1-8 知力・体力・時の運

「100メートル一本勝負、誰が相手でも構いませんわ。自信のある者はかかってきなさい!」


 体操服に着替えた千妃路はグラウンドで身体を伸ばしながら、意気揚々と挑戦者を煽る。

 一方、ファンクラブ側は監督役の秋川と渋々ついてきた女子が数名しかいなかった。


「華鳳院さん、あと五分もしないうちに朝のホームルームが始まるのですが……」

「ふふ……100メートルを走るくらい、一分もあれば充分ですわ!」

「そんなにかかりません、せいぜい二十秒切るくらいです」


 かみ合わない会話に嫌気が差したのか、秋川は溜息をつきながら隣の女子に声をかけた。


「あなた陸上部でしたね、頼めますか?」

「いいですけど、なんで朝っぱらから走らなきゃならないんですか」

「華鳳院さんに聞いてください」

「……聞きますか?」

「いえ、余計なことを言いました。すぐに始めてください」


 千妃路と陸上部の女子がスタートラインに並び、駆け出しの姿勢を取った。


「では両者、位置について……用意」


 秋川がスッと手を振り上げ、鋭いかけ声とともに振り下ろす。


「スタート!」


 ザッと砂を蹴り上げ飛び出した二人がグングンと加速する。教室の窓から覗いていた観衆がハッと息を呑む。

 素人目でもわかるほどに勝敗は明白で、数秒ごとに引き離されていくさまは驚きの一言であった。

 グラウンドにいる秋川たち、教室で観覧するクラスメイト、薫と清志郎、そしてゴールした陸上部の女子までもが同じことを思っていた――はるか後方を必死に走る千妃路を見ながら。


(……なんであんなに自信満々だったんだろう)


 数十秒遅れてゴールした千妃路をみんなで見守り、本人以外のほぼすべてが「なんだったんだ、今の時間は」という感想を抱いた。

 千妃路は全身で息をしながら、困惑気味な相手の勝利を拍手で称え、どこか納得がいかない表情の秋川にフッと微笑んだ。


「わたくしの負けですわね……ですが、持久力なら自信ありますわ! フルマラソンの勝負でなら……!」

「しません」


 グラウンドから秋川たちが素早い撤収を始めると、教室内はのどに小骨が引っかかったようなテンションのまま日常へと戻っていった。

 千妃路の行動にみんなが気を取られている中、清志郎はこっそりと薫にたずねる。


「……ねぇ、あれはなんなのさ? 華鳳院さん、あの作戦はやめたんじゃないの?」

「うん、トラブルにならないように勝負という形でとことんやるんだって」

「えぇ……? うーん、それならいいのかなぁ……」

「まぁ、悩むところだけど……」


 薫はへろへろになりながらも校舎へと駆け込む千妃路を見下ろしながら優しく微笑んだ。


「かっこいいよ、千妃路ちゃんは」



     + + +



 次の日。


「さぁ、今日はヒロイン腕相撲で力比べですわ!」


 昨日のような流れを経て再び駆けつけるハメになった秋川は、準備万端とばかりに腕まくりをする千妃路の前で嘆いていた。


「勝負は決着がついたでしょう!」

「ヒロインは諦めることを知らない……何度でも、そう、何度でも挑み続けるのですわ!」

「なんてはた迷惑な!」


 千妃路の勝負を突っぱねてしまえばそれまでの話だが、そうすると千妃路は強引にでも清志郎に近づき、女子たちとトラブルを起こし続けるだろう。

 利害調整や裏取引といった工作は千妃路には通用しない。主目的がヒロインになることである千妃路には、ファンクラブのセオリーでは対応しようがないのだ。

 秋川の近くにいた一年生女子が焦りの表情で急かすように言った。


「副会長、こうなったら力ずくでも……!」

「駄目です。清志郎くんの周りで暴力は許しません。ファンクラブ成立の歴史を思えば当然のことです」

「そんな綺麗事……」

「それ以前として、柚木さんに太刀打ちできる女子はこの学園にはいないと思います」


 秋川に言われて一年女子は薫のほうを見る。ファンクラブ陣営が協議中なので、薫は千妃路と腕相撲をしていた。

 千妃路がぷるぷると震える右腕をつかみながら、強がるように声を張り上げる。


「ふ、ふふ……ウォーミングアップはこのくらいでいいですわね」

「三戦三敗だけど……」

「か、薫さんが強すぎるのですわ! 男子ー、ちょっと男子ー!? 誰か我こそはという挑戦者はいないんですのー!?」

「え、おれやりたい」

「おれもー」


 どうやら腕試しをしてみたい男子の心をくすぐってしまったらしい。次々と参加を表明する男子たちに戸惑いながらも勝負を受けた薫だったが、なんだかんだと連勝を重ねていた。

 一年女子は呆気に取られながら、千妃路の対応に頭を悩ませている秋川に食い下がる。


「力で敵わないのはわかりました。だったら嫌がらせするとか、ハブっちゃうとか……」


 それが感情で口走った発言とわかりつつも秋川は苦い顔をした。


「あまり褒められた手段ではありませんね」

「それは、そうですけど……」

「それに下手な嫌がらせは彼女を焚きつけるだけでしょう。彼女、会長に煽られて会報誌全集を持ち帰った上にそれを読破してきたようですからね」

「なんて鬼メンタル……」

「ハブる、集団無視も効果的とは思えません。交渉の手がかりになればと彼女の交友関係を洗いましたが……うん、まぁ……成果は芳しくありませんでした」

「あっ……」


 思わず察した一年女子は、不敵に微笑みながら腕をぷるぷるさせている千妃路を見ながら眉をひそめた。


「え、あの人なんなんですか……?」

「なんなんでしょうね……」


 強烈なヒロイン願望だけであの振る舞い、言動、努力ができるものなのだろうか。底知れない千妃路のヒロインに対する情熱を感じ取り、ファンクラブの女子たちが戦々恐々とする。


「さぁ、わたくしに挑戦するのはどなたかしら?」


 立候補者がおらず、腕相撲勝負は仕方なく参加した秋川の勝利に終わった。



     + + +



「ヒロインクイズー! みんなー、ヒロインになりたいかー!」

「うおおおー! ですわー!!」

「参加者はおよそ百名! その中でも約一名がとても元気ですー! 会場は体育館特設ステージ、実況は普段ファンクラブ受付を担当してるわたしが務めまーす!」


 放課後、千妃路によって突如開催された謎の催しにもかかわらず、参加者は脅威の三桁を突破した。その内訳は千妃路にライバル心を抱くファンクラブの女子たち、賑やかしに参加してみた男子たちと様々だが、その多くは魅力的な参加賞品に惹かれて参加した者たちだった。


「優勝者には清志郎くんとツーショットチェキの撮影権が授与されます! しかも、清志郎くんは学園の王子さまにちなんでプリンス風の衣装を着ていただいてます! さぁ、ゲストの清志郎くん、お気持ちはいかがですか?」

「早く着替えて帰してほしいです……」


 ステージ上で所在なさげに立たされている清志郎は、青を基調とした服に金色の肩飾りや胸飾りのついた王子さま風衣装を着せられていた。

 ろくな説明もなしに千妃路に連れられて準備をさせられたので、困惑と諦めが入り混じった渋い表情をしている。しかし、不本意ながらも衣装を着てゲストとして参加しているあたり押しの弱さが透けて見えた。


「いやー、一番ヒロインに相応しいのは清志郎くんかもしれませんね! 清志郎くんをいち早くおうちに帰してあげるためにも、是非みなさま頑張ってください!」

「無責任に盛り上げないでよ……」

「これは失礼いたしましたー! さて、本日は記録係による撮影が入っております。クイズの模様は後日発行されるファンクラブ会報誌に掲載される予定でーす」


 パシャパシャとうるさいくらいにシャッター音を鳴らしながら、記録係がクイズの様子を――というより、清志郎の王子さま姿を熱心に撮影していた。

 記録係としてそれでいいのかと資質を問われるべきかもしれないが、ファンクラブ会報誌に載せる需要としては正しい。むしろ優秀なカメラマンである。


「衣装は演劇部、クイズの作問はクイズ研究部にご協力いただきましたー! それでは第一問でーす! マルだと思う方は右側へ、バツだと思う方は左側へ移動してくださーい!」


 受付の女子が妙に巧みな司会者ぶりを発揮しつつ、クイズ大会が進行されていく。

 全体の統括は秋川が務めており、薫は補助として手助けをしていた。秋川は眉間にしわを刻みながら、自問するようにテキパキと進行表を確認している。


「なぜ……なぜ、わたしが手伝わされているんです……?」

「ヒロイン勝負の規模が大きくなったから仕方ないよ」

「そもそも、なんなんです……ヒロイン勝負って……清志郎くんに近づくな、という話だったのでは……」

「あ、一問目終わったよ」

「了解。柚木さん、不正解なのに居座ろうとしている参加者がいたらお願いします」

「はーい」


 秋川による徹底されたルールのおかげで不正行為を働く不届き者は最後までおらず、優勝争いは二年と三年の男子生徒、二名にしぼられた。

 盛り上がりに欠けたイベント終了後、うつむきながら虚無の表情でぼやく秋川の姿がそこにあった。


「……多少の演出って必要なんですね」

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わたくしのヒーローになりなさい! にのち @ninoti

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