第10話 特別になるための誘い





「くそっ、くそくそくそっ!!!」


 大股でギードは廊下を歩く。

 露骨に苛々した顔で、ギードを見た誰もがつい道を譲ってしまう。



「俺はギード・ストレリウスなんだッ。 俺は、『色持ち』になれる、第一魔法騎士団に入るッ、貴族にもなれる、一流の人間なんだ、天才なんだ、俺は選ばれた人間なんだッ! なのになのになのに」


 負けた。

 家庭の事情だかよく分からない理由で遅れて現れた、変な転入生に。


 あの白い髪といい褐色の肌といい血のように赤い目といい、南方出身としても違和感のある容姿。

 目付きは鋭く、冷たい表情。

 そしてこの世全てを見下す、あのやたらと偉そうで傲慢な発言。


 何もかもが特殊で特別で、変だ。

 小さい子供が期間限定で持つような貧乏人の杖を使う奴に、ギードは負けた。



「俺が負けるなんてッ――!!!」


 有り得ない。

 

 自分はストレリウス家の希望にして将来。

 全てを期待される、特別な存在なのだ。



(俺は逃げてなんかない!)


 ギードは自分に言い聞かせる。

 

 そう、自分は逃げてなどいない。

 負けていないし、ましてや無様などでは決してなかった。

 あれは何かの間違いなのだ。 調子が悪かったのだ。



(あいつに負けた、俺は、あいつの奴隷……!)


 きっと、酷いことになる。

 ユリウスの下僕、奴隷として、屈辱的な日々が待っている。

 それも学院生活が終わった以降も、ずっと。


 ユリウスのあの、微塵も慈悲の無い冷たい目を思い出した。

 すれ違う生徒達の誰もがギードを嘲笑しているような気がする。


 きっと、いいや確実にギードをバカにしている。



『あんな奴に貴族は相応しくない』と笑っているに決まっている。

 今すれ違った生徒も、今見えた生徒も、どいつもこいつもギードを笑っているに違いない。


 ユリウスだってそうだ。

 自分が天才だからって、今頃は愚かなギードを笑っているに決まってる。



 今日のギードのことは、実家にも伝わるだろう。

 家族の期待を一身に背負ったギードの無様な敗北も、情けなく逃げたことも、何もかもが伝わるに決まっている。

 そして、失望されてしまうのだ。


 ストレリウス家は多くの貴族と親戚関係にありながら、しかしストレリウス家そのものは平民だった。

 それもこれもギードほど魔法特性を使いこなせる人間が現れなかったからだ。

『貴族に目をかけられている』といっても平民でしかないストレリウス家は、貴族達からは見下されている。


 もしギードが貴族になり、ストレリウス家の名を貴族に加えさせることが出来たら、ようやく他の貴族と対等になれる。


 この学院に来て、ギードは自分の能力がどれほど秀でているのか改めて知った。

 多くの人間がギードを認めた。

 狭い地元でチヤホヤされて調子に乗っていたような、ジョージのような人間ともギードは違う。


 だというのにいきなり現れた、誰からの期待も背負ってなさそうな人間に負けた。

 全部ぶっ潰されたような気分だ。

 それがどれほど悔しかったか、ユリウスには分からないだろう。

 


「ギード!!!」


 名を呼ばれて、ハッとしてギードはようやく立ち止まり、そちらに振り向いた。

 ガーランド、グラン、ゲイジェス、ゴッツ達四人が廊下を走ってでも追いかけてきている。


 決闘の場に居て、ギードのことをしっかりと見ていたはずなのに。

 きっと負けた自分を嘲笑いに来たに違いない。



「…………なんだよ」


 ギードはひどく不機嫌な声を出す。


「なあ、もう諦めようぜ? 魔法決闘に負けたのは、残念だったけど……」

「たぶん死ぬ気で土下座したらアイツだって一生下僕にするのまでは許してくれるって!」

「そうだよ、あいつ魔法決闘のことよく知らないんだからさ!」

「俺達も一緒に土下座するから!」


 何かを言っている。


 今のギードは、ユリウス・ヴォイドに迎合するような発言をする人間は、全てが敵に見えていた。

 やはり彼らはギードをバカにする為に現れたのだ。



 ユリウスは強い、かもしれない。

 普通科で天才と褒め称えられ、貴族にすら並ぶと言われたギードの前に初めて現れた障害だった。


 貴族に劣るのなら素直に『もっと上達すればいい』と言える。

 しかし相手はまるで有名ではない、誰も聞いたことがない家出身の、ただの平民だった。 


 しかも『その場から動かない』だとか『同じ魔法しか使わない』などとバカにしきった条件まで勝手に自分に課してきた。

 その上でギードの魔法を完全に見抜いて、赤ん坊のようにあしらってきた。


 きっとユリウスは、本気など微塵も出していないのだろう。 

 それにあの無表情。 表情筋が死滅したような顔。 生き物の命を少しも尊重していない凍った目。


 ギードなど、障害だとすら思われていない。

 踏み潰されるだけの蟻、いいや見向きもされない草のように扱われた。

 とてつもなくバカにされているような気がして、ギードは苛々していた。




「俺は負けてない!!!」


 大声を張り上げる。

 あまりの大声に、気の弱い生徒はぎょっとした顔でギードを見て、慌てて逃げた。


「あんなの、ちょっと調子が悪かっただけだ! 俺が負けるわけないだろ!!!」

「でもギードはいっぱい転移魔法を使って……」

「どう見ても翻弄されてた」

「うるせえ!」


 どうして彼らは理解しないのだろう。


 さっきのギードは調子が悪かった。

 空間転移なんて高度な魔法が、たかが十三歳の子供に敗れるわけがない。

 あんな冷徹に、そこらの雑魚みたいにあしらわれるなんて、絶対に有り得ないのだ。


 きっとギードは調子が悪かった。

 だから何かを間違えてしまった。

 でなかったら、ギードが負けるわけがない。



「俺は負けてない! お前らも分かるだろ!」

「ギードは凄いよ! でも、あいつはもっと強かったんだ! あいつは天才なんだよ、本物の!」

「俺達みたいな普通の人間じゃ勝てないんだ」

「うるさい!」


 ギードは更に大声をあげる。

 五月蠅すぎて、優等生のギードには相応しくない。


 肩で息をしながらギードはガーランド達を睨みつけた。


「俺はお前らみたいな雑魚とは違う、本物の天才なんだよ! 空間転移の魔法特性を持ってる、選ばれた人間なんだ!」


 どうしてガーランド達は、ギードの不本意な敗北を認めないのだろうか。

 頭を混乱させながらギードは言う。



「そうだ、きっとあいつはズルい手段を使ったんだ。 自分を強くするための……そうっ、ご禁制の魔法薬とか、そういうのを使った! でなきゃ俺が負けるわけない!」

「負けたんだよ!」

「そうだギード! しかもギードは逃げちゃったんだ!」

「ただ負けるより恥ずかしいことしてるんだよ!」

「まだ間に合うよ!」

「――――――ッ!!!」


 ギードは怒りのあまり、言葉が出てこなかった。

 口よりも手が動き、一番手前に居たグランの胸倉を掴み上げる。



「俺が、あいつに負けるわけないだろ……!!!」

「ギード……!」


 ガーランド達はついに黙る。

 しかしその視線は、ギードの発言の正しさを認めたものではなかった。

 むしろギードを責めている風にも見える。



「くそっ、お前らみたいな役立たずなんか、要らない!」


 グランから手を離し、ギードは四人から離れた。

 大きく舌打ちし、ポケットに両手を突っ込む。



(そうだ、俺の気持ちを分かってくれるのは……こんな時、俺の味方になってくれるのは、あの人しか居ない……!)


 ギードにとって、とても頼れる人が居る。

 彼ならギードのこの不遇を理解し、なんとかしてくれるだろう。

 


 さっきまでは目的も無くただ大股で歩き回っているだけ。

 しかし今のギードには、明確な目標があった。


 目指す先は普通科――ではない。

 高貴な人間しか居ない貴族科だ。




 ~・~・~・~・~・~




「──という、わけなんです」


 ギードは非常に緊張しながら状況を説明した。


 柔らかな一級品のソファーに浅く座り、姿勢は低く。

 少しでも相手の不興を買わないように警戒と焦りを滲ませ、手の行き場に困って指を絡ませたり止めたりを繰り返していた。


「ふうん」


 机を挟んで向かいに座る相手はギードと正反対で、足を組み優雅にゆったりとソファーで寛いでいた。

 少し伸ばした茶髪の青年は金色の瞳をして眼鏡をかけ、見下すような笑みを浮かべギードを見る。

 

 ギードと青年は、とても対照的だった。

 焦り小さくなるギードと、とても優雅で尊大な青年。

 二人の間にある机には綺麗なカップと紅茶があるが、ギードの方はちっとも減っていない。



 そして二人がどれほど対照的なのかは座っている様子だけでなく、胸に着けた記章が示していた。

 

 一年生の記章は赤いリボン、二年生の記章は青いリボン、三年生の記章は緑のリボン、そして四年生の記章は黄のリボンと決まり、それぞれ花の形を作っている。

 そうした中でギードの着けている記章は赤いリボンで、青年のリボンは黄だった。


 そしてギードの記章の中央は銀の飾り。 青年の記章には、金の飾りがついている。

 

 これらの情報が示す青年の素性は一つだ。

 貴族科で、最上級生の四年生ということになる。



 更に付け加えるなら、この青年は記章をもう一つ持っていた。

 真っ黒なリボンが花を作り、花芯となる中央には緑に輝く宝石がはめ込まれている。

 

 黒のリボンと宝石の記章を身に着けることが許されるのは、ヴィオーザ学院の全生徒でもたったの七人だけ。

 その黒のリボンは全ての生徒からの尊敬を集める、優秀な生徒の証だ。

 そして『緑』の宝石がついているとなると、どんな生徒だって彼が誰なのかすぐに理解する。



「君の気持ちは分からないでもない。 でも、自分が言い出した魔法決闘から逃げたというのはいただけないねえ。 なんて情けない!」


 茶髪の青年は笑みを浮かべた。

 人を小ばかにしたような笑みだった。


 しかし彼はギードとは比べ物にならないほど高貴な、選ばれた天才である。

 誰をバカにしたって文句など言えるわけがない。



「あ……あれは、少し調子が悪かっただけなんです。 だってストレリウス家の魔法特性は空間転移の魔法ですよ、そこらの平民なんかが勝てるわけがない!」

「うんうん、そうだね」


 青年は笑って聞いている。

 ギードの必死な身振り手振りすらお菓子にしているようだった。



「それで君はいったい、この僕に何を求めに来たんだい? いくら我が家が君を目にかけてやってると言っても、大勢の前で交わした魔法決闘を無かったことにはしてやれないよ?」

「そ、それは……」


 ギードは強く拳を作り、制服のズボンを握る。

 そして青年を強く正面から見た。


「あいつに、ユリウス・ヴォイドに勝ちたいんです! どっちが本当に強いのか! 俺の方が強いって! あの生意気で傲慢な奴に、思い知らせてやりたいんです!!」

「…………ふうん?」


 青年は軽く顎でしゃくる。



「なるほど……つまり君はこの僕、バティスタール=イシャーロ・ルブスタ・レグムダイルが作った魔法薬をくれと言いたいんだ?」

「はい!!!」


 ギードは強く頷いた。


 バティスタール=イシャーロ・ルブスタ・レグムダイル。

 レグムダイル伯爵家の次男である彼は、魔法薬の成績にとても秀でている。

 彼が黒のリボンと『緑』を持てているのは、学院外部の人間からも注目される魔法薬錬成の実力を持っているからだ。


 バティスタールは既に多くの新薬を開発し、一年生の頃から難易度の高い薬の錬成に成功し続けている。

 魔法薬において、この学院では頂点と言っても良いだろう。



「平民の分際で僕の薬が欲しいとは……随分と思い上がってくれたものだ! 僕の薬を求めて貴族達は金貨を積み上げるのだよ? そんなものをくれとはねえ?」


 そしてレグムダイル伯爵家は昔から『空間転移』という珍しい魔法特性を持つストレリウス家を目にかけている。

 それ故にストレリウス家の娘を嫁に取ることもあり、バティスタールとギードは身分が違うものの親戚関係だった。


 そのおかげで平民でありながらギードは、バティスタールに会うことが出来ているのだ。

 でなければ、身分意識と平民蔑視感情が強いバティスタールが会ってくれるわけがない。



「俺は、ユリウス・ヴォイドに勝ちたいんです……俺の本当の実力ならあいつに負けるわけがない! バティスタール様の薬を使えば、本当の実力を完全に引き出すことが出来る!」

「しかしねえ」


 ギードの必死さに対し、バティスタールは嘲笑していた。

 彼にとって平民の言動など滑稽な喜劇にしか見えていないのだ。


「その平民とやら、そんなに厄介なのかい?」

「ユリウス・ヴォイドはあの無表情な目でオレも全てを見下して、他人に興味が無くて……とても傲慢で、人を人とも思わぬ最低最悪な……教師にだって敬語を使えないような、品性も酷い奴なんです! 貴族にも害を与えるでしょう!」

「ふうん」


 バティスタールは顎に手を当てた。

 何か考えているかのように、静かになる。



「そう、そう、たとえば……そうです! 貴方もご存知の『白』と、そっくりなんです!」


 黒リボンをつけることを許された『色持ちカラーズ』と呼ばれる人間は、常に七人のみ。

 その中で『白』は現在唯一の平民だが、同じ平民が頼み事をするなら『白』よりも他を頼った方がよっぽどマシ――と言われている。


 目付きは鋭く、友好さは欠片も無く、無口無表情、他人への関心も皆無。

 口を開けば冷たいことしか言わないし、せっかく話しかけても無視されること多々。

 そういう人間だ。


 ギードも何度か遠目に見たことがあるが、あまり近寄りたくない系統の人間だった。

 同時にこの学院における魔法決闘の頂点であり無敗、おそらくこの学院で最強の魔法使いといえば『白』に違いない。



「……ふうん?」


 バティスタールは微笑を浮かべた。


 しかし明らかにさっきまでと様子が違う。

 確かな怒りが、全身から迸っているかのようだ。


 ギードと違って、『緑』と呼ばれるバティスタールは嫌でも『白』と接しなければならない。

 そんな時は大抵他の面々も居るとはいえ、バティスタールのような貴族主義の人間から見れば、貴族をまるで敬わない『白』は不愉快の塊に違いなかった。



「『白』のように下らない人間……そうそう居るとも思えないけど、ねえ……?」

「本当に居たんです! あいつは放っておけば貴族科も、この学院全てを揺るがしかねない! そう、今の『白』や、あの伝説の『魔女』みたいな、そういうのなんです!」


 バティスタールの怒りは買うべきではない。

 だが何としてでもユリウスを倒したいギードにとってはそんなの関係ない。

 

「なるほどなるほどねえ、確かに『白』みたいなのが増えるのは……後輩のために良くない。 『色持ち』のほとんどが貴族とはいえ、平民に甘い者も居る……特に今など『赤』と『青』ぐらいしか、僕が信用出来る人間が居ない」


 バティスタールは指で眼鏡のつるを押す。



「僕は『白』のように愚かな平民が『色持ち』に蔓延るのは許せない。 しかし君のように有能な平民が――おっと、君の代で貴族になるのだったね、訂正しよう? ともかく君のような人間が『色持ち』になるのなら、僕は歓迎するよ」

「――! じゃ、じゃあ……」


 ギードは分かりやすく喜びを顔に描いた。

 それを見てバティスタールもまた人の好さそうな笑みを浮かべた。



「ああ、僕の薬を、将来有望な君に無償で進呈しようじゃないか」

「ありがとうございます!」


 ギードはまた深々と頭を下げた。

 

 バティスタールの魔法薬は本物だ。

 これさえあればユリウスの、あの他人に無関心で無表情で冷徹で威圧感ばかり与える顔面が、敗北の悔しさで歪ませられるだろう。

 拳を作り、勝利の快感がこみあげてくるのが抑えられない。



「まあ少し待っていたまえ」


 バティスタールは肩で大きく呼吸し、棚の方へと向かった。


 此処はバティスタールに与えられた個人用の研究室だ。

 そんなの彼が将来を期待される『色持ち』であるからこその特権である。


 バティスタールは棚からいくつかのガラス瓶や薬の材料となる葉や鉱石を取り出し、立派な机の上に並べていく。

 ギードが見たことのあるものがあれば、知らないものもある。

 おそらくはどれも『色持ち』の権限で集めることが出来た高価なものに違いない。



「君のために特別だよ?」


 言いながら手袋をはめて、非常に慣れた様子で、材料を丁寧に混ぜていく。


 魔法薬を作っている時のバティスタールの表情はとても真剣だ。

 どんな簡単な薬の錬成でも、彼は慢心しない。

 ギードも思わず息を呑んで様子を見守る。



 細いガラス瓶の中で液体が色をつけ、僅かな光を放つ。

 ギードも知らない薬草や鉱石が次々と細かく刻まれ、あるいは粉になり、入れただけで液体に溶かされ、バティスタールの手の中で変化していく。

 普段よく見る魔法とは少し異なるもので、何をしているのかギードには分からないが、興味は惹かれた。


 そうしてあっという間に魔法薬が完成した。

 バティスタールの持つ試験管の中で、真っ赤で半透明な液体がたっぷりと存在している。



「こ、この薬を飲めば……」

「飲んだ者の能力を何倍にも引き上げる効果のある薬さ。 魔法も、肉体能力も、判断力も、何もかもがその瞬間はこの学院の誰よりも、どころか魔法騎士にも劣らないものになるだろう」


 ごくりとギードは喉を鳴らした。

 学院で最も魔法薬に秀でた『緑』の作った薬、効果が無いわけがない。


「それこそ、その平民と『白』が二人同時に来たって勝てるだろうね」

「…………!」


 なんて魅力的なのだろう。

 ギードは興奮を隠すことが出来ず、その視線は魔法薬に釘付けだ。


「ふん」


 バティスタールは薬を別の容器に入れる。

 液体は赤く、まるで上等なガーネットのように美しい色彩だ。



「これは僕が作った『バティトリオン』のうち一つ、『バティトリオン―γ』だ。 副作用は睡眠。 ま、僕が作ったものだからねぇ。 効果時間が過ぎれば、半日ほどベッドの上で寝たままになるだろう」

「……え、たったの、それだけですか!?」

「そうだよ。 誰が作ったと思っているんだい? このバティスタール=イシャーロ・ルブスタ・レグムダイルの魔法薬を、そこら辺に居る使えない無能どもが作った安物と一緒にするんじゃない」


 一般的に、魔法薬というのは優れた効果ほど副作用も強いと言われている。

 あの生意気なユリウスを圧倒出来る力を持てるのに、たった一日寝たままで済むのは素晴らしすぎる。

 

「流石はバティスタール様!」


 感動し、尊敬の眼差しをバティスタールへと向けるギード。

 バティスタールはニヤリと笑い、更に薬を作り出した。

 さっきとは全く違う素材を使って、こちらは澄んだ透明な、僅かな量の魔法薬が完成した。


 だがそれを作るとバティスタールは、それを持ったまま元居たソファーへと戻ってしまった。


 

「バティスタール様?」

「まあ、座りたまえよ」


 向かいに座るように促してくる。

 ギードがこれに逆らえるわけがなかったので、内心疑問にしつつも座るしか無かった。



「君は今日の夜、その生意気な平民をどこかに呼び出して倒すと良い。 女神の幸運だろう、明日は休日だからね」

「え、夜……? でも夜って、理由が無かったら生徒は外出禁止じゃないですか。 別に授業が終わってからでも――」

「何か問題があるかい?」


 そう言われるとギードには何も反論出来ない。


「あ、もしかして、バティスタール様が『緑』として外出許可を……」


『色持ち』になれば、貴族科に居る王族ですら与えられない権限がいくつも与えられる。


 授業に出なくても許されたり、特別な研究室を与えられたり、夜間の外出だって自由だ。

 そういった中の『緑』の許可であれば教師に見つかったところで文句は言われないだろう。



「ギード君はさぁ、『緑』たるこの僕がくだらない平民同士のつまらない争いにわざわざ介入しましたって、堂々と宣伝しろって言うのかい? 嫌に決まってるだろう?」

「申し訳ありません!」

「――ふっ、はははは! 嘘だよ。 僕の名において、君達の外出許可を出してやろう。 何ならグラウンドの使用許可も、僕の名において出してやってもいい。 つまらない妨害は無いだろう」

「バティスタール様……!」


 彼はなんと心が広いのだろう。

 少しばかり怒りやすく、少し平民が嫌いなだけで、貴族や認めた人材に対しては非常に寛容な人物なだけはある。

 ギードはほっと胸をなでおろした。

 

 

「夜間にそいつを呼びだし、約束の時間になればこの赤い薬を半分だけ飲むといい。 するとアラ不思議、君の内側から途方も無く大きな力が沸き上がり、生意気な平民を完膚無きまでに完璧に倒せるようになる」

「半分……?」


 赤い薬は、カップに入った紅茶の半分ほどもない量だ。

 その全てを一気に飲むことは簡単だろう。

 

「さっき説明した効果は、半分飲んだ時の効果だよ。 これを間違って全て飲めば――」

「の、飲めば……?」

「倍の効果がある。 ただし副作用として精神は狂い、効果が切れてから七日は目を覚まさないだろうね」

 

 効果は倍。

 しかし副作用は七倍、しかも精神に異常が出る。

 たった、量を全て飲んだ程度なのに重すぎる副作用だ。


 しかしそれでこそ魔法薬だと思える。


 重い副作用のない素晴らしい魔法薬など、ほぼ伝説や神話の領域に違いない。

 バティスタールの持っている薬の信頼性が更に上がった気がした。

 


「この薬は強力だが困った薬でね。 常に全部を持ち運び、飲む時に自ら半分残さなければならない。 分けてしまうと、時間が経てばその分けた量で同じ効果のものが二つになる、ということさ。 だからそのまま渡すのだよ」

「なるほど……」


 それは確かに困った薬だ。

 今はまだカップに入れた紅茶ぐらいの量だが、いくら効果があるからって繰り返せば、一滴で七日も目覚めない薬になってしまう。


「受け取りたまえ」

「は、はい」


 小さな瓶に入れられたそれを、ギードは恭しく受け取る。

 手の中で赤い液体は静かに揺れていて、全て飲めば七日も目を覚まさないとは思わないほど、簡単で小さなものに見えた。

 

『緑』のバティスタールが作った薬。

 売るだけでもかなりの効果になるに違いない。

 そんなものを自分にくれるだなんて――。



「…………」


 ではもう一つの、透明な方は何だろう。

 バティスタールの話の邪魔をすることが出来ないため黙っていたが、しかし興味がそそられる。 

 その視線に気付いてかバティスタールは機嫌良く笑った。


「そしてこっちは、ほんのおまじない程度だ」


 遠慮なく、ギード側の紅茶のカップへと透明な薬を全て注いだ。

 ミルクと違って色を変えることなく、シロップのように重く沈むようにも見えない。


「飲んでみたまえ、味は保証するよ」

「は、はい……」


 逆らう理由も無く、大人しく飲んでみる。

 やはり普通の――バティスタールのお気に入りの、高価な紅茶の味だ。


「…………」


 むしろ本来よりも甘く、柔らかい味に感じられた。

 ユリウスのせいでささくれ立った心が落ち着いて、なんだか良く眠れそうな気がする。

 

「あ……美味しい、ですね……」


 ギードは目をとろんとさせた。

 バティスタールの前であるにも関わらず、全身が浮き上がるような気分だ。



「じゃあ改めて説明するよギード君。 君は夜、その生意気な平民を呼び出す。 方法は自分で考えること」

「はい……」

「そして君は、そいつに見せないように、この赤い薬を飲むんだ。 一滴も残さないようにね。 それから空になった瓶を、床に叩きつけて割る」

「はい……」


 ギードの意識はふわふわと浮き上がるようだ。

 だがバティスタールの声だけははっきりと聞こえて、言葉が全身に染み渡るような心地だった。


「君は生意気な平民を倒す。 徹底的に、二度と生意気なことが出来ないように、圧倒する」

「はい……」


 頷く。

 バティスタールの言葉はとても正しい。


 

「ついでに憎たらしい『白』も倒してくれたら良いんだけどねぇ……ま、君程度では無理だろうね」


 そう呟いて、バティスタールはギードを見る。

 焦点の合わない目で、口元には驚くほど幸せそうな笑みが浮かべられていた。

 

「君は僕の言葉を忘れる。 でも君は僕の言葉を実行する。 君は僕の名を出さない。 君は僕との約束を破って、自分の意志で全て飲むんだ」

「はい……」

「そいつは君のことを見下している。 お友達どころか、ちり芥程度にしか思っていないだろう。 しかしギード・ストレリウス君。 君はとても特別な存在だ、僕の役に立ってくれたまえ……」

「俺は、特別……」


 ギードがぼんやりとしながら復唱したのを聞いて、バティスタールは指をパチンと鳴らした。

 それを聞いてギードは体を震わせ、寝ぼけていた頭を振り払うように大きく動く。


「お、俺、寝てました?」


 よりにもよってバティスタールの前で粗相を、とギードは慌てていた。

 だがバティスタールは鷹揚に微笑んで、ギードを許す。



「いいや構わない。 さっき飲ませた薬は、副作用で眠る君にささやかに幸せな夢を見せる効果がある。 副作用も無い程度の、とても簡単な薬だよ。 栄光ある勝者に対するちょっとした報酬だね、ふふ」

「ほ、本当ですか! ありがとうございます!」

「良いよ良いよ。 ギード君ほど優秀な人材ならばいずれきっと『色持ちカラーズ』の座に至れるだろうからね」

「……!」


『色持ち』。

 名門ヴィオーザ魔法学院において、それは天才の異名を意味している。

 それに選ばれれば、とんでもない名誉だ。



「俺が、『色持ちカラーズ』に……!」


 歴代の『色持ち』は、そのほとんどが貴族だった。

 一人も平民が居ない世代だって幾つかあり、最も平民が多い時代ですらたったの四人と過半数を占めた程度。

 その多かった時代は『魔女』の世代で、あの頃はどうかしていたという。


 

 普通科の中で尊敬や恐怖と共に語られる栄誉ある天才の一人に、自分が選ばれる。


 想像するだけで素晴らしい光景が胸いっぱいに広がった。



「君なら……ふふ、君が更なる精進をし、僕の役に立つ人材になれるのなら、僕の卒業の際に『緑』を譲ってあげてもいいぐらいだ」

「そんな、とんでもない、光栄なことです……!」


 ただでさえ今年の一年生には『五大名門』と呼ばれる、バティスタールのレグムダイル伯爵家を遥かにしのぐ権力を持つ五つの家の、それも次期当主として選ばれた子供が三人も居る。

 これのせいで『今年だけは色持ちの座は四つしか無い』と言われるほどの優秀な三人らしい。


 そんな天才の彼らの横に並ぶ自分。

 きっと、歴代でも最高の時代に、自分の名前が。



「精進したまえよ、ギード君」

「はい、バティスタール様!」


 ギードは夢を見るような心地で、思い切り頭を下げた。



 バティスタールは本当に素晴らしい人だ。

 たかが平民の自分に目をかけてくれる、本当に本当に素晴らしい人だ。



 


 

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