第25話 異世界からの刺客 2
「待ちなさいよ。まったく状況が把握できないわ。わたしが戻るですって? バカじゃないかしら。人のこと勝手にこっちの世界に連れてきて、今度は勝手に戻すですって? 何ってんのよ。バカも休み休み言いなさい!」
リディアがかなり怒っている。とりあえず、リディアに向こうの世界に帰る意思がないようでホッとした。
「どうしてですかぁ? もうこんな妙な世界にはいなくても良いのですよぉ? リディア様の禊は済みましたよぉ?」
「はぁ? 禊って、この世界に来たことを言っているの? だとしたら、それは罰でないし、そもそもわたしは向こうの世界で何も悪いことはしていないわ」
リディアは実際には悪いことはほとんどしていないのに(まあ、はじめの1週間くらいはルーナに意地悪をしていたらしいけど……)、まんまとルーナに嵌められた被害者なのだから、リディアが責められる必要はない。
「ルーナの本性は意地悪だったのでぇ、リディア様も嵌められただけで、実際には何もしていないかもしれませんがぁ、少なくともジェンナ以外のみんなはリディア様が悪い人間だと思っていますのでぇ。エドウィン様も、ご両親も、その他周辺の人も。だからぁ、それっぽく反省した体にしておきましょぉ。その方がみんなに受け入れてもらいやすいですしぃ」
「ルーナに嵌められただけなのに、なんでわたしが反省しないといけないのよ!」
「えぇ、そうですよねぇ。リディア様は意地悪ルーナの下剋上のダシに上手く使われていたのですからぁ。お可哀想にぃ」
ジェンナが指で目の周りを触って涙を拭う仕草をした。涙なんて全く出ていないのに。
そんなジェンナの様子を見て、リディアが不思議そうに尋ねる。
「意地悪ルーナって、いったい何があったのよ? あなたはルーナとは別に揉めていなかったでしょ? それどころか、エドウィンのバカの婚約者として、とっても可愛がっていたはず――」
リディアの言葉の途中で、まるで瞬間移動でもしたかのように、ジェンナがリディアとの距離を詰めていた。素早すぎてまったく何が起きたのかわからなかったけれど、わたしは2人の状況を見て、思わず喉の奥からヒィッと怯えた声を出してしまった。
ジェンナがリディアのことを後ろから羽交い締めにして、どこから取り出したかもわからないナイフを突きつけていたのだから。
「な、何よ……。物騒なことしないでよね」
リディアの声が震えている。いつも強気なリディアを怯えさせるジェンナが、ただ者ではないことを改めて理解した。きっと、とっても意地悪な子だ。
「エドウィン様のことをバカ呼ばわりしたのが聞き捨てなりませんでしたので、撤回してください」
先ほどまでの間伸びした話し方はなりを潜めさせて、ワントーン低めの声ではっきりと伝えていた。
「わ、わかったわよ。撤回するから。それ、しまいなさい」
身動きの取れないリディアが、ナイフの方に視線を送ると、ジェンナはナイフをしまって、羽交い締めを解き、また向き合う形に戻っていた。
「まったく、エドウィンのバ……、エドウィンの話をする度にいちいちそんな反応されたら、話ができないじゃないの」
リディアがため息をつく。
「で、意地悪ルーナって、一体何があったわけ?」
「ルーナはエドウィン様の地位と財産のみしか見ていなかったので、婚姻をなされてからは、すっかり態度が大きくなってしまい、使用人への嫌がらせや、あまつさえエドウィン様のことすら無碍に扱いだしたのですぅ。婚約するまではそんな性悪な人だとは思いませんでしたぁ」
それを聞いて、リディアが大きな声で笑った。
「何よ? あの子の本性に誰一人気付かなかったわけ? ざまぁないわね。まあ、このわたしを捨てて、あんな意地悪な子を選ぶような、見る目のないエドウィンにはお似合いの相手だとは思うけどね」
「お似合いの訳がありません。エドウィン様にはリディア様のように美しい方がお似合いだったのですぅ」
「そうよ。わたしはとっても美しくて気高いリディア様よ。そんなのずっと昔からそうだのに、残念ながら今さら気付いたってもう遅いわよ」
リディアが一瞬わたしの方に目配せしてくれた。そう、リディアはもうエドウィンには靡かない。わたしを好きでいてくれているのだから。それは自信を持って言える。
けれど、そんな事情を知らないジェンナが首を傾げた。
「いえ、まったく遅くなんてないですよ。だって、これからはリディア様がエドウィン様の婚約者になるんですから」
「「はぁ?」」と聞き返した声がリディアと重なった。いったい何を言ってるんだろう、この人は。
エドウィンは、一度リディアにトラウマになりそうなくらいの酷い失恋をさせたというのに、そんな相手と結ばれるなんて絶対にダメだ。
絶対にありえないし、考えたくもないけれど、仮にリディアがわたしと別れて他に恋人を作ったとしても、それはエドウィン以外の人間でないといけない。リディアを不幸にさせかけた人間に、大好きなリディアを渡したくない。
わたしは思わずリディアの腕にギュウッと抱きついた。リディアは絶対に渡さない。
そんなわたしの方を一瞬見てから、リディアはまたジェンナをの方をみる。リディアは心底バカにするような目でジェンナのことを見下して、お腹の底から声を出す。
「ばっっっっっっっっっっっっかじゃないの? だぁれがあんなクソダサエドウィンの元へと戻るって言うのよ?」
そこまで言ったところで、ジェンナがまたリディアの首元にナイフを突きつけたけれど、今度はまったく気にせず続けていた。今回は、わたしがリディアの手にしがみついているから、羽交い締めにはできなかったようだ。
とはいえ、わたしが少しでも動くとリディアの首にナイフが刺さってしまいそうだから、わたしはジッと息を殺して真剣にナイフの方を見つめていた。リディアの綺麗な首に触れる鏡のようによく磨かれたナイフは、どこか非現実的だった。
「わたしには、もう婚約者がいるの。ここにいる詩織とわたしは結ばれたの。あなたやエドウィンのバカが何て言おうと決定事項なの! リディア様の命令は絶対なのよ? わたしが自分のわがままを押し通す人だってことは、あなただって理解してるでしょ?」
リディアは涼しい顔で言い切った。けれど、わたしが掴んでいるリディアの腕が少し震えているから、きっと怖いことは怖いのだと思う。多分、このメイドは刺そうと思えば、本気で敵対する相手のことを刺してしまう覚悟があるメイドなのだと思う。きっと、向こうの世界でリディアはジェンナの冷酷な部分をたくさん見てきたに違いない。
「抉りますよ?」
またつめたい声でジェンナに脅されて、リディアが大きく唾を飲み込んだけれど、毅然として答える。
「どうぞ。好きにしたらいいわ。けれど、わざわざこっちの世界まで来てわたしを連れ戻しに行ったのに、連れ戻したどころか、あなたの手でわたしの存在を消してしまったとなれば、エドウィンのバカはとっても怒るでしょうね」
そう言い切ったリディアを見上げた。冬の太陽の煌めきも合わさって、いつも以上に、神々しいくらいに美人に見えた。
「リディア……」
わたしがリディアにソッと体を預けようと力を抜いた瞬間に、リディアに触れていない方の腕をジェンナに思いっきり引っ張られた。わたしはリディアの体を離れ、ジェンナに引き寄せられてしまう。
どういうつもりかと、不思議に思っていると、ジェンナがわたしの首元にナイフを突きつけたのだった。それを見て、リディアが思いっきり顔を歪ませた。ゲーム画面で、婚約破棄をされたときにしていた顔。リディアにとって、一番起きて欲しくないことが起きた時の表情だった。
「詩織を、離しなさい……!」
リディアは冷たい声でジェンナに要求した。
「こいつならぁ、殺しても大丈夫ですよねぇ? エドウィン様にも怒られませんよねぇ?」
「詩織を離せって言ってるでしょ」
リディアの言葉を無視して、ジェンナはわたしの耳元で伝えてくる。
「あんたもぉ、リディア様なんかと会わなければ平穏に暮らしていられたのにねぇ」
ジェンナが思いっきり右手を振り上げた。ナイフがきらりと夕陽に照らされる。わたしは声も出せずにギュッと目を瞑った。
怖い。彼女は躊躇せずにわたしを刺そうとしているのだから。そんな怯えるわたしを見て、リディアがしっかりと通る声を出す。
「やめなさい!!!」
ジェンナの手が止まった。リディアの毅然とした声にジェンナが驚いたみたいだ。
リディアがしっかりとした瞳でこちらを見る。大丈夫、と伝えてくれるように。リディアは、一瞬困惑したジェンナにすぐに近寄って、ナイフを持ったジェンナの手首をグーにした手で力一杯殴りつけると、ジェンナの手が緩んで、ナイフがカランと音を立てて地面に落ちる。
リディアは落ちたナイフを踏みつけながら、わたしの腕を引っ張って、リディアの方に、わたしの体をギュッと引き寄せる。上目遣いで見つめたリディアの顔が凛々しすぎて、わたしはこんなピンチの状況で顔を赤らめてしまった。
リディアに身を寄せる。出会った時は悪役令嬢だったはずなのに、もはやわたしにとって、リディアは王子様みたいになっていた。
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