第23話 師匠の椅子になる方が望ましい



 昼を過ぎた六の刻は夕方を示している。

 日のまだ完全に沈みきらない空の色は太陽の赤と夜の青に分かれていた。


 その下にある第三グラウンドは、昨夜のことが嘘のように修繕されている。



 舞台は大観衆に囲まれていた。

 昨日は二度も魔法決闘を行ったが、その時に集まった人数の倍を越えている。


 どうもほとんどの生徒と一部の教師が見に来ているようで、極めて賑やかに感じられた。

 貴族科や普通科を問わず客席に座っているのがよく分かる。

 


 ユリウスが現れれば、観客の視線が一気に集まる。



「怪我しないでねー」

「一年生ー! 精々がんばれよー!」

「バティスタール様に喧嘩を売った平民ごときが!」

「どこの生まれだ!」

「恥を知れ!」

「バティスタール様ー! どうか生意気な平民に無様な敗北を!」



 どうやら、ずいぶんと歓迎されているようだ。

 ユリウスには緊張などまるで無く、視線が集中する中で堂々と舞台に登った。


 この反応を好意と嫌悪に分けるなら、後者の方が多いだろう。



 なんといってもユリウスは学院に来たばかりの新参者、名など誰も知らない。

 反対にバティスタールは所領貴族の子で四年生、そして『緑』である。


 だったら後者を応援したくなるのも仕方ない。


(俺は此処に居る彼ら全員と友達にならなれけばならない。 師匠との約束だ)


 無論、バティスタールとも友達になる。

 そう思うと、この観衆に驚いている暇も無いのである。

 


 その為にまず必要なのは関心。

 ユリウスに興味すら持っていない人間とは友達になる事は難しいが、関心を持たれているのなら評価を変えることが出来る。

 なら、今の状況は悪いものなどではない。



「来るのがずいぶんと遅かったね、貴族を待たせるとは本当に無礼な奴だ」


 先にバティスタールが待っていた。


「てっきり学院から逃げ出す準備をしていたのかと思っていたよ」

「そんな必要は無い」


 ニヤリと笑うバティスタールにユリウスは答えた。

 遅れた理由の一つはフランシスと話していたせいなのだが、そこは別に言う必要も無いだろう。



「そういうお前こそ心の準備は出来ているのか」

「バティスタール様に向かってなんという口を!」

「どこの馬の骨とも知れぬ平民のくせに!」

「どうせ卑しい血をひいているに決まっている!」

「バティスタール様に謝りなさい!」


 ユリウスが口を開けば、バティスタールの代わりに客席から散々な声が響いた。

 貴族科だけかと思えば普通科の生徒も含まれているらしい。


 そんな彼らを、バティスタールは片手をあげるだけで黙らせた。

 

 しんと静まった第三グラウンドで、指揮者のようにバティスタールは立っている。



「――――君がどのように愚かな育ち方をしたか、想像がつくよ。 実に可哀想だ。 平民相手とはいえ、同情するね」

「お前が俺の何を知っていると?」

「分かるとも」


 バティスタールはユリウスを煽るように口の端をつり上げて笑う。



「この学院には、少し才能があった程度で天才だと褒め称えられた平民達がやってくる。 そしてそんな平民達は思い知るのさ。 この学院には歴史と血筋と身分――――そして才能という絶対にして至高の壁がある、とね」


 バティスタールは両腕を広げ、観客達に問いかけた。



「ああ皆、どうか彼を責めないでやってくれ! 彼は愚かで無知な周囲の人々におだてられ、思い上がってしまったのだ! だから貴族を敬えない! 己の分も弁えられない!」

「その通り!」

「バティスタール様!」

「なんてお優しいのかしら!」


 拍手が舞台に響く。


 決して全員によるものではないが、どうやらバティスタールはとても人気のようだ。

 特に貴族科の生徒達の中には、バティスタールの慈悲深さに感銘を受けているのか先程から何回も頷いているのも居る。


「彼は痛みをもって知るだろう! この世には、真の天才というものが存在すると! 努力ではどうやっても覆せない壁があると! 僕は彼に、ようやく本物の教育というものを与えてあげようじゃないか!」

「おおおお!」

「バティスタール様! バティスタール様!」

「バティスタール様! バティスタール様!」


 万歳が響き渡る。

 それをバティスタールは気持ち良さそうに浴びていた。


 今まさに彼は、この場での主役そのものだった。



「……演説は終わったか?」


 少し待ってからユリウスは尋ねた。

 機嫌が良いらしいバティスタールは、この発言にまるで怒ることなく鷹揚にユリウスを見る。



「まだ己の惨めさが分からないのかい? これだから育ちの悪い平民は……」

「悪い育ちを受けた覚えはない」

「悪いからこそ、今そこに立っているんじゃないか」


 やれやれ、と言わんばかりに溜め息混じりでバティスタールは首を振る。

 客の貴族達も笑っているようだ。


「貴族が貴族たる所以は、その尊き魔法の才、その血脈だ。 君が普通科で何をしようと所詮は平民の範疇。 貴族の血統すら持たない君が、僕に勝てると思ってしまったのがそも間違いなのだよ」

「そうか」


 ユリウスはただ頷いた。


 母しか血縁を知らないユリウスは、自分の血筋がどうなっているのかもよく知らない。

 貴族風に言うところの卑しい血筋なのか、その正反対なのかも分からなかった。


 人間以外が混ざっている可能性も全く否定出来ないばかりか、確実に入っていると思っている。



 そんなのだから実はバティスタールより貴い血筋なのかもしれないし、ごく普通で平凡なのか、それ以下なのかも分からない。

 なのでバティスタールが言っていることは、なんとなく他人事のように聞こえていた。



 そんなユリウスの反応が気に入らないのかバティスタールは鼻を鳴らす。

 


「さぞやくだらないものに囲まれ、思い上がりを訂正されなかったのだろう。 つまらない血統、劣悪な教育、ひなびた田舎、卑しい親、無知な教師――――」

「お前の妄想はいつまで続くんだ」


 聞いていて煩わしくなり、ユリウスは口を挟んだ。


「俺を傲慢だと思いたいならそうすればいい、お前の自由だ。 しかし育った環境にまで妄想をするのは止めておくことを勧める」

「妄想? 事実、の間違いじゃないか」

「…………」


 ユリウスは黙る。

 事実だからではなく、ただ言葉も無いだけだ。



 この国では、貴族とはすなわち魔法使いとしての才能を持つ家系ということだ。

 魔法の才能の無い貴族は貴族にあらず。 領地を持てばそこを治める能力も問われるが、領地経営そのものよりは魔法の方が重視される。

 能力ある平民は養子や叙勲、婿入りなどで貴族になる。


 よって、貴族から見れば平民とは『才能が無い底辺』に映るらしい。



 師匠の方がそこらの貴族より強いのに、ただ平民というだけで理不尽に見下される。

 第四魔法騎士団は堂々と魔法騎士団所属だと言えないので、師匠の身分は本当にただの平民としか思えないようだ。

 貴族でなくても、貴族の血を引く名家の平民も似たような感性である。



 なのでバティスタールのこの態度というのは、今更問題にしなければならない程珍しいものでもなかった。

 ユリウスが何を言ったところで治らないだろう。



「お前の愉快な妄想はよく分かった。 しかし全ては決闘が終わってみれば分かることだ」

「……ふん、実につまらない平民だ。 平民というだけで腹立たしいのに、特に君達みたいな生意気な目をして反抗的で貴族への敬いを欠片も持たない愚か者を見ていると本当に苛々するね――」


 時計塔が六の刻を知らせる鐘を鳴らした。



「――今更泣きわめいても、もう遅いよ」


 バティスタールは上を見上げる。

 正確には客席の、特に貴賓席と呼ばれる部類のバルコニー席だ。


 そこにはフランシスが居て、こんな状況でも楽しそうに上から眺めている。

 バルコニー席にはフランシスの他にも観客が居るようだが、前に出て来るつもりは無いらしい。



「フランシス様、もう時間ですよ。 決闘を始めましょう」

「そうですねー」


 とても呑気に上から手を振っていた。

 これから魔法決闘が始まるとは、その介添人をやる人間の態度とは思えない。


 全く同じような事を思ったのか、バティスタールは不思議そうな顔をする。



「……フランシス様が介添人ですよね?」

「私ではありませんよー」

「え?」


 バティスタールは何故か驚いていた。

 てっきり彼はその辺りのことを把握しているのかとユリウスは思っていたが、バティスタールすらよく知らなかったらしい。



「貴方でないなら……誰が介添人を? メリソンですか?」

「ボクだよ!」


 高い声が響いたかと思えば、照明の光が全て消えた。


 夕方の光があるとはいえ一気に辺りは暗くなる。

 何も知らないのか、問題があったのかと観客から騒ぎが聞こえた。


「こ、この声……」


 バティスタールはとても嫌そうな顔だ。



 照明が全て点灯する。

 しかし照らしている先は舞台ではなく、幾つかあるバルコニー席のうち一つ、その屋根の上だ。


 そこでは女子制服を着た小柄な人影が、何やら片手を軽くあげ足を軽く組んだポーズを作り立っていた。

 金髪を二つ結びにしている人物だ。

 手にはマイクを握りしめ、意味ありげに目を閉じている。


 全ての照明は、このたった一人を集中的に輝かせていた。



「会場にお集まりの皆様ぁ――――待たせたね!」


 勢いよく両目を開いたかと思えば、屋根の上から颯爽と飛び降りた。


 着地に失敗すれば骨が折れる程度では済まない距離だ。

 なのに飛び降りることに一切の恐怖は無く、そして魔法を使う気配も無い。

 その勇敢すぎる行為に、短く悲鳴をあげる生徒も居た。



 その背から、皮膜のついた一対の黒い翼が飛び出る。

 華奢な体より大きな翼で宙にはためけば、落ちる速度は一気に遅くなった。


 滑空のように降りてくるその姿を照明が追う。

 踵の高い靴で華麗に舞い降りると、その人物はまた違うポーズを取った。



「出身はアースモデール領、身長は百六十一、体重はナイショ! この魔法決闘の介添人やっちゃうよ! 皆に愛され『黄』の、ルナタラーラ=ノクス・ナイト・アースモデール、でーす!」


 高い声を張り上げた。

 まるでこの場の主役だと言わんばかりである。


 今から魔法決闘を行うというのにこの態度、登場、飾りをいくつも身につけた可憐な容姿。

 全てがこの真面目で緊張した空気に合うものではない。



 いかにこの人物が貴族科であろうと非難されるのでは、とユリウスは思った――――。



「きゃー! ルナちゃんかわいー!!」

「ルナちゃーん!」

「今日も一段と可愛いー!」

「ルナちゃん様ー!」

「うおおおおおおーーー!!!!」

「こっち向いてくださーーい!」



 どうも、大歓迎されているようである。


 突然現れたにも関わらず、ユリウスより遥かに大人気だ。

 男女どころか貴族科と普通科すら問わず歓声があがっている。



「うっわ、皆もしかしてボクの登場の方に興奮してない? キャンキャン犬みたいに騒いじゃって、主役の二人がカワイソーじゃん」


 高い声で、生意気な物言いをする。

 これでは全員からの反感を買うのではないか、とユリウスは思った。


「ま……ボクは、すっごく可愛いもんね!」


 片目を閉じて、軽くポーズを決めて、客席に笑顔を振り撒く。

  


「きゃーーー!」

「ウッ!」

「ルナちゃん様のウィンクは響くぜ……!」

「ルナちゃーーーん!!」


 物凄い人気だ。


 ただ片目を閉じただけで、何やら最前列に居た生徒達は胸を抑えたり鼻を抑えたり顔を真っ赤にしたりと、色々である。

 他にもただの光る棒を取り出したり、頭に鉢巻を巻いたりと、謎の行為をしている生徒まで居るようだ。



(……何らかの呪いや魅了の魔法を撒き散らしているのだろうか)


 そうとしか思えない有り様だ。



「あーあ、たかがウィンク一つでそのザマ? ダッサ! ねえねえー? 此処から先のボクのサービス、着いてこれますかぁー?」

「着いていきまーーーーす!」

「どうか踏んでくださーーーーい!!!」

「うおおおおおおまだ死んでたまりますかーーーー!」

「ルナちゃん様ーーーー!!!」


 一人現れただけで、一気にこの場の空気が変わった。

 この人物がマイクを客席に向けたり、舞台を跳び跳ねたり、それだけで客席は熱狂する。


 おそらくとんでもない事だ。

 これから本当に魔法決闘が始まるとはとても思えない。


(ルナタラーラ=ノクス・ナイト・アースモデール……アースモデール家のことは、多少は知っているが……)


 何よりユリウスはこの人物を見て、多少、それなりに、動揺していた。



 この国には幾つも名家があるが、その中でもやや特異な存在の家のうち一つがアースモデール家だ。

 北の高山に領地を持つこの家の最大の特徴といえば、その先祖に人外の存在を持つことだった。


 俗に吸血鬼と呼ばれる類の血と精を吸う精霊と、アースモデール家の先祖が結婚した結果、その子孫の多くが魔法の才能に恵まれ長寿かつ小柄。

 結婚は何百年も前の話であるが、あの家の代として数えればたったの四代ほど前の話である。



 が、ユリウスが動揺した一番の理由はそこではなかった。



「なんっで、君が介添人をやるんだい……? 君じゃなくてもいいだろう!」


 この場で珍しい系統の反応をし、バティスタールは慌てて指さす。


「えー? こんなに可愛いボク以外の何処に、適任が居るっていうのさ?」

「メリソンでいいじゃないか!」

「メリソン君は照明係だからダメでぇーす。 そんなこともわっかんないの?」


 手にしたマイクで音声が拡散される。

 一つ一つの動きが挑発的かつ愛嬌を誘発するものだ。

 指を鳴らせば照明が元に戻る。



「それにぃ、これって『色持ち』の魔法決闘でしょ? だったらこの――現『色持ち』で最も可愛くて愛嬌と人気がある、『黄』のボク以外に、相応しい者など存在しないよ! もっと喜べば?」


 そう言った生徒――ルナタラーラの胸には貴族科四年生を示す記章以外にもう一つ、黒リボンと『黄』の記章があった。

 間違いようもなくこの人物は現『色持ち』であり『黄』である。


「はじめまして」


 スカートを翻し、バティスタールのことなど放置してルナタラーラはユリウスに話しかけた。

 


「ボクがルナタラーラ=ノクス・ナイト・アースモデール――ってさっき名乗ってあげたけどね! 君が本当に優秀なら、さっきの一回だけで当然ボクのこと覚えてくれたよね?」

「ああ」

「わあ! うれしいー! ボクのファンがまた一人増えちゃったねぇ!」 


 確かに愛嬌のある人物だ、人気があるのも分かる。

 しかしユリウスにとってはそれ以上のものではなかった。

  

 そんな淡白な反応にルナタラーラは、わざわざ下から笑みを浮かべて覗き込んできた。



「一つ、質問してもいいか」

「うん、何が聞きたい? 行きたいデート先? 今此処で歌ってほしい? 踏まれるより詰られたい派? ちなみにボクが一番好きなのは血のように赤い柘榴石ガーネット、今一番欲しいのは――――」

「そんなことに興味は無い」


 ユリウスは首を横に振る。



「ルナタラーラ=ノクス・ナイト・アースモデールは男だと聞いていたが、お前は男ではないのか?」


 大真面目に、ユリウスは聞いた。



 ルナタラーラ=ノクス・ナイト・アースモデール。

 もちろんその有名な家のことはユリウスも知っているし、そしてその家のが今の『黄』であるということも知っていた。



 しかし目の前に居るのはどう見ても女子である。

 肉付きを見れば華奢で細身の男子に思えるが、その服装や雰囲気、言動は完全に女子だった。


 少なくとも男であることを隠していないフランシスと並べば、ずっと女子に見えるだろう。



「愚問だね」


 そう言ってルナタラーラはその場でくるりと回る。


 その足さばきに体幹、指先の動き、髪のなびき方や視線、表情の一つをとっても全てが計算されつくしていた。

 自分を愛らしく見せるための鍛錬を欠かしていないのだろう。


 それからルナタラーラはユリウスの前で立ち止まり、愛想よく微笑んだ。



「こーんなに可愛い子が、女なわけないでしょ? 男だよ!」

「…………そうか」


 納得してユリウスは頷いた。

 元々魔法の才能を重視する社会なので他国より男尊女卑の感性は薄い方だが、それでも女の権力が男より圧倒的な家の方が少ない。


 アースモデール家は、そんな女の方が強い家だった。

 代々の当主は女。 婿を入れても女しか生まれない、嫁に出しても女ばかり生まれるという凄まじい女系家族だ。


 その中で奇跡的に生まれたルナタラーラは現在唯一の男子なのだが、しかし本人の見た目はどうも女に見える。

 なのでユリウスの勘違いかと思っていたが、そうでもないらしい。

 


「ボクみたいに可愛い子が可愛い服を着ないなんて、それこそ世界に対する大きな損失じゃないか。 ねえ客席の皆ー? ボクって可愛いでしょーー?」

「もちろーん!」

「当り前でーす!」

「見る目が無いのか平民め!!!」

「ルナちゃん様はどんな服でも可愛いです!!!」


 ルナタラーラが呼びかければ、客席から全力の返事があった。

 ユリウスの質問はとんでもない愚問だったようだ。



(そういう事もあるか……)


 本人が着たいのなら良いのだろう。

 周囲も喜んでいるようなので、止める方が無粋に違いない。



「君も、ボクのこと可愛いと思うでしょ?」

「一般的な感性に従えばそうだ」

「君がどう思うのかって、話が聞きたいんだけどなぁ?」


 そう言ってから、ルナタラーラはニィと笑った。

 

「ボクはねぇ、君みたいな子、大好きだよ? 全部可愛いもん」


 下から覗き込んでいるはずなのに、まるで上から激しく見下されているかのようである。



「その白い髪も、南生まれの黒い肌も、真っ赤でキラキラ綺麗な目も、反抗的な態度も、無愛想な顔も、他人に尊厳を踏みにじられたこと無さそうな性格も、いつも自分は高いところに居ますっていう上から目線も、ぜーんぶぜーんぶ、大好き」

「誰の話だ」


 容姿の話以外、ユリウスには身に覚えのない話だった。

 そんなことに構わずルナタラーラは続ける。



「そんな君を、踏んで蔑んで蹴って首輪で繋いで叩いて調教して屈服させて『どうかこの卑しいブタを踏んでくださいルナタラーラ様』って、屈辱的に情けない声をあげさせたいなぁ! アハハッ!」


 とても楽しそうだ。

 脳内ではそういう事になっているユリウスの姿が展開されているのだろう。



「ねえねえ、退学になったらボクが飼ってあげよっか? ボク専用の椅子にしてあげよっかぁ、おザコちゃんでも椅子代わりにはなるでしょ?」

「その妄想は無意味だ」

「えー? 君みたいな変な奴の引き取り先が、もうあるっていうの? 無いと思うけどなぁ?」


 ルナタラーラは好き勝手なことを言ってクスクスと笑う。 



「俺には師匠が居る、退学の暁には師匠の元に喜んで戻るまでだ」

「それって、ボクより魅力的だっていうの?」

「お前の椅子になるより、師匠の椅子になる方が望ましい」

「うわ生意気! ほんっと、君みたいな奴、ボコボコに泣かされちゃえばいいんだ!」


 自分は好き勝手な事を言うくせに、言い返されるのは嫌なようだ。



(ベアトリス=アルマ・フェイタ・アードラーが言っていたが……確かに、対価として何を要求するのか分からない人物だな)


 おそらくは相手に屈辱的な思いをさせることが大好きなのだろう。

 やたらと挑発的な態度を取るのも、怒りを誘発させたいらしい。


 つまり今の言動もユリウスを怒らせようとしているもの、だと思われる。


(今の『色持ち』には借りを作らない方がいいと。 どうやらその通りらしい。 残りの面々にも不安がある)


 そう思ってからユリウスはフランシスのことを考えた。


 ベアトリスの発言を真に受けるのであれば、彼もまた『借りを作らない方がいい』人間らしい。


 彼の目的は何なのだろう。

 ユリウスの今のこの状況もまたフランシスの思い通りで、その借りを作らない方がいい理由になっているのだろうか。



「そも俺は負けない、よって退学にもならない。 その就職先は、他の者に与えればいい」


 別にルナタラーラがどういう趣味をしていようと、ユリウスにはどうでも良かった。

 必要なら椅子でも犬にでもなる、首輪をつけられて牢屋に放り込まれたところで構わない。

 

 しかし今はどうでもいい。

 何の魅力も感じない、何の意味も無い勧誘である。

 


「これ以上の会話に意味は無い。 今すぐ魔法決闘を始めろ、介添人」

「そうだルナタラーラ! お前の、その貴族としての品性も無い話なぞ聞きたくもない! いいから始めたまえ!」


 放置されていたバティスタールも怒って指をさす。

 同じ貴族でありながら、ルナタラーラの感性とバティスタールの感性は違う方を向いているらしい。

 


「はー、これからどっちかが惨めな負け犬君になってしまうっていうのに。 少しは幸せな夢を見せてあげようとしたボクの優しさを無下にするなんて、つまんない男どもだよ」


 二人に言われてルナタラーラは頬をリスのように膨らませた。


 皮膜のついた黒い翼を広げて、高く飛び上がる。

 かと思えば客席と舞台を区切る壁に腰かけ、足を組む。

 


「それじゃ皆、煽り耐性無さすぎよわよわザコザコのバティスタール君と、ボクの椅子候補のユリウス君の、魔法決闘をはじめまーす!」


 マイクで声を全員に聞かせる。

 これを聞いて、ようやくかとばかりに声があがった。



「バティスタール君が勝ったらユリウス君は入学二日目にして退学でーす。 ユリウス君が勝ったら、バティスタール君は治療に全力尽くして、あと『今すぐ治療しなかったボクは実に愚かなクソ野郎です』って全力で土下座しまーす!」

「勝手に付け加えるんじゃない!」

「大体合ってるじゃん」


 でも、とルナタラーラはユリウスを見て挑発的に笑う。


「バティスタール君って強いからさぁ、君みたいな平民がちょっとイキった程度で勝てるわけがないんだよねぇ? 平民は平民だから平民なの。 誰を見習ってるのか知らないけど、平民らしく大人しくしてれば惨めなことにならずに済んだのにねぇ?」

「そうか」


 ユリウスは、それだけ言って頷いた。


 煽っているつもりなのかもしれないが、ユリウスにとっては大して響かない言葉ばかりである。

 怒る気にもならない。

 そもそも、今までで怒ったことが一度か二度ぐらいしか無いのだが。



 ユリウスは杖を取り出す。


 もちろん使い慣れた柄杖だ。

 それ以外を使う理由など無いし、まず杖は師匠に買ってもらったコレしか持っていない。



「あれ? 柄杖?」


 昨日この学院に来てから柄杖のことを指さされてきたが、ルナタラーラもバティスタールもユリウスの杖に注目した。



「へえ、君も柄杖使いの平民か。 魔法騎士の真似事かい? それとも貧乏なのかな?」


 バティスタールが笑う。

 確かに魔法騎士の杖といえば柄杖、他の人間はまずこれを持たないので、彼の認識は何も間違っていない。


「やったねバティスタール君! 柄杖使いの生意気な平民をぼっこぼこに出来るよ!」

「ふん、こいつを叩きのめしたところで何も慰められないよ」


 二人の会話の意味はユリウスにはよく分からなった。

 おそらくは以前にも柄杖を使う平民が居て、バティスタールが酷い目に合わされたのだろう。



「じゃ、開始を宣言しちゃうよ? どっちかが敗北を宣言するか、気絶などの続行出来ない状態になるか、あと舞台から落ちたら終わり。 簡単に終わったら、つまんないからね?」


 ルナタラーラは片手を挙げる。

 まだ三度目だが、魔法決闘の開始には平民でも貴族でも差は無いらしい。

 周囲が一気に静まる。



「血よりも深く、水よりも清らかに――決闘、はじめ!」


 手が振り下ろされた。




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