第32話 待ってるから 3
あれだけ精神的に不安定だったのに、冬を超えて何事もなく2回生になれたのは、玖実のおかげである。期末テストが散々で、いくつか単位を落としてしまったから完全に順調にとは言えなかったけれど、少なくとも、きちんと大学に通えているのは良い兆候だと思う。年齢も春先に無事に一つ増えた。
二十歳の誕生日は、玖実と一緒に食事に行ったのだった。リディアが一緒にお祝いしてくれない二十歳の誕生日はとても悲しいものになると思ったけれど、玖実のおかげで、少しだけ楽しいものになってくれた。
もちろん、玖実にお祝いしてもらえたのはとっても嬉しいし、楽しいことなのだけれど、どうしてもわたしはリディアのことを考えてしまうのだった。リディアはきっと、お誕生日プレゼントと称してキスとかしてくれたのだろうか。
『大好きなわたしからのキス、嬉しいでしょ?』なんてことを恥ずかしげもなく言うんだろうな。考えただけでわたしの方が顔が赤くなってしまいそうだ。
誕生日は、玖実と一緒にちょっと高めのイタリア料理のお店に入ったけれど、玖実には「リディア様じゃなくてごめんなぁ」と謝られてしまった。だから、玖実と一緒も楽しいから嬉しいよ、とはちゃんと伝えておいた。本当にありがとね、玖実。
そんな感じで二十歳になってからもリディアのことを考えながら、彼女のことをひたすら待つ日々を過ごしていた。リディアがいなくなってから、もう半年近くが経つというのに、やっぱりまだ帰っては来てくれなかった。
もしかしたら、ジェンナたちに酷い目に遭わされているのではないだろうかと不安になる。少なくとも、あの世界はリディアにとっては敵だらけの場所だから、そんな場所で時間を過ごさなければならないリディアのことを考えると、胸が痛くなる。今すぐにでもリディアの元に駆けつけて、味方になってあげたかった。ギュッて抱きしめてあげたかった。
わたしは代わりに、ベッドの上のリディア様人形たちを胸元で抱きしめながら、問いかけてみる。
「ねえ、リディアはいつ帰ってくるの?」
大丈夫、リディアはちゃんと戻ってくるよ、と自分に言い聞かせた。リディアは絶対に帰ってくる。それを信じて日々を過ごした。
とはいえ、今頃リディアはジェンナという恐ろしい魔女たちと戦っているに違いないのに、わたしだけのんびりと待っているのも気が引けた。リディアが帰って来た時に喜んでもらえるように、準備をしておきたかった。リディアが帰ってきた時のための婚約の準備を。
近所のショッピングモールに婚約指輪を見に行ったのは、当然初めてだった。
「そりゃ高いよね……」
透明なケース越しに見る指輪はどれも高そうで、買ってしまうと生活費に直接影響が出そう。暫くの間は3食ご飯を食べるのは難しそうだな。それでも、今頃向こうの世界で頑張っているであろうリディアのために、わたしも頑張りたかった。
「これで……」
ドキドキしながら指を差した綺麗な指輪。
リディアの指のサイズは、ほとんどうろ覚えだった。けれど、何度も触った柔らかくて大きな手の感覚はしっかりと覚えている。わたしは自分の感覚を信じた。
半年以上前に触れた手の感触だけを頼りに高価な指輪を買うなんて、絶対にしない方が良いのはわかっている。普段はスーパーに行く時だって、しっかりと冷蔵庫の中身を確認してから間違った買い物をしないようように気をつけているわたしにしては、大胆すぎる買い物だと思う。
でも、リディアとの婚約に縋って生きているわたしは、とにかく何かリディアとの婚約を常に感じられるものが欲しかった。間違いなくリディアと結婚ができる将来を保証してくれる何かが。そのためなら、指輪くらい安い物だった。
そうして、わたしは先に指輪をつけた。薬指で煌めく指輪が綺麗で、つい無意味に見惚れてしまう。リディアとの婚約の証を常に身に纏えていることが嬉しい。早くリディアにも付けてあげたかった。
リディアと再会するまでは心の拠り所として、自己満足の指輪にするつもりだったけれど、意外と実用的な部分もあった。男性からの告白が断りやすくなったのだ。
リディアがいなくなってから、わたしは何度か告白をされた。突然モテるようになったみたい。今までろくに告白なんてされてこなかったのに、なんでだろうね。ちょっとオシャレに気を使うようになったからだろうか。
でも、わたしが自分を飾るようになったのは、リディアにいつ会っても良いようにしているからなのに。リディアだけの為で、よく知らない男の人のためにやっているわけではないのに。不思議だな、とちょっと思った。
「それ、本物?」
ある日、玖実に薬指につけている指輪をビックリした顔で見られたこともあった。尋ねられて、わたしはしっかりと頷く。
「そう。リディアとの婚約指輪」
「じゃあ、もう一つはリディア様が帰ってきたら渡すんだ」
「もちろん」
「もし帰ってこなかったらあたしが貰ってやるよ」
「ダメ! リディアは絶対に帰ってくるんだから、玖実にはあげないよ!」
わたしが声を荒げると、玖実が苦笑いをする。
「冗談だって、冗談。詩織のリディア様愛の重さはあたしもよく知ってるからな。詩織とリディア様はあたしの推しカプだから、リディア様以外が付けるのは、あたし的にも納得いかんのだよ」
友達に推しカプとか言わないでよ、って言いたいところだけど、リディアとの仲をそう言ってくれるのは嬉しい。
おちゃらけつつも、いつ帰ってくるかわからないリディアのために指輪を買ったことにも引いたりしないし、玖実はやっぱり優しい。わたしが心の中で玖実に感謝の気持ちを伝えていると、玖実が尋ねてくる。
「そういえば、今度のゼミの飲み会行くのか?」
「行くも何も、あれって半強制でしょ?」
「まあな。あたしはあんまりゼミのやつらと気合わなさそうだし、詩織が行かなかったから行かないとこうかなって思ってるけど」
なんか派手な子が多いから、わたしたちとは合わないのはわかる。まあ、それでも玖実は器用に派手な子たちとも溶け込んでいるけれど。さすが、中学時代は1軍グループに属していただけある(別の中学だったから、あくまで自己申告でどこまで信じていいかはわからなかったけれど、コミュ力の高さを考えたら、あながち嘘でもなさそうなのだ)。
「一応行っておいた方がいいんじゃない。いきなり2人だけ浮くのとか嫌だし」
本当はタダでさえ指輪で生活費が苦しいから、行きたくはないけど。
「詩織が一緒に浮いてくれるなら、別に嫌じゃないけどな」
「あのねぇ……。ちゃんと出席しないと……」
「わかってるよー。冗談だって」
玖実は呑気に笑いながら言っていたのだった。
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