第25話 ふざけた理由





(なるほど)



 魔法剣で、石像ドラゴンの重さを受け止め、その感覚を確かめる。


 見た目以上の重さ、そして頑丈さ。

 今までバティスタールが繰り出してきたどの石像よりも上だ。

 ユリウスの魔法剣で、この腕を切り落とすことが出来なかった。


 

 本当に硬い。

 とても硬い。

 凄まじく硬い。


 ユリウスは今まで第四魔法騎士団の一員として、多くの凶悪な犯罪者や魔獣、魔族の類と戦ってきた。

 そのほとんどがユリウスを殺そうとしてくるものばかりだった。


 しかしその中で、こんなものと遭遇することはあまり無かった。

 犯罪者だろうと何だろうと、強さには上から下まで存在するからだ。


 そして、バティスタールが作ったこの石像は、とても優れている。



「――――良い」



 国内外から集められた天才達――その中でも特に優れた七人のうち一人、『緑』のバティスタール。


 彼は戦士ではない。

 むしろ芸術家や研究者の類であって、このドラゴンは比較的戦闘用に調整されただけだ。


 いったい誰と戦う為にこれを用意したのか、ユリウスは知らない。

 きっと巨大な魔獣のようなものを想定していたのだろう。


 ただ何を想定していようとも、このドラゴンの完成度は素晴らしいものだった。

 見た目は言うに及ばず、破壊されても再び集合し再生する能力も、硬さもとても良い。

『緑』の称号は伊達ではない。 実に素晴らしいことだ。


(天才だ、間違いなく天才だ)


 戦闘向きでないバティスタールですらこれぐらい。

 残る『色持ち』に――たとえばそこに居る『黄』のルナタラーラや『黒』のフランシスも、これぐらい強いのだと期待しても良いのだろうか。

 噂に聞く『白』なら、もっと凄いのか。


(もしそうなら、学院に来た価値がある)


 ユリウスは心の中で拍手喝采をしていた。


 

 あえて贅沢を言うとすれば、ドラゴンは決してユリウスを殺そうとはしていない。

『これぐらいやれば負けを認めるだろう』という程度だ。

 そんなギリギリの、力を見せつけるぐらいのものでしかない。


 これはあくまでも遊戯でしかなく、バティスタールには殺人の罪を背負おうなどという気が無いからだろう。

 


 もっと殺すつもりで来ていれば、結果は違ったかもしれない。



 そこだけが、実に、残念である。




「はぁーいっ、がんばれっ、がんばれっ!」


 ユリウスに向かってルナタラーラが甘く声をかける。

 励ましているつもりなのか、煽っているのか、どっちなのかは本人しか分からないことだろう。

 


「いい加減諦めたらどうだい? 僕だって非情ではないから、君が『申し訳ありません、己の分を弁えていない私を許してください』と言うなら、停学で許してあげてもいいんだよ?」


 バティスタールの声がする。

 考えてみれば彼は魔法自体は一回も使っていないのだから、疲れなど全く無いのだろう。



「我々は暇ではないんだ。 そこで健気に踏ん張るのはやめて、さっさと――――」


 バティスタールは口を閉じる。

 頭の中で色々と思考が巡ったように口を閉じ、黙り、顔をしかめた。


 

「――――待て? 君、どうして……潰れないんだ?」


 そんな、当然の疑問をバティスタールは口にした。




 見た目より重い石で出来た巨大なドラゴン。

 ユリウスの体など簡単に握りつぶせるほどの大きな腕。

 そんなものに大きく体重をかけて乗りかかるようにされたら、普通の人間なら耐えられない。

 


 しかしユリウスは一度勢いのまま後方に飛ばされはしたものの、それで終わりだ。


 それ以上の事は一切起きない

 押されることも、倒れることも決して無い。


 ただユリウスは耐えている。

 苦痛の声も出さず、必死に震えることもなく、淡々とその場に居た。


 むしろ『その場に留まっているだけ』であるかのような。



「何故耐えている? 何故潰れない――――アッ、強化魔法を使っているのか!?」


 強化魔法で、自身の肉体や筋力の強化をする。

 それはごく普通の、常識的な発想だ。

 そうでなければ自分より遥かに巨大で、重さも上のドラゴンに耐えられるわけがない。



 しかし、実際は違う。


 ユリウスは強化魔法など使っていない。

 これはただ純粋に、ユリウスの筋力だけで成立している状況だ。




「ッ! 早くそいつを倒せ! 舞台から落としてしまえ!」


 何かに気付いたバティスタールが慌ててドラゴンに命令を与える。

 それに応えてドラゴンは咆哮し、ユリウスを押し潰す勢いでより力を加えた。



 だというのにドラゴンは、ユリウスに何の変化も与えることは出来ない。



 そんなの当たり前だ。



 ユリウスにとっては、このドラゴンは最初から重いものなどではなかったのだから。


 


「ええい! 相手はただの平民だぞ! 早くしろ!」


 バティスタールに急かされて、ドラゴンの残った二つの頭が動く。

 大口を開けてユリウスに迫る。

 

 しかし吠えているバティスタールも横目に、ユリウスは動いた。



 力をこめて、ドラゴンを押し返した。

 そんなことだけで三つ首の巨大なドラゴンはあっさりと体勢を崩し、巨体ごと後ろへとひっくり返りかえる。



 ユリウスにとっては軽いドラゴンでも、一般人にとってはそうではない。

 あれが客席に落ちれば怪我人が出ることは免れないだろう。


 放っておけば誰かが対処するかもしれないが、ユリウスはその座を他者に渡したくなかった。


 客席に真っ黒な影が落ちる。

 


「『抜剣』――」


 さっきの魔法剣では斬れなかった。


 だったら、さっきよりも強力な魔法剣を作ればいいだけだ。

 

 切れ味も、大きさも、何もかもが上の。

 あのドラゴンが多少体を構成し直そうと関係なく切り刻めるような――いいや、破壊し焼き尽くしてしまえるような、そんなものにしてしまえばいい。



 高々と掲げた剣が、直視出来ないほどに輝く。

 巨大な、第三グラウンドの最も高い場所よりも高いところまで、炎の柱が激しく吹き上げる。

 炎柱を中心に風が吹いて、ルナタラーラなどはスカートを抑えて悲鳴をあげていた。



 目的はあの石像。


 あとは、何も客席に届かないように。

 再生もしないように。

 全てを計算して、目的以外を破壊せず、客席には危険が無いように。


(次はもっと頑丈なのを期待する)

 

 剣を振り下ろす。

 炎のように燃え上がる魔法の刃は、曲刀のような線を描き、ドラゴンの姿を全て光の中に呑みこんだ。



「終わったな」


 魔法剣を消し、軽く息を吐いてから言う。



 石像の姿はもう欠片も無い。

 三つの首も、手も、上半身も、翼も、下半身も、その尾や爪先に至るまで、全てまとめてユリウスが消し飛ばした。



 ユリウスの前に広がっているのは、破壊された舞台と無傷の観客席、あと呆然としているバティスタールと観客達だった。


 客席の壁に腰かけて自分は安全だと思っていたルナタラーラなど、自分の目の前にまで刃が迫ったためか、恐怖で気絶し客席の方に倒れていた。

 その素足だけが客席の方から生えているのが見える。



「は――――」


 バティスタールが、ドラゴンが居たところと、無事な客席と、そして何事も無かったような顔をしているユリウスへと視線を映す。


「は?」


 非常に間抜けな声を出した。



 しかし彼にとって都合の良いものなどほとんど無い。

 ユリウスは疲れていないし、これから負けるようにも見られていない。


「嘘だ」


 間抜けな顔がだんだんと現実を理解し、青ざめ、真っ赤になり、真っ白になり、頭を抱えた。

 

「僕の自信作がァーー!!!!」


 バティスタールもまた無事だ。

 魔法薬を使うのに自身の力を用いたわけではないから、特に疲れていない。


 ただ肉体的な疲労は無いが、精神的にはとても疲れていた。



「ふざけるなァ!! 君は、何をしたんだ! 平民のくせに平民のくせにッ! 君は何なんだ!」


 さっきまでの態度も何処へやら、必死に何か叫ぎ喚いている。


 なので、ユリウスはこう返した。



「俺はユリウス・ヴォイド。 生まれはヴィオーザ領のララウサ村。 父親の名はダリウス・ヴォイド、母親の名はペイレーネだ。 それ以上でも以下でもない、ごく普通の特筆すべき点の無い何処にでも居る平民の一人だ」

 

 自己紹介を済ませて、ユリウスは一歩前に出る。

 


「普通だとッ!? 君のような平民など居て――――そうだ、君は貴族の血を引いているのだろう!? でなければそうはならないからね!」

「どうでもいいことを聞くな」


 本当にどうでもいいことだった。


 今のユリウスにとって重要なのは、あの母の子であることと、師匠の弟子であり、アンジュの格好良い兄であること。

 それ以外の肩書きなど、問題ではない。


 

「そんな事より、次回からはより強力な個体にすることを要求する。 客席に落ちる時には、自壊し無害になるように改良しろ」


 前に出る。

 


「じ、次回だって? 何を言っているんだ、君は――」

「何もおかしくはない」


 より、前に出る。

 バティスタールへと近付いていく。



「薬が無ければお前は戦えない。 次回までに、更に強力なものを作ってもってくるといい」

「だから、次回って、まるで次もあるみたいな――」

「何を言っている、やるに決まっているだろう」


 更に、バティスタールに近寄る。



「ひっ……」


 ユリウスとしてはごく普通に近寄っているだけのつもりだが、バティスタールには違う何かが接近しているように見えたらしい。

 近くで見るバティスタールの顔は青ざめていた。


 なのでユリウスは、半ば期待を込めて尋ねた。



「それとも、まだ薬があるのか?」

「――!?」


 バティスタールは息を呑んだようだ。


「有るなら出せばいい。 今から飲んでもいい、実はお前自身にも戦闘能力があるということにしてもいい、器具があるなら錬成しろ。 お前が持つ手段、全てを出し尽くせ。 全て倒す」


 そして出て来たもの全てをユリウスが薙ぎ払う。

 全て、完膚なきまでに叩きのめす。

 敗北を認めさせる。


 そんな、簡単な話だ。



「お前が負けを認めるまで、俺は続ける。 降参と言いたくないなら、今すぐ飛び降りろ」

「なッ、は――や――」


 ユリウスが近付く。


 そうすれば、バティスタールは震えて一歩後ろに下がる。

 理解不能な生き物を見るような、そんな目だ。


 

「何が目的なんだ!?」


 バティスタールは叫ぶ。

 追い詰められた獣の悲痛な叫びのようだった。



「知っているんだぞ! ギード君は君に対し、酷く失礼だったのだろう!? 昨夜は色々あったようだが、それでも恨むならギード君だけのはずだ! なのに、何故僕にまで剣を向ける!?」

「俺の要求は、ギード・ストレリウスの治療だけだ」

「治療ッ!?」


 何故かバティスタールは『言っていることの意味が分からない』という顔をしていた。

 が、ユリウスは嘘や冗談など言ったつもりは無い。


 最初からユリウスの要求は一つだ。



「そっ、それだけなわけがない! でないと、わざわざ僕に喧嘩を売りに上がってくるはずがないだろう!?」

「俺の要求は、ギード・ストレリウスの治療だけだ」


 ユリウスはもう一度、同じ言葉を繰り返した。



「嘘だッ!!!」


 だというのに、バティスタールは信じない。


「何故理解出来ん。 俺がお前に嘘を吐く理由があるのか」


 ユリウスが近付けばバティスタールは逃げるように下がり、やがて舞台の端に行きつく。

 それよりも下がれば、舞台から降りてしまうことになる。


「ぼ、僕は、貴族だっ!」

「だからどうした」

「僕を脅そうって、算段なんだろうっ!?」


 貴族としてそんな事は出来ないと最後の意地を見せながらも、しかしバティスタールの両目には戦意など無かった。

 足は生まれたての小鹿のように、ガクガクと震えている。



「あっそうだ、君! 分かったぞ! 僕の『緑』が欲しいのだろう!? 『色持ちカラーズ』の座が欲しいから、そんな『魔女』のような振る舞いをするのだろう!?」

「そんなもの要らない」


 ユリウスはそう答える。

  

 欲しいのは師匠と同じ『黒』だけだ。

 他の色は、『赤』だろうと『青』だろうと『緑』だろうと『黄』だろうと『紫』だろうと『白』だろうと、何だろうと要らない。

 そして、今求めているのもそんなことではない。



「俺が要求するのはギード・ストレリウスの治療だけだ。 俺は『緑』に価値を感じない」

「ギード君に、こんな大袈裟な事をするだけの価値があるとでも!?」

「ある」

「いったい何の価値があるっていうんだ!?」


 

 ユリウスにとって――バティスタールの質問は、実にくだらないものだった。


 

「ギード・ストレリウスを俺の友達にするからだ、眠ったままでは友達に出来ない」

「は!?」


 ユリウスは大真面目だった。


 続けてユリウスはバティスタールを指さした。



「バティスタール=イシャーロ・ルブスタ・レグムダイル、お前も俺の友達にしてやる」

「は――――あああッッ!?」


 バティスタールは絶叫する。

 その悲鳴をユリウスは、喜んでいるのかと勘違いした。



(研究者であり芸術家の彼にとって、より上の段階に行くために使える頑丈な試験体が居ることは、魅力的なことだからな)


 つまり自分とバティスタールが友達になるのは、メリットばかりのことだと思っていた。

 何の問題も無い。


 ユリウスは練習道具が手に入り、バティスタールは実験台を手に入れることが出来る。

 なんと魅力的。

 双方に得しか無い、本当に素晴らしい提案だ――とユリウスは思っていた。



「な、何を言っているんだ! 君は! 君はァァァッ!?」

「何もおかしくない。 元より俺はこの学院の全てを――――」


 ちょうどいい、とユリウスは思った。



 この場にはほとんどの生徒が居る。

 教師も、暇なので来た職員も居る。

 誰もがユリウスに注目している。


 だったらユリウスの目的を、自分がどれほど友好的な存在なのか、全員に見せつける絶好の機会だ。


 誰にも勘違いさせない。

 間違った解釈など一切させない。

 昨日のギードのような思い込みなど、絶対にさせないために。



「俺はこの学院の全員と友達になる為に来た。 それ以上の目的は――無い!」


 堂々と高らかに、自慢げにユリウスは宣言した。




「は――そんなふざけた理由のために、君はこの学院に来たというのか……!?」


 血の気の抜けた顔でバティスタールが言う。

 何故か気力も無くしているようだ。



「その『ふざけた理由』とやらが無ければ、俺はこのような場所に来ようと思わなかった」



『師匠がそれを望んだ』。

 それが全てだ。


 以前も、今も、師匠に言われなければヴィオーザ学院に行こうなどと一切思わない。



 師匠が、ユリウスに友達を作ることを望んだから。

 そうすればユリウスにとって足りないものを埋めることが出来て、より強くなることが出来るから。


 それは師匠が、ユリウスに自分より強くなることを望んだのと同じだ。


 だったらユリウスは全力をもって友達を千人作らなければならない。


 

「そのために、俺は退学になってはならない。 お前が負けを認めるまで俺は続ける」


 バティスタールが、ユリウスの目の前に居る。

 手を伸ばせば届く位置。

 舞台端にまで追い詰められた、情けない虫のようである。



 窮鼠猫を噛むという言葉があるが――ユリウスにとって、バティスタール自身の強さはネズミにすらならなかった。



「そ、その程度のために……僕は、こんな、こんなッ……!」


 バティスタールの両膝はガクガクと笑っている。


 唇は震え、言葉すらまともに発せない状態らしい。


 少し――いや実に、情けない。



 それでもユリウスは構わなかった。


 師匠のために友達を一人でも増やせるのなら、相手の容姿や能力、身分、性格など大した問題ではない。

 そうすることで師匠が喜んでくれるのなら、なんでもやる。



「『その程度』。 だが俺には、命を賭けるに値する任務だ」


 そうバティスタールにだけ聞こえるような、とても低い声音で言う。

 


「お前には師匠の任務の素晴らしさがまだ伝わらないらしい――――残念だ」



 ユリウスは、柄杖を持っていない方の左手をバティスタールに見せた。

 無論、何の魔法も使っていない手だ。

 しかしバティスタールの視線は、そこに吸い込まれているようだった。



「や、やめろ、殺さないで――」


 バティスタールの目の前で、ユリウスは指を弾いて鳴らした。


 ただ鳴らしただけだ。

 魔法など一切用いていない、ただ鳴らしただけであるにも関わらず、バティスタールは緊張の糸が切れて白眼を剥いて後ろに倒れた。



 舞台から落ちて、芝生で覆われた大地に落ちかける。

 その前にユリウスはバティスタールの襟首を捕まえて、舞台の方へと引き倒した。


 無様に気絶し倒れたバティスタールを、淡々と見下ろす。


 相手は本当に戦闘経験の少ない人間だ。

『死ぬかもしれない』などと思ったことは、今までに一度も無いのだろう。


 だから、あの程度で気絶する。


 集中力があり、冷静で戦い慣れた者には一切通用しない手だった。



「俺は殺しなど好まない、好んだことも無い。 ……くだらない事を言うな」


 誰かを殺すなど、考えるだけで、思い出すだけでとてもおぞましい。

 ユリウスには、そのせいで肉を一切食えなかった時期もあるというのに。


 

 ユリウスは魔法剣を消した。

 もう必要は無い。


 舞台の上に立っているのはユリウスだけだ。



 ユリウスは第三グラウンドを見渡す。


 大勢の観客が居るにも関わらず、妙に静かだ。

 もしかすると、ユリウスの堂々とした宣言に聞き入っているのかもしれない。


 その中からユリウスは、ようやく気絶から立ち直って起き上がったルナタラーラを見つける。

 頭を少し打ったらしく頭を抑えていた。


「ルナタラーラ=ノクス・ナイト・アースモデール」

「はっ、ひゃいっ!!!!」


 ルナタラーラの背筋が伸びる。

 ついでに背中の翼も激しく伸びた。



「見ての通り、バティスタール=イシャーロ・ルブスタ・レグムダイルは気絶している。 これ以上の戦闘は不可能だ。 勝者はどっちだ」

「ハイッ! ハイッ!!! 勝ったのは貴方で――」


 ルナタラーラは我に返り咳払いをする。

 そしてしっかりと立ち上がり、マイクを持ち構えた。


「バティスタールくん、気絶! 続行不可能とみなして、ユリウス・ヴォイド君の勝利!!!」


 歓声と拍手が上がる。


 主に普通科の生徒からだ。 貴族科の生徒は何とも言えない顔をしている。

 それでも、この場に居る人数からは考えられないほどの小さな歓声だった。



 勝てばもう終わりだ。

 バティスタールの顔面をひっぱたいて無理やり起こしてもいいが、そこまでするほどユリウスは非道ではなかった。



「アハハッ! 君ってすっごーーーく強いね! 顔も可愛いし、ほんっっっとうに、ボク好み!!」


 さっき気絶していたくせに、ルナタラーラはマイクを持ったままユリウスの方に飛んできた。

 無理やり腕を絡ませて男の薄い胸を押し立て、しなを作り寄ってくる。



「ボク……君の強さにドキドキしちゃった。 ほら、ボクの胸がドキドキしてるの聞こえる? 君が強いせいだよ?」

「そうだな」


 事実なのでユリウスは答える。

 ユリウスの腕ごしにルナタラーラの鼓動が伝わってくるが、それより先の感想は無かった。



「ねえねえ、ボク専用の騎士にならない? 椅子なんかじゃなくていいよ、ボクだけの騎士様になってよ、ねっ? いいでしょ? 良い思いさせてあげるよ?」


 やたらと甘い声だ。

 誘惑されている、というやつだろう。


 ルナタラーラは男だが、見た目はどう見ても可愛らしい少女のそれだった。

 ユリウスを見上げる視線も、甘える様子も、身に纏う香水も、何もかもが甘ったるい。

 そういうのに弱い人間だったら一発で陥落してしまうだろう。



「お前専用の騎士になるつもりは無い」


 そうユリウスは冷たく言い切って、ルナタラーラの腕を振り払った。



「それよりバティスタール=イシャーロ・ルブスタ・レグムダイルが目覚め次第、すぐ治療に向かわせろ」

「うわー色気も無いね君。 ふんっ、いいもんいいもん! 断ったこと、後悔させてあげるよ!」


 どうもルナタラーラは諦めるつもりが無いようだ。

 てっきり冗談か何かだと思っていたが、そうではないらしい。


 ユリウスにすげなく扱われたルナタラーラは倒れているバティスタールに近寄ると、爪先で蹴る。



「せっっっっかく、このボクが介添人をやってあげたっていうのに、良いところ一個も無かったじゃん! そんなのじゃヤー君にまた『名前忘れた』とか言われちゃうぞぉ!? ほんとダッサ! 敗北者! 負け犬!」


 爪先で蹴ってはいるが、本気では無いらしい。

 吸血鬼の末裔である彼の腕力は普通以上なので、随分と手加減をしているようだった。

 それでもバティスタールは起きる様子を見せない。


 ユリウスはそんな彼らに構わず、さっさと舞台から立ち去った。



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