第5話 浮遊魔法
「じゃーあ、皆ー? まず、先生のお手本を見せるわネ。 『我が指定に応じ、浮遊せよ』」
チュリリイネが杖を軽く上へと振るえば、彼女の足元にあるボールがふわふわと浮いた。
急ぎ足ぐらいの速度でチュリリイネの頭より上へと浮かび、高い天井まであと半分というぐらいでいくと、チュリリイネは再度杖を横に振るう。
「『停止し、留まりたまえ』」
ボールがその場で止まった。
落ちることなく数秒浮かび続ける。
その様子を確認して、チュリリイネは下に杖を丁寧に振り下ろした。
「『降下せよ、我が元へと下りたまえ』」
浮いたボールはゆっくり、さっきと同じ速度で降りる。
そしてチュリリイネの足元に、さっきと全く同じ位置で跳ねることなく置かれた。
「はーい、これはあくまでも準備運動ですからネ? 先生と同じようニ、浮かべて、止めて、ゆっくり降ろしてくださーイ」
とても涼しい顔で、なんともないようにチュリリイネは両手を広げた。
「……なるほど」
ユリウスはとても感心して呟く。
まず当たり前だがボールは勝手に飛ばないし、宙に留まったりしない。
それを可能にするのが魔法である。
ボールを浮遊させ、停止、そして同じ速度で降ろし着地させる。
最低でも三つの魔法を連続使用しているし、制御は容易でないだろう。
先程のチュリリイネの場合、とても分かりやすいお手本を示している。
魔法に必要なものは何より『結果を想像する力』だから、今の分かりやすく簡単な結果は、お手本として完璧に近い。
(彼女ほどの実力者なら、本来であれば詠唱も杖も不要だろうな)
ずっと浮いているし、間違いなく高い実力の持ち主だ。
名門で実技魔法を教えるに相応しい能力を持っている。
これで不慣れな者が同じことをすれば、自分もボールと一緒に上下していたに違いない。
「それじゃあ皆さーン、一緒にいきますヨー? せーの、『我が指定に応じ、浮遊せよ』」
「『我が指定に応じ、浮遊せよ』」
ユリウスは杖先をボールに向け、詠唱する。
本当ならこの程度の魔法に杖も詠唱も必要無いが、だからと此処で逆らう理由は無い。
頭の中で想像するのは、さっきのお手本と同じように浮かぶボールの姿。
するとユリウスのボールがふわりと浮かび上がり、チュリリイネが見せたのと同じ速度で、同じ高さに到達する。
やはり簡単だ。
「『停止し、留まりたまえ』」
「『停止し、留まりたまえ』」
チュリリイネと同時に、全く同じ動きでボールを止める。
何人かの生徒が止めることも出来ず、ふわふわと上昇させ続けていた。
あるいは、まだユリウス達の高さにも到達していないか。
「『降下せよ、我が元へと下りたまえ』」
「『降下せよ、我が元へと下りたまえ』」
そしてユリウスはチュリリイネと全く同じ、完璧にボールを降ろし、転がることもさせずに床に戻した。
「アナタは初めての割に、なかなかお上手ネ。 大したものヨ?」
生徒を見て回っていたチュリリイネは、ユリウスの近くまで飛んで来て褒めた。
表情自体は大して変わらないが、口元は僅かに緩んでいる。
「良い先生のところで修行をしたのネ、アナタの魔法はとても丁寧ヨ。 魔法の才能だけでは、魔法の制御は伸びないワ」
「当然だ、俺の師匠はとても優れている。 師匠よりも優れた魔法使いは居ないだろう」
師匠を褒められて、ユリウスは嬉しくなった。
やはり自分が褒められるより、師匠が誉められている方がずっと嬉しい。
「ふぅん、そんなご立派な人なら、私も知ってる人かしラ? お名前ハ?」
「ニー…………」
師匠が誉められたことに浮かれてついつい名前を言いかけて、ユリウスは口を閉じる。
危ないところだった。
師匠の名前も、秘密にしないといけないのに。
「……師匠は俗世間に知られていない人物だ。 名を教えたところで、理解出来ないだろう」
「あらまア」
チュリリイネは、ぱちりと目を瞬かせた。
しかし静かに、楽しそうな笑みを浮かべる。
「どこのどなたであれ、私は魔法が上手い人は大好きヨ。 いつか会ってみたいわネ」
「機会があればな」
あまり浮かれたことを言わないように自分を戒めつつ、ユリウスはそう答えた。
師匠はあんなに優れた人物なのに、しかしどういうわけか、師匠を褒める人間は少ない。
『あんな性格で無ければ』とか『魔法の才能に人格が吸われた』とか、魔法以外に関しては散々な評価ばかりだ。
だからこそユリウスは師匠を褒められることがとても嬉しいのである。
それに比べて、とユリウスは他の生徒達を見る。
自分以外の、何人かの生徒は制御を失って落としてしまったり、降ろしたボールが僅かな油断で転がってしまったりしている。
チュリリイネのお手本通りに出来ている生徒は僅か五人ほど。
このクラスに所属する生徒は二十二人、ユリウスを抜いて二十一人になるその内の、たったの五人。
(……これが、ヴィオーザ魔法学院の生徒なのか)
期待していたわけではないが、がっかりした。
国内外から優秀な人材を集めているはずのヴィオーザ魔法学院であっても、この程度らしい。
三つの魔法の連続使用であったとしても、そこまで難しい要求をされていないというのに。
(……いや、俺の場合は師匠が優れていたからな。 師匠に師事した俺は、偶然他の人間よりも早く出来るようになっただけだ。 彼らが劣っている、などということは断じてない)
ユリウスはすぐに、己の中の勝手な失望を振り払う。
何と言っても彼らはまだ十三歳、まだ未来がある。
勝手に生徒達に失望するには早い。
それに、ユリウスと切磋琢磨出来るような能力のある人間が居るとは、そもそもあまり期待していなかった。
そういう面では師匠に教わり、魔法犯罪者たちの相手をする方が遥かに経験となるだろう。
だからこそユリウスは、どんなに名門だと言われようとこの学院に行こうなどとまるで思わなかったのだから。
(師匠には『友達を作れ』と言われただけだ。 学院で学ぶことで、俺が更に強くなることは期待されていない……)
師匠がそう言うのだ。
きっと、この学院には強い人間は居ない。
少なくとも普通科においては望めないだろう。
もしかするとユリウスが知らないだけで、師匠のように天才的に規格外で強い人間が居るかもしれないが――そんな、砂漠を適当に掘って大粒の金剛石を見つける可能性に期待しても仕方ない。
(それにジョージ・ベパルツキンのように、実技以外に才能のある生徒も居ることだからな)
気を取り直して、期待をこめてジョージを見る。
彼のボールは遅れており、今やっと停止を数秒経過したところだ。
そこから魔法を詠唱し、杖を力強く振ることで、非常にゆっくりとした降下を始めていた。
とても、遅い。 他の生徒よりも一段と遅い。
ジョージの視線はボールへ、必死の形相で注がれている。
眉間にその年齢とは思えないほど皺が寄り、とても集中をしているようだ。
今の彼には『いくら苦手だからって力を入れすぎだ』などと言っても無駄に違いない。
(此処に居る全員、そうだ。 俺は師匠が優れていただけで、スタート地点は彼らと変わらない。 つまり、いつか彼らは俺と同じ地点に到達するだろう)
そうなってくれたら、今度こそ彼らと切磋琢磨出来るようになるはずだ。
それが学院所属中に達成出来るかはともかくとして。
全員がようやく終わったのを確認してから、チュリリイネが口を開く。
「はーい、じゃあもう一回同じことしますヨ。 遅くても、下手でもいいから、まず一つ一つを丁寧にしましょうネ。 『我が指定に応じ、浮遊せよ』」
チュリリイネからそう言われ、ユリウスは再び続いた。
~・~・~・~・~・~
「それじゃ、準備運動も終わったことなのデ」
教師チュリリイネはパンと両手を叩き鳴らした。
音を聞いて、準備運動をしていた生徒達はチュリリイネに注目する。
「次はアソールの試合をしまス。 ……アソールのルール、知ってまス?」
チュリリイネは小さく首を傾げ、ユリウスに尋ねた。
アソールというのは、異国発祥の魔法競技の一つだ。
箒にまたがって空を飛び、杖でボールを浮かし、高いところにあるゴールへとボールを投げ入れる。
制限時間中により多くの点数を入れた方の勝利。
そういう、分かりやすく簡単なルールだ。
ただし、ボールを持った相手に魔法による妨害が許されている。
それは味方側もそうで、意外に盛り上がる魔法競技だ。
師匠が言うには『派手な魔法を使った方の勝ち』らしい。
確かに、より派手な魔法を使うということは、より有効で分かりやすい妨害や攻撃をしているということなのだから、事実だろう。
(ちなみに事前に毒や呪いを仕込むのは禁止らしい。 一番有効な手段だと思うが)
ユリウスも師匠と一緒にアソールの試合を見たことがある。
正確にはその裏で行われているらしい取引の阻止という第四魔法騎士団の仕事だったが、師匠は試合を見る方に集中していた。
熱狂するあまりにこっそり魔法を使い贔屓のチームを勝たせようとする客を『つまらないことしないで』と背後から蹴り飛ばしていた。
一通りのルールは把握しているので、ユリウスはチュリリイネの質問に対して「知っている」と答えた。
「なるホド」
こくり、とチュリリイネは頷く。
「本当のアソールは、全部魔法でやってます、空だって飛んでまス。 でも一年生には危ないですかラ、魔法を使うのは『投げる』と『保持する』だけでス。 空を飛ぶ必要はありませン、頑張って走ってくださイ。 ゴールもあそこでス」
チュリリイネが示したのは、ユリウスでもジャンプすれば届きそうな位置に吊るされた四角い枠だった。
よく見れば四角の枠は四つ、二つずつ向かい合った位置にある。
更に下には長方形に区切られたラインが二つ並んで敷かれ、どうやら本来のアソールで行う面積の半分も無い場所で試合をするつもりらしい。
一年生なので『こんなもの』のようだ。
「じゃ、皆さん、前と同じ四つのチームに分かれてくださイ」
そう言われて、生徒達はまばらに、それぞれに動きだした。
どうやら前回の授業でも同じことをしていたらしく、大体決まったチームがあるらしい。
男女の比率が分かりやすく片寄ったチームが四つ誕生した。
「ではまず二つのチームで試合、残った人達は点数を数える人と審判、残りは見学ネ」
言われて、素早く試合するチームと見学のチームに分かれる。
ユリウスはあっという間に取り残されてしまった。
(俺はどうしたものか……)
一人でぼんやりとユリウスは考える。
はっきり言って、ユリウスとまともな勝負が出来る生徒がこの中に居るとは思えない。
ユリウスの知っている情報と照らし合わせても、実戦勝負となると、ユリウスの勝利となる結果しか予想出来なかった。
なので、ユリウスが入ったチームは、他にどんな人間が居たとしてもユリウスの居るチームの圧勝だろう。
だったらどれに入っても同じだ。
そしてユリウスは全ての生徒と友達になるつもりだ。
(既に二人も友達を作っている以上は、他のチームに入るべきだろうか)
となると、女子チームに入った方が良いのかもしれない。
幸いにも女子チームの生徒達も、ユリウスのことをチラチラと見ていて、大いに興味があるらしい。
彼女達と友達になるのは容易だろう。
「よお、転入生」
ユリウスが考えていると声をかけられ、ユリウスはそちらに視線を向けた。
金髪を逆立てた長身の男子生徒――ギード・ストレリウス。
実戦の成績において最もユリウスと勝負が出来るかもしれない、という人物だ。
「何の用事だ」
「おいおいそんなに睨むなよ」
「……?」
自分の目つきの鋭さにすらあまり自覚の無いユリウスは、彼の言っていることがよく分からなかった。
もちろんユリウスには睨んだつもりなど微塵も無い。
ただただ、ごく普通に見ただけだ。
「転入生クンさぁ、さっきの魔法見てたぜ? 他の奴よりはよっぽど魔法がお上手じゃないか」
ギードもまた、同じぐらいのことが出来ていた。
だからほぼ謙遜だろう。
「つまり、魔法に自信あるんだろ? 『俺は特別です』って顔に書いてるもんな」
そんなことを顔に書いた覚えも無い、とユリウスは大真面目に思った。
「……自信は有る」
少なくともそれなりに魔法には自信があったので、ユリウスはそう返事する。
するとギードはぴくりと頬を動かし、口の端が一瞬釣りあがった。
「……へえ、迷わずお返事なさるとは……相当自信がお有りのつもりらしいなぁ?」
「そうだな」
頷く。
少なくとも、本来のアソールのルール通りに宙に浮いて試合をすることは可能だ。
(一流の選手といきなり試合しろと言われれば対処に困るが……)
気にすることといえば、その程度である。
少なくとも『一年生の授業』では憂慮するべき点が見えなかった。
「おお、そりゃあすげぇ。 転入生クンは大変な自信家でいらっしゃるぜ。 そんなカッコイイ杖使ってらっしゃるぐらいだもんな!」
ギードは大げさに両手を広げる。
彼のチームメイトらしい生徒達はそれぞれの顔をして頷いた。
「まさか、実はアソールのプロだーなんておっしゃるつもりじゃあないだろうな?」
「やった事は無い」
とは言ったものの一応、やってみたことはある。
が、相手は規格外と天才の化身のような師匠である。
『試合をする』とか以前の、大人が赤子の手をひねるようなことにしかならなかった。
「なあ先生、この転入生クンは何処のチームに入れても良いんですよね?」
「ええ、良かったらアナタのチームに入れてあげテ?」
ふわふわと浮きながら、チュリリイネは少しやる気の無い返事をする。
「じゃあ、転入生クンはオレと同じチームってことで。 このオレ達が、お友達になってやってもいいぜ?」
ギードはユリウスの肩を親しげに叩いた。
全く痛みは無かったが、ユリウスは叩かれた肩を見て、ギードを見た。
「友達、だと……?」
とても驚いた。
何故ギードは、ユリウスの考えや目的を悟ったのだろう。
確かにユリウスは最初、『仲良くしよう』と、
が、彼の思考はとても素早く、そして的確だ。
驚愕の理解力といえる。
「は、んぁ? なんだよ。 まさか転入生クン、この程度で痛いって因縁つけようってーの?」
ギードは何を気にしたのか、慌ててユリウスから離れる。
「痛みを感じるほどではない」
感じるとすれば、ギードの篤い友情である。
「ははは、大丈夫大丈夫心配すんなって。 オレが居るチームは、どんな相手だってボコボコに出来るからよぉ。 それに、オレ達の相手はアレだぜ?」
ギードが指差したのは、相手らしいチームだ。
六人で構成され、居るのは男子生徒――ジョージ・ベパルツキンが含まれている。
ギード達のチームに比べて、実技面の乏しい生徒が集まったチームにも見えた。
(……『ボコボコにする』?)
その意味を、ユリウスは頭の中で何度も反芻する。
それは相手を再起不能にする、といった意味の言葉だ。
師匠もよく言うが、つまり相手と自分の戦力差を知っていて、自分が優位と知っているということになる。
向こうに居るジョージ含めた六人の名前は、もちろんユリウスは把握している。
しているが――全員、実技があまり得意でない生徒だ。
反対にギード達のチームは、ギード・ストレリウスを筆頭に実技の成績が優れた生徒が集まっているように思える。
(俺が知っているのは、あくまでも入試の成績だ。 それから一ヵ月も経過しているため彼らも成長しているだろう、だから俺の知識は正確な判断とは言えない――が、それでもジョージ・ベパルツキンのチームと、ギード・ストレリウスのチームは戦力に差があるように見える)
所詮は同い年の子供同士だ、戦力差をずるいと訴えるほどの差ではない、のだが。
あちらのチームは、成績を知らなくとも、体力面や単純な運動においても不安がある生徒で構成されている。
もちろんこれは魔法競技のアソールなので、単純な体格差だけで判断することは出来ない。
が、どう見ても、差がある。
ユリウスはチュリリイネを見る。
視線が合えば、少し眠そうな顔で首を傾げられた。
どうやらこの見た目からして分かりやすい戦力差について、彼女は何とも思っていないらしい。
「彼らと試合をするのか」
「おお、そうだよ。 あんな弱い連中、オレが居ればボコボコにするのは簡単だっての」
「…………お前には、自分より弱いと分かっている人間を倒すことに喜びを感じるのか?」
あまり褒められた趣味ではない。
どうせ戦うなら、自分より強い相手であった方が嬉しいのではないか。
「あ? なに、弱い者苛めだって? そんなわけないだろ、オレが悪い奴みたいじゃーん」
「悪人だとは思っていない。 ただ、
「……ハハッ!」
趣味を指摘されて、ギードは顔をしかめた。
「何? オレ、何か悪いことしてますぅー? 此処を何処だと思ってんの? 魔法学院よ? 強い奴が正義なの」
そしてギードはユリウスを見て、にっこりと笑う。
「転入生クンさぁ……ちょーっと魔法に自信があって、ちょーっと目立ってるからって、あんまり調子に乗らない方が良いぜ? な?」
低い声でそう言い、ユリウスの肩を掴む。
さっきよりも重く力が込められていたが、岩も砕く師匠の拳に腹をえぐるように殴られたことがあるユリウスにとっては大した力ではなかった。
なので、ユリウスはギードの発言の意図に気付かない。
「俺は、お前のその趣味を楽しいものだと思えないというだけだ。 自分より弱いと分かっている人間を倒すのは、そんなにも楽しいか? 理解に苦しむな」
ユリウスはユリウスなりに、ギードのその楽しみを理解しようと思った。
楽しいからそういうことをするのだろう。
しかし考えてみても、何が楽しいのかまるで想像がつかない。
自分より弱い人間を倒すことに、いったい何の楽しみが生まれるというのか。
「もう一回言ってみろよ、転入生!」
だというのに、自分の趣味を拒絶されたと思ったギードはそう低い大声をあげた。
大抵の人間なら驚くか怯むところだが、ユリウスは全く驚かなかったし怯まなかった。
第四魔法騎士団に所属し、自分より強面の人間、そして犯罪者達と接してきたユリウスにとって、ギードは恐ろしいものに見えなかったからだ。
たかが十代前半の子供が叫んだ程度、驚くに値しない。
なのでユリウスは冷静に、とても冷静に、ギードに求められた行動をとった。
「俺は、お前のその趣味を楽しいものだと思えないというだけだ。 自分より弱いと分かっている人間を倒すのは、そんなにも楽しいか? 理解に苦しむな」
一言一句、そのまま。
丁寧に、言い方も全く同じで、復唱して見せた。
「なっ、んだとお前ェ!!!!」
そして自分でそうするように求めておいて、ギードは怒り狂った。
呼吸は荒く、脈も速い。
明らかな興奮状態だ。
手を伸ばし、ユリウスの胸倉を掴みあげる。
この様子を見ていたらしい女子生徒から悲鳴があがった。
「自分の趣味を否定されただけで、その反応か?」
胸倉を掴まれた状態のまま、ユリウスは言う。
身動きが取れないわけではないし、ギードを逆に投げ返すことも出来たが、別に反抗しようとは思わなかった。
本当に誇りを持つことなら、今日会ったばかりの人間に否定されたところで怒りはしないだろう。
「ちょっと、そコ? 喧嘩でもやるつもリ?」
状況をずっと見ていたチュリリイネは、少し険しい顔をしていた。
ユリウスやギードよりもやや高いところに浮きながら杖を見せつつ、二人を見下ろす。
「私は意味の無い暴力なんて許さないワ。 今は授業中ヨ?」
これに冷静さを取り戻したのか、ギードは慌ててユリウスを離す。
「先生! これは、オレがせっかくこの転入生を誘ってやったのに、生意気なクチを叩くのが悪いんですよ」
「あら、そウ? 先生の目には、暴力の手前に見えたわヨ? 今は授業中なのは知ってるネ?」
チュリリイネは場を取り繕うように両手を叩く。
「それで、貴方達のお喋りのおかげで授業が押しているのだけど、チームはどうなるのかしラ? 二人は同じチームがいいノ?」
「ハッ! 誰がこんな生意気な転入生なんか! こいつは向こうのチームでお似合いなんですよッ!」
ギードは鋭くユリウスを指さす。
「オレを敵に回して、タダで済むと思うんじゃねえぞ、転入生がッ!」
そして、ギードは元のチームの仲間のところへと戻っていく。
「一つだけ訂正しておこう」
その背に、ユリウスは話しかける。
どうしても、友達としてギードに言っておいてやらなければならないことがある、とユリウスは思っていた。
ギードは無言で、忌々しげにユリウスへと軽く振り向く。
「俺は転入生ではない、新入生だ。 間違えるな」
「黙れッ!!!」
ギードはそう短く叫んだ。
「……それで、貴方は同じチームで良いノ? 別のチームでも良いのヨ?」
チュリリイネはユリウスに尋ねる。
気だるげにしているが、教師としてやるべき事をしようという気概はあるらしい。
彼女は彼女なりに、ギードを怒らせてしまったユリウスのことを心配したのだろう。
「俺は向こうに行く」
ユリウスはギードの相手チーム、つまりジョージが居る方を示した。
示されたジョージ達が驚いたのかびくりと動く。
「あら、そウ。 じゃあそうしテ?」
「了解した」
ユリウスは大人しく、ジョージが居る方のチームがある枠に入った。
そして肝心のジョージ達には何も言わず勝手に決めたことを思い出し、ユリウスは彼らの方を見る。
「俺はこちらに入るが、何か異論はあるか」
「い、いいえッ!」
「なんにもございません!」
「ど、どうぞお好きに……」
勝手に決めてしまったが、どうやら歓迎されているようだ。
ユリウスは安心した。
しかし彼らはほぼ全員、実技の魔法に乏しい生徒達だ。
単純な運動能力でもギード達のチームを相手にすることに自信が無いのだろう。
ユリウスが味方となっても、不安そうな顔だけは続いている。
これでは勝てるものも勝てない。
(こういう時、師匠ならどう言う?)
困った時にユリウスがまず頼るのは師匠だ。
師匠はいつだって自信満々で正しく、強く、頼りになる。
そしてユリウスは『師匠ならこう言うだろう』という言葉で、彼らを勇気付けることにした。
「お前達がどれほど弱くても、俺が居れば勝てる。 心配の必要は無い」
「はァ?」
ユリウスの言葉が聞こえたらしいギードが、向こう側から不機嫌な声をあげた。
(……む)
ユリウスも言ってから気付いた。
師匠はいつだって自信満々、自尊心と自己肯定の塊なので、『自分は勝つ』という意欲に漲っている。
そんな師匠の真似をするということは、やはり『自分は勝つ』という宣言ということ。
つまりユリウス自身も、今からそれなりに本気出して勝たないといけない。
弱い者イジメの趣味は無いと、言ったばかりなのに。
(……まあ、いいか。 師匠も、子供が相手だとしても容赦しないからな)
『師匠なら確実にこう言うに違いない』という言葉だ。
だったら心強い、師匠だってこの学院の卒業生なのだから。
気を取り直し、改めてユリウスはギード達の方を見る。
「俺には、自分より弱いものを迫害する趣味は無い。 だが、今だけはお前と同じ趣味に目覚めてみよう、ギード・ストレリウス」
ずばり『弱い者苛め』の楽しさについて。
そんな趣味を持つギード自身で、ユリウスは確かめることを決めた。
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