第27話 さよならリディア 1

「リディア……」

わたしの比じゃ無いくらい、リディアが辛そうに泣いている。力が抜けたようにその場に座り込んで、嗚咽を辺りに響かせていた。


ジェンナが消えてしまったのを合図にしたみたいに、人がまったくいなかったわたしたちのいた道に、ざわざわと人が通りがかっていく。その度に、地面に座って大泣きをしているリディアの方に視線が向けられてしまっていた。


普段クールなリディアにとって、きっとこんなにたくさんの人に大泣きしているところを見られるのは本意じゃないだろう。


「リディア、とりあえずうちに戻ろっか」

リディアは泣いたまま、頷いた。


力なく立ち上がったリディアの手をわたしがソッと握る。涙でほんのり濡れた柔らかい手。大きな子どもみたいになって、繋いでいない方の手で涙を拭いながら、リディアは歩いていた。


リディアがいなくなる生活は寂しいし、考えたくもない。けれど、それはリディアだって同じことのはず……。ううん、むしろリディアの方が辛いはずだ。一度自分のことを振って恥をかかせられた大嫌いな人と強引に婚約させられるなんて。


「ねえ、リディア、逃げようよ。このままどっか行こう!」

わたしにどこかに行けるような資金力があるのかは怪しかったけれど、それでもリディアと離れ離れになるくらいなら、一緒にどこかで野垂れ死にしたほうがきっとマシだと思う。それなのに、リディアは鼻を啜りながら首を横に振る。


「無理よ。あいつはどこにいてもわたしたちのことを見つけ出すわ。あいつは異世界にいたにも関わらず、正確にわたしたちのいた場所を割り出してしまったのだから」

「そんな……」


わたしはため息をついた。でも、確かにあのメイドは魔法を使えたし、わたしたちの居場所を特定することくらいは簡単にできてしまうのかもしれない。


「諦めるしかないわ」

「諦めるって……。リディアはわたしと別れて良いの? それで良いの? わたしは嫌だよ……」

わたしが縋るようにして尋ねると、リディアがゆっくりと首を横に振った。


「良いわけないけど、受け入れるしかないのよ。今のわたしたちには彼女に対抗する手段はない。彼女はエドウィンの専属のメイドとして、彼のことを狂気じみているくらい愛しているわ。きっと、エドウィンの望みを叶えるためなら、人を殺めることも辞さないでしょうね」


リディアがため息をついた。ジェンナという名のメイドは、ゲームの中には登場しなかった。けれど、狂気じみていることは、さっきちょっと会っただけで十分理解した。敵には回したくない子と敵対しているのは間違いない。


「それでも別れたくないよ……。わたしは最後までリディアと一緒にいたい。リディアのそばにいられるなら、わたしはどうなっても良いんだよ……。リディアのいない生活なんて、わたし考えられないから……」

ギュッと、リディアの腕に抱きついた。


「わがまま言わないでよ……」

リディアが静かにそう言ってから、続ける。

「わたしはとっても我儘だから、詩織が自分の身と引き換えに、少しでも長くわたしと一緒にいることを選択したいとしても、そんなの許さないわ。わたしは別れてでも、詩織には生き延びていてもらわなければならないから。あなたはこっちの世界で幸せになれば良いのよ。元々わたしたちは出会うことなんてなかったんだから、詩織はまた別の恋人を見つけて、幸せになったら良いじゃないの」


リディアがなんとか前向きになるために出してくれた言葉は、わたしにとってはとても残酷な言葉だった。わたしにはリディアしか愛せる人間はいないというのに。そもそも、リディアと出会う前から、ずっとずっとリディアのことが大好きだったのに……。


「リディアのバカ、バカバカバカ!!」

立ち止まって、リディアの肩をポカポカと殴った。何度か殴った後、わたしは力なくリディアの肩に顔をくっつけて泣いた。


「リディアのバカ……」

「そんなに何度もバカって言わなくても聞こえているわよ……」

「リディアのバカ……」


わたしがもう一度弱々しく声を出すと、リディアは鼻を啜りながら、そっとわたしの頭を撫でた。


「そうよ、わたしはバカよ。でも、バカでいいわ。詩織にはわたしと別れても幸せになって欲しいから……。詩織の背中を押せるなら、わたしは喜んでバカでいるわ……」

「わたしはリディアと一緒にいることが幸せなんだよ?」

「詩織はわたしよりもお姉さんなんだから、そんな子どもみたいにわがまま言わないでよね」


リディアの肩にくっつけていたわたしの顔をゆっくりと離してから、リディアがわたしの手を握った。


「とりあえず、家に帰りましょうよ。今日はハンバーグ作ってくれるんでしょ? すっごい楽しみだわ」

リディアが悲しそうな声を出しながら、無理やり笑った。


本当は一緒に楽しくハンバーグを食べるはずだったのに、どうしてこんなことになってしまったのだろうか。わたしは繋いでいない方の手で、頭を押さえた。


それもこれも、ルーナとエドウィンのせいだ。一度リディアを陥れて、エドウィンを奪ったのなら、最後まで責任をとってエドウィンと添い遂げてくれないと困る。エドウィンだって、一度リディアを振ったのなら、もう2度とリディアと関わって欲しくなかったのに、あろうことか婚約者に指名するなんて、なんて自分勝手なのだろうか。


リディアは一度強引にエドウィンと引き離されただけでなく、今度はわたしとも引き離されてしまうなんて。あまりにも可哀想だ。悪役令嬢には破滅エンドやざまぁがセットとはいえ、2度も経験させられるなんて。


いや、違う。そもそもリディアは悪役令嬢じゃない、ただの純粋無邪気なお嬢様だったんだから、一度だってざまぁな目に遭う必要なんて無かったのに……。


「ルーナも結婚したんだったら、最後まで性格の悪いところは隠し通してくれないと、酷いよ……」

本当は強欲でも、それは隠し通してもらわないと困るのだ。偽りでも良いから、2人で勝手に別の世界で身勝手な幸せな結婚生活を送ってくれないと困るのだ。


わたしが嘆くと、リディアが小さく頷いて、小さく呟いた。

「性格の悪いところは隠し通す……」

「え?」

リディアはなぜか、わたしの嘆いた言葉に引っかかったみたいだ。


「そうね……、そうだわ……!」

「どうしたの?」

「いえ、なんでもないわ。ただ……、わたしは転んだまま起き上がれないような弱い令嬢ではないわよ」


リディアの声が先ほどまでとは打って変わって、力強いものになっていた。一体全体、わたしにはリディアにどんな心境の変化があったのかはわからないけれど、少なくとも、リディアの中に希望を見出すだけの何らかの根拠が見つかったことは確かみたいだ。


「ねえ、リディア。どうしたの?」

「わたしは意地悪なルーナにエドウィンとの仲を引き裂かれたけれど、こちらの世界で大好きな詩織と会って、結ばれた。結局幸せを勝ち取ったんだもの! 転んだままではいなかったわ!」


「でも、今度は意地悪なジェンナにわたしとの仲を引き離されてかけてるじゃん……」

「ええ、そうね。でも、わたしはただでは起き上がらないわ。絶対に幸せになるから。全部うまくやってみせる!」


リディアがしっかりとした視線で前を見ていた。ヤバい、見上げる横顔がカッコ良すぎる。こんなときに何考えてるんだろ、とも思うけれど、わたしの彼女はとっても顔が強いんだから仕方がない。


リディアはきっと、向こうの世界に戻ってエドウィンと結婚をして幸せになる決心がついたのだろう。そうだよね、向こうの世界なら、リディアは令嬢。狭いわたしの家とは違って、良い家で何不自由なく過ごせるんだから。


寂しいけれど、きっとそれが最適解。わたしたちは離れ離れになってしまうのなら、せめてリディアには幸せになって欲しいし。わたしはリディアを笑顔で見送ろうと思った。


「リディアが向こうの世界で幸せになってくれるんだったら、わたしは嬉しいよ。エドウィンとお幸せにね……」

「詩織……」


しんみりと小さく呟いたのかと思った。けれど、違うみたい。リディアはわたしにキリッとしたかっこいいお顔を近づけてくる。そして、わたしの頬を両手でサンドするみたいにして、ギュッと力を込めて、手のひらで押さえつけてきた。


「痛た……、リディア何するの……?」

わたしの顔がギュッとなる。話しづらいな。一体リディアが何を考えているのか、よくわからなかった。


「詩織、あなたこそバカなの?」

「な、何が……?」

「わたしがなんでエドウィンと一緒に幸せになる必要があるわけ?」

「だ、だって、エドウィンのお嫁さんになるんじゃ……」

「バカなこと言わないで、わたしは詩織と一緒に幸せになるわ。わたしは詩織と結婚するの。それ以外、誰とも結ばれる気は無いから!」


リディアが希望に満ち溢れたことを言ってくれた。リディアはわたしと離れることをこれっぽちも受け入れてはいなかったのだ。


「ねえ、リディア、もしかして何かジェンナへの対策があるの!? ジェンナをやっつけてずっとこっちの世界で暮らせるようになるの?」

わたしが跳ねるようにウキウキとした声で尋ねたのに、リディアは首を横に振って、「そんな方法ある訳ないでしょ?」とあっさり否定してしまった。


「あの子、魔法使えるんだし、わたしたちに抵抗する手立てはないわよ。詩織といられるのは、今日まで。わたしは明日の朝8時にジェンナに元の世界に戻されてしまうのだから」


悲しいことを言っているのに、なぜか声はしっかりしていた。わたしはリディアの言葉をどう受け止めれば良いのか、わからなかった。


「随分と明るい声だけれど、一体どういうつもり……? リディアが希望を見出せている意味がわたしにはわからないよ……」

わたしが寂しそうに尋ねると、リディアが小さく「ごめんなさい……」と謝ってから、続ける。


「今のところは何も言えないわ。詩織にぬか喜びをさせるわけにはいかないから。でも、ミルティアーナ家の令嬢リディアは、自分の運命は自分で切り開くわ! 詩織は彼女として、将来の婚約者として、わたしのことを信じなさい!」


リディアがわたしのことをジッと見つめた。背の高いリディアをわたしは見上げる。夕焼け空をバックにしたリディアがあまりにも綺麗で、自然とまた涙が伝った。勝手に出てきた涙は止まらなかった。


昔リディアのことは、顔は強いけれど、性格は悪いなんて思っちゃったけれど、それは撤回だ。わたしの婚約者は、顔が良いだけではなく、性格も良い。最高に良い。


「そんなのもう、悪役令嬢じゃなくてヒロインだよ……」

ギュッと抱きついたら、リディアもわたしのことを抱きしめて返してくれた。綺麗な黄金色の夕焼け空の下で、わたしとリディアは抱きしめあった。


一体リディアが何を考えているのかはわからないけれど、とにかくこの子を信じようと思った。わたしの将来のお嫁さんはとっても頼もしい、ヒロインみたいな子なんだから!

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