第7話 決闘への勧誘






 全寮制のヴィオーザ魔法学院では、朝食と昼食と夕食は、学院に所属する全生徒と教師が一堂に集まり、決まった席で取る秩序となっている。

 それはどんなに高名な貴族の子息でも基本的に例外でない。


 もっともジョージ達普通科の平民席からは、二階に位置する貴族科の食事風景は背伸びしたところで見えないのだが。

 吹き抜けになった講堂の二階席には、ジョージには想像もつかない別世界が広がっているのだろう。


 そして、一ヵ月ほど空席になっていたうちの一つが、ユリウスによって埋められた。

 

 

 普通科はほぼ全員が平民。

 しかし高名な魔法使いの子や商人などの、真っ当な高等教育を受けた生徒がほとんどを占めている。

 むしろジョージのように出身も何もかもが平凡な生徒の方が稀少な部類だ。


 そんな中でユリウスの食事の様子は、全く目立たなかった――という表現は大きな語弊を招くが、とにかくユリウスの食事作法はとても綺麗だった。

 おそらく貴族に混ざっても悪目立ちすることはないだろう。



 それはそうとして、ユリウスが纏う絶対的な強者の雰囲気のせいで、とっても目立っていた。

 不運にもユリウスの両隣の席となってしまった生徒達は可哀想だ。


 ユリウスがフォーク一つを使う度に生徒達は震え、ただナイフを動かすだけでもつい視線を向ける。

 ただの平民の食事より高価で上質なはずの食事なのにユリウスは淡々としていた。

 味を感じないのか、美味しそうにも見えない。 

 

 大物との会食をする時は、きっとああいう気分に違いない。

 少し離れた席から見ていて、ジョージはユリウスの両隣の彼らを可哀想に思った。 



「ゆ、ユリウス君……!」


 昼食を終えてから、まるで高いところから飛び降りるような覚悟で、ジョージはユリウスに話しかけた。

 案の定ユリウスの凍えるような視線がジョージに向けられる。


 怖いとは思う。

 それと同じぐらい、なんだか興奮する。


 アソールを模した授業は、ユリウスの居るチームの『圧勝』だった。


 運動能力も、魔法の技術も、あと精神面も、何もかもがユリウスが勝っている。

 本当に同じ年齢の子供とは思えない。

 まるで歴戦の戦士のような貫禄をもって、ユリウスはギード達を圧倒した。



 ジョージはユリウスとどういうわけか同じチームだったが、ジョージを含め、ユリウス以外の全員がただの置物だった。

 なんといっても、ユリウス一人が全てを薙ぎ払い解決してしまうから。


 ただ呆然としているだけで、ジョージのチームは圧倒的に勝っていた。

 ギード達は、もはや戦意が無くなるまで躊躇無く、アソールのルールに則って、徹底的に倒されてしまった。

 逃げることも出来ないまま一方的にあしらわれ、それでも一人だけ逃げようとしなかったギードは偉いと思う。



 ギード達に勝ったら次はほぼ女子生徒だけのチームとの試合だとなったが、女子生徒から断固拒否されてしまった。


 断る理由は『こんな危ない人と試合したくありません』だ。

 女子生徒達の気持ちも分かる。

 ジョージだったら泣いて謝って震えるぐらいしか出来ないだろう。


 

 きっとユリウスはジョージのことなど大して認知していない。

『誰だっけお前』どころか、むしろ邪魔だと思われるはずだ。

 

 なのにそれでも、どうしてもジョージはユリウスから目を離せなかった。

 


「こ……これから、どうする!?」


 気合いを入れすぎ、声が無駄に大きくなった。

 講堂中にジョージの声が響き渡る。


 講堂には大勢の人間が居て、昼食後の気が抜けた騒がしい空気だが、大声をあげてしまったジョージは目立った。

 上級生すら含めた周囲の生徒からの視線が集まって、なんだかとても恥ずかしい。


 反対にユリウスはとても堂々としていた。


「午後の授業を受ける予定だ」

「そ、そうじゃなくてっ」


 ジョージは慌てて首を横に振る。


「次の授業まで余裕があるから、それまでの自由時間はどうするのかなって……」


 言いながら声が小さくなっていく。


 ユリウスにとってジョージなど価値の無い雑魚だ。

 自由時間をどう過ごすのか聞いて、だからって友好的に接してくれるとは思えない。

 あくまでもジョージが勝手に憧れているだけだ。



「…………」


 案の定、ユリウスは黙った。

 ジョージの情けない顔を静かに見ている。


 その淡々とした視線が、ジョージの小さい心に突き刺さるようだった。


「それを尋ねることでお前に何の得がある?」

「……え、えーっと……」


 やっぱり聞かれた。

 しかしジョージの考えを正しく伝えることは出来そうにない。


 本当にただの『なんとなく気になるから』なのだ。

 深い理由など全く無い。



「……なるほど。 お前の考えは理解した、ジョージ・ベパルツキン」

「え?」


 頭の中でごちゃごちゃ考えていると、ユリウスはそう勝手に言った。

 


(あれ、僕何か言った?)


 いったい何を納得したのだろう。


(え、ん? というか、ユリウス君ってなんで僕の名前を知って……?)


 ユリウスに名乗った覚えは無い。


 そういえば今朝も名前を呼ばれた気がする。

 ジョージのようなゴミなんて『おい』とか『お前』とかでいいのに。



「なんで僕の名前を知って……」

「全生徒の情報を暗記するのは当然のことだ。 今からお前の個人情報を並べることも出来る」


 当たり前みたいに言われた。

 ジョージは、同じクラスの皆のことなんて、未だに名前と見た目、あと一ヶ月接して分かることぐらいしか覚えてないのに。


 周囲の話を聞いていた生徒達も、妙に引いた顔をしている。



「そ、そう……ユリウス君って、凄いね」

「大したことではない」


 授業でもユリウスはずっとそういう反応だった。

 

 ユリウスは遅れてやってきたせいで、ただそれだけで目立つ。

 更にこの国では珍しい容姿、明らかに普通ではない雰囲気。

 目立つ要素ばかりだ。


 だから教師達もユリウスに注目する。


 実技は言うまでもなく非常に優秀。

 座学の授業で指名すれば、全部完璧に答えてしまう。


 この学院の教師とは学者肌の人間が多いのか、こんな分かりやすく優秀な生徒は嬉しいらしく、それはもう誉めた。

 魔法薬の担当教師などは『顔色を変えず豚の目玉を捌いたから』というだけの理由だ。

 

 他の生徒にも出来ることを、たった一ヶ月の遅れが大きな年齢差のように教師は誉めた。

 中にはユリウスに好意的ではなく『生意気な生徒にお灸を据えてやろう』という発想の教師も居たが、全てがただユリウスの有能さを見せつける結果に終わった。



 それら全てに対してユリウスは『大したことではない』という反応だった。 

 きっと本気で『この程度は褒めるに値しない』と思っているのだろう。

 全く嬉しそうにしていなかった。



「ううん凄いよ。 授業だって全部ちゃんと出来てたし……ユリウス君は大したことじゃないみたいに言ってたけど、凄いよ」

「新入生が受ける授業の程度など知れている。 そんなことよりお前は再び俺の道案内を――」

「『そんな事より』ィ?」


 そしてジョージの声を遮るように、とても不機嫌な声が響いた。

 その声を聞いて、ジョージはまるで背中に氷を落とされてしまったような気分になる。


 壊れた人形のようにそちらを見れば、案の定、ギードはとても不機嫌そうに立っていた。

 あまりにも不機嫌な顔をしているので、周囲の生徒は自主的にギードとユリウスの間の道を譲る。



「言ってくれるじゃんかよ、転入生。 栄誉あるヴィオーザ学院の授業が、大したことねえって?」

「そう聞こえたか?」


 明らかに不機嫌なギードに対して、ユリウスはとても遠慮が無かった。

 おそらく何も響いていないし、何も気にしていないのだろう。


「自分で『新入生の授業なんて大したことがない』って、今言っただろうが」

「入学一ヵ月や二ヵ月で受ける授業など障害にもならない。 主語を変えるな」


 その授業で、主に実技で大いに失敗しまくっている劣等生がジョージだ。

 ユリウスは気付いているのか知らないが、ジョージに見えないナイフがざくざく刺さるような気分だった。


 そんなジョージに構うことなく、ユリウスはギードを睥睨する。


「しかしお前の記憶力には問題がある。 俺は転入生ではない、新入生だ。 今の成績は今後維持出来ないだろうな」

「――お、お前ッ……!!」


 とにかく遠慮がない。

 これがジョージだったら今頃ひっくり返って気絶している。


 それぐらい、ギードは、とても怒っている。

 分かりやすくバカにされて、額に青筋が浮かんでいた。

 今にも手を伸ばして、ユリウスに掴みかかりかねない。



(な、なんでそんな堂々と言えるの!?)


 ジョージには分からない。

 明らかに怒っている人間を相手にして、どうして相手の怒りを煽るようなことが平気で言えてしまうのか。

 ユリウスはまるで表情を崩さず、淡々とギードを見ている。


 一触即発の空気だ。

 次の瞬間にもギードがユリウスを殴りかねないぐらいに、危険な状態だった。



「やだもう、喧嘩?」

「此処で喧嘩しないでよ」

「おっいいないいな、もっとやれ」

「あいつ誰……?」


 周囲の生徒達は慌てて逃げて、遠巻きに面白そうに眺めている。

 杖を取り出す生徒は居たが、かと言ってユリウスやギードを止めようというわけではなさそうだ。


「話は終わりか? 俺は暇ではない」


 ユリウスはギードを軽くあしらい、背を向けてしまった。


 本当に何処までも尊大で傲慢で、ジョージのような卑屈な人間にはとても眩しく見えた。

 そういうところがギードの怒りを更に煽るのだろう。


 他の人々も、多少善人そうな人だってユリウスの態度を見て『助けなくてもいいか』と止めてしまっていた。



「こっち見ろよ!」


 ギードは、ユリウスの肩に手を置いて、無理やり自分の方に向かせる。

 そんなことをされてもユリウスは全く


「決闘だ。 魔法決闘しようぜ、ユリウス・ヴォイド……!」

「決闘?」


 ユリウスは冷ややかな目で、自分の肩に置かれたギードの手を見て、それからギードの顔を見た。

 その単語を聞いて、周囲の生徒もにわかに盛り上がった。



「魔法決闘だ!」

「決闘だってよ」

「誰が!?」

「ギード・ストレリウスが決闘!」


 周囲は盛り上がっている。

 ジョージはそれとは反対に全身の体温が下がる気分だった。



「ま、魔法決闘!?」


 ジョージは思わず震えた声をあげた。


 おそらくこの場で『魔法決闘』の意味を理解していないのはユリウスぐらいに違いない。

 それぐらい、ユリウスの顔色は全く変わらなかった。


「何の罪状だ?」

「罪状? ハハッ、大昔の人間かよ。 ただの魔法使いの決闘だ」


 ニヤリとギードは笑った。


 ユリウスは『不可解』と顔に書いて、ジョージを見る。

 説明を求められている気がしてジョージは思わず飛び跳ねた。



「え、ええっと、つまり生命以外の、自分が相手に要求するもの、あるいは自分が差し出せるものを提示して、勝った方がそれを得るっていう……」

「……名誉の決闘か」


 ユリウスは何か納得して、改めてギードを見た。

 

「つまりお前は俺に求めることがあるということか」

「おお、そうだよ。 負けたらお前は、俺の下僕だ」

「……下僕?」


 ユリウスは冷ややかにギードを見つめ返している。

 ギードの要求がとんでもなく酷いことには気付いているのだろうか。


 なんといっても期限を言っていない。

 つまり一日やそこらの期間ではなく学院に居る間、下手をすれば一生下僕だという宣言になる。


 魔法決闘において交わされた約束は絶対に守らなければならない。

 ユリウスがそれを破れば、魔法決闘を軽視したことになってしまう。 

 この学院で魔法決闘とは全生徒に適用されるとても平等で、そして絶対の規則だ。


「なるほど……ギード・ストレリウス。 お前は実に哀れだな」

「あ?」


 ギードは物凄く顔をしかめた。


「毎度そのような宣言を声高にしないとお前は自分の立ち位置を確保出来ないらしい」

「…………へえええ」


 明らかにバカにされていると気付いて、ギードは顔を引きつらせる。

 殴らないで居るのはギードの最後の理性に違いない。



「あいつ誰? あんな一年生……居た?」

「なんか遅れて来た新入生だって……」

「ユリウス・ヴォイドですって」

「ヴォイド家? 聞いたことがない、何処の田舎にある家だよ」

「ストレリウス家なんて名家に勝てるわけないじゃない」

「面白そう!」


 周囲の生徒達も目の前で始まろうとしている魔法決闘に、好き勝手に賑わっている。

 呆れて去っていく生徒、勝手に勝敗を賭ける生徒、見る気満々の生徒、色々だ。


 こういうのが普通科の日常である。



「ではギード・ストレリウス。 俺が勝てば、お前は俺の下僕になれ」


 その場の注目と好奇心が大いに集まる中、それでも淡々とユリウスは言った。


「へえ、勝てると思ってるのかよ?」

「お前に負ける方が難しい、と総合的に判断しただけだ」


 ユリウスの発言はとても静かで淡々としていて、傲慢だとか上から目線だとか、そんな事も言えなかった。

『人間は呼吸するもの』なんて言うまでもない当たり前なことを言うような、そういうものだった。



「何より俺は――お前の言葉を借りれば、俺はこの学院の全員を『下僕』にするために来たのだからな」

「なにっ!?」


 ギードは驚いた。

 ジョージも驚いたし、ベアトリスも驚いた。

 その場の全員が顔色を変えた。



「このッ、上から目線野郎がッ……!」


 ギードはやや血走った目でユリウスを睨み、それから何故かジョージを見た。

 ニヤリと笑って、ジョージの肩を抱く。



「よおジョージィ、お前が介添人だ、やれよ」

「え、ええっ!?」


 自分にはあまり関係ない話だと思って一歩退いていたのに、無理やり巻き込まれた。

 一番近いところで呑気に棒立ちしていたせいだろう。

 

「俺とそいつの共通の知り合いでよぉ……お友達、だろ? 出来るよなあ?」


 ギードの表情は笑っているが妙に恐ろしく、また肩に食い込む指の力も強い。


 ジョージは、自分がギードにいったい何を求められているのか、分かってしまった。


 ユリウスは怖い。

 だがそれ以上に、今はギードの血走った目の方が怖かった。


「で……出来ます……」


 思わず目を逸らして、小動物のように頷くことしか出来ない。


 魔法決闘において不正行為はあってはならない。

 しかし、やはり『家の力』というものは無視出来ないものだ。

 いくらこの学院が実力主義を謳ったところで、無視など出来るわけがない。


 ジョージはユリウスの『ヴォイド家』など聞いたことがないが、反対に『ストレリウス家』は聞いたことがある。

 とある貴族の後ろ盾を持つ、高名な魔法の一族。

 ギードは天才なので、きっと彼の代で貴族の爵位を得られるだろう。


 そんなギードを敵に回すなんて、ジョージには出来ない。


 

「ふざけないで!」


 少女が一人、ユリウスとギードの間に割り込んできた。

 明るく長い赤毛を高い位置でツインテールにし、気の強そうな鳶色の瞳をしている。

 


 彼女はジョージ達と同じクラスの女子生徒であり、ギードに並ぶほどの成績の持ち主だった。


 ついでに授業において率先して、ユリウスとの対戦を堂々と拒否した女子生徒でもある。

『私達は怪我をするために試合をするわけではありません』とか、色々言っていた。

 それぐらいに気の強い性格をしている人物だ。


 ジョージはギードのことが苦手だが、同じぐらい気の強いベアトリスのことも苦手だった。

 どうも向こうも臆病で卑屈なジョージのことが嫌いらしい。



「ギード・ストレリウス! アンタのその申し出は、彼に対してとても不利なものよ!」


 ベアトリス=アルマ・フェイタ・アードラー。

 貴族のような名前だが、彼女もれっきとした普通科の生徒であり、身分は平民だ。

 

 というのもベアトリスは若干複雑な事情の人で、彼女の祖父まではまだ高貴な貴族だったらしい。

 なのに失敗を重ねて貴族としての爵位を失ったことで、彼女の父は貴族ではなくなった。


 その後に生まれたのがベアトリスなのだが、父は失った爵位を惜しみ、娘に貴族としての名を付けたという。


 ベアトリスの両親についてはあまり良い噂を聞かない。

 毎日酒を飲んでいるとか、不倫しているとか、いいや母は出ていったとか、すごい借金があるとか、散財癖があるとか、散々だ。

 直接聞いたわけではないのでジョージには真実が分からない。



 おそらくベアトリスは尊大な言動のユリウスのことも気に入らないと思っていそうだが、しかしだからと見捨てようとは思わなかったらしい。

 いつも毅然とした気の強い人だが、誰彼構わず攻撃的でワガママなわけではない。


 ベアトリスはベアトリスなりに公正な人だ、ただ怖いだけで。



「お嬢様、何を邪魔しに来てるんだよ?」

 

 割って入ってきたベアトリスのことを、面倒そうにギードを見下ろす。


「俺達はちゃあんと公平に勝負を決めてるじゃないか、なあ? 何か不満があるか?」


 ギードはニヤニヤとしながらユリウスに尋ねた。

 

「特に不満は無い」


 ユリウスも淡々と答える。


 これでは女子生徒――ベアトリスの行動がまるで、空気を読めない行動だったみたいだ。

 しかしそれで納得しないのかベアトリスはユリウスの方を向いて睨んだ。



「今言われてること分かってる? 魔法決闘で決めたことは絶対なの! どんなに理不尽なものでも、負けたら絶対に従わないといけないわ。 下手したらアンタは一生そいつの『下僕』なのよ!?」

「俺は『不満は無い』と言っている」


 ごくごく普通にユリウスは返事した。

 ユリウスの心にはさざ波一つ起きていないに違いない。


「しかも介添人はそいつ! この意味分かってる? ギードの味方して、アンタに不利な事を言うに決まっているわ!」

「ジョージ・ベパルツキンは不正をしない。 とても正しい判断をする」


 ユリウスは、普通に言った。


 ジョージは、自分に見えないナイフが刺さったような気分になった。

 今さっきユリウスの前で、ギードの不正行為に協力するように、言われたのに。


 物凄く嫌味を言われているような気がした。



「ハハッ。 ああそうだよ、なあジョージ君? お友達だからって贔屓なんか、しないだろ?」


 ユリウスとギード、両方から圧を感じる。

 ベアトリスからは激しい疑いの念を感じる。

 

 逃げ場がないジョージは、床を見る。

 ヴィオーザ学院の食堂の床は、たかが床なのに、ジョージの家よりずっと質の良い石材が使われているようだった。

 磨かれた床で、自分のひどく情けない顔がよく見える。


「うん」


 ジョージは頷く。

 この場にあってやはり一番恐ろしいのは、ギードだ。



「あのねぇ!」


 ベアトリスは怒った顔でジョージを睨み、ユリウスを見る。

 しかしやはり、ユリウスの表情には後悔も感情の揺らぎも、何も無かった。


「アンタは魔法と運動が得意みたいね。 授業ではご立派にやれるでしょうけど、これは魔法決闘よ? 殺し合いではなくても立派な戦い! どれだけ自信があるのか知らないけど、ギードに勝てるわけないじゃない!」

「ハハハ、あまり言ってやるなよ」


 へらへらとギードは笑っている。


 ギードは魔法決闘に自信がある。

 なんといってもさっきのアソールは、あくまでも決められた魔法しか使えないルール下にあった。

 そしてギードが最も得意とする魔法は、アソールでは禁止されている魔法であり、魔法決闘ではとても有利な魔法だ。


 ジョージも『もしギードと魔法決闘で戦うなら』と思うと、震えが止まらない。

 あんな魔法に勝てるわけがない。

 ストレリウス家があんな優れた魔法特性と後ろ盾を持ちながらも貴族になれないのは、ギードほど使いこなせる人間が、今まで居なかったからだ。



「いい!? ギードの、ストレリウス家の魔法特性は――」

「聞く必要は無い」


 ベアトリスのせっかくの親切を、ユリウスはばっさりと切り捨てた。



「自慢の魔法はいくらでも使うといい。 どうであれ、俺が勝てばいいだけだ」

「何よ! そんなに自分の魔法に自信が――まさかアンタも魔法特性持ちだっていうの!?」


 ベアトリスは声を上げた。

 ジョージも思わずユリウスを見る。


 

 大抵の人間、魔法使いは同じような魔法を使う。

 そんな中で特定の家系の人間だけが得意とする魔法の方向性があり、それを『魔法特性』と呼ぶ。


 言うなら魔法の才能。

 他の魔法がどんなに下手でも、その魔法だけは上手に使えるという。

 そういう、特別な才能のことだ。



 この国、この世界に存在する魔法特性持ちは、ほとんどが貴族や王族である。

 全ての魔法特性は国によって管理され、しっかりと把握されている。

 だからこそ、ジョージやユリウスのような一介の平民が持っているわけがない。


 中には複数の特性持ちや、突然変異としてただ一人生まれる魔法特性持ちが居るというが、まさかユリウスがそうだというのだろうか。



「俺が持っているのは師匠の元で身に着けた魔法と技術だけだ。 魔法特性など、持っていない」


 ユリウスは淡々と答えた。

 魔法特性を持っているならそれは自慢するべき事だから、秘密にする理由など無い。

 なので本当に持っていないのだろう。


「ハッ、なんだよ。 じゃあ思い上がり野郎が俺の魔法に勝てるって? アソールみたいな! お行儀が良くてつまらない、ただの玉投げ遊びとは違うんだぜ? ちょーっと魔法がお上手だからって――」

「御託はいい。 決闘はいつだ」

「…………」


 ギードは笑う。

 自分の勝利を確信しているのだろう。



「今からだ!」


 周囲の生徒達は歓声をあげ、ベアトリスは顔をしかめて溜息を吐いた。




 ~・~・~・~・~・~




「また魔法決闘の申請ですか、やれやれ普通科の生徒は血気盛んですね」


 昼の気が抜けた時間、授業と授業の合間にある長い休憩時間に教師達は窓を見ながらくつろぐ。


 手にはコップ、中には各々の好きな飲み物。

 教師達のための休憩室で、のんびりと穏やかな午後を過ごしている。



「それで、今回は誰が魔法決闘を?」

「片方はギード・ストレリウス、一年二組所属。 ストレリウス家の長男ですね」

「へえ、それはまた……相手は災難ですね」


 教師は小さく笑う。


 普通科で魔法特性を持っている生徒はごく少数で、その多くが優等生だ。

 中でもギードの家の魔法特性は、特に戦闘において強力なものだろう。


「もう片方はユリウス・ヴォイド、同じく一年二組です」

「……? 聞いたことのない名ですね」

「彼は家庭の事情で遅れてしまったんですよぉ」


 後ろから声をかけられ、教師達は振り向く。

 そこには普通の倍の横幅を持つ男性教師がいつも通りのんびりとした顔をし、砂糖とミルクを大量にぶちこんだ紅茶入りのカップを持って座っていた。



「おやダーネスト先生、今回の決闘はどちらも貴方の担当生徒ですね。 それで家庭の事情とは……ああ、今日から遅れて来たという生徒が、その人物ですか」

「はい」

 

 にこにこと笑いながらモルツィオは紅茶を飲む。


「やれやれ、どのような家庭の事情か知らんが、この名誉あるヴィオーザ魔法学院に所属出来る以上の事情とは何なのです?」

「家族に不幸があったから、ですよ」


 ユリウス達の担任教師であるモルツィオは、ある程度の事情は聞いている。

 少なくともユリウスの場合、本当に家庭の事情だ。

『家族に不幸があったため動けなかった』ということになっている。



 流石にように遅刻の書類すら届くのが遅いのは、看過出来たことではないが。


 しかし、モルツィオはそういった個人的な事情を話そうと思わなかった。

 家庭の事情なのだから仕方ない。

 彼の親の都合もあるだろう。



「それでそのユリウスという生徒はどのような生徒ですか? ヴォイドとは聞いたことの無い家名ですね。 ストレリウス家と張り合おうというのだから、さぞや高貴な貴族の後ろ盾があるのでしょ?」

「彼はごくごく普通の、特筆すべき点の無い一般的な平民ですよ。 僕は悪い子だとは思いませんね」

「……では、後見人は? 何処の出身です?」


 ヴィオーザ魔法学院に入ろうと思えば、まず後見人が必要だ。

『この人物は信頼するに値します』という親族以外の、一定以上の社会的な認知度のある人間による後見が無ければならない。

 大体、貴族のことである。



 大抵の平民は貴族と関わりが無い。

 なので出身地の領主が後見人となることがほとんどの場合だ。


 魔法の才能が有るとか無いとか人格とか以前に、まず後見人が居なければ始まらない。

 後見人が居てようやく、入学試験を受ける資格を得られる。

 もちろん、これで適当な縁故と贔屓で選んだところで、本当に才能が無ければ何処の貴族や王族が後見人だろうと後で落とされことになる。



 

「ユリウス君はヴィオーザ領の出身です。 間違いなく、ヴィオーザ侯爵ご本人による書類がありますよ」

「ヴィオーザ侯爵……ですか……」


 教師達は口ごもる。


 いったい何処の貴族かと思えば、よりによってヴィオーザ侯爵だ。

 この学院でヴィオーザ侯爵を知らない人間が居るわけがない。

 


 この国において由緒正しい歴史と血統を持つ、五つの超名家。

 建国当時から存在し、魔法の面でも政治の面でも大きな権力と金銭を持つ。


 五大名門と呼ばれる彼らのうち一角、国内一二を争う力の持ち主であるヴィオーザ侯爵家は、このヴィオーザ魔法学院の創立一族だ。 

 つまり教師達を雇っているのがヴィオーザ現侯爵であり、その父の先代侯爵の現理事長となる。



「ユリウス君の遅刻届にも、ヴィオーザ侯爵の判が押されています。 なので彼の遅刻は、ヴィオーザ侯爵にも『正当性がある』と認められているのですよ」

「そ、そうなのですか……」

「ヴィオーザ侯爵がそうおっしゃるのであれば仕方がない……」


 教師達は黙った。


 ヴィオーザ侯爵が『正しい』というのなら仕方ない。

 その男子生徒には、よっぽどの事情があったのだろう。

 




「…………いやまあしかし、つまり、アレですか」


 教師の一人が、ずれた眼鏡をかけ直す。

 

「その人物は……実質入学初日から、いきなり魔法決闘を起こしたということになりますね?」

「そうですねぇ」


 ヴィオーザ侯爵家は他の貴族よりも非常に厳しい基準をもって後見人を務めている。

 どんな立派な生まれであっても、水準を満たさなければ後見人にもなることはない。

 出来の悪い生徒を送ることは家の恥に繋がるから当然だろう。 創立記念一族なら尚更だ。


 なのでヴィオーザ侯爵家が後見についた生徒は、その多くが非常に優秀な生徒ばかりだった。



 逆を言えば、ヴィオーザ侯爵家を後見人につけておきながら問題行動を起こす生徒など、絶対に居てはいけない。

 あの家を敵に回したら、この学院どころかこの国にすら居られなくなるに違いない。

 そんな勇気のある人間が、この世に居るのだろうか。


「ストレリウス家のことをよく知らなかったのでしょうが、自分の迂闊さのせいでヴィオーザ侯爵の反感を買ってしまう可能性を考えないとは愚かな人物ですな」

「まあヴィオーザ侯爵も理事長もエルフリーナ様も含め、あの一族は代々おおらかな人物です。 魔法決闘に負けた程度では怒らないでしょう」


 うんうん、と教師達は頷いた。



「それにしても入学から数日で喧嘩――おほん、魔法決闘をする生徒は居ますが、初日にいきなりとなると…………例の『魔女』を思い出しますね」

「………………」


 それを聞いて年配の教師は黙った。

 その場に居た、二十年以上学院勤務の教師が、全員沈黙した。

 言った本人ですら、苦笑いしていた。



「『魔女』?」


 比較的若い教師であるモルツィオは何処か大袈裟に首を傾げる。


「ああ、ニーケ・アマルディさんのことですか!」


 それからすぐ、納得したように頷いた。


「初日から魔法決闘を起こし、挙句の果てには毎日毎日『アタシより強い自信ある奴は全員かかってこい』と挑む生徒をちぎっては投げちぎっては投げ! あははは、懐かしい!」

「笑いごとじゃないんだよ!」

「初日にいきなり初代学院長の銅像を破壊したんだぞ!?」

「だけど、あの頃は学院はいつも賑やかで良かったじゃないですか」


 頭を抱える先輩教師達とは反対に、モルツィオはとても朗らかに笑う。

 その当時、モルツィオはこの学院の生徒だった。

 なのでその時のことはよく分かっている。



 この学院は魔法使い並びに魔女を育成する場所だ。

 そんなところで『魔法使い』や『魔女』とわざわざ呼ばれる人間は十年に一人居るか居ないか、天才も天才の称号である。

 同時に、学院の歴史に爪痕を残す問題児にのみ送られる称号でもある。



「傍若無人、自信の塊、無敵、自己肯定の化身、生きた理不尽、人型の嵐、ドラゴンも避けて通る女……あと何があった?」

「十年ほど前にはヴィオーザ侯爵家の邸宅に突然現れ、高笑いしながら邸宅を半壊させたらしい。 侯爵や理事長が笑い話として済ませてくれたからいいものの……」

 はあ、と年配の教師は息を吐いた。


 当時のことを知る人々にとっては悪夢のような日々であり、今の生徒だって『ニーケ・アマルディの真似はするな』と言われる対象である。

 おそらく『ニーケ・アマルディ』の悪名を知らない生徒は居ないだろう。

 なんといっても『魔女』あるいは『魔法使い』とまで呼ばれる人間は、彼女以来現れていないのだ。



 あれから何人もの天才達が学院に現れ、今の学生達だって優秀だ。

 問題だってそれなりにあったし、今居る優秀な学生に問題児が一人も居ないわけではない。


 それでも『ニーケ・アマルディに比べたらおとなしい』と言われてしまう。

 それほどの絶対的な影響力を彼女は持ってしまったのだ。

 

 きっと今後どんな人物が現れても、やはり『あのニーケ・アマルディの方がひどかった』と言われ、『魔法使い』の称号が与えられることはないだろう。



「でも場合によっては彼女の息子あるいは娘が居て、もしかしたらこの学院に来るかもしれませんよ」

「恐ろしいことを言わないでくれ、ああいうのは一人で十分だ!」

「彼女に子供が居るわけないだろう!? 彼女に子育てさせるぐらいなら、我々が育てた方がその子のためにもなる!」


 教師達は次々と悲痛な叫びをあげ、頭を抱えたりをしていた。

 当時を知らないような若い教師達も彼らの様子を見て、そして噂を思い出して苦笑いをしている。


 そしてこれらの惨状を見て、モルツィオはにこにこと笑った。



「今のところ『アマルディ』姓の人間は居ない。 そして、彼女に子供が居るという情報は聞いていない!」

「もし居れば確実に我々の耳に入るでしょうからな!」

「左様、彼女の身内は我々の味方。 弟子だろうとなんだろうと、何かあれば我々のために教えてくれるはず」

「せめて退職するまで平和であってほしい……」

 

 モルツィオ以外の、ニーケ・アマルディという女を知る人々は頭を抱え、あるいは開き直ったように笑う。

 それと同時に『アマルディ』という、危険人物と同じ姓を名乗る人間が居ないことに、大いに安心し安堵の息を吐いた。



 もし仮に、アマルディ姓の人間がこの学院に現れれば。


 今まで学院を訪れたどのような王族や貴族の生徒よりも最重要な危険人物として認定し、監視する。

 彼らは怯えながら『アレよりどれぐらい大人しいか』を考察するだろう。

 



「ニーケ……アマルディ?」


 そして比較的新参教師のチュリリイネは、偶然通りがかって首を傾げた。


「ニー……?」


 一人で呟く。

 そうやって五度ほど繰り返し小さく呟いてから、また一人で首を傾げたのだった。



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