第26話 異世界からの刺客 3

「リディア、ありがと……」

「まだ油断したらダメよ」


ナイフを踏みつけて、地面を擦らせながら、少しずつリディアは後ろに下がり、ジェンナから離れていく。わたしの体を抱き寄せながら。


「良い? 絶対にわたしから離れてはいけないわよ? ずっとギュッとくっついておきなさい」

「え? うん……?」


頷いたけれど、納得はできなかった。こんなときにいちゃついている場合だろうか。リディアがわたしと引っ付きたがってくれているのは嬉しいけれど、ずっとくっついていたら身動きが取りづらい気がする。不思議だったけれど、リディアの顔は真剣そのものだった。


「ジェンナはエドウィンの忠実な従者だから、エドウィンの望み通りわたしをあのバカと婚約させようとしているわ。だから、主人の将来の婚約者の体を傷つけることはできないはずよ。でも、詩織の身の安全は保障できないわ……」

リディアがごくりと唾を飲み込んだ。耳元で囁くから、音はよく聞こえた。


「だから、わたしにくっついておいて、少しでもあいつが攻撃しづらいようにしておかないと。わたしに危害を加えられないのなら、わたしにくっついている詩織にも危害は加えにくいはず」

「攻撃って、もうナイフは無いでしょ?」

「ええ」


リディアはジェンナから目を離さないようにしながら、少しずつ距離をとり、深刻そうな顔で頷いた。息を呑んで、かなり緊張感のある目でジェンナを見ているけれど、ナイフが無いのなら傷つけられる危険性も無いのではないだろうか。そんな風に楽観的に考えていると、ジェンナがため息をついた。


「リディア様が彼女を作っていたなんて、誤算ですねぇ。まあ、邪魔なやつが現れちゃったんなら、消しちゃえば良いですよねぇ。リディアさまー、そいつ消しちゃいますねぇ」

がわたしのことを指していることはわかった。


リディアはまた怖い声を出す。

「ダメに決まってるでしょ? 詩織を消すならわたしも共にするわ。それでエドウィンが納得するかはわからないけれど」


「めんどくさいですねぇ……。うまくやらなきゃダメじゃ無いですかぁ。精密な魔法って神経使うからめんどくさいんですよねぇ」

ジェンナが呟きながら、わたしの方に手のひらを向ける。


「危ない!」


リディアが声を出したのと同時に、光線のようなものがジェンナの手のひらのすぐ前に現れた小さな魔法陣から発された。リディアがさっとわたしの体を押して、攻撃の進路からずらしたおかげで、わたしは傷一つ無かったけれど、リディアの髪の毛の先に光線が当たってしまった。リディアの綺麗なブロンドの髪に光線が当たると、一瞬にして、当たった部分から下がパラパラと地面に舞った。


「リディア……!」

この光線がもしわたしに当たっていたら、果たして火傷で済んだのだろうかという不安はあった。けれど、それ以上にリディアの綺麗な髪の毛が傷つけられてしまった不快感の方が大きかった。


「あぁ、やってしまいましたぁ。リディア様に傷をつけたらエドウィン様に怒られてしまいますぅ」

ジェンナは口を尖らせてがっかりしていた。かなり危険な攻撃を仕掛けてきたにも関わらず、さほど深刻そうな雰囲気は出さなかった。多分ジェンナは、エドウィンにとって邪魔な人間を消すことには慣れているのだろう。


怖いな。


わたしは手汗だらけの手で、リディアの手を握った。ごめんね、リディア。ちゃんと手を拭いてから触れたかったけれど、怖くてそれどころじゃなかった。優しいリディアはわたしの手を握りしめてから、ジェンナをジッと睨みつける。


「ジェンナ。あなたに質問するわ。あなたが詩織のことを生かしておいてくれる可能性はあるのかしら?」

「えー、なんですかぁ、その質問はぁ」

はぐらかそうとするジェンナを見て、リディアが小さく舌打ちをした。

「言うまでもないけれど、否定をしたら、わたしはあなたを殺してしまうと思うわ」


真面目な顔でリディアが伝えるのを聞いて、ジェンナがクスッと余裕溢れる笑みを浮かべる。

「やですねぇ、まるでジェンナが戦闘狂で、そいつのことぶっ殺そうとしているみたいじゃないですかぁ。ジェンナはとーっとも優しいですからぁ、できるだけ穏便に終わらせたいですもぉん。消さずに済むなら、それに越したことは無いですよぉ」


「詩織を解放する条件は?」

「うーんと……」

ジェンナが顎に人差し指を当てながら、考える素ぶりを見せる。可愛らしく無い性格とは違い、仕草は可愛らしい。


「リディア様がそいつのことを振って、ジェンナと一緒に元の世界に戻り、エドウィン様と結ばれることですね。これ以上の譲歩はできませんよぉ?」


別れるってこと……? わたしとリディアが……?


「嫌だよ! ねえ、リディア、わたしリディアとずっと一緒だよね! どこにも行かないで……!」

ギュッとリディアを抱きしめる力を強くしたら、またジェンナが光線を出す。

「エドウィン様の婚約者に向かってベタベタと、鬱陶しいですねぇ」


「危ないわよ」

リディアがサッとマフラーをわたしの前に出して光線から守った。光線の当たった場所が焦げている。リディアが守ってくれなかったらその高温の光線はわたしの体を焦がしていたと思うとゾッとする。


「リ、リディア、ごめんね、ありがとう」

「別にお礼も謝罪もいらないわ」

リディアはわたしの体から離れて、わたしの前で両手を広げて、ジェンナから守るように立ち塞がってくれる。


そして、後ろにいるわたしの方は一瞥もせずに、小さな声で呟いた。


「……そのかわり、わたしと別れてほしい」

淡々と伝えられた言葉を、すぐには飲み込めなかった。


「な、何言ってるの……? 嫌だよ。わたしはずっとリディアと一緒に――」

「別れましょう」

有無を言わせてくれそうにはなかった。


「ジェンナは本気であなたを消すつもりなのはもう理解したでしょ? あなたが無事でいられる方法は、ジェンナの要求を呑むこと。ただ、それだけよ」

「そんな……」

リディアと別れるという条件を飲むか、わたしが消されるか。嫌な2択だな。


「でも、リディアと別れたくなんてないよ」

「なら、詩織はきっとジェンナに殺されてしまうわね。わたしはそんなの嫌」

「じゃあ、リディアはわたしと別れたいの?」

「そんなこと言ってないわ。でも、別れるしかない……」


「ねえ、ダメだって!」

「言うことを聞きなさい。悪役令嬢のわたしよりわがままなんて、おかしいわよ?」

「リディアは悪役令嬢じゃないよ、わたしの彼女だよ!」


せっかく奇跡が起きて、リディアと恋人同士になれたんだよ? それなのに、わたしたちの意向を無視して仲を引き裂かれるなんて嫌だ。そんなわたしのことを無視して、リディアはジェンナに伝えた。


「要求を呑むわ。わたしは詩織と別れて、元の世界に帰る。だから、詩織には危害を加えさせない。良いわね?」

わたしは体の力が抜けてしまい、その場に座り込む。


リディアと別れる? 何それ? 何の冗談?

「意味わかんないよ……」


リディアとジェンナ以外周囲に誰もいなくて良かったと思う。わたしは人に聞かせられないくらいの激しい嗚咽をあげた。小さな子どもみたいに。


リディアの横にしゃがんで、顔を覆って泣き続けるわたしの頭を、リディアはソッと撫でた。

「ごめんなさい……」

リディアの消えてしまいそうな弱々しい声がわたしの耳に入ってくる。


もう別れるんならそんなに気安く触らないでよ、とも言えなかった。わたしはリディアのことが好きすぎるから、嬉しかった。でも、もうリディアと会えなくなるんだ……。


そんなわたしたちの事情はお構いなしに、ジェンナは言う。

「さぁ、早くエドウィン様のところに行きましょう! リディア様とエドウィン様、美男美女でさぞかしお似合いですよぉ」

近づいてくるジェンナに向かって、リディアが「待ちなさい」と制する。


「どうしましたぁ?」

「一晩だけ時間をちょうだい」

「はぁ?」

ジェンナが不快そうな声を出した。


「この子はこっちの世界で家に住ませてくれたり、ご飯を食べさせたりくれたりして、とってもお世話になったわ。だから、去る前にきちんと時間をかけて、彼女にお礼をする必要があると思うのよね。それなのに、お礼もせずに突然帰ってしまったら、不義理になるわ。受けた恩はきちんと返しておくのが貴族の嗜みだと思うけれど。エドウィンの妻になるというのに、そんなこともできないで良いのかしら?」


リディアが感情の無い声で言っていた。という表現がとんでもなく不快で、気持ち悪くて吐きそうになった。


リディアはわたしのお嫁さんになってくれるんじゃなかったの? 


リディアの言葉を聞いて、ジェンナは「そうですねぇ……」と呟く。


「一応確認しますけれどぉ、逃げるつもりじゃ無いですよねぇ?」

「異世界にいたわたしたちの場所をピンポイントで特定して襲ってくる子から逃げられるとは思えないわね」


リディアが冷静に対応する。リディアの回答にジェンナも納得したみたいで、小さく頷いた。


「わかりましたぁ。なら、一晩だけ待ってあげますぅ。正直不本意ですがぁ、明日の朝8時にまたリディア様をお迎えに参りますねぇ。そこの庶民は邪魔なので、眠らせたままにして起こしませんからぁ」


朝8時なら起きられるだろうし、意地でも起きてやる、と思いながら心の中で悪態をつく。

「わかったわ」とリディアが返事をする。


「では、ジェンナは一旦帰りますぅ」

そう言うと、ジェンナはまた怪しい光に包まれて、消えてしまった。2人きりになったら、さっきのできごとは無かったことにできないだろうか。何事もなく、またわたしとリディアの甘い生活に戻ってはくれないだろうか……。


わたしはこれが夢だと信じるために自分で頬をつねってみたけれど、残念ながらしっかりと痛みはある。これは、現実なんだ……。


「ねえ、リディア! なんで別れるの了承しちゃったの!」

わたしの為を思って、リディアは別れてくれたのはわかっているのだけれど、それでもやっぱり納得できなかった。


背中を向けて、ジェンナと対峙していたリディアの顔を見るために、立ち上がってから正面に回り込んだら、リディアが「ごめんなさい……」と謝ってきた。その顔は涙でびしょびしょに濡れていて、とても辛そうだった……。

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