第3話 少年ジョージの災難





 ジョージ・ベパルツキンは平凡な少年だ。

 ただかろうじて勉強が出来て、ちょっと魔法の才能があっただけだ。




 それだけの理由で両親は大喜びで、近所に住んでいて昔魔法を教えていたという先生を紹介してくれて、先生はジョージに勉強を教えてくれた。

 そうしたら先生も『君には才能がある』と言ってくれて、ついにはこの名門中の名門、ヴィオーザ学院に入学出来るように取り計らってくれたのである。



 ジョージは、自分を天才だと信じた。

 王国の民の誰もが一度は憧れる、栄光の第一魔法騎士団に所属出来る。 自分はそんな天才だと思った。



 真実、ただの平民ならただ憧れて見上げることしか出来ないこの学院に入学出来たのだから、非凡だったのだろう。

 入学試験だってもちろんちゃんと合格した。


 が、入学して一か月が過ぎてからは、自分がどれほど『平凡』なのかと思い知らされた。



 右を見ても左を見ても、ジョージよりずっと優れた才能の持ち主ばかり。

 良い家に生まれ、良い教師に恵まれ、才能だって十分に恵まれている。

 彼らは頭だって良いし、魔法の腕前もジョージより上だった。



 同じクラスの生徒達と実技を比較すれば、悲しい結果ばかり。


 その上で、ジョージが所属しているのは普通科と呼ばれる、平民の生徒ばかりが所属する場所だ。

 つまり普通科においてすら劣っているのなら、もう一つある貴族科と比べるのは、もはや泥と雲を比べるようなものだろう。

 それでもととある生徒に挑んでみたが、実に無様に敗北してしまった。



 ちょっとそこらへんの人間より魔法が使える――。


 その程度で調子に乗っていたジョージは、学院に来てから自分がいかに恥ずかしい存在か、思い知ってしまった。

 だからジョージはクラスの中で可能な限り目立たないよう、誰にも喧嘩を売らないように振る舞っている。



 せめて卒業だけはしよう。

 大人しくして、問題を起こさないし誰にも目をつけられない存在になろう。

『天才ジョージ!』と称えて送り出してくれた両親に、少しでも恥をかかせないようにしよう。



 そう、ジョージは決めていた。



「ジョージくーん、おはよーさん」


 そう言ってニヤニヤと話しかけてきたのは、同級生のギードとそのお友達だった。

 金髪を逆立てていかにも強そうな外見をしていて、ジョージのように気の弱い人間にとっては天敵である。


 彼はこのクラスで一番成績の良い人間だ。

 学年以外では普通科と貴族科に分かれるこの学院において、普通科の生徒として優秀な人間。

 まだ入学して二ヶ月目にも関わらずこのクラスで一番大きな権力を持ち、誰もギードには逆らわなかった。


 それに彼の実家は有名な魔法使いのストレリウス一族だ。

 いずれは貴族の爵位を賜るだろうと言われている、優秀な一族である。


『あのストレリウス家の長男』と言われたら大抵の教師も生徒も少し感心した風の反応をするのだから、ジョージが知るよりもずっと有名にちがいない。


 もちろん魔法だって、ジョージよりもずっと上手だ。

 自分を天才だと信じて意気揚々と学院にやってきたジョージに、自分の無力さをすぐに思い知らせた天才の一人。

 そして、実技による試合でジョージを圧倒し、現実を分からせた人物だった。



「おはようって声かけてやってるだろ、挨拶しろよ」

「ジョージくんのくせに態度悪すぎぃ」


 ぽんと、ジョージの肩に手が置かれる。


「ごめんねギード君。 ちょっと、ぼーっとしてて」


 ジョージは愛想笑いをする。

 誰にも喧嘩を売らない、敵を作らない。

 それが、ジョージが学んだ此処での処世術だ。



「ちゃーんと、宿題してきたんだろうな? ん?」

「あ、うん。 してきたよ」


 ジョージは慌ててノートを取り出した。

 昨日授業で出され、ジョージが自分で終わらせた宿題だ。




「はーい、ごくろーさん」


 ジョージがノートを見せれば、ギードはそれを軽く取り上げた。

 パラパラとめくり、友達をそれを見せ合い、自分のノートに写し取っていく。


 試合で敗北したジョージにギードは『宿題を代わりにやれ』と言った。

 ギードがその気になれば宿題だって簡単なはずなのに、それを面倒がっているのだ。

 だからほぼ毎朝、ジョージの宿題を写すのが彼らの日課となっていた。



「魔法の才能は無いくせに、おべんきょーだけは出来るんだもんな!」

「でも、此処じゃ魔法の才能が一番なんだよ」

「将来有望な人間の宿題を代わりにやるために、学院に来たんだろ?」

「そうかも。 うん。 そうかもね、ははは」



 ジョージはギードの言うことに、大人しく従っていた。

 これはもちろん、両親と卒業のためだ。

 卒業さえ出来てしまえば、もう彼とは関わらなくてもいい。


(あと数年、数年我慢したらいいだけ)


 学年が上がれば、ギードとは別のクラスになれるかもしれない。

 卒業してしまえば、もう他人。


 自分のあまりの才能の無さを認めると同時に、ギードはこの扱いを受けることにも慣れていた。


「これからもオレ達のために宿題しろよ? 将来は、第一魔法騎士団に入って貴族になったオレが、ちょーっとは優遇してやるかもしれないからよぉ」

「将来の第一魔法騎士団のエースと仲良くなれるなんてジョージくんは幸運だなぁ」


 ギード達は笑いながら、ジョージが昨日頑張ってやった宿題のノートを、机の上へと雑に放り投げた。



「うん、頑張るね」


 ジョージは投げられたノートを見つつ、愛想笑いを浮かべる。


 ギードは、見た目が怖くて言葉遣いも荒いだけ、別に明確な暴力をふるってくるわけではない。

 だから、ちゃんと扱いに気を付けていれば、大丈夫だ。

 問題のない、安全な存在だ。


 ジョージには、ギードから助けてくれるような知り合いは居ない。

 一緒に本の内容を語り合う相手も、切磋琢磨しあう同性も、ましてや恋愛関係になる異性も、まるで縁がなかった。


 まだ入学したばかりなので教師も『好きな人と二人組を作ってください』などという非情なことを言わないが、いつかはその恐ろしい言葉を聞くことになるだろう。



(友達、なんてなぁ……)



 いつか訪れる絶望を感じつつも今日もジョージは、休憩時間には一人で読書か寝ているフリをするのだった。



「はーい、皆さん席に着いてくださいね」


 そうのんびりとした声で担任の先生が入ってくる。

 のんびりな声によく似合う、とてもふくよかな体型をした丸い眼鏡をかけた中年の男だ。


 無精ひげを生やし、いつもニコニコ笑っていて、生徒達からは『モチちゃん先生』と呼ばれている。

 あだ名の由来は、見た目通りだ。

 明らかに長いあだ名を受け入れて『えーそんなに太いかなぁ僕?』と笑うほどの度量を持っている人でもある。


 優しい人だとは思うが、その優しさが極めて人の心を痛めつけることもある――そうジョージは思っている。

 二か月目に突入し未だに友達が居ないジョージのことを心配してくれる、とてもとても、とっても心優しい。 そんな、モチちゃん先生だ。



「はいはい、それではまず、皆さんに素敵なお知らせがありますよ。 入ってきてくださーい」


 モチちゃん先生は廊下へとのんびり声をかける。


 まさか誰か居るのか。

 新しい生徒、あるいは教師。  


 クラス中の誰もが、そちらに期待をこめて視線を向け――それを、激しく後悔した。


 彼が現れた途端、教室中の温度が一気に下がったような気がした。



(な……なに、あの人?)


 モチちゃん先生に言われて入ってきたのは年齢よりも背の高い、褐色の肌をした男子生徒だ。

 肌は黒めなのに髪は純白で一部だけ結っている――そんな、この国ではとても珍しい要素よりも目を引くのは、その雰囲気である。


 その生徒は恐ろしく、目つきと表情が悪かった。


 見たもの全てを凍てつかせる絶対零度の視線。

 血のように赤い瞳。 たぶん瞳孔が開いている。

 真一文字に結ばれた、表情を何一つとして見せない顔。


 真っ直ぐに伸びた高い背

 体幹が完璧すぎて人間らしさの欠片も無い歩き姿。

 緊張とは無縁の立ち姿。


 そんな、何もかもが同年代の、つまり十三歳の少年のものとは到底思えないものばかりで構成されていた。  



 あれは、生徒じゃない。

 きっと恐ろしい独裁者が居る国で何千人と殺してきた処刑人が、迷子で来てしまったに違いない。

 そうだと言ってほしい。 あんな十三歳が居てたまるか。


『友好』『愛情』『穏やか』。

 そういった要素とは正反対の場所に、彼は立っている。


 全身から『寄らば殺す』という空気を、ビシバシと放っていた。



(こ、殺されるッ……!)


 弱者として、ジョージは本能的にそれを察知した。


 話しかけるどころか、目が合っただけで殺されそうだ。

 きっと今と同じ無表情で、小さな虫を踏みつぶすかのように躊躇無く、そうするに違いない。



「………………」

「………………」

「………………」

「………………」

 


 ジョージと同じことを思ったらしいクラス中の生徒が、突然現れた異物をどうしたものかと沈黙していた。

 ギードですらこの人物を前にしては黙るしかない。



 出来たら目を合わせたくない。

 これで分かりやすく喧嘩腰であってくれたら良いものを、ただ静かにモチちゃん先生の隣に佇んでいる。


 ごく普通に立っている――が、この直後に杖を構えて殺傷力の高い魔法を放ってきても、まるでおかしくないような雰囲気。

 よく研がれた刃物を向けられているような、そんな恐怖と、ただ立っているだけで感じさせる。


 ジョージは自分の人生で、こんな小説の登場人物めいた人間と出会う可能性なんて、今まで少しも考えてなかった。



「彼はユリウス・ヴォイドくん。 実はこのクラスの生徒さんなのです! 皆さん、拍手!」


 モチちゃん先生、空気を読まないで暖かく歓迎の拍手。

 釣られて、仕方なく生徒達が拍手をした。


 そしてこの男子生徒――ユリウスというらしい人物は、仮にも歓迎の拍手をされたにも関わらず眉一つ動かさず、微動だにしない。


 もしかしたら人形なのかもしれない。

 それぐらい、表情が動かない。



「実は彼は家庭の事情で色々とあって、入学式を皆さんと一緒に受けられなかったのです。 でも正真正銘、皆さんと同じ一年生です! 仲良くしてあげてくださいね!」


 クラスの全員が、非常に静かにざわついた。


 今、モチちゃん先生は『仲良く』とか言った。

 無理だ、そんな顔をしていない。 むしろ『関わるな』という顔をしている。



「さぁさ、ユリウスくんも、挨拶しましょう!」

「…………」


 ぎろり、と怒りをこめた視線でユリウスはモチちゃん先生を睨んだ。


『何故俺がこんな劣った者どもと仲良くしなければならないのか』という、言葉にされない怒りがはっきりと感じられる。

 あんな風に見られたら、ジョージなら口から心臓が出て来る。



(あの視線に耐えられるモチちゃん先生、凄すぎる……!)


 モチちゃん先生はあの恐ろしい視線を向けられても、いつもの笑顔のままだ。

 ジョージの中の先生に対する好感度が一気に上がった。


 しかし睨んでも状況が変わらないことをユリウスは理解したらしい。


 陶器の人形だって、もうちょっと表情がある。

 そんな顔でユリウスは視線を動かし、クラス全員の顔を見た。

 ジョージは、まるで捕食者が獲物を選んでいるかのような、そんな危機を感じた。



「………………ユリウス・ヴォイドだ」


 見た目とまるで違わない、非常に淡々とした低音だ。


 

「仲良くしよう」


 本気で初対面の相手と『仲良くしよう』という人間は、絶対にこんな殺意すら感じさせる表情と調子で言わない。

 あれは『思い上がるなよ、ゴミが』という顔だ。



 こんなの、まだ高圧的な貴族の方が信用出来るし、むしろそっちの方が分かりやすくてありがたいかもしれない。


 少年の目は、瞳孔が開いてるように見えた。

 果たして彼は、まばたきをするのだろうか。

 それほどまでに、人間らしくない。


「はーい、よろしくねユリウスくん」 


 モチちゃん先生だけは元気で、彼のことを歓迎している。

 どうやら彼が此処の生徒だというのは事実で、冗談や何かではないらしい。


「じゃあ皆の顔と名前はおいおい覚えてもらうとして……」


 などと、たぶん一生かけても有り得ないだろうことを言いながらモチちゃん先生は教室中を見渡した。


 物凄く嫌な予感がする。

 そして、的中した。



「あそこ! ちょうどジョージくんの座ってる席の横が空いてるから、そこに座ってもらおうかな」


 モチちゃんは笑顔で、非情にジョージの横を指さした。



 この教室において、座る席は決まっていない。

 自由に早い者順であり――仲良くなる人同士が現れてくると、その者達で固まって座るようになる。

 向上心に溢れた生徒なら、当然前に座りたがる。


 よって、入学二ヵ月目にしてジョージの得られた場所は、教室で一番後ろ。


 最も廊下側で、最も後ろで、最も端っこ。

 とっても地味で目立たない、景色の良さそうな窓際ですらない位置だ。


 そして、ジョージの隣の席は空いていた。

 何故なら、ジョージには友達が居ないから。




「理解した」



 ユリウス少年はまるで子供らしくない受け答えをして、机が並ぶ階段をあがる。

 暗殺者みたいに足音を立てず歩いて、やはり音を一切立てずにジョージの横に立った。



「…………」

「…………」


 視線が合ってしまった。

 あの絶対零度、残酷な処刑人みたいな目と。


 なのでジョージは慌てて目を逸らす。


 逸らしてから、自分は恐ろしいことをしてしまったと気付いたが、それでも合わせたくないから仕方ない。


 ジョージごとき矮小な存在に関わる時間も煩わしいのか、ユリウスは黙って座った。

 ただ座っただけなのに、隣には人食いの熊が居るかのような圧力を感じる。


(僕は石、僕は石、僕は置物、僕は空気、僕は空気、僕は空気、僕は空気……!!)


 心の中で必死に繰り返した。

 でもそのように意識すればするほど、隣に座っているユリウスが気になってしまう。


 ちらり、とユリウスを見てしまった。

 ユリウスは黙ったまま手に持った鞄を置いていて、その横顔を見れば、ただの大人しい少年のようにも見えた。


(何処の人なんだろう……この国の人で肌黒い人ってあんまり見ないし……)


 横顔を見ていれば、ユリウスが、目だけを動かしてぎょろりとジョージを見る。



「っひぃ!?」


 あまりの眼光の鋭さについつい悲鳴をあげそうになり、咄嗟に口を抑える。

 心臓がバクバクと音を立てて、口から出てきそうだ。



(やばいどうしよう、悲鳴あげちゃった)


 視線を合わせてしまったからには、何かしないといけない。

 頭の中で、言うべきことをなんとか探し出す。



「よよよよ、よろしくお願いしますッ……!」


 何がよろしくだ、相手は『よろしく』など微塵も求めていないのに。 


「ごめんなさいッ!!!」


 それからジョージは物凄く必死で頭を下げた。

 生きててごめんなさい、視界に入ってごめんなさい、と本気で何度も下げた。


「…………」


 するとユリウスは、何故か目をカッと開き、ジョージを見た。

 無言で。

 ただならぬ、殺気のような気配を漂わせて。


(こっ、殺されるッ……!?)


 ちょっと目を合わせてしまって、声をかけてしまっただけで。

 ジョージの十年と少しの人生は終わってしまうのか。


 だがユリウスは無言だ。

 何かの攻撃をする素振りを見せず、不快そうな顔をするわけでもない。

 ただ、そのまま視線を前に戻すだけだった。



(た……助かった……?)


 あまりにも無様なジョージを見て、殺すのも面倒だと思ったのかもしれない。

 そうだとしたらとても助か――ってない。


 此処はまだ最初だ。

 小説だったら、本を開いて数ページを読んだぐらいのところ。

 恐怖の存在によって殺戮が起きる話で、最初に殺されなかったからって、その後も生存が確定でないのと全く同じ。




(僕は普通でいいんです、地味でいいんです、だからどうにかしてください……!)


 まさか本人に言うわけにもいかないので、ジョージは視線だけで、モチちゃん先生に助命を懇願した。



「二人とも、仲良くしてねー」


 モチちゃん先生は非情だった。

 ニコニコと手を振っていた。


 教え方は優しいし、いつも優しいし、劣等生のジョージにも優しい先生なのに、この瞬間ばかりはどんな悪人よりも残酷だった。


 仕方がないので、ジョージは生徒達を見た。

 彼らは同じクラスの生徒。 つまり、ユリウスと同じクラスの生徒。

 ジョージと全く同じ立場なのだから、ジョージの気持ちはもちろん理解出来るはず。



 が、無情にも視線はそらされた。

 こっちを見ている人間は『お前が世話係な』と、責任を押し付ける。


 ギードは、ユリウスのことを気に入らないものを見るように睨んでいた。


 それらはただでさえ良くなかったジョージの学院生活が、さらなる暗雲に包まれていくことを、示していた。



 ~・~・~・~・~・~




「あ、ああ、あのっ、その……」


 ユリウスが隣の席に座った少年に話しかけられたのは、担任教師モルツィオが朗らかに去ったすぐ後のことだった。



(ジョージ・ベパルツキンか)


 茶髪に、中肉中背。 緑の瞳。

 名前はジョージ・ベパルツキン。 生まれはリベス領、サイン村。 父と母と三人暮らし。

 入試の成績は中の中――魔法学院に在籍中でありながら、魔法実技をやや苦手としている。 しかし座学の成績は素晴らしい。


 そしてモルツィオから『仲良くしてね』と頼まれた相手であり、その後には『よろしくね』と話しかけてきた相手である。



 ユリウスにとって、相手の成績や過去、出身や容姿などは大した問題ではない。

 それを言ったらユリウスは正規の方法で入学試験を受けていないし――何より過去の話となると、あまり人に聞かせられるような話をユリウスは持っていなかった。


 つまり、ユリウスにとって重要なのは現在。

 今どういう行動をしたか、だ。


 よって。


(此処は学校という未知の戦場。 そこで適切な行動が出来ない俺は、殺し合いの場なら三度は殺されていただろう。 その不出来な俺に話しかけるジョージ・ベパルツキンという少年は――素晴らしく慈悲深い人物だ)


 と、ユリウスの中でジョージという少年は、とっても好意的に見られる人物となっていた。

 もちろんユリウスはそのジョージからとんでもなくビビられていることを知らない。

 今話しかけてきてくれたのも、周囲の生徒が『お前がどうにかしろ』という視線を向けてきたからだということも、全く知らない。



「え、えーっと……さぁ」


 ジョージは言葉に困っているらしい。

 周囲の生徒をちらちらと見て、またユリウスを見て、また視線を逸らす。



「用事があるならすぐ言え」

「あっ、は、はいィッ!」


 ジョージは背筋をまっすぐ伸ばして、更に強張ってしまった。



(何をいちいち驚く必要がある。 普通に言葉を発せばいいものを)


 こんなジョージを見て、ユリウスは考える。

 考えてから、すぐに結論を出した。


(なるほど……ジョージ・ベパルツキンは緊張し、照れているのか。 それは仕方ない。 何故なら俺も緊張しているからな……フッ)


 そう、勘違いした。



 ユリウスの自己認識は『好感の持てる好青年』だ。

 人の好い笑顔を浮かべ、朗らかに話すことが出来る人物ということになっている。



 第四魔法騎士団――そこは、公にされることのない秘密の組織。

 他の騎士団で相手にすることが難しい問題を解決するためにある、


 そんなのだから、第四魔法騎士団というのは奇人変人ばかりの場所だ。

 第一から第三までの魔法騎士団だったら爪弾きにされるような人間も、第四魔法騎士団ならあっさり受け入れられる。

 そういう、主義と主張と趣味の激しい、おかしい人間しか居ない。



 そして何より――師匠のニーケは、めちゃくちゃ『褒めて伸ばす』人間だった。


 ユリウスが何をしたところで『可愛いわね』とか『凄いわ、流石はアタシの弟子ね』『師匠に似て素敵よ』と褒めちぎる。

 もはや呼吸しているだけで『生きてるだけで素晴らしい』と褒め、文字を書けば『アタシほどじゃないけど美しい文字よ』と褒めるほどだ。



 そんな環境で育ったせいで、ユリウスは自分の外見や雰囲気、言葉遣いなどを批判されることがほとんど無く、そのまま素直に育ってきてしまった。

 仮に何か言われてもユリウスにとっては師匠の言葉の方が優先される。


 だから、ユリウスはジョージが自分のことをどう思っているのか、全く知らない。 

『怖がられている』などという可能性は、一ミリたりとも頭に浮かばなかった。



「い、今から移動教室で、その、対人実技魔法の授業だから、移動しないと……その……ば、場所分かるかなって……」


 もじもじ、とジョージは困っているらしかった。


「……!」


 それを見て、ユリウスは全てを理解し、衝撃を受けた。



(彼は……挨拶も上手く出来なかった俺に情けをかけ……更には、道案内すら申し出ている……!?)


 衝撃的すぎて、ユリウスは驚いた。


 此処が戦場なら、ユリウスはとっくに三回は死んでいる。

 そんな愚かなユリウスに対してこのように親切な事を言うだなんて。



(彼は素晴らしい人格者に違いない)


 ユリウスは、猛烈に感動していた。

 なので、そんな素晴らしい人格の持ち主であるジョージに、とっても大真面目に応対することにする。



「案内の必要は無い。 一日の予定、学院の建物の配置などは全て記憶している」


 ユリウスはこの学院に来るにあたって同学年の生徒や教師だけでなく、敷地内と外の地図を完璧に把握していた。

 そればかりか生徒が使わない職員用の通路、食材や物資の搬入のための通路なども知っている。


 道案内が出来るのは、むしろユリウスの方だ。


「そ、そっか、そうですよねー……」


 するとジョージは、物凄くガッカリしたように息を吐き、立ち上がろうと腰を浮かせた。

 何をガッカリする必要があったのかユリウスには分からないし――実際には安堵のあまりに漏れ出た息ということも知らない。



(俺は彼を失望させたのか?)


『道案内しなくても大丈夫だよ』と笑顔で伝えたつもりだったが、それは良くない返事だったらしい。

 直後に気付く。



(まさか彼は……案内を理由にし、俺と友達になろうとしているのか!?)


 本日のユリウスの衝撃、四度目。


 ちなみに一度目はモルツィオに挨拶するように言われた時。

 二度目はジョージに『よろしく』と言われた時だ。



(だとすれば俺はとても失礼なことをしてしまった。 人格者のジョージ・ベパルツキンをこうも嘆かせてしまうとは、ひどく申し訳ない)


 せっかく道案内にかこつけて友達になろうとしてくれてるのに、ユリウスは断ってしまった。

 とても良くない。

 ジョージに対して不誠実で、言葉も裏も読み取れない対応をしてしまった。



(であれば俺も彼と友達になる他は無い。 ジョージ・ベパルツキンのような人格者が第一の友達になることは、師匠にとっても俺にとっても喜ばしいことだ)


 なのでユリウスは慌てて立ち上がった。


「えっ!?」


 ジョージはびくりと動く。

 あまりにも勢いよく立ち上がったせいで、物凄く怒っているように周囲に見えたのだが――ユリウスの知らないことだ。


「ごごごごめんなさい! 僕何かしましたかッ!?」

「自覚が無いのか?」


 まさか慈悲の自覚も無いのか――とユリウスは思っていた。 

 実際はただただビビられているだけなのだが、ユリウスは何も知らない。



「だとすれば大した者だ」


 ジョージのことを、ユリウスは素直に褒めた。


 そしてユリウスはジョージに遅れないように席を離れ、近寄った。

 自分よりも背の低いジョージに接近し、見下ろす。



「お前がそうしたいなら、そうさせてやろう」


 ユリウスは、人格者ジョージの提案に乗ることにする。

 どうせ地図は把握していても、細かいことまでは知らないのだ。

 再来年にはこの学院に来ることになるだろう、妹のアンジュにする話が増えることは喜ばしいことである。


(そう、師匠も『友達が居れば楽しい』と言っていたからな。 きっとジョージ・ベパルツキンは俺に楽しさを教えてくれようとしているに違いない)



 ユリウスは、さっそく友達が一人増えたことの喜びを噛みしめていた。

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