第13話 それもご存知でない?




「はじめまして、ユリウス・ヴォイド君」

「…………」

「そしてこっちです」


 銀髪菫目の女のような美青年、フランシスはユリウスの反応などまるで気にせず、微笑を浮かべて手招きをした。

 その手招きの仕草すら舞台じみて優雅だ。 指先の動きだって洗練されている。

 

 そしてユリウスの返事を待たず、フランシスは背を向け勝手に歩きだした。

 何が目的だか不明だが、ユリウスはその後に続いて歩く。



(……フランシス=ルシエ・サン・セルヴェンドネイズが俺に何の用事だ?)


 ユリウスはフランシスの、華奢な体を見ながら警戒する。



 ユリウスは今まで、一度もまともに会ったことがない。

 彼の父親である公爵だって遠目に見た程度で、やはり直接話しかけられる理由も無い。

 これが師匠ならともかく、その師匠のごり押しによるオマケのような扱いで第四魔法騎士団所属になったユリウス自身には、用事など無いだろう。


 

 だがフランシスには、何らかの明確な目的があるらしかった。


 

(フランシス=ルシエ・サン・セルヴェンドネイズ……多少は噂を聞いている。 セルヴェンドネイズ公爵家の長男でありながら、弟に次期当主の座を奪われた『悲劇の長男』だ)


 フランシスは多くに恵まれた生まれでありながら、生まれつき身体が弱かった。

 反対に彼の弟、ヴィクトルはとても健康らしい。

 何より肝心の魔法の才能すら弟に劣ってしまったという。


 そのせいで名家の長男でありながら、次男にまんまと当主の座を奪われてしまった悲しい存在だ。

 しかも『長男』であるせいで扱いに困り、卒業すればさっさと家を追い出され、別の名家の娘の元に婿入りすることが幼少期から決まっている。


 彼の噂には、どれも『可哀想な』が付いていた。

 


 ちなみにフランシスの弟であり次期公爵家当主である次男ヴィクトルはユリウスと同年代で、同じ一年生としてこの学院に在籍している。

 普通科に居る限り会うのは難しいが、そのうち会えるだろう。

 こちらはこちらで有名人だ。


(そんな彼が俺に何の用事だ?)


 ユリウス側はともかく、向こうにはユリウスに会う理由が無い。

 しかし向こうはユリウスの名を知っている。



 大人しく後をついていけば、フランシスはすぐに立ち止まった。

 

「貴方なら、こちらにも興味があるのではありませんか?」


 そう言って手で示したのは、壁に埋め込まれた、ユリウスより背の高く大きな七つの薄い石板だった。

 経年劣化しにくいという貴重なエルミラ鉱石で作られたもの。

 

 他のトロフィー等よりも年季は感じるが、やはりよく磨かれている。

 そして明らかに他のどんなトロフィーよりも大切かつ重要なものであるようだった。


 七枚それぞれの上部には『赤』や『緑』の飾りがあり、そして板には何十人もの人間の名前が彫りこまれていた。



「…………?」


 彫られた名前の幾つかにはユリウスも覚えがある。

 おそらく歴代の卒業生達の名であり、かつ有能な人物として歴史に名を残した人々だ。


 中には今も魔法騎士団に所属しユリウスもよく知る人間や、高名な貴族の名もある。

 ほとんどが貴族だが、平民もちらほらとあるようだ。



「見てほしいのは『黒』ですよ」

「『黒』?」


 意味が分からない。

 おそらく肌や髪の色が黒という意味ではなく、石板の色のことだろう。


 言われて、『黒』の方を見る。

 こちらもやはり錚々たる名が連なっていた。


 一番上から眺めて、とある名を目にしてユリウスの動きは止まる。

 

「…………」

 

 そこには、ニーケ・アマルディの名が刻まれている。

 間違えるわけがない。 師匠の名だ。


「これは…………何だ?」


 トロフィーでも賞状でもないらしい。

 しかしおそらく、何らかの共通点をもった歴代の生徒の名前だろう。

『黒』の上部にある名前の人物が生きた時期と、師匠が学院に居ただろう時期は一致していなかった。



「この学院には『色持ちカラーズ』と呼ばれる、特に優れた七人の生徒に送られる称号があります。 ここに並んでいるのはその中の一つ、『黒』を得てきた人々の名前ですよ」

 

 そう言ってフランシスは、自分の胸元にある黒いリボンの記章を笑顔で指差した。


 貴族科にあんな黒いリボンは無い。

 黒いリボンの中央には、黒い石の飾りが施されている。


 ユリウスが『黒』の石板の最も新しい名前を見ると、そこには確かにフランシスの名前が刻まれていた。


「つまり……つまりお前は、師匠と同じ称号を持っていると?」

「はい。 昨年から『黒』を拝命しております」


 フランシスは笑顔で頷いた。

 この時、ユリウスの中では本人にも名状しがたい複雑な感情があったが、顔には一切出ることはなかった。



「ああ良かった、貴方がこれに興味が無かったりするのではないかと、少し不安になっていました」

「そんなわけがない。 師匠についての情報を知ることが出来て良かった、感謝する」


 ユリウスは答える。

 答えてから、自分の会話のおかしさに気が付いた。


 ユリウスはフランシスと話すのが初めてだ。

 しかし名を名乗った覚えも無いのに、フランシスはユリウスを知っている。


 その程度ならまだいい。

 ユリウスは遅刻し今日来た新入生で、更には魔法決闘までやったばかりだ。

 多少有名になり知られていても、特におかしくはない。



 が、フランシスは師匠のことまで知っているらしい。

 ユリウスはまだ一度も、この学院の誰にも師匠の話をしていない。


『ユリウス・ヴォイド』などという人間は、つい先日までは存在していなかった。

 そしてこの人物とニーケ・アマルディの間には一切の接点が無い。


 

「……お前は何を知っている?」


 ユリウスは警戒しながらフランシスを見る。




 ユリウスは確かに、ニーケ・アマルディに送られたトロフィーなどを見ていた。

 だが、そんな理由でユリウスとニーケの関係性に気付くわけがない。

 せいぜい『もしかしたら知り合いかもしれない』と思う程度だ。


 何が目的か知らないが、必要以上の情報を握っている相手に警戒しないわけにはいかない。


 そんなユリウスの警戒を知ってか、フランシスは微笑みを浮かべる。



「私が知っているのは、貴方の名前と貴方のお師匠様のこと、それと――貴方の所属。 それぐらいですよ」

「…………」


 どうも、色々知っているらしい。

 この学院の、たとえばジョージ達などでは知る由も無いような情報すら。



(フランシス=ルシエ・サン・セルヴェンドネイズ……その立場上、第四魔法騎士団の存在を知っていてもおかしくはない)


 だからと言って、第四魔法騎士団に所属する個人の人間まで知っているのは妙だ。



 全ての魔法騎士団を纏める頂点は確かに五大名門の人間が代々務めているが、それはセルヴェンドネイズ公爵家ではない。


 セルヴェンドネイズ家は名門中の名門だ。

 しかし第四魔法騎士団の構成員は知られていない。

 ユリウスだって、仮にジョージやギードが第四魔法騎士団の人間だったとしても、本人に言われなければ気付かないだろう。


 が、目の前のフランシスはそれを知っている。

 明らかにおかしい。


 

 そして仮に彼が『エドゥアル・アマルディ』を知っていたとしてだ。


 セルヴェンドネイズ公爵家が知っているのはそっちであって、それと『ユリウス・ヴォイド』が繋がるはずがない。

 そうなるように『ユリウス・ヴォイド』の存在は作られたはずなのだから。


 ユリウスは更にフランシスのことを警戒した。

 それを見て色々と悟った風に、フランシスは分かりやすく肩を竦める。



「私の事を知っているのなら、私の婚約者が誰なのかもご存知でしょう?」

「エルフリーナ=サーラ・リスタツェ・ヴィオーザだ」


 ユリウスは迷うことなく答える。



 フランシスは、王家とも繋がりが強いセルヴェンドネイズ公爵家の直系にして長男であり、しかし当主にはなれなかった存在。

 そんな高貴すぎた存在を受け入れたのは、同じく五大名門であったヴィオーザ侯爵家だった。


 五大名門の一角、この学院の創設一族のヴィオーザ侯爵は、もちろん金の面でも権力の面でも絶大な力を持っている。


 エルフリーナといえばそんなヴィオーザ侯爵家現当主の一人娘で、この学院の学院長のたった一人しか居ない孫娘。

 つまり、将来的にはヴィオーザ侯爵となり、絶大な力を受け継ぐことが確約されている少女ということになる。


 ユリウスが彼女について聞いている噂はどれも好意的で、容姿端麗であり入学の成績は一位、魔法の才能には何の欠点も無く、人格すら貴族令嬢として完璧だそうだ。


 師匠ニーケが彼女について『教科書通りに完璧な優等生のお嬢様らしいわ』と言っていたのをユリウスは覚えている。

 それほどまでに出来の良い人物なのだろう。



「彼女はこの学院の生徒、教員と職員の名前などを全て把握しています。 私にもある程度は情報を共有してくれるので、貴方のことも知っているのですよ」

「しかし俺の情報は秘匿されているはずだ」

「おや」


 フランシスは不思議そうに首を傾げた。



「通常の入学試験を受けず、更に意味不明な理由で一ヵ月も入学しなかった貴方が、それでも今学院に来ることが出来ているのは、貴方の後見人についてくれたヴィオーザ家が許可を出したおかげでは?」

「…………」

「貴方のお師匠様が在学していた時、ヴィオーザ現当主と奥方も学生としてこの学院にいらしたのですよ。 色々あったようですが、卒業してからもお師匠様とは個人的なやり取りを続けていたそうです。 それもご存知でない?」

「………………知らなかった」


 確かに師匠は名も顔も知られている。

 なので五大名門の人間に知られていたところで、何もおかしくなかった。


 何より師匠は、ユリウスを拾ってからは『子育てするので休業します』と言って、仕事を緊急以外で受けないようにした。

 しばらくしてから仕事を受けるようにはしたものの、五大名門の人間と直接知り合う機会はそれほど無い。

 本来よりも『魔法騎士団ではない師匠の知り合い』を知る機会が少なかったのは確かだ。



 それでも、だろう。



(俺は師匠がこの学院で『黒』などをしていたことも、『色持ち』の存在も、まともに知らなかった。 知らないことばかりだ……)


 何が弟子だろう。

 師匠のこともよく知らないくせに弟子面をしていたなど、笑わせる。


 それに自分の入学に対しても、そんなに裏工作があるなんてまるで知らなかった。

『なんだかいつの間にか入学出来るらしい』という程度だ。



(師匠は俺のためにそれほど動いてくれていたというのに、俺に分かるのは師匠の身長と体重、誕生日と食べ物の好みぐらいなのか……)


 ユリウスは猛省した。

 帰ったら師匠の肩どころか腰や足まで揉まなければならない。



「……正式に謝罪をしなければならない。 お前の婚約者にも、ヴィオーザ侯爵家にも」


 師匠に関して猛省しながら、同時に自分のために色々と動いてくれたらしいヴィオーザ侯爵家にも申し訳なく思った。

 こんな入学方法を通すなど、世間に知られればそれなりに批判があるはずだ。


 それでも通してくれた、ユリウスの未熟さを許してくれたヴィオーザ侯爵家には深く感謝している。


「いいえ、お気になさらず? むしろ『あの師匠の弟子だからそれぐらいする』と笑って済ませてらしたぐらいですから」

「だとしても謝罪は必要だ」


 現学院長はヴィオーザ家の前当主。

 つまり現当主の父であり、フランシスの婚約者なエルフリーナの祖父でもある。


 親子三代に対し、罪の必要があるだろう。

 


「貴方がそんなに謝りたいならそうされるといいですよ。 皆さん、『あの師匠の弟子』な貴方には是非一度は会ってみたいとよくおっしゃってましたから」

「では失礼する」


 と、ユリウスは今すぐにでも謝罪と感謝を述べに行くことにした。

 現当主であるヴィオーザ侯爵は本邸に居るはずなので流石に大変だろうが、現学院長とエルフリーナはこの学院に居るので会うことが出来る。


 特にエルフリーナ。

 彼女はユリウスと同じ今年からの一年生だ。 普通科と貴族科の違いがあるとはいえ、学院長よりは楽に会えるだろう。 



「今会いに行くのは辞めた方が良いと思いますよ。 学院長は現在学院を離れて会議中で、エルは同級生を集めた勉強会の最中です。 そこに乱入するような『不埒者』になる必要があるほどの、緊急事案ではないでしょう?」

「……そうか」


 言われて、ユリウスも納得する。

 ただでさえ迷惑をかけた立場なのに、そこから余計に迷惑をかけるわけにはいかない。


「慌てなくてもそのうち会わせてあげますよ。 エルなんて、私が先に会っていたことを知れば悔しがるでしょう。 貴方に会えることを、とても楽しみにしていましたからね。 貴方が一ヶ月来なかった時など、本気で心配していましたから」


 そう言って、フランシスは楽しそうに笑った。


(……師匠はともかく、俺自身にはそんな期待に応えられるほどの面白みは無いと思うが)


 実際に会って、残念に思われないだろうか。

 アンジュも笑った必殺にして小粋な冗談でも披露するべきなんだろうか。


「では、その会える時を楽しみにさせてもらおう」

「ええ。 エルも喜びますよ」


 しかし、何であれそのエルフリーナも、あと目の前のフランシスもユリウスの目的である『友達を千人作る』ための狙いの一人だ。

 好意的に思われて、ユリウスには特に困ることがない。



「これで、貴方の疑問は全て無くなったでしょうか?」

「……いいや、まだ一つある」


 気を取り直してユリウスはフランシスを指さした。


はどうすれば手に入れることが出来る? 四年生になれば手に入れられるのか?」


 正確には、フランシスの胸元にある黒リボンの『黒』。

『色持ち』の『黒』たる証だ。


「おや、これをご所望で?」


 フランシスは軽く、やや雑に『黒』の石に触れ、指先で撫でる。

 持ち主だからこそ出来る行為であり、まるでユリウスを挑発しているかのようだった。


 ユリウスは黙って頷く。

 それはかつて師匠ニーケが手に入れたものでもある。

 だったら、ユリウスがそれを求めるのは当然のことだろう。



「『色持ちカラーズ』は全生徒の中で七人にのみ、『赤』『青』『緑』『黄』『紫』『白』『黒』として与えられる称号です。 それに足り得る能力が無ければ国王陛下だろう学院長の孫の婚約者だろうと与えられません」


 そう言ってフランシスは含み笑いをした。


「やり方はどうあれ『学院で最も優れた七人』のうち一人になり、そこに生徒と教員の皆様からの信頼と信用があれば、貴方は今すぐにでも『色持ち』になれるでしょう」

「……今からなるのは難しいということか」

 

 信用など得るには、明らかに時間がかかりすぎる。

 おそらくまともな手段では、得られる頃には最低でも二年生になっているはずだ。



「あとは魔法決闘で得る手段もありますね。 『色持ち』の誰かに魔法決闘を挑み勝てば、今からでもなることが出来ます。 そうですね、今の『白』は戦うのが大好きですから、きっと決闘を申し込めば喜んで――」

「『黒』がいい。 他の色ではなく、それがいい」

「ほほう?」


 フランシスは首を傾げた。

 自分の『黒』を指でかるくもて遊び、見下ろした。



「なら申し訳ありません。 貴方の魔法決闘は絶対に受けてあげませんよ。 私、戦闘は苦手ですからね。 貴方と戦ったら、それはもうコテンパンにやられてしまいます。 結果が分かりきったことはしません」

「だったらどうすればいい」

「と言われましても。 『色持ち』なんて、この学院の生徒が皆狙う称号ですよ? 身内贔屓で贈るなんて出来るわけがありません」


 そう言って、フランシスは『黒』を手で覆い、ユリウスの目から隠してしまった。


 その表情はまるで子供のようで、ユリウスで遊んでいるかのようだった。

 実に愉快な性格をしているらしい。



「――ゆ、ユリウス君ッ!」


 そして、その場の空気を打ち消すようにジョージの声がした。

 



 ~・~・~・~・~・~





 普通科の教室を一通り見てみたがユリウスが居ない。

 だったら貴族科――と思ったが、貴族科の校舎に入るような度胸などジョージには存在しない。


 ならばと学生寮と食堂を回ってみたがやはり見当たらない。

 五つあるグラウンドの全てを見回して、ジョージはほぼ絶望的な気分だった。

 

 なんといってもこの学院は非常に広い。

 授業で使う教室や図書館その他の施設を含めだしたら、一日で回ることは到底不可能だった。


 それにジョージは、ユリウスがこういう時に何処に行くのか、よく知らない。

 絶望的な気持ちで次は図書館か――と移動したところ、ジョージはユリウスの姿を廊下に見つけた。

 


「――ゆ、ユリウス君ッ!」


 ジョージは喜びと疲れから解放された感覚で大きな声をあげた。

 喜びのあまり、この学院に来てからこんなに大声を出したことは無いに違いないというぐらいの声だった。


 ユリウスが居たのは、歴代の卒業生達を称えるトロフィーなどが飾られた長い廊下、そのなかでも歴代の『色持ち』の名を刻んだ石碑の前だった。

 流石はユリウス。 向上心に溢れている。

 やはり彼が『ただの普通科の一年生』で終わるつもりなど無いに違いない。 



「見つけたっ! 居て良かっ――――」


 そしてジョージは喜びと疲れのせいで、ユリウスがちょうど誰かと会話していた事に気付いていなかった。

 その相手がジョージを見る。



 銀色の長髪を緩く纏めて、花のように綺麗な紫の瞳をした、すごい美少女だった。

 肌は真っ白で、苦労も労働も一切知らないように見える。

 ほっそりと華奢な体をしていて、まるで物語のお姫様じみているように見えた。


 いやよく見たら男子生徒だ。

 なんといっても男子の制服を着ているし、女子としてはやや背が高い。

 

 ジョージは駆け寄る途中で、その美少女みたいな男子生徒の胸を見た。

 そこには黄色のリボンで作られた記章があり、真ん中には金色の飾り。

 


「えええええうわああああ!?」


 思わず悲鳴が出た。

 慌てて立ち止まり口を抑えたが、どれも完全に遅かった。


 そちらにいらっしゃるのは、国内最高の貴族、五大名門。

 その一角を担い、かつ代表と言われるセルヴェンドネイズ公爵家。

 そこの長男でいらっしゃるフランシス様だ。


 

「しししし失礼しましたあああ!!!!」


 ジョージは慌てて頭を下げた。

 深く深く、腰を折るように、フランシスとユリウスの足しか見えないぐらいに深く頭を下げた。



(なんでフランシス様が!? なんでフランシス様が!?!?)


 相手はジョージのような平民とはまるで違う存在だ。

 雲の上の存在。 天上の存在。

 ジョージが泥なら彼は雲。 比較することすらおかしい高貴な人物。


 なんといっても彼の従兄弟は国王陛下の子息、つまり王子様と王女様である。

 王族と血縁、それぐらいに高貴。

 もはや同じ空気を吸ったり、彼の視界に入ることすら犯罪だろう。



(この学院の『黒』だからフランシス様がいらっしゃるのは何もおかしくなくて! いや! でも! だって! でも! なんでユリウス君と喋ってるの!?)


 ユリウスは普通の平民のはずだ。

 それがフランシスのような高貴すぎる存在と会話するなど絶対におかしい。


 

(どうしよう僕変なこと言った! 気持ち悪かった! 絶対に不愉快に思われた! どうしようどうしよう!!! 斬首!? 追放!? 処刑!? 死刑!?)


 慌てすぎてジョージはまともな事が考えられない。

 ぐるぐると色んな考えが頭をよぎる。




「……お前は何を騒いでいる?」


 そしてそんな高貴すぎる存在を前にして、ユリウスは普通だった。

 顔色一つ変えず、敬いなどの感情を一切出さず、頭を下げる素振りも無い。


 本当にいつも通り――今日会ったばかりだが――の様子で、フランシスと向き合っている。


 むしろジョージに呆れたような、そんな気がする鋭い視線を無表情かつ無感動に向けていた。



「どうやら彼は貴方に用事があるようですよ?」


 フランシスの声が聞こえる。

 声を聞けば男のものだ――とても穏やかで優雅な、楽器のように豊かな声だった。

 

 そんな声に聞き惚れる余裕などジョージには無い。



「いいいいえっ! フランシス様のご用事の方が大事です! どうぞ! アッ、僕のような矮小な存在は消えます! 今すぐ消えさせてください!」


 そう言ってから、ジョージは間違いに気付いた。


 高貴も高貴なフランシスが、ユリウスのような平民に用事などあるわけがない。

 あるとしたらユリウス側だ。

 さっきの教室でのやりとりを思い出せば、ユリウスが『貴族科の代表』と言っても差支えの無いフランシスに直接喧嘩を吹っ掛けに行く方がずっと有り得る。



(僕のバカ! 『フランシス様の用事』って言っちゃった!)


 きっとおそらくフランシスはユリウスに呼び止められた側に違いない。

 それをジョージが好き勝手に解釈するなど、許されることではなかった。



「お前が去る必要は無い。 こいつとの話は終わった」

「そうですね」

「エッ!!!」


 今『こいつ』とか言った。

 国内最高の、王家と親戚関係の、セルヴェンドネイズ家の長男の、ヴィオーザ家の婿、銀髪の超美男子な貴公子フランシスに向かって。

 お金とか権力とかそこらの平民どころか貴族でも全く勝てない相手に、向かって。

 


(ああ……流石はユリウス君……セルヴェンドネイズ家のフランシス様に向かってそんな口を叩けてしまうなんて……いやもしかしたら相手がどんなにスゴい御方なのかよく分かってない可能性も……)


 ジョージだって貴族にはこの学院に来るまでほとんど縁が無かった。

 そういうことかもしれない。



「先程の話については考えておきましょう。 ですが、今の貴方が私に何か助けてもらえるなどと期待はしないでくださいね」

「助かる」

「――――」


 やっぱりユリウスは貴族科に向かって喧嘩を売ったのだ。


 なんという胆力だろう。

 命が惜しくないのか。 家族の心配はしなくてもいいのか。



「では私は此処で。 後はお二人でお願いします」


 フランシスは、無礼に無礼を重ねまくったユリウスのことを一切怒らなかった。

 穏やかな物腰のまま、その場を去る。


 ジョージは少しだけ頭を上げてフランシスの背を見たがやはり優美な後ろ姿だ。

 噂では『弟に当主の座を奪われた可哀想な兄』だがそんな気後れは一切しているように思えない。

 さっきのジョージの醜態やユリウスの無礼に、少しも怒っているようにも見えなかった。

 


(……す、すごい……あれが、本物の貴族なんだ……)


 少なくともフランシスは今までジョージが見てきたどんな貴族とも違う。

 無駄に偉そうにしない。 怒らない。

 同時にジョージには見向きもしていないような気はしたが、それでも他のやたらと偉そうな貴族科の生徒よりはマシに見えた。



 

「フランシス様と、何を――」


 溢れる好奇心のままに尋ねようとして、ジョージは気付いた。


「ご、ごめん! 聞いていい話じゃなかったよね!」


 何を話していたか知らないが、きっと大事な話だ。


 なんといっても相手はあのフランシスだ。

 もしかしたらジョージ程度の平民が聞いて良い話ではなかったかもしれない。



「大したことではない。 彼の『黒』が欲しいと言っただけだ」

「そ、そうなんだ……」


 ユリウスはとても普通に答えた。

 普通に答えていいような内容ではなかったが、ユリウスは顔色一つ変えず、眉も動かさなかった。


 だからジョージも曖昧に頷くしか出来なかった。


(やっぱりユリウス君も『色持ち』になりたいんだ……)


 向上心があって、能力に自信があるのなら誰もが目指すだろう。

『色持ち』に興味が無い人間が居るとすれば、ジョージのように低能な人間か、あるいはこの学院に別の理由で来た人間ぐらいだ。



(だからって、よりによってフランシス様本人に直接聞くのは、勇気がありすぎっていうか……)


 五大名門の直系。

 それでありながら病弱で、当主の座を弟に奪われてしまった長男だ。

 しかも相手はヴィオーザ家とはいえ、『婿入り』という形でいつかは実家を追い出されてしまう、とても可哀想な人である。


 そんな人に権力について尋ねると、余計なことまで聞いてしまいそうでとても怖い。

 きっと見た目通り優しい人だから、ユリウスのどんな発言にも怒らないで居てくれたに違いない。


 少なくともジョージには到底無理なことだ。

 近寄ることだって恐れ多い。


 かと言って、他の『色持ち』にも近寄れないだろう。

 なんといってもほとんど貴族科の生徒で、唯一居る普通科の平民だって悪い噂を聞くような人物なのだから。


 

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