第4話 なんで僕声かけられたのッ!?
(この人……いったい、何を考えてるんだろう……)
背後から恐ろしい圧を感じながら、ジョージは廊下を歩く。
その圧の正体は、もちろんユリウスだ。
まるで後ろに危険な虎か狼でも連れているような気分で、今にも後ろから刺されてしまいそうな気がする。
(道を覚えてるのに、僕なんかと一緒に行動するとかッ……!)
有り得ない。
何を考えているのか、全く分からない。
でもさっきからユリウスは無言で何も喋らないし、そんな圧が怖いからジョージも何も喋れない。
隣に立って歩くことすら怖くてたまらないのでジョージは先導するように、やや距離を開けて歩いている。
いったい何を喋れというのか。
そもそも彼は会話なんか期待しているのか。
(この人は絶対に会話なんて求めてない……何かこう、もっと怖いこと求められてる……!)
お金を出せとか。
奴隷になれとか。
あの顔は、そういうことを求めている。 そうに決まってる。
さっきからユリウスはジョージの背中めがけて突き刺すような視線を放っていて、まるでジョージの一挙手一投足を監視しているかのようだった。
「あっ」
「いってぇな」
角を曲がると、ちょうど向こうから曲がってきた生徒と肩をぶつけてしまった。
体の小さく鍛えてもいないジョージの方が跳ね返る。
「ご、ごめんなさい!」
咄嗟に謝る。
前をよく見ていなかった両方が悪いのだが、それでもジョージが謝る。
面倒な喧嘩を起こすぐらいなら、自分が悪ということでとにかく謝って許してもらうしかない。
「うわー肩いってぇわ。 骨折れたかも」
「えーマジー!?」
ぶつかった相手の生徒達が言う。
普通科の雰囲気は、『良くも悪くも』普通の町のような場所だ。
こういう人種だって、普通に居る。 ジョージみたいに謙虚通り越して卑屈な人間が相手だから尚更だろう。
「本当にごめんなさい! ごめんなさい!」
とにかく謝る。
もちろんジョージだって、この程度で相手の肩が折れたとは思っていない。
「は? 誠意ってやつが足りないんだけど?」
「それじゃ許せねぇよなぁ?」
「こっちは肩折れてるんだぜ? でも貧乏くさい面した奴から金取らないだけ、親切ってもんだろ?」
普段ならこういう手合いは出来るだけ避けるし、視線も合わせないようにする。
が、後ろにユリウスが気になって気になって、その他のことに対する意識がまるで足りてなかった。
(ど、どうしよう……)
この場で這いつくばって頭を床にこすりつけて謝れば許してもらえるだろうか。
金銭を要求されるぐらいなら、それで許してもらえるのならずっと良い。
「その程度で折れたのか?」
後ろから、実に冷ややかな声がした。
まるで真冬の、雪が降った早朝のように凍てついた声だ。
(し、しまった……)
今度は前のことに気を取られて、後ろにユリウスが居ることを忘れていた。
「随分と貧弱な体だな」
「あ? んだとお前………………!?」
男子生徒達が、はじめてユリウスを意識したのが分かった。
そしてユリウスを見て、固まっている。
例えるなら歴戦の暗殺者みたいな。
そういう雰囲気と顔をした、ユリウスを。
「本当に折れたのか、看てやろう」
ユリウスがジョージの横を通り過ぎて、男子生徒達の前に立つ。
ジョージから見れば大抵の男子生徒は自分より体格が良いが、その上でユリウスの方が彼らより背が高い。
「な、なんだよ、お前……!?」
「急に出てきてんじゃねぇぞ!?」
「誰だよ!?」
男子生徒達は、露骨にビビっている。
普通に生きていればユリウスのように殺意の塊みたいな人間には出会わないのだから、当然だ。
「俺の正体を問う暇があるか?」
ユリウスは彼らの動揺など一切構わず、肩が折れたと主張する男子生徒の肩へと手を伸ばした。
「えっ、うわああああ!?」
殺される、と思ったのだろう。
男子生徒は慌ててユリウスの手を振り払い、勢いよく後ずさる。
「なななな何だよ、何なんだよォッ!!」
もはや泣きそうな顔だ。
もしかしたら気迫だけで本当に骨が折れてしまったのかもしれない。
「お前の骨を看てやろうと言っているんだ」
手を伸ばそうとしたまま、ユリウスは彼を見て言う。
「しかし、どうやらその様子だと――折れてはいないらしい」
より一段冷えた声で。
自分に虚言を吐いた人間に対する、不愉快な感情を示している。
あまりのことに、ジョージの全身に一気に鳥肌が立った。
ユリウスは怒っている。
きっと彼らが五月蠅かったから、歩くことを妨害したから、怒っているのだ。
そうに違いない。
「許じでぐださい! ほんの出来心でッ!」
「ごべんなさいッ!!」
「こ、殺さないでください……!」
男子生徒達は、さっきのジョージへの態度が嘘のように、必死に謝っている。
顔は青ざめ、足はガクガクと震え、肩はびくびくと震え、口から泡でも吐き出しそうだ。
「……殺す?」
また一段と冷えた声。
心の底からの嫌悪感を、吐き捨てるかのような。
「くだらないことを……」
距離を取った彼らに対し、追い打ちをかけるようにユリウスは近付いていく。
まるで処刑人のように重く冷たい足取りだ。
その手に一切の武器は無いが――ジョージには巨大な斧でもあるように感じられた。
きっとそれは首斬り用の、血がついて錆びついた、おそろしく切れ味の悪い、最悪な斧だろう。
「俺にそのような趣味は無い。 軽々しく口にするな」
ユリウスが指を動かせば、ぽきりと軽い音を立てる。
それはまるで恐怖と殺戮の始まりを告げる鐘の音であるように、ジョージには聞こえた。
(拷問が趣味ってこと!?)
ジョージは戦慄する。
たぶんそうだ。
きっと、ただ殺すだけでは足りないと思っているに違いない。
本当に骨を折ってやろうかとか、肩だけじゃ足りないだろうとか、そういう意味だ。
同じことを思ったのか男子生徒達はより一層震えあがった。
「い、いやぁあああああ!」
「ひええええええ!」
「許してくださぁあああい!」
そして、それぞれに悲鳴をあげながら、さっきの態度が嘘みたいに、必死になって逃亡した。
きっと今のは、彼らの人生で最も素早く移動した瞬間だっただろう。
姿が見えなくなってもまだ悲鳴が聞こえるような気がする。
(……す、すごい……)
とんでもない殺気だった。
確実にユリウスは普通の人間ではない――きっと、国の裏組織とかそういうところで、暗殺とかしてたはずだ。
彼にはそういう殺伐とした空気がよく似合う。
あれがもし自分に向けられたらと思うと、きっともう死んで詫びるしかないだろう。
そう思っていると、ユリウスはジョージの方を振り向いた。
「ッ!?」
視線が合って、つい悲鳴をあげそうになった。
一切の流血は無いが、ユリウスの背後には血みどろの殺戮現場でもありそうだ。
そういう殺伐とした顔をしている。
「ジョージ・ベパルツキン」
「ハイッ!!!」
つい背筋を伸ばし、いつもの卑屈さと小声が嘘みたいな声がジョージから出た。
ユリウスはジョージに近寄り、一切の感情も無く見下ろす。
「くだらない事に時間を割くな」
「ハイッ!!!!」
たぶん『この俺の時間がお前のせいで削れた』とかそういう意味だ。
危なかった、やっぱり場合によってはジョージがやられていた。
(やっぱりこの人は普通じゃない、普通じゃないよッ……!)
ジョージは心の中で悲鳴をあげる。
どうしてこんな普通でない人間が、名門といえども此処に居るのか、まるで理解出来ない。
彼は何が目的なのだろう。
~・~・~・~・~・~
名門、ヴィオーザ魔法学院。
貴族どころか外国の王族すら在籍する学院となれば、たとえ普通科の平民だろうと求められる水準は高くなるし、人格面も見られる。
ちょっと才能がある程度の人間では、生徒にすらなれないのだから当然だ。
最低でも『将来有望な生徒』でないといけない。
将来は魔法騎士、王宮研究員、魔法医になる生徒がほとんど。
どれもそれなりに金になり、かつなるのは難しい職だ。
そうでなくとも『ヴィオーザ学院を卒業した』と言えばかなりの箔となる。
もしかすると此処に居る生徒の中には魔法騎士、更にはユリウスと同じ第四魔法騎士団に所属するだろう、つまり未来の同僚となる生徒も居るかもしれない。
そうした面を鑑みた上でユリウスが判断するに、この学院の生徒は――照れ屋が多い。
何故なら、ユリウスに話しかける度量のある人間は、今のところジョージしか居ないからだ。
現在ユリウス達が居る場所は、第四教練場と呼ばれる場所。
屋根があり、長方形に細いが、広く明るい空間だ。
仮に一般的な平民の家が天災で無くなったとしても、この建物は無事だ――と思えるほどの頑丈さをしている。
『未来を背負う有望な若者に投資を惜しんでどうする』というヴィオーザ侯爵家の博愛精神の元、何もかもがとにかく豪勢である。
周囲の生徒は、ユリウスのことを遠巻きにしてチラチラを見ている。
ユリウスが彼らを見れば、慌てて視線を逸らされてしまう。
(きっと、突然の新入りに緊張し、照れているのだろう。 奥ゆかしいことだ)
話しかけるのは恥ずかしいし、それ以上の事も出来ないといったところか。
ユリウスに『初対面の人間に話しかけるのが恥ずかしい』などという年頃の少年少女らしい感覚は残念ながら無縁なので、彼らの感覚は全く理解出来ない。
知識や好奇心の前に恥ずかしいなどと言うのは時間の無駄でしかないと、ユリウスは思っている。
が、理解出来ないからどうでもいい、とも言えない。
(ただでさえ集団生活に不馴れな俺にとっては未知のものばかり、彼らの心理に寄り添うべきだ。 俺の中の常識は、一切通用しないだろう。 いっそ常識を捨てた方が良いのかもしれない)
師匠が言うには『アタシもあの頃は若かった』らしい。
それは少なくとも、理性では説明がつかないような感覚なのだろう。
(少なくとも現段階での俺自身の問題点は『新入りである』に尽きる。 時間をかければ解決出来るだろうな)
――とユリウスは、その程度に考えていた。
自分の容姿や言動が他人にどういう感情を与えるのか、全く意識出来ていないし、認識すらしていない。
せいぜい『この髪色と目の色と肌の色がとても目立つので、自分は目立っている』という程度だ。
町を歩けばユリウスはそういう理由で目立っていた。
この国が最後に鎖国や戦争をしていたのはもう昔の話とはいえ、未だに白い肌以外の人間は物珍しい。
少なくともユリウスをこの国の人間だと思う者は居ないだろう。
実際は、この国生まれのこの国育ちで、外国に出たことはあまり無いのだが。
ましてや一般的に黒い肌の人間といえば濃い髪色が基本で、ユリウスのように白い髪の人間はとても貴重、らしい。
そんな状態なので、ユリウスが歩けば珍獣扱いで見られるのは日常だった。
(つまり『その上で話しかけてきたジョージ・ベパルツキンはとても偉大にして慈悲深い人物だ』ということだ)
ジョージと仲良く歩いていたさっきだって、彼らはユリウスではなくジョージに話しかけていた。
『骨が折れた』などというのはユリウスも町を歩いていて遭遇したことがある文言だが、きっと彼らはジョージとお話がしたかったのだろう。
これが町であれば何らかの犯罪行為の始まりなのだが、此処はヴィオーザ魔法学院、そんな低俗な人格をした人間が居られるはずもない。
彼らは人格者たるジョージと仲良くするためにキッカケを求めていただけだ。
――――と、ユリウスは思っている。
そしてその本人であるジョージは、ユリウスと近いような遠いような場所に立っていた。
他の生徒達に混ざることもユリウスと近寄ることもしない。
おそらく彼にもそれなりの恥ずかしさはあるらしいが、それでもユリウスに話しかけてくれるのだから、大変立派な人物だろう。
見習うべき点の多い人物だ。
「ジョージ・ベパルツキン」
「え、はいッ!!」
えらく気合いの入った返事だった。
背筋は真っ直ぐ伸び、今にも驚いた猫のように飛び上がりそうだ。
そこまで気合いを入れる必要があるだろうか――と考えてから、今から行われる授業は実技だったことをユリウスは思い出した。
ジョージは実技が苦手だ。
だから、まるで今から試合に挑む選手のように、己を奮い立たせる緊張の最中だったに違いない。
(まさか俺は、自分の事情ばかり優先させ、彼の集中を妨害してしまったのか?)
だとしたら恥だ。
最初の友達となる彼の邪魔をしてしまった。
「な、何でショウカ……?」
驚いたまま、ジョージはまるで言葉を話す人形のように首を動かし口を開いた。
まるで、せっかく緊張していたのに、話しかけられたくない状態だったところを邪魔されたかのような。
どうやら本当にユリウスは余計なことをしてしまったようだ。
「呼んだだけだ。 お前はそうやって緊張していればいい」
そう、緊張とは無駄ではない。
油断と慢心は、余裕からやってくるものだ。
一流の人間ならば、むしろ適度に緊張している。
なのでユリウスは、ジョージの集中を妨げないように親切心でそう言ったのであった。
~・~・~・~・~・~
(えっ、な、何? なんで僕声かけられたのッ!?)
ジョージの胸は、やたらとドキドキしている。
これは興奮ではなく緊張だ。
隣に居るユリウスという人物から半端なく感じる圧、そして生徒達から発せられる圧、どちらも感じるからこその緊張。
(急に呼んだかと思えば『呼んだだけ』って、そんなこと絶対に無いよ! なにかこう、やっぱり『お前が居ると不愉快だ』とか、そう思われてるんだ……!)
ジョージだって、気持ちとしては生徒達に混ざって無関係な第三者になりたい。
だが、ジョージがユリウスと一緒に行動してしまった時点でもう無理だ。 取り返しがつかない。
なんかもう仲間扱いされてる。
寄ろうとしても『なんでお前がこっちに来るんだよ』という無言の圧を受ける。
中でもギードは物凄く睨んでいる。
彼の性格なら確かに、ユリウスみたいに『劣ったお前達と仕方なく同じクラスに居てやる』という無言の圧を発しまくっている人間は気に入らないだろう。
ジョージの胃は、ギリギリと音を立てて痛むようだった。
ではユリウスはといえば、そういった圧をまるで物ともしない泰然とした態度のままだ。
ただ静かに授業が行われるのを待っている。
周囲の生徒から恐れられていることも全く気にしていない。
教室から此処に来るまでの道中だって、ただならぬ彼の表情にビビった生徒達がたとえ上級生でも道を譲っていたのに、そこも気にしてなかったようだ。
(ま、まさか、『やっぱお前は不敬』とか言われて暴力とか振るわれちゃうとか!?)
そうかもしれない。
さっきからずっとチラチラとユリウスを見ていたとか、案内するとか言っておいて役立たずだとか、変な距離を開けてることとか、息が臭いとか、気持ち悪いとか、そういう様々な細かい点が彼を怒らせたのだ。
でもやっぱりジョージごとき劣等生に怒るのも時間の無駄だと思い、呆れるように見捨てられたのだ。
そうに違いない。
(本当に同い年?)
そう疑うのも仕方ないほどの余裕さ。
この学院に来たばかりの最初の授業なのだから緊張してたっておかしくないのに、そういう気配はまるで無い。
もしかしたら、人間としての生は二回目なのかもしれない。
(そもそも家庭の事情って何??)
分からない。
このヴィオーザ魔法学院に通える名誉よりも優先する家庭の事情とは何なのか。
冠婚葬祭でも全部同時に来たのか。
少しだけ興味はあるが、聞くに聞けない。
『どうしてお前ごときに教えてやらなければならんのだ』とか、あの今にも人を殺しそうな表情で言われそうだ。
(……此処まで、他人なんかどうでもいいって態度で居られたら、きっと人生は楽だろうなぁ……)
いっそ羨ましくなるほどだ。
緊張なんかとは無縁の人生で、同級生どころか家族のことだってどうでもいいと思ってるに違いない。
悲しいとか嬉しいとか、人間としてごく当たり前の感情も無さそうだ。
~・~・~・~・~・~
「ンじゃ、ちゃちゃっと授業とか始めるわヨ」
授業の内容は、対人実技魔法。
その名から受ける印象としては決闘や殺しあいなど、だが。
「アナタ達、広がりなさーイ。 あんまり近いと、怪我するかもしれないわよォ?」
そう言ったのは対人実技魔法教科の担当教師。
うっすらと輝きを放つ銀髪を腰までたっぷりと伸ばし、真っ赤でよく目立つような服を着て、頭よりも巨大なとんがり帽子を被った女だ。
師匠と同じぐらいの年齢に見えるが、彼女の長く豊かな髪から尖った耳が突き出ている。 あれは
何処か無気力でやる気の無い顔だが、その場で浮遊している。
遠くに居る生徒からも自分の姿がよく見えるように、大抵の生徒よりも高い位置で、ふわふわと。
現れた時も浮いて移動していた。
やる気が無いように見えても、その実力がいかに卓越しているのかユリウスでもよく分かる。
妖精種が魔法に秀でた稀少種とはいえ、浮遊魔法をああも平然と続けるのは簡単なことではない。
(……師匠が見れば『いくら浮遊出来るからって、運動しないとそのまま脂肪になるわよ』と言いそうだ)
師匠もその気になれば、浮遊した状態のまま寝ることも出来るが、それはしない。
理由は『歩かないと太るでしょ』だ。
だからあまり転移魔法も使わないようにしている。
とはいえ、あの女教師にも無駄な脂肪は無いようだが。
「今日の内容は、この前やったのと同じ――あ、そうそウ。 そういや一人、今日から新しい子が居たわネ」
周囲の生徒達は、何か言いたげに視線をそらした。
教師はあっさりとユリウスを見つけて、何か言いたげに何度か目をぱちぱちとさせた。
「ああ、ふぅン? アナタ? 私はチュリリイネ・クローレンツ。 妖精種のハーフなのヨ。 パパが妖精種、人間のママがパパを口説いて森から追放されて出来たのが私ってことデ。 もう質問は無いでしょ、よろしくネ」
甘ったるく気だるげな声で、女教師チュリリイネは言った。
ユリウスからの返事は特に求めていないらしく、その状態のまま授業が続けられる。
「改めて説明するケド。 この授業はまずゥ、此処にあるボールを魔法で浮かせて、たかぁーく持ち上げるの。 それが準備運動ネ。 じゃ、そういうことデ」
チュリリイネは手に持った、金の薔薇と茨の装飾が施され、先端には水色の宝石がついた宝石をスイと水平に振るった。
すると足元の鉄製のカゴの中にあったボールが全て浮かび上がり、生徒一人一人の元へといきわたる。
一抱え近くある彩り豊かなボールは、見た目よりも軽く柔らかい。
思い切り投げられても、大して痛くないだろう。
(自身は飛びながらボールを配る、同時並行魔法まで使うか……)
流石は妖精種だ、としか言いようがない。
彼女がごく普通にやっていることがどれほど高度なのか、この場の生徒のどれほどが理解しているのだろうか。
「はいはーい、じゃあ皆、杖は持ってるわネ? 構えテ?」
杖とは魔法使いにとって、相棒のようなもの。
握りやすくて当然、扱いやすくて当然、見た目も好きなもので当然。
なので杖の形状は生徒によって様々で、おそらく一族伝統の古い杖や、中には身長ほどもある杖を持っている生徒が居た。
ユリウスなら別に『軽い物体を浮かせる』程度、杖を使わなくても容易なのだが、使うことが常識なら使うしかないだろう。
(この調子なら『詠唱もしなさい』とでも言われるだろうな)
杖と詠唱は、魔法の基本中の基本であり、魔法を行使するにあたってその補助をするためのものだ。
初心者ならば絶対に必要とする。
ユリウスも使い慣れた杖を取り出した。
「――おいおい、見ろよあの杖」
生徒の声が聞こえた。
あそこに居る逆立った金髪に長身の男子生徒――名はギード・ストレリウスか、とユリウスは思い出す。
優秀な魔法使いを輩出する、平民の名家ストレリウス家。
中でもギードは特に優秀、場合によっては彼の代で貴族の爵位を得ることも出来るだろう。
そんな彼を筆頭に、四人の男子生徒がユリウスを見ている。
「どんな偉そうな杖を出してくるのかと思えば、まさかのお子様向けの杖! よっぽど金が無いんだろうなァ」
「いやいや、もしかしたらアレがまだ格好良いと思ってるお年頃かもしれないぜ?」
「じゃあ言っちゃあ悪いよなぁ?」
とても楽しそうに笑っている。
誰のことを言っているのかと思ったが、視線などからユリウスに向かって言っているようだ。
(……お子様向け?)
そう思いながら、ユリウスは自分の杖を見た。
無駄な飾りの無い、太い枝のような大きさの杖だ。
素材はエドゥス木――しなりの少ない、燃えにくく頑丈な、建築に適した黒い木から作られている。
飾りらしい飾りといえば先端と反対の柄頭と呼ばれる部分に手のひらに乗るほどの煙水晶を嵌めている程度で、これが無かったら、ただ研磨されただけの木の枝に見えるだろう。
確かに他の生徒のものは握りやすく、ペンのように細い杖がほとんどなので、ユリウスのものは珍しいかもしれない。
しかしこの杖は、魔法騎士団のほとんどの人間が
魔法騎士団といえば国内の子供のほとんどが憧れる職業だというし、この杖の使用意図を彼らが知らないわけがない。
ましてや『子供向け』とするには、いささか太い形をしている。
理由は理解出来ないが、それでもおそらく、あちらのギード達はユリウスが『子供向け』らしい杖を使っていることを心配してくれたのだろう。
ユリウスは金銭的に苦労し育った人間だ、と勘違いしたに違いない。
(そんなことはない、師匠に育てられた俺はとても恵まれている。 金銭面で困ったことは無い。 よって勘違いの同情だ)
そもそも、とユリウスは思う。
他人からどう見えたとしても、この杖は師匠がくれた杖であり、ユリウスの愛用の杖だ。
師匠に『どんな杖が欲しいか』と聞かれて、指定した形状でもある。
ユリウスの愛用する魔法を使う際にもこの杖ほど適したものはそう無い。
たとえ世界一使いにくい杖だと言われたとしても、変える気はユリウスには全く無かった。
(それに、彼らの言う通り、とても格好良い杖だからな)
色も形も太さも、握りやすさも扱いやすさもユリウス好みだ。
(まだ言葉を交わしていないのにそこを看破するとは、彼らの見る目は優れているようだ)
ユリウスはギード達へ、心からの賛美を送る。
流石はヴィオーザ魔法学院。
人員の優秀さは、言うまでもないのだろう。
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