうな。涙で濡れた目を擦ってから、ため息をついて、また歩き出す。


アパートに戻ってきたわたしは、エントランスを通り、階段を登っていく。いつものように階段を登って、3階に来て自分の部屋の方に向かおうとしたら、いつもと違うことが起きているのに気がついた。


アパートの部屋の前に人影があるのを見つけた。


「えっ……」


しっかりと姿を見る前に、サッと2段ほど階段を降りて、人影から見えない場所に隠れてしまった。暗くてシルエットしか見えなかったけれど、180センチを超える大きくて、スラリとした影だった。


まさか、違うよね……。


あんまり期待しすぎたら、勘違いだった時のショックが大きくなってしまう。


でも……、期待してしまう。


サッとだけ見たうろ覚えの影の足元が、ヒール靴だったような気がした。それに、ドレスを着ているようなシルエットにも見えた。


わたしの鼓動がドクンと跳ね上がる。ドンドン早くなる鼓動で、体ごと跳ねてしまいそうだった。


「ち、違うよ、きっと……。いるわけないもんね……」

気持ちを沈めようとする。


きっと見間違え。それで変に期待して違ったら、もし無関係のストーカーだったりでもしたら、わたしはもう立ち直れる気がしない。


それでも、一刻も早く正体を確認したい気持ちが逸る。わたしは大きく深呼吸をした。アパートの影から顔だけ覗かせて、人影をじっと見る。


「あっ……、あぁ……」


正体をしっかりと確認して、わたしはうまく声を出せなくなった。


両手で胸を押さえて、息を整えようとしたのに、まったく落ちつかない。思いっきり息を荒げてしまった。うまく呼吸ができない。


そんな異様な様子の人物が廊下の端から見ているのだから、向こうだって気がつかない訳がない。


「あら……」

しっかりとは聞こえなかったけれど、小さく呟いたように見えた。


わたしの方を見て、一瞬で瞳に涙を溜めてから、大きなヒール音を響かせて、こちらに走ってくる。


「詩織……! 詩織!!」


ギュッと力一杯、苦しくなっちゃうくらい強い力で抱きしめられた。本物でいいんだよね……。


「ねえ、わたし夢を見てる訳じゃないよね……?」

「ええ、当たり前じゃない!」と言いながら、わたしの頬を思いっきりつねられた。


「痛たたたた。ちょっと力強すぎない……?」

「でも、これで現実だってわかるでしょ? 痛いんでしょ?」

「痛いよ! でも、ありがと!」


わたしもギュッと抱きしめ返した。ちゃんと、リディアの体がここに存在している。しっかりと温かくて柔らかくて、頼もしい彼女が目の前にいることがわかる。もう現実だって、認めてもいいよね??? この世界の、わたしの目の前にリディアがいることが現実だって、認めて良いよね!!!


わたしは大きく息を吸った。


「おかえり、リディア!」

「ただいま、詩織!」


廊下で2人で子どもみたいにわんわん泣いてしまっているから、このままだと近所迷惑になってしまう。わたしは慌ててリディアの手を引っ張って、家に引っ張り込んだ。


家に入った瞬間、わたしもリディアもホッと息を吐いた。


「懐かしいわね、詩織のお家! 狭くて大好きだわ!」

「ディスってるでしょ、それ?」


わたしは笑いながら泣いてしまっていた。リディアと何気ない話ができる生活が、また戻ってくるのだ。


「ディスってないわよ! 褒めてるのよ! もうっ、わたしが向こうの世界でどれだけ、広いお屋敷で寂しい思いをしたと思ってるのよ!」

リディアがため息をつきながら、慣れた様子で部屋に入っていく。


「さ、ゆっくり紅茶でもいれて……って、部屋すっごい散らかってるじゃないのよ! ゴミ置き場じゃないんだから!」

リディアが頬を膨らませてわたしの方を見た。


「だ、だって、リディアが今日戻ってくるなんて思ってなかったから……」

「いつ戻ってきても良いようにしときなさいよね。ちゃんと婚約の準備して待っててって言ってたんだから!」


リディアが床に落ちていたビニール袋を拾い上げながら言う。

「このわたしに、こんな汚いところで生活させないでよね。さっさと片付けるわよ」

「わかったよ」と気怠い声で言ったけれど、わたしの瞳は潤んでいた。本当にリディアが部屋にいることが嬉しかった。リディアの声が聞けるだけで、感極まってしまうのだ。


喜びの中で、わたしはリディアと一緒に部屋を綺麗にしてから、紅茶を淹れて向かい合う。


目の前にいるリディアは元々麗しかったけれど、半年ちょっととはいえ、歳を重ねて大人びて、さらに綺麗になっているように思えた。そして、メイクを全くしていないのに、相変わらず顔が強すぎる。


「リディアが無事に帰ってきてくれたの、まだ信じられないよ……。もしかしたら、もう会えないんじゃないかって……」

「そんなこと考えていたの? わたしは絶対に詩織に会うんだからって思って、毎日頑張ってたのに!」

リディアがプイッと顔を横に背けてしまった。


「で、でも、ずっとリディアのこと考えてたよ! 寝る時も、ご飯食べる時も、大学で勉強してる時も!」

そう言うと、少しご機嫌斜めになっていたリディアが微笑んだ。 

「わたしも詩織のことずっと考えてたわ! わたしたち、やっぱりちゃんと恋人同士ね!」

リディアとわたしは、顔を見合わせて一緒に頷いたのだった。


「でも、向こうでの生活、大変だったんじゃない? 酷い目に遭わされなかった?」

「そりゃ、遭ったわよ。わたしと詩織の仲が引き裂かれてしまった時点で、それはとっても酷い目よ! しかも半年も詩織抜きで、わたしの敵だらけのところにいたんだから!」


「だよね……」

わたしが俯くと、リディアが「でもね……」と補足する。わたしは顔をあげた。


「とっても気分の良いこともあったわよ!」

リディアがクスッと笑ってVサインをわたしに向けてきた。


「とっても気分の良いこと?」

「そ、気分の良いことよ」

一体何があったのだろうか。


不思議に思っていると、リディアは「ちょっと向こうでのことを話させて」と言って、話し始めたのだった。

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