1-6 ヒロインは蚊帳の外

 ヒロインに一家言をもつ千妃路は、幼馴染に対しても深い知識を備えている。

 幼馴染といえば幼少の頃からご近所で、親同士の交流が盛んであり、修学過程で同じ学校、同じクラスである。しかし、その定番を現実のものとして見たことは一度としてなかった。

 だからこそ、今こうして目の前に『倉馬』と『柚木』の表札が並んだ光景を見せつけられて、千妃路は不思議な感動に打ち震えていた。


「お隣同士で幼馴染なんてベタなシチュエーションが現代日本に実在するなんて……!」

「人を勝手にシチュ扱いしないでくれるかな」


 乾いた笑い声で呆れる薫に、ハッと口元を押さえる千妃路。そして、これからしようとしている所業に心臓がドキドキする。


「本当に倉馬くんのおうちにお邪魔するんですの?」

「だって本人と話さなきゃ何も始まらないじゃない」

「そ、そ、それはそうですがっ! いきなり殿方のおうちに押しかけるのははしたないのではなくて!? ご両親にもなんて挨拶したらいいか……!」


 急にもじもじとし出す千妃路。彼女はこれまでヒロインになりたいあまり、周囲からは奇行とも取れる言動をしてしまい、親しい友人関係を築けたことがない。ましてや、男性とのお付き合いなどあるはずもなく、いきなり実現した告白の舞台に緊張してしまったのである。

 そんな千妃路の心の内など露知らず、薫はあっけらかんとした口調で軽く答えた。


「大丈夫、清志郎のご両親なら共働きで帰るの遅いから、今ならまだ本人しかいないよ」

「あぁ、それなら安心……って、えええっ!? そんなの展開次第ではあられもない一夜になってしまいますわー!!」

「癖になる反応するよねぇ……というか、泊まる気なの?」


 千妃路のリアクションに慣れ始めた薫は、平然とした顔でインターホンを鳴らした。

 心の準備ができていない千妃路があたふたする中、薫は一歩下がって千妃路の背中をそっと押した。

 ドアの向こう側からドタドタと慌てて階段を駆け下りるような音がする。程なくして全開まで開かれたドアから勢いよく清志郎が飛び出した。


「薫! と、華鳳院さん! ……えっと、なんの用事?」


 威勢のわりにとぼけた表情をする清志郎は、ラフな部屋着の格好で不思議そうに首をかしげていた。

 清志郎からしてみれば奇妙な組み合わせの二人であることには違いない。千妃路は緊張する胸中をガッツで押さえつけて、普段の調子で名乗り上げた。


「わたくしは華鳳院千妃路! 本日は倉馬くんにお願いがあって参りましたの!」

「ぼくにお願い?」

「単刀直入に申しますわ! あなた、わたくしのヒーローになりなさい!」


 ズバーン、と人差し指をつきつけて通りの良い声を住宅街に響かせる千妃路。

 清志郎は少し恥ずかしそうな顔で困惑していたが、面白そうに笑っている薫を見て、悩みながらも結論を出したらしい。


「とりあえず、中で話さない?」



     + + +



 千妃路が通されたのは清志郎の部屋ではなくリビングだった。そのことに少しだけ安堵した千妃路は出されたお茶を豪快に飲み干していた。


「ぷはぁっ! ちょうど喉が渇いていたところですわ!」

「お菓子もあるよ」

「それは結構、夕飯前ですもの」

「華鳳院さんはしっかりしてるなぁ」


 のんきなやり取りを繰り広げる千妃路と清志郎を見ながら、薫はぽつりと呟いた。


「これがヒーローとヒロインねぇ……」


 それを聞いた千妃路は本来の目的を思い出し、空になったコップをテーブルに置いた。


「そう、それですわ。倉馬くんには是非ともヒーローになっていただき、わたくしをヒロインにしてほしいのですわ」

「うーん、簡単に話を聞いただけだとわからないんだけど……どういうことなの、薫?」

「ぶっちゃけ、わたしもあんまりわかってない」

「薫さん!?」

「でも千妃路ちゃんの熱意は伝わったからさ」

「薫さん!!」

「華鳳院さん、これ騙されてない……?」


 心配そうに眉をひそめる清志郎に対して、薫が腕を組みながら半眼気味の目を向ける。


「生意気言っちゃってさぁ……大体どうしてリビングなわけ? しばらく見ないうちに部屋がまた散らかってるんじゃないの?」

「ちゃんと綺麗にしてるってば」

「じゃあ、なんでよ」

「母さんたちがいないんだったらリビングのほうが広くていいだろ? 華鳳院さんだっていきなり男子の部屋に上がるのも……ねぇ?」


 軽い言い合いが始まってしまって思わず縮こまっていた千妃路は、急に話の矛先を向けられてどぎまぎとしながら答えた。


「あ、ああ、いえ、お構いなく……」

「千妃路ちゃん困ってるじゃない。慣れない気遣いなんてしなくていいから」

「いきなり連れてきた薫が言うことじゃないだろ。もっとよく考えて行動しなよ」


 千妃路ですら察知できるほどの不穏な空気が漂い、いたたまれなくなった千妃路は大声を出して言った。


「あのぉ! わたくしの話を進めてもよろしいかしら!」

「もちろん」

「いつでもどうぞ」


 薫も清志郎もにこやかな表情を千妃路に向けてくれるのだが、殺伐とした気配は晴れない。

 先程までとは違った意味の緊張感に苛まれつつ、千妃路はコホンと演技がかった咳払いを合図に語り始めた。


「いいですこと? 倉馬くんがヒーローになった暁には、こーんなメリットがあるということを具体例を交えて教えて差し上げますわ」

「まだやるとは言ってないけど……」

「まず第一にモテる! 学園の王子さまである倉馬くんがヒーローになれば、全校生徒のみならず他校や商店街の方たちもメロメロになることうけ合いですわ!」

「怖いよそんなの」

「次に圧倒的な人気者になれますわ! 絶対的センターな立ち位置は何をするにも優位に立てますから、多少のわがままなら言い放題ですわ!」

「想像がつかないなぁ」

「最後にわたくしの好感度が爆上がりいたします。いずれヒロインになる女の好感度なんて、誰もが欲しがるステータスとなりますわ」

「いら……いや、うん……友達ってことなら」


 全体的にノリが悪い清志郎の反応に、千妃路はしっくりこないと首をかしげる。自身のヒロイン願望ほどではないにせよ、誰しも少なからずヒーロー願望は持ち合わせているものだと思っていたからだ。

 勢いをそがれた千妃路に対して、薫がフォローするように相槌を打った。


「うんうん、千妃路ちゃんの言うメリットはわかるよ。だけど、清志郎はファンクラブができるくらいには人気者でモテちゃってるんだよね」

「なるほど! それではメリットがわたくしからの好感度しか残らない……って充分じゃありませんの! なんか文句あって!?」

「ぼくは文句なんて言ってないからね!?」


 薫は今にも清志郎に掴みかからんとする千妃路をなだめながら、少しのあいだ考え込むように言った。


「何をするにしても学園の王子さまを一人のヒーローにするなら、ファンクラブが障害になることは避けられないね」

「ふっふっふ……そこは誰も傷つかずに無血解散を成し遂げるパーフェクトプランを用意しておりますわ!」


 企むように口元を隠して笑う姿はヒロインというよりさながらライバルの悪役なのだが、千妃路には邪心など一切ない。常に本気なのである。

 薫は平静を装いつつも、そわそわと興味を隠せない様子でたずねた。


「すごい自信だね、どんな作戦なの?」

「わたくしと倉馬くんの完璧なヒーローヒロインぶりを披露することで有無を言わせなくする、名づけて『今推せる! 新時代のニューヒーローヒロイン登場大作戦!』ですわ!」

「……なんだか雑誌の特集みたいな作戦だね」


 思いのほかロジックもクソもない作戦に、露骨にがっかりとして感想をぼやく薫。

 一方、清志郎は千妃路の作戦を真面目に聞いた上で、難しい顔をしながら意見を述べた。


「それだと華鳳院さんがファンクラブの女子たちとトラブルになるんじゃないかな……?」

「ふふ、それはヒロインとして甘んじて受け入れるべき試練というやつですわ」

「華鳳院さんが大丈夫だとしても、ぼくが嫌だよ。生意気かもしれないけど、自分のことで誰かが揉めるなんて嬉しいことじゃないよ」

「それは……そうですわね」


 さすがの千妃路も純粋な精神から放たれる正論パンチには同意せざるを得ない。

 清志郎は少しためらいながら、薫を真正面から見据えて口を開く。


「薫も……ぼくの状況をなんとかしようとしてくれるのはありがたいけど、ぼくのことはぼくがなんとかしてみせるよ。もう薫に守られてばかりいるわけにはいかないから」

「いや、わたしは、そんなつもりは……」

「新入生が入ってきて揉め事が増えてきたから、また心配になったんだろうけど……いつまでも薫に頼ってたら情けないしさ」


 強い口調で言い切った清志郎に言葉を返せないでいる薫は、それまでのさっぱりした余裕のある態度ではなかった。千妃路から見ても別人のようで、言いたいことはあるのに言い出せないように口を頼りなく開いている。

 呆気にとられる千妃路をよそに清志郎が立ち上がると、ハッとしたように薫がコップの片付けを手伝ってキッチンへと運ぶ。

 瞬く間に仕度が済むと、薫は黙り込んだまま玄関のほうへ足を向け、千妃路に申し訳なさそうな視線を送った。

 玄関先で二人を見送る清志郎は、ばつの悪い顔をして言った。


「今日はちゃんと話せてよかったよ」

「……なんか、悪かったね」

「ううん、そんなことない」


 気まずそうに後ろ頭に手をやりながら、清志郎は目線を泳がせていた。


「あー、その、さ……」

「なに?」

「また、前みたいに学校でも薫って呼ばせてよ」

「あ……」

「じゃあ、また学校で」


 名残惜しそうに閉まるドア。隙間なく閉じられたドアの前で立ち尽くしていた薫が振り返ると、険しい顔をした千妃路が立っていた。

 薫は「あー……」と間延びした声を出しながら、パンッと叩くように両手を顔の前で合わせた。


「ごめんっ!」

「ごめんで済めば当て馬はいりませんわっ!」

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