第7話〜見知らぬ小屋〜

 ポトリと、頬に何かが落ちてきてティナは目を開けた。

 視界がまだぼんやりとしており、確かな像を結ばない。


 また一定の間隔かんかくでそれはポトリ、ポトリと落ちて来る。

 何度かまばたきをして、彼女はようやくそれが天井から漏れる水滴とわかった。


 だがティナは天井がある場所にいるのが不思議であった。

 彼女の最後の記憶は、街道を歩いているところで途切れていたからである。

 しかし今は古びたベッドに横になっている。


(どこだろう……ここ……?)

 

 周りを見渡してみる。

 ベッドの脇にはフィリアの剣がそっと立てかけてあった。

 そして傷んだ家具と簡易的に板を打って直したような床や壁。

 決して綺麗な部屋とは言えなかった。


―ゴホッ

――ゴホッゴホッ……。

 

 息苦しさそうに咳き込む音がティナを驚かせた。

 自分以外はこの部屋には誰もいないと思っていたが、よく見るとそばで寝ている人がいるようである。


 ティナは起きて、そのベッドに近づくと、赤髪の女の子が苦しそうに寝ていた。

 余程苦しいのか、額には小さな玉の汗がうっすらとにじんでいた。


 彼女は自分の袖で汗をぬぐってあげると、女の子はうっすらと目蓋まぶたを開け、


「……あ……りがとう……」


 と途切れながらも礼を述べた。

 その女の子の顔立ちからは、ティナより少し若いと印象である。


 そしてティナが話しかけようとしたが、またその目を閉じてしまった。

 

§


 ティナは仕方なくベッドに戻りぼんやりとする。

 窓から差している温かな日差しが心地よかった。

 気がつくと身体の痛みは随分と引いており、身体も随分と軽くなっていることに気づく。


 ふと、家で待っているだろう、スタンとフィリアを想う。


 (……心配しているだろうなぁ……)


 部屋の外で床をきしませる音がした。


 (っ誰かくるっ!)


 ティナが油断していたせいか、彼女が身構えるより早く、一人の青年が部屋に入って来た。


 彼女の姿を見るなり、


「おっ! 起きたか。アンタ、二日くらい寝ていたぞ」


 とその青年は快活かいかつそうに言った。


 ティナより少し年上のように見えるこの青年は、寝ている女の子と同じく赤髪であった。

 短く整えられた赤髪、そして端正たんせいな顔立ちで、どこか人が良さそうな雰囲気がする。

 そのせいかティナの警戒心は少しばかり、やわらいだ。


「よく寝れたか?」


 そう言いながら、彼は女の子が寝ているベッドへ向かう。

 ティナは彼の質問が予想もしていなかったものであった為、返答をするのに少しの間を要した。

 お前は誰だとか、そういったたぐいのことを聞かれると思ったのである。


「え……えぇ。よく寝れたわ」

 

 そして彼は彼女の返答を、それは良かったと言い、手にしていた布で寝ている女の子の額を丁寧に拭い始めた。

 

「しかしまあ、街道で倒れているアンタを見つけた時は驚いたよ」


 その場面を思い出すかのように少し笑いながら、彼は話を続けた。


「でも、魔物に襲われなくてよかったな。運がよかったんだな」


「じゃあ、あなたが助けてくれたの?」


「ああ、そうだよ。ちょうど帝都に薬草を買いに行ったその帰りにアンタを見つけたんだよ」


「ありがとう……」


 ティナはお礼を言うと同時に、あの街道で会った御者ぎょしゃの話を思い出した。


(……やっぱり『帝都』なんだ)

 

 彼は少女の額を拭き終わったようであった。

 そして一息ついて、ティナの方に向き直る。

 彼女が何か思い詰めたような顔をしていると、彼は聞いてきた。


「そう言えば、アンタの名前は? オレの名前はキース・グラン。歳は十七歳だ。見た感じだと、アンタと近い歳なんじゃないかな」

 

 ティナはその年齢という点で返答に困った。

 果たして、今現在が王国祭からどれくらい経っているのか分からなかったのである。


「ティナ……。ティナ・クロードよ……。歳はたぶん十五歳になったわ」


「たぶん……?」


 不思議そうにキースは聞いた。


 ティナは黙り込んでしまった。


 キースはそんなティナの様子を見て、それ以上は聞かなかった。

 代わりに彼はこう尋ねた。


「そっか……。腹減らないか?」


 それは彼なりの気遣いであった。

 ティナにとってもこの気遣いは嬉しかった。

 だが、あまり食事をするような気分ではなかった。


 その気持ちとは反対に、ぐぅぅとお腹は鳴ってしまった。


 「……そうね、お腹が空いたわ」


 ティナはお腹を両手で押さえながら、恥ずかしそうに答えた。


「まあ、二日も食べてないからしょうがないさ」


 キースは明るく笑いながらそう言い、ティナを食堂へ連れて行った。


§


 ティナは食事をしながら、この辺りのことなどをキースに聞いた。


 分かったことは、この小屋は帝都と呼ばれる場所に向かう街道より、南東の丘の中腹に位置していた。

 このままふもとへ降りて街道に沿って北へ向かえば、ティナの目指す場所に着けること。


 またこの丘は『罪人ざいにんの丘』と呼ばれ、人があまり寄り付かないこと。

 そしてこの丘に妹のリフィルと住んでおり、数日前に彼女は森で発生した瘴気しょうきにあたり寝込んでいること。

 そのリフィルのために帝都へ薬草を買いに行った帰りに、ティナを見つけたこと。


 こうした話を聞きながら、ティナはやはりこの世界が、自分が砂浜で倒れていた以前のセリス王国領土内とは違うことがわかったきた。


 まずティナが知っている街道には、『罪人の丘』という場所もなく、森で瘴気が発生するなど考えられなかった。


 そしてキースの話ぶりからそれが嘘でないことも……。

 そうするとあの御者が言っていた、この世界が『転生帝国暦百年』ということも現実味をびて来た。


(わたしの知らない世界……。いや、わたしがいた世界の未来なのかしら……)


§


 ティナはふさぐように考え込んだ。


 キースも、彼女の表情からティナが何かしら抱えているように感じていた。

 しかし会話を重ねながら、彼女が悪い人間ではない事もわかる。

 出来れば力になってやりたいと思うが、彼女が何で困っているか検討がつかない。


 (どうしたもんか……)


 妙な沈黙が流れてゆく。

 窓の外を見て、彼はぼんやりとリフィルの小さい頃を思い出した。


(こんな天気の日は、よく一緒に丘を散歩したなぁ……)


 そう思うと自然と言葉が出ていた。


「なぁ、ちょっと散歩しに行かないか? ついでに薬草も見つけたいし」


「え、えぇ……いいわよ」


 少し迷ったが、彼女も外で身体を動かしたいという思いから、これに了承した。


「よし、なら行こうか!」


 キースとティナは身支度をして、陽気な外へと出かけた。

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