第2話 推しに会えた 2

大学でひたすら玖実にリディア愛を語った日の夜は、バイトが長引きいつも以上に遅い時間に外を歩いていた。小さな個人経営のうどん屋でバイトをしているのだけれど、いつもよりも店が賑わっていたせいで、帰るタイミングを見失ってしまい、つい夜の11時頃まで店にいてしまったのだった。


市街地だからそんなに暗くは無い道だけれど、やっぱり夜道を歩くのはちょっと怖かった。不審者とか、お化けとか怖いものはたくさんいるし。

「さっさと帰らないとな……」


普段の倍くらいの早歩きで進んでいると、公園の横を通った時に嫌な声がした。女の人が啜り泣く声。見て見ぬふりをしようかとも思ったけれど、なぜだかその声がどこかで聞いたことがあるような気がして足を止めてしまった。泣き声を放っておくこともできず、恐る恐る公園に入っていったのだった。


少しずつ声のする方に近づいていくと、公園のベンチに座っている女性がドレスを着ていることに気がついた。結婚式の帰りだろうか。すでに夜中に差し掛かっているのに、街灯に照らされてドレスが光っている。随分と煌びやかに見えるから、夜中の公園には似合わない感じもした。


顔は覆って泣いているからどんな人かはよく分からないけれど、夜中の公園にいるのは明らかに似つかわしくない人物であることは確かだった。その不思議な感覚に魅入られるみたいにわたしは彼女の方に向かって行った。顔を隠して泣いている様は、まるで本物のお姫様のようで惹かれてしまう。


「あの……、何か困り事でもありましたか……?」

わたしの声を聞いて、ドレス姿の女性は慌てて目元を拭って、こちらに顔を向けた。そして、悲しそうに泣いていたのが嘘みたいに、凛々しい声を出す。


「何の用かしら? つまらない用事ならあっちに行ってもらって結構よ」

ツンっと横を向いてしまった彼女の顔を、見て、わたしは固まってしまう。その姿を見たら、もっと慌てふためいたり、泣いて喜んだり、感情を爆発させなければならないのだとは思う。けれど、そこに彼女がいることが信じられなさすぎて、わたしは呆然と見つめてしまっていた。肩からかけていたトートバッグがドサリと地面に落ちた。


「リディアだ……」


信じられないけれど、目の前にいるのは間違いなく、わたしの推しだ。コスプレでもなんでもない。それはリディアのことが大好きなわたしには確信できる。間違いなく、正真正銘の悪役令嬢リディアだ。例え現実に彼女がいるということが非現実的な事実だとしても、目の前にいるのは間違いなくリディアなのだ。


「人の名前を呼び捨てにするなんて、無礼よ!」

一日中泣いていたのだろうか。仄暗い公園でもわかるくらい目を真っ赤にしながら、リディアがわたしの方を睨んでくる。睨んでいるのに、その顔はとっても綺麗だった。リディアの美貌に見惚れてしまう。なぜか現実世界に現れたリディアは、ゲームの中とは比にならないくらい美しい。


「あの、あなたはリディアさんで合っているんですよね?」

普段の玖実とのノリで様をつけるのも恥ずかしかったから、さん付けで呼ぶ。

「そうよ。リディアよ! あんたは誰よ? 知り合いだっけ? エドウィンの仲間? だったら、話しかけてこないで!」

「えっと……、リディアさんはわたしに会ったことはないですけど……。わたしはリディアさんに会ったことがあると言うか、見たことがあるというか、よく知っているというか……」

「何それ、怖いんだけど」


確かに、わたしの説明ではストーカーみたいだ。会ったことがないのに、お屋敷に閉じこもりっきりのお嬢様のことをよく知っているなんて。リディアが不審気な瞳でわたしのことを睨み続けている。でも、それが事実だから仕方がない。


「リディアさんが乙女ゲームから飛び出てきたキャラクターって言って、伝わります?」

リディアがさらに不審気にわたしを見つめる。

「ゲームのキャラクター? 何言ってるのよ? あなたヤバい人なんじゃないの? やっぱりわたしみたいに気高い人間が夜に外を歩くのは危険だわ。変な人に絡まれちゃうから」

心配して声をかけたのだけれど、リディアは完全に不審者を見る目つきでわたしのことを見ている。


「あの、お言葉ですけど、今この街でドレスを着ているなんて、リディアさんの方がずっと不審者ですよ?」

わたしが指摘すると、リディアが苛立って、舌打ちをした。

「高貴なわたしとあなたでは立場が違うものね。あなたにはわからないと思うけれど、わたしたち貴族はドレスを着るのがマナーなの」

「いや、そう言う意味じゃなくて……」


わたしたちのいる世界ではドレスを私服として着ている人はほとんどいないと言いたいのだけれど、多分リディアはここがどこだかわかっていない。それに、リディアの中には常に自分が相手より優れていて、正しいという気持ちがあるはずだから、伝えたところですぐには信じてくれないだろう。きっと、今もわたしのことを何の躊躇もなく見下しているに違いない。


冷静に考えて、本当に性格の悪い子である。それなのに、わたしは目の前の顔の強すぎる少女に目を奪われてしまっていた。パッチリとした大きな瞳に、ツンと高い鼻、陶器みたいに綺麗な肌、つるりとした唇に、触り心地の良さそうなゆるふわブロンド縦ロール。


ゲームの中でも美少女設定の彼女が現実世界に飛び出してきたら、当然完璧美少女になってしまう。見た目に関しては、何から何まで完璧すぎて、どんな悪事だってわたしは許してあげたくなる(まあ、実際はゲームではざまぁされる上に、現実世界での人気も無いから、わたし以外は彼女の悪事を許してあげようとは思ってあげないのだろうけれど)。


愛するリディアが目の前にいることを、わたしはあっさり受け入れてしまっていることが我ながら怖いのだけれど、彼女がなぜここにいるのかについては真面目に考えた方が良さそう。本来ならいるはずない子が目の前にいるわけだし。


「あの、ちなみにリディアさんはここがどこなのかわかってますか……?」

わたしが尋ねると、リディアは「はぁ?」と苛立った声を出す。

「あなたバカじゃないの? ここはヴァーニティア帝国でしょ? そんなこともわからないなんて、一体どんな教育を受けてきているのかしら?」


自信満々でゲーム上での出身地の名前を出すリディアの姿を見て、頭を抱えてしまう。やっぱりここがどこかを理解していないみたい。いや、まあ理解できないのも無理はないけれど。リディアからしたら、いきなり異世界にやってきたんだから。わたしのリディア愛が強すぎてすんなり状況を理解しただけで、普通はこうなるはず。


「ここはヴァーニティア帝国じゃないですね……」

わたしが言うと、リディアは小さく舌打ちをした。

「これ以上、人のことバカにしたら、許さないわよ?」

「いや、ほんとなんですけど……」

「わたしはヴァーニティア帝国の路上で眠っていたわけ。それなのに、起きたらヴァーニティア帝国じゃ無い場所にいる、なんてことあり得ると思う?」


ヴァーニティア帝国って割と日常的に剣を交えた戦いとか行われているから治安はあんまり良く無いから、そんな場所でドレス姿の令嬢が路上で眠っていたら、どこかに連れ去られてしまうリスクは割とあると思うけど……。まあ、でも、路上で寝ていて異世界に連れ去られる可能性は限りなくゼロに近いか。


「どうやってここに来たかはわからないですけど、ここはヴァーニティア帝国じゃないですよ。ヴァーニティア帝国にこんな高いコンクリート製の建物無いですよね?」

わたしは近くのマンションを指差した。ヴァーニティア帝国はお城以外にそんなに高い建物はなかったはず。そのお城も、コンクリート製では無いと思うし。


「そうね。わたしの家の近辺にはあんな四角いつまらない形をした建物は無かったわね。だから、路上で寝ている間に遠くに連れてこられてしまったのかも」

「路上って、なんでそんなところで寝てたんですか?」

さっきから、路上で寝ていたと主張しているけれど、高貴なお嬢様であるはずのリディアがそんな場所で眠っている理由はわからなかった。ゲームのストーリーでリディアが路上で眠っている描写なんて、当然無かったし。


「ええ。ちょっと傷心していたのよ。ほんと、やっぱりわたしみたいに高貴な人間が地面で寝るなんてバカなことするべきじゃないわね……、クシュっ」

リディアが可愛らしくくしゃみをした。バカな真似かどうかはともかくとして、たしかにリディアみたいに綺麗な令嬢が地面で眠るなんて危険すぎる。


「とりあえず、今日は冷えますし、暖かいところに行きませんか?」

もう11月も下旬で、夜は寒くなってきているから、こんなところに長くいると風邪を引いてしまうかもしれない。


せっかく優しく声をかけてあげたけれど、リディアはわたしの言葉を聞いて、鼻で笑った。

「何を企んでいるのよ? あなためちゃくちゃ怪しいわよ? こんな遠く離れた土地でわたしの名前知っていて、挙句家に連れて行こうなんて。気持ち悪いから行かないわ」


リディアが舌を出して、わたしを拒む。綺麗なピンク色の舌だった。どうしようか。こんな可愛らしい異国の令嬢を夜中に一人放っておくなんて、危なっかしすぎる。少なくとも、ここに一人で置いて帰っていいはずはないけれど、ついて来てくれそうにもない。

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