第26話 僕じゃなくてもいいんだ




「――なるほど」



 場所はバルコニー席。

 日差しが差し込まず、よく見えるこのせり出した特等席に座ることが出来るのはごく一部の生徒だけだ。

 わざわざ置かれた椅子もまたとても立派な造りで、クッションは柔らかく、使用されている木材一つをとっても高級品である。



「流石は伝説の『魔女』のお弟子さん。 魔法剣なんて魔法を振り回す人はそうそう居ない、私には出来ないことですね」


 先ほどまで拍手をしていた銀髪の美青年は、立ち去っていく白髪に褐色の肌の少年を見送って言った。


 他にも大勢の貴族の生徒が居るにも関わらず、彼らは自分達だけでバルコニー席のうち一つを独占している。

 しかし他の生徒達がそれを不満に思って此処を覗けば、そこに居る面々に血の気が引いてしまうだろう。

 


「この魔法決闘を開いた意味があって私も安心しました、これで負けていたら目も当てられないことになっていた」


 そう言った銀髪の美青年、『黒』のフランシスはこの結果にとても満足していた。


 ただ勝つだけならつまらなかった。

 圧倒的に力の差を示して勝つからこそ素晴らしいのだ。



 食堂に乗り込んだユリウスのことは、本来であればフランシスは放っておいても良かった。

 自分から話しかけはしたが、基本的に無関係で、しかも無礼な平民の蛮行だ。

 ユリウスを庇ったところでフランシスは得などしない。

 

 その上でフランシスが仲裁して魔法決闘などを開かせたのは、フランシスはユリウスが戦っているところが見たかったからだ。

 決闘の相手は誰でも良かった。 ただ強いほど良い。

 大して魔法も使わせず終わる相手など、大人が赤ん坊を殴るところを見るようなものなので見る価値も無い。



「それで、そちらにとってはどうでしたか? ご満足いただけましたか?」


 フランシスは隣の席に座っていた人物に尋ねる。

 

 彼は別に独り言を言っていたわけではない。

 椅子に座っているのはフランシスともう一人。

 そして、その後ろに立っている者が一人。

 


わたくしも概ねフランシス様と同じ意見です」


 そう答えたのは、座っていた金髪の少女だった。


 黄金の波打つ髪に南の湖面のような青い瞳、白磁の肌。

 春の日向のように穏やかな容姿のその人物の顔面は美しく整っており、フランシスと並べば非常に『絵になる』容姿をしている。

 二人がけの席に、二人でとても仲良く恋人のように座っていた。



「ただ不満を言うなら、もっと彼の『本気』が見てみたいですね」

「しかし、バティスタール君程度に本気を出すようでは、貴方は満足出来ないでしょう?」

「ええ」


 美少女は微笑みながら頷いた。


「出来れば次はもっとお強い……戦闘向きの方をぶつけていただけると良いですね」

「たとえば?」

「ヴィクトルさんはどうでしょう?」

「おや、ヴィクトルでいいのですか?」


 フランシスも笑った。


 ヴィクトルとは、フランシスの弟のことだ。

 五大名門の筆頭、最も誇り高い血統を持つセルヴェンドネイズ公爵家の次男にして次期当主がもう決定している人物、現在入学したての一年生。


 将来はこの国で、国王の次に偉いと言っても過言ではないほどの圧倒的権力を約束されている男子、である。


 

 フランシスは長男でありながら、父である現当主から次期当主に選ばれなかった。

 それはフランシスが生まれつき病弱であるが故に体力が無く、また魔法の才能という面でも弟のヴィクトルに負けていると判断されたからだ。


『きっと兄弟の仲は最悪なのだろう』と思われるだろう。

 が、少なくともヴィクトルの名を出したフランシスの態度に、自分から栄光を奪った弟への憎悪のようなものは一切無かった。



「だってヴィクトルさんはとってもお強いじゃないですか、ユリウスさんがいらっしゃらなければ一人勝ちの可能性もありますよ。 ……フランシス様も、もちろんお強いですけれど」

「今、取ってつけたように褒めましたね」

「まあ。 私が婚約者を褒めて、何が悪いとおっしゃるのでしょう?」

「さて?」


 二人で意味深に笑った。



 フランシスの隣に座る少女、名をエルフリーナ=サーラ・リスタツェ・ヴィオーザという。

 

 ヴィオーザの名を聞けば分かる通り、このヴィオーザ魔法学院の創設一族にして五大名門の一角ヴィオーザ侯爵の一人娘。

 未来のヴィオーザ侯爵であり、ヴィオーザ学院の未来の学院長でもある。


 立場で言えばフランシスよりずっと上の、まさに『勝ち組』と呼ぶに相応しい少女だった。

 そして同時にフランシスの、学院に来るより前からの婚約者でもある。

 


「しかしヴィクトルを動かすのは難しいですよ。 我が弟ながら、人を見る目は確かです。 バティスタール君と違って、頭に血が昇って、勝てない勝負を挑むこともまずありません」

「そうですね……」


 エルフリーナは残念そうに小さく溜め息を吐いた。

 それから後ろを振り向き、ずっと立ったままの人物を見る。


「カレン、貴方はどう? 勝てる自信はある?」

「自信の有無の問題ではありません」


 エルフリーナに話を振られた人物は、肩口で切り揃えられた灰色の髪と切れ長の金色の瞳をし、声の抑揚も無く答えた。

 身長は高く、女子生徒の制服を着ている。


「お嬢様に求められれば神が相手でも勝つ、それが我らタチハキ家の役目であり誇りです」

「まあ、それって退屈な返事ね」


 とエルフリーナはつまらなそうに答える。 

 後ろでずっと立って居た人物は淡々と、ただ必要なことであるかのように静かに頭を下げた。



「ですけど、一番やってみて欲しい対戦カードはやはり――」

「『白』ですか?」

「ええ。 この学院で一番なのでしょう?」


 エルフリーナは軽く楽しげに笑う。


 この学院でも選りすぐりの、未来を期待される七人。

 そんな今の『色持ち』には、多種多様な人間が揃っている。


『緑』のバティスタールのように技術畑の生徒、『黄』のルナタラーラのように生徒から多大な人気を誇る生徒、『青』のように芸術方面で認められた生徒。

 フランシスなどは地味に、入学当時から全成績首位という総合成績で『色持ち』になっている。



 反対に『赤』と『紫』と『白』は、前回の『色持ち』から魔法決闘により実力でその色を奪った実力者だ。


『赤』は極めて多彩で、見た目も非常に派手で華々しく賑やかな魔法を使い、集団戦に非常に強い。

『紫』は学院のほとんどの人間、いや精霊メリソンすら恐怖と混乱に陥れ、『白』ですらも逃げ出すような魔法を最も得意としている。



 しかし学院最強を差し出せと言われれば、フランシスは迷いなく『白』を差し出すだろう。 

 それほど強い。


 二年生時に『白』となった彼は、それからもずっと自分の色をエサにして大勢の生徒と魔法決闘を行い、全てに勝利した。

『戦闘狂』と呼ぶに相応しいほど荒々しく、ただの平民とは思えないほど凄まじい。

 戦闘系の魔法に関しては全てが圧倒的だ。 



 しかしフランシスは実に残念そうに頭を横に振った。


「私もそこを期待しているのですが……さてどうでしょう、『白』のヤーニック君は近頃目に見えてやる気が無いので」

「まあ、どうして?」

「聞いたら答えてくれるような人ではありませんよ。 ただ三年の途中から魔法決闘の頻度が減り、四年生になった今はまだ一回もやってません」


 学院最強として十分に名が知れてしまった『白』に挑む者は年々減った。

 それもあって、本人も魔法決闘に飽きてしまったのだろう。

 

 何処で見てもやる気皆無で、会議に呼べば渋々来るものの気付けば寝ている。

 バティスタールのように真面目な人物はそんな『白』に毎回毎回説教しているが、全て無駄だった。


 何なら『誰だお前』と言われて怒り狂っているのが、バティスタールの日常である。


 

「ではヤーニックさんは、ユリウスさんと戦ってくださるか分からないのですね?」

「ええ。 せめて今回見に来てくれると良かったのですが、どうやら昼寝の方が大事なようで。 きっと起こされても起きなかったのでしょう」

「それはとても残念です」


 はあ、と婚約者同士の二人は仲良く息を吐いた。

 こんなため息を吐いていても、傍目には絵になる光景だった。



「何よりもの問題は、ユリウス君本人でしょう。 彼はどうやら他の色に一切興味が無く、どうやら『これ』が欲しいようで」

「『それ』を? ……あ、ニーケさんが『黒』だったから、なるほど? 師弟仲は良好なのですね、それはそれは、とても羨ましい話ですこと」


 エルフリーナは肩を竦めた。

 口で言うほどには嫉妬していないが、何処か拗ねたような物言いだった。

 

 そんな彼女にフランシスは好奇心のままに尋ねる。



「エルはある程度、彼のことを知っているのでしょう? 彼は本当は、何処の誰なのです?」

「以前フランシス様にお伝えした通りの情報しか私は分かりません」

「またまた。 彼、本当は魔法特性を持ってたりするんじゃないですか?」

「知りません」


 本当は知っているのか知らないのか、ただエルフリーナは澄ました顔をした。


 

「私がお父様やお祖父様から聞いているのは、ニーケさんが突然何処かから拾ってきた子供だという点です。 ニーケさんも『拾った』以上の説明を誰にもしないまま養子にしました」

「あれだけ才能に恵まれた子供がそこらに転がっているとは思えません」

「私もそう思います」


 ニーケの教育がどんなものかはフランシスも知らないが、ちょっとやそっとの教育で天才になれるなら誰も困らない。

 元々、最初から一定以上の才能を生まれ持っていたはずだ。



 どこかの貴族の隠し子。

 何らかの組織に監禁されていた実験体。

 異国から来た旅人の子。

 あるいは、ニーケ自身が無理やり誘拐した子。


 色々と思い付きはするが、しかし真実を知っているのはユリウス本人と師匠のニーケだけ。

 そしてニーケはその話をまるで深く言おうとしない。

 

 よってこの場に居る全員で、証拠も無い空想しか並べることは出来なかった。



「……やはり、私もユリウスさんに是非とも挨拶をしたいですね」


 そう言ってエルフリーナは拗ねた風にフランシスを見る。


「フランシス様? もう抜け駆けは無しですよ? 勝手に『件の彼に会ってきました』なんて後から報告しないでくださいね? ちゃんと私のことを紹介してくださいね?」

「ええ、もう抜け駆けはしませんよ。 全ては可愛いお姫様の、お望みのままに」


 婚約者を見ながら、フランシスは軽く肩を竦めて、丁寧に頭を下げる。


 二人は婚約者であり、政略結婚でもある。

 が、少なくとも世間一般で『政略結婚』と聞いて想像されるような冷たい関係であるようには見えない。

 気のおけない異性の友人、ぐらいに親密に見える。


「そういえば……ねえフランシス様?」


 ふと思い出して、エルフリーナは尋ねる。


「先程の『この学院の全員を友達にするために来た』というユリウスさんのお話、あれってどれぐらい本気だと思います?」






 ~・~・~・~・~・~


 


「ゆ、ユリウス君ッ!」


 第三グラウンドをすたすたと離れたユリウスの背を、ジョージは必死に追いかけた。


 ジョージの声が聞こえたようで、ユリウスは振り向く。

 さっきまであれだけ戦っていたのに、そんな疲労など微塵も見えない。


 いいや、きっとユリウスにとってはあんなの運動にすらなっていないのだ。



「お疲れ様! ユリウス君って、ほんとに強いんだね!」


 興奮のままにジョージは言う。

 

 強い強いと思ってはいたが、まさか貴族科、それも『色持ち』の一人に勝ててしまうなんて、全く思っていなかった。


 もしあそこに立っていたのがジョージだったら、結果は反対だっただろう。

 ジョージはただ遊ばれて、圧倒的な差を見せつけられて終わるはずだ。


 しかし実際にあそこに立っていたのはユリウスで、バティスタールを一蹴出来るほどの強さをしていた。

 あれを見た全員が、ユリウスの強さを認識したに違いない。


 

「大した事はしていない」

「大した事だよッ!? 相手は貴族で! しかも『色持ち』になれるぐらいの人なんだよ!?」


 いったいあの場のどれほどの人間が、ユリウスの勝利を予想しただろうか。


 せいぜいジョージ――と、何か企んでいそうなフランシスぐらいだったはずだ。

 あの場に他にもユリウスの知り合いが居れば別だが、もし居るのならユリウスはとっくにその人物と接触しているだろう。


 バティスタールは戦闘慣れしている相手ではない。

 しかし相手は貴族。 その段階で委縮してしまって当たり前だ。



「そんな人に勝てるなんて、ユリウス君って本当に、本当に強いんだね!」

「師匠の方が強い」

「そこは、そうだろうけど!」


 ジョージは頷く。

 これだけ言うのだから本当に強いのだろう。


 が、会ったこともない人間よりも、目の前で強かったユリウスの方を強いと思うのは仕方の無いことだった。



「僕はユリウス君のお師匠さんに会ったことないから、どれぐらい強いのか分からないから、だから! ユリウス君の方が強いって思うよ! うん!」


 ジョージは拳を作って力説する。

 

「ユリウス君なら、そんな凄いお師匠さんよりも強くなれるよ!」

「そうか」


 誉められて喜んでいるのか、喜んでいないのか、よく分からない反応だった。

 ただ無表情で小さく頷いただけ。

 しかし怒っているようには見えない。

 

 この小さすぎる反応だけでユリウスの内心に完全に気付くことは、今のジョージにはまだ無理そうだった。


「だが……今の俺には、未だ自分が強くなったという感覚が無い」


 ユリウスは何か言いたげに自分の手のひらを見ている。

 

 それは、ユリウスが師匠と交わしたという約束の話だろう。

 昨日ジョージも聞いたが、彼にとってはとても大切で重いことなのだ。



「俺は何か間違えているのか」

「それは……えっと、よく分からない……」


 ジョージにはその疑問に対し、的確な返事が出来るほどの知識が無かった。



 故郷にはジョージと同年代の子供も居たが、しかしジョージと彼らは仲が良くなかった。

 ギードに打ちのめされ、現実を思い知るまで、ジョージは自分を天才だと思い上がった人間だったからだ。

 家族を慕う心や感謝の気持ちこそあるものの、それ以外の、特に恩も無い相手には最低だったと思う。


 

(……僕が知らないだけなんだろうなぁ。 なんて言ったってユリウス君のお師匠さんは、『色持ち』に選ばれるほどの超天才なんだから。 間違ってること言わないよね)


 ジョージはそう結論付けた。


 となるとユリウスの疑問に対して、言うべきことは一つだった。



「もしかして、友達が僕だから……じゃないかな……僕と友達になってもやっぱり何の良いところ無いし……」


 自虐気味にジョージは言う。


「ユリウス君ならもっと上の凄い人とか……ほら、ユリウス君はギード君とだって仲良くなりたいって思ってるんだし……ギード君の方が良いんじゃないかな」


 よく分からないが、友達が居れば強くなるのなら、だとしたら重要なのは友達の質だ。


 ジョージは、机に向かって行う勉強なら得意だ。

 しかし実技となるとてんで悪い。 体力だって無いし、走るのも遅い。

 魔法学院のくせに知力だけでなく、走り回るための体力まで要求されるなんて思わなかった。 



「ジョージ・ベパルツキンは何度もその類の発言をするが。 お前は、そういう発言をすることで自分を強化する魔法特性でも持っているのか?」

「そんなの持ってないけど……!」


 そういうのでは決して無い。

 ただ事実を言っているだけだ。



「本当のことだからさ…………ユリウス君は色々褒めてくれたけど、でもユリウス君が欲しいのは、魔法使いとしての強さでしょ? 僕じゃユリウス君に、そんなのはあげられないよ」


 ユリウスはバティスタールとも仲良くなりたいだろう。

 あと何が目的なのかさっぱり分からないフランシスだってユリウスに近寄ろうとしている。


 ユリウスならきっと遅かれ早かれ『色持ち』に選ばれるはずだ。

 そんな人物と最初に仲良くなったのが自分のように低能な人間であって良いのだろうか。



「…………」


 ユリウスは非常に呆れているようだった。

 ただ無言でじっとジョージを見下ろし、思ったことを言おうとしない。



(否定出来なかったから、言えなかったんだろうな)


 ユリウスもきっと同じ事を思ったのだろう。

 

 昨日は色々褒めてくれたが、魔法実技に関しては褒められるものではなかったのは確実。

 ユリウスが求めているものには指先すら届いていない。


 そんなユリウスが求めるものをより確実にくれるのは、ギードのような人間のはずだ。




「お前という最初の友達を得ても強くなれないのは、俺自身が未熟だからだ。 お前の質は問題ではない」

「……………………ごめん」


 ユリウスの言葉に対する感謝ではない。

 そんなつまらない事を言わせてしまったことに対する謝罪だった。



「それにお前はまるで俺を完全無欠であるかのように言うが、俺にも欠点は存在する」

「え、あるの!?」


 まさか有るとは思わなかった。

 少なくともユリウスに苦手なもの、恐れるものなど存在するようには見えなかった。



「ある。 聞けばお前は笑うだろう、笑えばいい」


 ユリウスは重く頷いた。

 

 あの恐いもの知らずなユリウスがそこまで言うほどのもの。

 きっと、とんでもなく恐ろしいものなのかもしれない。



 貴族の居る二階席に堂々と上がっていくよりも怖い事とは何だろう。

 飢えた猛獣が居る檻の中に放り込まれるとか、そういったことか。

 あるいは巨大な生き物が居る海の中でそれを倒すことだろうか。

 それとも物語ぐらいでしか聞かない、かつて存在したという魔王の軍勢と戦うことか。 

 何にしてもジョージに笑えるようなことではないはずだ。



「俺は環境が変わると、横になって眠ることが難しい」

「……」


 ジョージは咄嗟に言葉が出てこなかった。


 内容があまりにも普通で、想像よりとんでもなく低いところにあった。


「ええとつまり…………枕が変わると眠れないってこと?」

有体ありていに言えばそうなる」


 色々と考えてからジョージが尋ねれば、ユリウスはもう一度頷いた。

 物凄く真面目なことのように、そう言った。



「ユリウス君にもそういう……そういう、なんか普通の事ってあるんだ…………」


 なんだかすごく、まるで普通の同い年の少年のような、微笑ましい話だった。

 笑うとか以前に驚いてしまった。


 

 ジョージにもそういう事があった。

 故郷では考えられないほど裕福で贅沢なヴィオーザ学院の暮らしに、眩暈がするような気分だった。

 初日と二日目などは特に睡眠不足だったのを覚えている。


 あんなフカフカのベッドと柔らかい羽毛布団をいきなり与えられて、悠々と眠れるわけがない。



 でもまさかユリウスにもそんな繊細な感性があるなんて、本人に言われた今でも、とても信じられなかった。

 それこそ床だろうと砂の上だろうと眠れるように見えるのに。

 そんな普通なところがあるなんて。


 

「俺はごく普通の、何処にでも居る平民、ユリウス・ヴォイドだ。 当然、欠点も存在する」


 もっともらしい顔で言っていた。


 ユリウスの話し方や表情、雰囲気などの全てが『普通』とはかけ離れているが。

 昨日来たばかりの新入生とはとても思えない行動力と、貴族を一蹴するほどの魔法の才能も持っているが。

 本当にごく普通の平民は、自分を『普通の平民』なんて紹介しないだろうに。


 だが本人だけはそう大真面目に言っていた。



「……フッ、ちょっと待って……欠点があるって、そんな堂々と……ふふっ……」


 その差が面白くて、ジョージはつい噴き出して笑ってしまった。

 

 本当によく分からない人だ。

 ユリウスは絶対に普通の人ではないのに、頑なにそういう設定を通そうとしている。


(実は、ユリウス君は本当に魔法騎士団の人だったりして……この年齢で所属なんて、聞いたことないけど)


 確か第一騎士団から第三騎士団まで、本所属扱いとして認められるのは最低でも十八歳だ。

 この学院の卒業後に魔法騎士団に所属する生徒はそう珍しくないが、学院在籍中に向こうから指名されるほどの優秀な生徒に限られている。


 ともかく今十三歳であるはずのユリウスが、魔法騎士団に所属出来るわけがない。

 知り合いに魔法騎士団に所属している人が居るならまだともかく。



「…………本当に笑われると、俺にも思うところがある」

「あっごめん」


 低い無感情な声で言われたが、なんとなくユリウスなりに傷付いているのだろう。

 おそらく、ほとんど傷付いていないだろうが。


 ジョージはそれでもまだ笑いながら、軽く謝った。


 それから、聞きたかったことを尋ねる。



「ねえ、ユリウス君がさっき言ってたことって、本気?」

「どの発言だ」

「友達を千人作るためだけに学院に来たって……それだけの為に来たの? その理由が無かったら学院に来なかったっていうのも、本気?」


 いくらなんでも大袈裟なことを言っているように聞こえた。


「本気だ」


 が、ユリウスは本気で言っているようだった。




「師匠に言われなければ、俺はこの学院に来ようとは一切思わなかっただろう」


 この学院には通えるだけでも名誉だっていうことぐらい、ジョージも知っていた。 

 それに向かって、ただ友達を千人作るためだけに来るなんて、どうかしている。


 確かに、将来の結婚相手を探すために来る人も居るというが、この学院には将来有望な平民も貴族も大勢居るので、別におかしくはない。



 しかしユリウスの場合はどうか。


 友達になる相手の能力や立場は気にしていない。 求めているのはただ数だけ。

 だったら、この学院ではない場所でやっていてもいいはずだ。

 この調子なら年齢も気にしていないのだろう。



「俺が学院に来た理由は、今回で学院に所属するほとんどの者が知るところとなっただろう。 ギード・ストレリウスのような勘違いをされることも無くなったに違いない」

「そっかぁ……」


 なんとなく、ユリウスの発言に対してモヤモヤする感覚の理由が分かった。



 ユリウスがこの学院に来たのは、友達を千人作るように師匠に言われたから。

 そうでもなかったらこの学院に来なかった。

 

 ユリウスは、ジョージが無能か有能か、どんな嫌な性格や低い身分だろうと、関係無く友達にしようと思っているわけで。


 つまり、ユリウスは友達になるのなら相手が誰でも良かったのだ。


 

 良く言えば、誰にでも平等な人。

 悪く言えば、他人にも興味が無い人。


 ユリウスが師匠に求められているのは『友達』の称号とその数であって、相手の性格や趣味、意思などどうでもいい。

 でなければギードやバティスタールにあんな態度を取れるわけがない。



(そして『そんな理由』が無かったら最初から学院に来る気も無くて、友達を作ろうとすら思わなかったんだ)


 本当に、ジョージなどとはまるで違う人だ。

 こうやって会話をしていることすらおかしいように思えてしまう。

 奇跡のような可能性の中で、こうやってジョージとユリウスは話しているのだ。


 もっと容姿が良いとか、頭が良いとか、金持ちとか、魔法の才能があるとか、ユリウスの友達に相応しい人はもっと他に居るに違いない。

 貴族科の方が、ユリウスの求めている人材が居るに違いない。



(ユリウス君は友達になるなら誰でもいい。 僕じゃなくてもいいんだ)


 こうして話をしているのは、ただの偶然。

 ユリウスにとっては今後たくさん作る友達のうち一人でしかない。



「……ユリウス君は本当に師匠さんのことが大好きなんだね」

「ああ」


 迷いなど微塵も無くユリウスは頷いた。



「俺は師匠への恩義を返さなくてはならない、そのために俺は生きている。 その師匠が望むなら、俺は命を賭けて友達だろうと千人作る」

「うん」


 大袈裟なことを言っているように聞こえる。

 しかしユリウスは本気なのだろう。


 その程度の理由のために、来ようと思わなかった学院に来てしまうほどなのだから。




「……ところでジョージ・ベパルツキン。 『魔女』とは何だ」

「え?」


 急に話が変わって、ジョージは着いていけなかった。

 頭の中でぐるぐると考えていたことを打ち切る。



「魔女? 魔女って、魔女は魔女じゃないの? 女の人の魔法使いは魔女とも呼ぶっていうぐらいの……」

 

 女にも魔法使いと呼ばないと差別だと怒る人も居るとか。

 いいや本来男より女の方が優れた魔法の使い手だから、特別にそう呼ばないと失礼だと怒る人も居るとか。

 

 いくらなんでも、これは一般常識だ。

 今更その定義を求められなければならない事でもない。

 


「バティスタール=イシャーロ・ルブスタ・レグムダイルが俺を見て『魔女のような』と発言した。 女全般ではなく個人を指していると思われる」

「あ……ああ、魔女、その魔女かぁ」


 納得してジョージは息を吐く。

 いくらなんでもそこまで常識が無いわけではないだろうと思っていただけに驚いた。


「それはユリウス君の言う通りだけど、学院でも特に凄かった人がそう呼ばれるんだって」

「『色持ち』とは異なるのか」

「そんな人達よりも凄いから、魔法使いとか魔女とか、わざわざそう呼ばれるんだよ。 何年も前に居た女子生徒は凄く強くて大暴れしてたから『魔女』と呼ばれてるんだって」


 本来は、褒め言葉だ。


 が、ジョージが聞いている範囲だけでも、あまり良い噂が無い。

 そんな中で『魔女のような』というのは、間違っても褒め言葉ではないだろう。



「余程凄まじい人物だったのだろう。 見てみたいものだ」

「凄かったらしいよ。 もう先生と、当時の卒業生しか知らないんだろうけど」


 ジョージは頷いた。


 当時の人達は今は子供が居てもおかしくない年齢なので、学院に居たとしてもその子供達だろう。

 平民ばかりの普通科はともかく、貴族科なら親から聞いている人が居てもおかしくない。



(……そういえばその魔女の名前って何だっけ……聞いたことがあるような、無いような……)


『魔女』の名ばかりが先行していて、肝心の名前が思い出せない。

 名を言わなくても『魔女』といえばだいたい通じるから仕方がないだろう。


 とはいえ名前を聞いたところで『ああ、あの人か』となるほどの縁も無いに違いない。



「なんでも……確か、初代学院長の銅像を入学初日に破壊したとか、貴族と毎日喧嘩してたとか、校舎のある地盤を少し低くしたとか、校舎の地下を素手で掘ったとか、年下を脅して金をとってたとか、握力だけで炭から金剛石を作ったとか……」

「…………そうか」


 ユリウスは何か残念そうにつぶやいた。



「師匠かと思ったが……師匠ではないな」


 と、確信をもって頷いた。


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