第13話 飴と鞭

 マンションへ向かう道中、先頭を歩く俺は強者としての風格を備えていた。時として強者は孤独なものである、そして強者たる俺は1人きりでマンションを目指している。


 言い訳じゃないが、家は4人一緒に出たんだ……。その証拠に後ろを振り返れば、姿も確認出来る。


 こちらも歩くペースを落としているのだが、向こうは時折立ち止まる為、徐々に距離が開き……いつの間にか3人は遥か後方。

 そのままの状態で、目的地はもうすぐそこまで迫っていた。

 まぁ、強者は常に孤独であると身をもって知る事が出来たからいいんだけどさ。


 なぜこの状況に陥ったのか?それは少し前の出来事が原因だ。


 俺からのプリンに喜んでいたつきちゃんは、秒で絶望に突き落とされていた。

 1日に3個は食べ過ぎだと、雪乃らしいダメ出しが入ったのだ。

 それを聞いたつきちゃんの、死の宣告を受けたかの様な悲壮感漂う表情に不謹慎にも声を殺して笑ってしまった。


 そのつきちゃんが今、幼いながらも必死に考えを巡らせ、雪乃のご機嫌を取ろうとしている。よほどプリンが食べたいのだろうな。


 雪乃と手を繋いで歩きながら、必死に話しかけている様子だが、遠くからでも交渉は難航しているのだろうと推測できる。

 そもそもこうして距離が開いてしまったのは、つきちゃんが時折足を止めて駄々を捏ねているからだ。

 雪乃も今日ぐらいは大目に見てあげれば良いのにと思うが、きっとわざとそういう立ち回りをしているのだろうな。


 呑気な妹は、そんな2人のやり取りを間近で見ながらニマニマしている。

 その犯罪者風な笑顔にいつか問題を起こしたりしないか兄の立場としては少し不安になる。


 そんな風に色々考えていると、目的地に到着してしまった。まぁ、徒歩3分だしな。

 あ、また立ち止まったよ。仕方ない、3人が来るまでのんびり待つとするか。



 マンションを見上げる。あれから5年も経ってしまってたんだな……。


 俺の母方の菫婆ちゃんは朗らかな人で、いつも笑顔で俺に接してくれた。俺は婆ちゃんの事が大好きだった。


 早くに旦那を亡くし、女手一つで母さんを育てた経緯もあり2人は本当に友達の様に仲が良く、爺ちゃんやもう1人の婆ちゃ……じゃなかった、春子さん達とも懇意にしていた。

 菫婆ちゃんがこの世を去った事で、夕凪家も暫くは重苦しい空気に包まれていたのは、今でも鮮明に覚えている。


「うわ〜、私久しぶりに来た。おにぃは?」


 感慨に耽っていると、ようやく到着した妹が俺に声をかけてきた。頬を膨らませたつきちゃんの姿が視界に入るが、一旦置いておく。


「俺も婆ちゃんが亡くなってからだから、かれこれ5年振りぐらいだな」

「もうそんなに経つんだ。おにぃは菫おばあちゃんとこにいつも行ってたもんね」

「まあな。ここで立ち話もなんだから、とりあえず入ろうぜ」


 エントランスに入り、預かってきた鍵でオートロックを開ける。

 そのままエレベーターに乗り込み、3階を押す。


「3階だけど、道路の反対側は一戸建だから日当たりもいいんだぜ」

「そうですか」


 雪乃に話しかけたのだが、その声には明らかに疲れの色が浮かんでいた。

 ここに来るまでのつきちゃんとの攻防のせいだろう。

 エレベーターが目的階に到着したので、先頭を歩いて部屋に向かう。


「よし着いた。2人ともここが俺達の住む家だ。遠慮なく入ってくれ」

「「…………」」


「よ、よし。入ろー」


 反応してくれたのは妹だけという悲しい現実が待っていた。

 せっかくこれから住む家に着いたのに、この雰囲気は気まずいぞ。

 そしてその原因は、プリンの件を言い出した俺にある。


 さて、どうしたものか……。とりあえず妹に目配せをして、つきちゃんに話しかける。


「つきちゃん、パパもやっぱりプリン食べたくなっちゃった」

「ぱぱぁ、ぷいんたべたいの?」

「そうなんだ、だから返してもらってもいい?」

「うん……」


 理不尽な返せコールにも、大粒の涙がこぼれ落ちそうになりながら素直に応じるつきちゃんの姿に、こちらが泣きそうだよ。

 さて、前フリは終わったので……妹よ頼むぞ。


「あー、でも大人が約束を守らないのはいけないよなー」

「うん、約束は守らないとー」


 俺の意図に気づいた妹が、すぐに乗っかってくれる。

 こういう時の勘の良さは、俺とよく似ている。


「でも、つきちゃんは分かってくれたぞー」

「誰かー、約束破ったおにぃを叱ってくれたらいいのにー」

「そうだなー、叱られたらプリンあげるんだけどなー」


 俺は大根役者風にしているのだが、妹はガチ演技である。協力してもらっている立場で言うのもなんだが、この才能のなさは不憫過ぎるだろう。

 俺達の意図が理解できたのだろう。雪乃が小さく溜息を吐いた。


「確かに一度した約束を破るのはいけないですね」

「だよなー。俺もそう思うんだけど、プリン1日に3個は確かに良くないよなー」

「それでも約束を破るよりはマシです。プリンあげたらいかがですか?」

「つきちゃん、雪乃が約束は破ったらダメなんだって。だから、プリン返すね」

「ぱぱぁ、いいの?」

「うん、いいよ。雪乃にありがとうは?」

「ゆきちゃ、ありがと」


 気まずかった雰囲気は消え、雪乃もホッとした表情をしている。

 これでようやく家の下見が出来る雰囲気になったな。


「雪乃、折れてくれありがとな」

「さっきも言ったと思いますが、あまり甘やかさないでください」

「そうだな。今後はツキちゃんを極力甘やかさないから。だから雪乃がその分いっぱい甘やかしてあげてくれ」

「それじゃ意味がありません」


 意味はあるんだよ。


 さっき2人のやり取りを見ていて俺の中で引っかかりがあった。

 それは、雪乃が悪者になる姿を見るのが嫌だったのだ。

 世の中には飴と鞭という言葉がある。それは人間関係にも当てはめられ、飴を与える者は好かれ、鞭を与える者は嫌われる。

 それが例え、相手の事を思っていたとしてもだ……。

 今の雪乃は、俺に迷惑をかけたくない一心で損な役割を担おうとしている。


 本当は彼女が1番つきちゃんを甘やかせたいはずなのに……。

 そうじゃなければ、つきちゃんを叱る時にあんなに辛そうな表情をする訳がない。


 親から愛を与えられなかった雪乃には、これからは愛を与える立場になって欲しい。これは俺のエゴに過ぎないが、そう願う。

 驕りかもしれないが、そんな彼女に愛を与えるのは俺で居たいと思う。


 さて、3人で住む家はどんなだろう?すぐに住めると言っていたから、もしかしたら婆ちゃんが住んでいた時のままなのかもしれない。

 懐かしい日々を思い返していると、鼻の奥がツーンとした。


「よし!!気を取り直して、家に入るぞー」

「「おー」」

「はい」


 今度は全員が反応してくれた事に、ホッと胸を撫で下ろした。


「ご近所迷惑なので、玄関先の長話は今後は控えないとですね」


 『雪乃、それなー』とか軽口叩ける空気じゃなかった。

 目が笑ってないのに、口角上げるのやめてくれ。

 ご近所の皆様、すいませんでした……。

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