第2話 仲良くしよう






 名門、ヴィオーザ魔法学院。


 国内で五指に入る名門貴族の一角、ヴィオーザ侯爵家によって創立されたその学院は、貴族と平民の子供のどちらも受け入れる学院だった。


 金に物を言わせて作られた学院は、敷地と外部を隔てる外壁から部屋、廊下、生徒が使わないような職員用通路まで、どこを見ても豪勢に作られている。 

 かつての時代に砦として使っていたものを大幅に、貴族が本邸にしても良いほど美しいものへと改築増築させたのがこの学院だ。

 

 一日で回りきることは難しいだろう部屋数、細かく広がる廊下。

 図書館は別棟含めて三つあり、貴重な植物もある温室は二つ、グラウンドは五つ。

 教室まで数えだすと、果たしてすべての教室を有意義に扱えているのか、甚だしく疑問になる。



 更には貴族科生徒用の寮、普通科生徒用の寮、それぞれ男女で分かれて四つ、そして特別な生徒のための寮含めて計五つ。

 容易に行き来出来ないように厳しい監視の目がある。

 そこから共通の廊下があり、巨大な食堂があり、朝昼夜は生徒全員揃って此処で食事らしい。



 白と黒の制服を身に着けた職員達は貴族の使用人のような扱いだが、給料は良く、礼儀作法まで仕込まれるので人気である。

 貴族科の生徒に気に入られればそこから個人的に雇われる例もある。



 エドゥアル・アマルディ改め、ユリウス・ヴォイドという少年は、そんなヴィオーザ魔法学院にやってきた。


 彼の前には、彼を先導する教師。

 一年生の担任であるモルツィオ・ダーネストが歩いている。



で、一ヶ月遅れてしまったんだってね」


 人一倍の横幅を持つモルツィオは、穏やかにユリウスに話しかけた。

 モルツィオは眼鏡をかけているが脂肪たっぷりの顔との比率は低く、その脂肪のおかげか常に笑っているような表情をしている。


「その通りだ」


 ユリウスは鷹揚に頷いた。

 モルツィオはユリウスに背を向けているので、頷いたところで見えるわけが無いが。



『家庭の事情』

 そういうことになっている。



(師匠の試練に気付けなかった俺が悪い)


 ユリウスにとって師匠は絶対の存在だ。

 何の縁も無いばかりか問題のある自分をわざわざ養子にしてくれた育ての親。

 フォークも使ったことがなかったユリウスに常識や魔法などを沢山教えてくれた、とても恩義のある人だった。


 その師匠が『カラスは白い』と言えば、そうに決まっている。

 たとえユリウスの目にはどう見ても黒であったとしても、師匠の深慮深謀、神算鬼謀によるものだ。



 決して『何も考えてない』『適当なことを言ってる』などではありえない。



「授業とか、色々と遅れてることになってしまうけど……ま、クラスの皆に聞けばいいよ。 皆、なんだかんだで良い子ばかりだからね。 君とも仲良く出来るはずさ。 その上で分からないことがあったら、僕に聞きなさい」

「了解した」


 こくり、とユリウスは頷いた。


(師匠に与えられた任務は『友達を百人作ること』……だが俺は、師匠の考えを越えるべきだ。 俺は、友達を千人作らなければならない)


 心の中で、ユリウスは強く決心する。



 師匠はユリウスに『今の貴方に決定的に欠けているもの』として友達を挙げた。


 その単語の意味はもちろん知っているが、今のところユリウスにはピンときていない。

 果たして、それは本当に必要なものなのだろうか。

 

 同年代の、しかも戦闘能力や実戦経験は自分に劣る少年少女と過ごすことに何の意味があるのか全く分からない。


 分からないが、だが師匠は『必要だ』と言えば、そうに決まっている。

 だったら友達を千人作るしかあるまい。



(とはいえ、全学年の全生徒を集めても五百人と少しにしかならないのだが……そこは、職員や教師を含めればいいか。 いいやいっそのこと、この学院に所属する全ての人間を俺の友達にすればいい)


 そう思いながら、ユリウスは目の前の教師モルツィオを見る。


 不摂生な生活をしているのか、横幅は人一倍あって丸々としている。

 ユリウスとしては今すぐ彼の体を健康的に引き締まったものへと改善するべきだと提案したいところだ。

 

 ユリウスはモルツィオの体格が気になって気になって仕方がなかった。


「質問とは、どのような質問でも構わないのか」

「うん、どうぞどうぞ? 僕に答えられることだといいなぁ」


 どうやら聞いても構わないらしい。

 ユリウスとしては既にこの目の前のモルツィオを友達にする気満々だったので、彼の個人情報を聞きたくなった。



「では早速質問させてもらおう。 教師モルツィオ・ダーネスト、何故お前は太っている?」

「え?」


 驚いたようにモルツィオは足を止めて振り返った。


 

 もちろん――初対面の人間、しかも年上で目上の存在にいきなり『お前なんで太ってるの?』なんて質問は、失礼極まりない。

 たとえモルツィオが同性の人間で、どう控えめに見ても太っていたとしてもだ。


 が、ユリウスは真剣だった。

 

 

「脂肪は動きを邪魔する。 だが、それでもお前は脂肪をそんなにも蓄えている。 何故だ? 何がお前の体をそうさせる?」


 ユリウスは、とても大真面目に、疑問に思っていた。



 師匠も『脂肪も筋肉も適度につけないとね』と、よく運動していた。

 ユリウスの知る範囲の人間は軒並み鍛えていて引き締まった体をしている。


 ユリウスはあまり太った人間を見たことがないが、それでもたまに見る限り、太って腹などに脂肪を蓄えることに大したメリットを見いだせなかった。

 目の前に居るモルツィオをじっくり見てもそうだ。

 


「えーっと……ううん、いきなりそんな事聞いてきた子は、流石に人生で初めてだよ」


 モルツィオも困った顔をしていた。

 

 あまりの無礼さに、普通なら怒るべき出来事だ。 が、モルツィオ怒らない。

 年下の子供にいきなり失礼なことを言われたからって怒るほど、モルツィオは人生経験に困っていないからだ。

 むしろいきなりそんな質問をされたことへの不意打ちに驚いた方が大きかった。




(彼の体型に、今まで誰も言及しなかったのか? こんなにも分かりやすく太っているのに)


 ユリウスは別に、太った人間への偏見があるわけではない。


 ただ、どう見ても邪魔でしかないものを大量に蓄えることに何の意味があるのか、まるで分からないだけだ。

 つまりこれは、好奇心旺盛な少年によるただの質問である。

 


「僕は甘いのが好きでさ、嫁さんの手料理もすっごく上手なもんで、幸せすぎて太っちゃったんだ」

「なるほど」


『幸せで太った』。

 なら仕方ない。 幸せなのだから。

 痩せてしまうことは、彼にとっての幸せの否定だろう。


 ユリウスはあっさり納得し、それ以上聞こうとしなかった。



 モルツィオ・ダーネストの情報は既に入手している。

 彼は既婚者で、妻もまたこの学院で働いているそうだ。

 が、彼が太った理由までは流石に知らなかったので、ユリウスの脳内情報ノートに新しい情報が刻まれた瞬間だった。 


 

「君って……なかなか面白い子だよね」

「いいや俺は一般的な思考を持ち一般的に育った、極めて一般的な平民だ」

「うんうん、そういうところ」


 ふふふ、とモルツィオは笑った。

 

「……言葉の真意を理解しかねる」


 何が『そういうところ』なのかまるで理解出来なかった。

 

 

『ユリウス・ヴォイド』などという人間は存在しない。

 が、書類上には存在しているし、『そんな人間の経歴』も決まっている。


 それによれば、ユリウス・ヴォイドはとても平凡に育った少年だ。


 ただ両親のうち片方の先祖が異国の人間だったが故に、若干特殊な容姿をしている。

 それ以外はとても普通、ごく一般的な人物だ――ということになっている。


 

 だというのに少し会話しただけで『面白い子』などという扱いを受けてしまった。

 実に解せない。

 

(まさか……もう、彼には俺の素性がバレてしまったのか?)


 本当はユリウス・ヴォイドは偽名で、平凡な育ち方を一切していないということに、気付かれてしまったのかもしれない。


 ユリウスは警戒しつつ教師モルツィオを見た。

 彼がいきなり態度を変えて襲いかかってきたとしても、すぐ対処出来るように心の中で身構えた。


 すると何を思ったのかモルツィオは笑顔で口を開く。



「ああ、大丈夫だよ。 確かに君の、他の人達と変わったところはよく目立つだろうけど、それでも皆慣れるさ」



(……慣れるとは、どういう意味だ?)


 心底疑問に思いながら、モルツィオを見る。

 モルツィオはずっとニコニコと笑っていて、警戒する方がおかしいかのような様子だ。

 

(まさか、クラスの生徒達にも、俺が何者なのかすぐにバレてしまうかもしれない……ということか?)


 実は偽名で、秘匿された第四魔法騎士団に所属してるとか。

 全て、この学院の人間にバレてはいけないことなのに。 


 

(俺は自分で思っているより、『普通』を偽装出来ていないのかもしれない……)


 足元から、此処に来るまでに身に着けた自信がガラガラと音を立てて崩れるような気持ちだった。



「俺はユリウス・ヴォイドだ」

「? うん、そうだね」


 モルツィオは頷いた。

 バレているのかバレていないのか、よく分からない反応だ。


「生まれはヴィオーザ領のララウサ村。 父親の名はダリウス・ヴォイド、母親の名はペイレーネだ」


 もちろん、師匠が作った嘘の経歴である。   


 ユリウスの出身はそこではない。

 むしろアンジュの故郷で、訪れたことがある程度だ。

 

 母親については容姿は把握しているが、その名前もよく知らない。


 父親に関しては、どうやらユリウスの容姿は父親譲りらしいという点しか知らない。

 髪や目の色が印象的だったのでそいつしか居ない、というのが実の母の発言だ。


 師匠もその辺りのことは知っており、父母の名前も適当にそれらしく師匠が決めたものだ。

 出身地は怪しまれないよう、他の生徒と被らない田舎になっている。

   

 それでもユリウスは確認するようにモルツィオの前で経歴を並べていった。




「うん、それは知ってるよ? 知ってるけど……急にどうしたの? もしかして、緊張しすぎて、不安になったの?」

「…………」


 モルツィオの様子を見て、ユリウスは『まだバレていない』と気付いた。

 これがもし演技なら大したものだ。


 ユリウスの本当の経歴を知っている人間は、この学院でもごくごく一部の者だけ。

 いくら担任だからって知れるほど、第四魔法騎士団の存在は軽くない。


 魔法騎士団――国内のほとんどの人間は、第一から第三までしか無いと思っている。

 その中で秘匿され存在しているのが、ユリウスが所属する第四魔法騎士団だ。

 そこでうっかり『自分は第四魔法騎士団の人間だ』などと言って、存在を広めてしまってはならない。 それは師匠の迷惑になる。


 何より師匠が『素性を隠す』と決めたのだから、ユリウスはそれを徹底して守るべきだ。



(……まさか、俺は緊張していたのか?)

 

 なんといっても人生で初めての、同年代との共同生活だ。

『友達を千人作る』という途方も無く困難な任務も背負っている。

 師匠と出会ってから、彼女と半年以上離れて生活することも実は初めてだ。

 

 何もかもが未経験のことだったために、激しい緊張を感じていたのかもしれない。



「……可能性を認める。 俺はこの学院で友達を作れるか、とても緊張している」

「そっかそっか、でも大丈夫。 君って面白い子だから、友達だっていっぱい作れるさ」

「その言葉を、俺は励みに思う」


 ユリウスは頷いた。


 そして教師モルツィオは、立ち止まった扉を見上げた。



「此処が君の教室。 先に僕が入るから、僕が呼んだら入ってきてね」

「了解した」


 がらりと扉を開けて、モルツィオが先に入る。

 中では十人以上居る生徒達が、教師と共に声を小さくしていくのが分かった。




(俺の、友達作りか……)


 改めて、目的を意識する。

 

 それは師匠が望んだこと。

 師匠が言うからには、『友達』というのは極めて重要かつ重大で、ユリウスに無くてはならない要素のはずだ。


 それを百人いや千人作るのは、ユリウスにとっては、もはや命に代えてでも成し遂げなければならない。

 責務があまりにも重すぎる。


 胸の鼓動がなんだか高鳴っているのを感じる。

 たしかに、珍しく緊張しているのかもしれない。


 こんなのは初めて師匠と共に第四魔法騎士団として仕事に行った時以来かもしれない。


(あの時は、貴族の子女が誘拐されたので、救出に行く任務だった。 俺は初めてだったから、師匠の足をたくさん引っ張ってしまった。 自分が未熟な頃が、思い出される……初心は忘れるべからずだ)


 胸に手を当てて、ユリウスは一度大きく吐いて吸った。




「――入ってきてくださーい」


 ユリウスを呼ぶ朗らかな声が聞こえたので、ユリウスは顔をあげた。

 

 緊張している暇は無い。

 ユリウスは、とても友好的に見えるように静かに、堂々と中に入っていった。


  

「…………」


 しん、と教室の中が一気に静かになった。

 生徒達の視線がユリウスに向けられ、まるで突き刺さるかのようだ。


 驚愕、疑問、緊張。

『何故いきなり』と、おそらく事情を何も知らないだろう生徒達の感情がはっきりと感じられた。


 

 ユリウスは教卓の後ろに立つモルツィオの隣に立ち、椅子に座っている生徒達を見上げた。

 男女はほぼ同数。

 後ろに行くにつれて高い位置となる形の教室で、生徒達が座っている。


 ユリウスが彼らを見れば、そっと視線を逸らされてしまった。



 ユリウスはその人生において『緊張』などという言葉とは基本的に無縁なのだが――――この時ばかりは、確かに緊張していた。

 まるで、よく知らない敵地に裸で放り込まれたかのようなこの状況、自然と体が強張ってしまう。

 

(いいや負けるなユリウス・ヴォイド。 此処を乗り越えなくして友達が作れると思っているのか? まずは彼らに笑顔だ)


 そう自分に言い聞かせて、ユリウスは笑顔を浮かべた。

 愛想笑いに見えない自然な笑顔には慣れている。


 

「…………」

「…………」


 また生徒達に視線を逸らされてしまった。

 うち何人かからはユリウスを探るような鋭い視線の返事があり、あるいは驚いたようにびくりと肩を振るわされてしまった。


 ユリウスとしては自然な微笑みを浮かべているつもりだが、それでも彼らの警戒心は解かれないらしい。

 同年代の子供とはこんなにも警戒心が強いのか、とユリウスは感心した。



「彼はユリウス・ヴォイドくん。 実はこのクラスの生徒さんなのです! 皆さん、拍手!」


 教師モルツィオの暖かい紹介と共に、まばらに生徒達の拍手が行われた。

 いきなり現れた新入りに困惑しつつも、それでも歓迎しようという意図が感じられる。


 今まで拍手で場に迎えられたことは、師匠による誕生日祝いされた時ぐらいという圧倒的な経験の少なさなので、ユリウスの緊張は更に高まるかのようだ。



「実は彼は家庭の事情で色々とあって、入学式を皆さんと一緒に受けられなかったのです。 でも正真正銘、皆さんと同じ一年生です! 仲良くしてあげてくださいね!」


 教師モルツィオは続ける。

 生徒達の視線が、更に様々な感情を伴ってユリウスに向けられた。



「さぁさ、ユリウスくんも、挨拶しましょう!」



(……なんだと?)


 ユリウスはとても動揺した。

 このまま、決められた椅子に座ればいいだけだと勘違いしていた。


 まさか挨拶や自己紹介を求められるとは思わなかった――焦りと共にユリウスは教師モルツィオを見る。


 しかしモルツィオはずっと微笑みを浮かべており、どうも本気らしい。

 ユリウスが何か言うまで解放しない、という圧すら感じられた。



(……だが、待てユリウス・ヴォイド。 お前は冷静になるべきだ。 教師モルツィオ・ダーネストは俺に、彼らに自己紹介の機会を与えてくれているのだ)


 そう気付いてしまえば、モルツィオはとんでもなく聡明で慈悲深い人物に見えてきた。


 そんな彼のことを疑って、場合によっては暴力も辞さないと考えてしまった自分がとんでもなく愚かに思える。



 ユリウスは、生徒達を一人一人確かめるように顔を見た。

 彼らの顔は知っているし、名前も家族構成も故郷も経歴も知っている。


 今から一人一人の名を呼ぶことも可能だが、流石にそこまでの時間的な余裕は無いはずだ。



(俺は彼らと友達にならなければならない。 ただ、挨拶するだけだ。 友好的に、微笑みを浮かべて、な)


 そうやって覚悟を決めて、ユリウスは笑顔を浮かべた。

 とても友好的に、親しみとか色んなものを込めて。


 生徒達はそんなユリウスの心が通じたのか、更に黙った。


「ユリウス・ヴォイドだ」


 とはいえ、何を言うべきか分からない。

 冷静になるべきなのに、頭の中は真っ白だ。



(相手は大人ではなく子供だ、余計なことを言ってはならない。 とても簡潔に、分かりやすく、丁寧に挨拶しなければ……)


 ユリウスは一瞬だけ息を吸う。



「仲良くしよう。 ………………」


 もう言うことが思いつかない。



(しまった。 緊張してしまった)


 ユリウスは激しく後悔した。


 こういう場の経験が少なく、何を言うべきなのか、的確な言葉を見つけられなかった。

 そんなの言い訳にもならないのだが、しかし事実は事実。

 

 こんな簡単な自己紹介で、失敗してしまった。




 自分の容姿や雰囲気が、他人にとってどういうものに見えるのか、全く気付かないまま。

 自分の挨拶が、全く友好的に聞こえないせいで大失敗だったことすら、知らないまま。



 少年エドゥアル・アマルディ――ユリウス・ヴォイドによる、『はじめての友達作り』は始まるのである。


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