第29話 さよならリディア 3

その日の夜は、わたしたちはエッチはしなかった。裸のままで眠ってしまって、リディアがそのまま元の世界に連れて行かれてしまったら可哀想だし。


「ドレス着て寝る?」

「いやよ。寝づらいわ」

「じゃあ、せめてリディア用のルームウェアにしようよ……」


リディアと本格的に同棲するようになってからは、背の高いリディアに合うサイズのルームウェアを買っておいてあげたのに、なぜか今晩はこっちの世界にやって来たばかりの頃に着ていた、わたしのルームウェアを着ていたのだった。


「この服、詩織の匂いが染み付いてて寝やすいからこっちが良い」

そういうと、リディアは襟元を持って、鼻先まで服の中に埋めたて、すんすんと匂いを嗅ぎ出した。


「ちょ、ちょっと! 恥ずかしいからやめてってば」

汗の臭いとか、体臭とか染み込んでないか心配になる。自分で気づかなくても、人の臭いは結構気になるものっていうし。


「良いじゃない。詩織の匂いしばらく嗅げなくなるんだから。しっかりと体に染み込ませておかないと」

「しばらくって……」

リディアの変態的な発想がさほど気にならないほどに、リディアともうすぐ会えなくなるという事実はわたしにとって重たすぎた。


またしばらくしたら、わたしの匂い嗅いでくれるってことで良いんだよね……? わたしたち、また会えるって信じて良いんだよね……? 


そんな確認の言葉が出かけたけれど、声には出さなかった。せっかくリディアが楽しい雰囲気を作ってくれているのに、またしんみりとさせるのは嫌だった。


それはきっとリディアも同じ気持ち。一瞬曇ったわたしの顔を見て、リディアが服から顔を出して、クスッと微笑んだ。


「服だけじゃ物足りないわね」

わたしの首元に鼻先をくっつけてきた。

「ちょ、ちょっと……」

「やっぱり詩織そのものの匂いの方が良いわね!」


そのままリディアは首元に口までつけてきて、ソッと首筋にキスをしてきた。自然な流れで一瞬の口付けを終えたあと、リディアが尋ねてくる。


「ねえ、もしまた会えたらわたしの彼女になってくれるのかしら?」

「そんな質問しないでよ……」

「なってくれないのかしら? ……まあ、そうよね。再会できるかどうかもわからないわたしのことを待つよりも、詩織はちゃんと別の恋人を作って、幸せになった方がいいわ」

「だから、そんなこと聞かないでよ。そもそも、わたしはまだリディアと別れたつもりはないよ」


声が震えないように気をつけながら話す。わたしはリディアと逆の方を向いて、リディアがわたしの背中側にくっつくみたいな姿勢になったから、泣き顔は見せていない。


「……再会できる可能性もあるって信じていいんだよね?」

「こっちに来れたんだから、会える可能性だってあるわ。……いえ、違うわね。絶対にわたしは詩織に会いに戻ってくるわ」

リディアが力強く言い切った。


「信じるよ……?」

「わたしは嘘はつかないわ」

「わかった」

納得して、ホッと息をついたら、リディアは体を起こして座った。


「どうしたの?」

不思議に思っていると、リディアはわたしを仰向けにしてから、足を挟むようにして、体の上に跨ってきた。体を倒して、わたしにくっつけ、そのままキスをしてきた。


上に乗っているリディアの瞳からは涙が溢れていて、ポタポタとわたしの顔を濡らしていく。


リディアがわたしのことを抱きしめながら、口内に舌を入れてくる。しばらく離してくれそうにもないような、長いキスをされてしまっていたから、その間わたしはひたすらリディアの涙を受け続けた。


わたしの顔に自分の涙とリディアの涙が混ざり合う。鼻を啜りながらのキスで、時々呼吸を苦しそうにしているけれど、それでもリディアはキスを止めようとはしなかった。長い長いキスで、まるでわたしの体とリディアの体が一つになったみたいな感覚になる。


本当に溶け合って、訳がわかんなくなって、最終的にわたしかリディア、どっちかの体で一緒になれたら、離れ離れにならなくても良いのに、と思った。あ、でもどっちかの体で一緒になるなら、リディアの体の方がいいかな。リディアの方が現実離れした美人さんだし。


「そうかしら、わたしは詩織の体の方がいいわ。ちょっと子どもっぽい詩織の体の方が、わたしは好きよ」

「絶対リディアの方が良いって」


声に出していないはずなのに、なぜかリディアに反応されてしまったことにも気にせず、わたしは反論する。


「じゃあ、中身が入れ替わっちゃうのも良いかもしれないわね。わたしが詩織で、詩織がわたしになっちゃうの」

リディアが楽しそうに笑う。

「それじゃあリディアに悪いよ……」


わたしは苦笑いする。リディアの美少女の見た目をもらって、リディアにわたしのちんちくりんの体を押し付けてしまうなんて、リディアに申し訳ない。


「あら、詩織の方が可愛いんだから、悪くなんてないわ。顔も体も子供っぽくて、とってもキュートだもん」

リディアがそよそよと優しく吹き付けるそよ風に髪の毛を揺らされながら、微笑んだ。


夜にベッドで眠っていたはずなのに、いつの間にか屋外で柔らかい木漏れ日を受けていた。草原の木陰で一緒に座っているから、多分夢の中なのだと思う。


「子どもっぽいってディスってるでしょ?」

どうせわたしはリディアと違って胸はぺったんこだし、体型も子どもっぽいよ。


「ディスってないわよ。詩織の体は抱きやすくて大好きよ。……、でも2人で同じ体を共有したり、入れかわっちゃっったりしたら、詩織のことを抱きしめられないから、やっぱり今のままの方がいいわね。大好きな詩織には、詩織のままでいて欲しいもの」


「でも、今のままだったら、わたしたちは別の世界の人になっちゃうよ……」

「そんなことさせないわ」

夢の中のリディアは、起きていた時よりもさらに力強い声で言う。


「わたしの夢の中のリディアイケメンすぎるよ……」

どうせ夢の中だし、と思って、珍しくわたしの方からキスをした。舌を絡ませあっている時の温かい感触がとてもリアルだったから、これが夢だとは思えなかった。


「現実ではないけれど、多分夢でもないわよ」

口付けをやめた瞬間に、リディアが真面目な顔で伝えてくる。


え? と不思議そうに尋ねたわたしに、リディアが優しく説明をしてくれた。


「今は多分、世界を移動するための準備をしている状態ね。強いて言うなら、わたしと詩織は同じ夢を共有しているって感じと思ってもらえればいいわ。わたしもちゃんと詩織と同じものを見ているから、大丈夫よ。夢だけど、現実。このやり取りは、わたしの記憶にも詩織の記憶にも残るわよ」

「そっか……」

じゃあ、大事なこと伝えても大丈夫だ。


「ねえ、リディア。ぜっっっっったいにまた会おうね……! 戻ってきてくれないと、怒るからね!」

「詩織も会いたいって思ってくれているのね?」

「当たり前だよ! リディアとずっといたいもん! 大好きだもん!」

「なら、大丈夫よ。わたしは必ず戻ってくるわ。詩織のことを悲しませることはしたくないから」


リディアはわたしのことをギュッと抱きしめてくれた。そして、耳元で囁く。


「わたしは悪役令嬢よ? とってもわがままで、自分勝手。だから、わたしは欲望のままに生きるわ」

リディアがわたしの耳に吐息をかけてから、また続ける。


「わたしの望みは詩織と婚約をすること。だから、戻ってきた時に、あなたはわたしに嫁がないといけない、その覚悟をしておきなさい。婚約破棄なんてしたら、絶対に許さないからね」

「当たり前だよ。すぐにでも結婚できるように待っておくから!」

「楽しみしておくわね」


クスッと笑ったリディアのことをわたしも抱きしめ返したはずのに、感触は何も無かった。体が空を切る。まるで、空気を抱きしめたみたいに。


目を開けた時、わたしの視線の先には毎朝見ている部屋の天井があった。


朝起きたわたしは、既に一人だけになっていた。時計を見たら時刻は8時5分、リディアは元の世界と連れて行かれてしまったらしい。


リディアの代わりにリディア様人形が2つ、ベッドの上に置かれていた。わたし用の異世界バージョンのリディアと、リディアにあげたこの世界バージョンのリディア。けれど、本物のリディアはもうどこにもいなかった。


「戻ってくるの、待ってるよ、リディア……。戻ってきたら、絶対に結婚しようね……」

小さく息を吐いてから、ベッドから立ち上がろうとしたけれど、うまく体が動かない。


「大学行かなきゃ……」

そう思ったのに、わたしの体は起き上がってはくれなかった。

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