ユリウス・ヴォイドは友達を作りたい 【連載版】

馴染S子

第1章

第1話 彼が遅刻した理由




 いつも通り『仕事』を終え、エドゥアル・アマルディは徒歩で帰宅した。


 

 人里離れた山の中、木と木の間にぽつんとその家はある。

 妙に立派で大きな、少々大きすぎる一階建ての平家。

 きっとこんな家に住むのはよっぽど、暇な変人に違いない――と思わせるほど、環境に見合わない外観をしている。



 立派な家の中は外観通り、綺麗に清掃されている。

 趣味の良さそうな調度品や絵画が置かれてあり、どれも売ればそれなりの金額になるだろう。

 そんなものが、盗もうと思えば容易に盗めるような位置に雑に置いてあった。

 


 エドゥアルは無表情のままそういった高級品を全部無視して廊下を行き、一番奥の扉を開ける。


 その部屋の中央には、大きく立派な机が堂々と置かれてある。

 まさに執務室といった具合で、机も椅子も、絨毯やソファーや棚に至るまで良い素材を用いた立派なものだ。


 しかしその上に雑に転がっているのは、細かく色彩の異なるマニキュアや、細かく塗るための筆、爪に艶を与える液体の入った瓶など。

 更によく見れば、部屋の左右にある棚には絵画や硝子瓶、娯楽小説に写真集などが飾られている。

 いかにも執務室のような雰囲気なのに、部屋の主はそういった真面目さとは正反対の場所に居る人物だと思わせた。

 


「おかえり、エド」


 椅子に座り、立派な木を用いた一級品の机に長い足を乗せた女は、左小指の爪に色をつけていた。

 ちょうど完成したところだったらしい。 机の上には色とりどりのマニキュアが置かれてある。

 部屋中に、マニキュアの独特な匂いが広がっていた。


「ただいま」


 エドゥアルは、こくりと小さく頷きながらそう返す。

 何の抑揚も無い、ひどく義務的な声音だった。

 


 中に居た女は、藍色の目がまるで猫のように吊った形をし、橙混ざりの無造作に長い赤髪は炎のような色をしている。

 少し日に焼けた肌に、女としては一級品の肉体。

 黙って立っていれば大抵の男を騙せてしまえそうな妖艶さと、同時に少女のようなあどけなさを感じさせる女だった。



 エドゥアルの容姿はこれとは反対に、老いた結果ではない純白の髪を少し面倒な形に結っている。

 目は鮮血と同じ真紅の色。 肌は明らかに南の生まれである褐色。

 服を着れば痩せて見えるのに中身は十三歳にしてはやや高めの身長と筋肉をしている。

 

 親子ほどに年齢が離れているが、どう控えめに見ても血の繋がりは無い。

 それぐらい二人の容姿は、顔立ちも含めて似ていなかった。



 女はマニキュアの乾燥具合を主に気にしつつもエドゥアルの方をちらちらと見る。



「ずいぶんと遅いご帰宅ね。 転移魔法はどうしたのよ、せっかく拠点として登録したのに使わないと勿体ないじゃない」

「『運動にならないから疲労していない限りは転移魔法を使っちゃダメよ』と言ったのは師匠だ。 だから走った」

 

 何の感情もこもらない、抑揚すら少ない声でエドゥアルは答えた。 

 どうやら女の口調を真似しているらしいが、内容そのものはともかく、エドゥアルが言えばただ薄情な言葉に聞こえる。


『なにか不満があるのか』と思われかねないほど冷たい言い方だったが、しかし女は気にしていなかった。


 そればかりか満足げに笑ってみせる。


「あら、アタシの教えを守れるなんて、エドったらなんて可愛いのかしら。 ふふん、知ってたけどね」


 エドゥアルという少年は、現在十三歳。

『可愛い』などという褒め方にそろそろ嫌悪感を持つ複雑なお年頃だ。


「ああ」


 だがエドゥアルは嫌そうな顔をせず、反対に嬉しそうな顔もせず、ただごく普通に聞いていた。

 


「だけど見なさいよ。 アンタが遅いせいで、コレが完成してしまったわ」


 満面の笑みを浮かべた女は、エドゥアルに向かって子供が成果を誇るように、色を塗った手の爪を見せてきた。


 よく手入れされ伸びた全ての爪に、マニキュアがしっかりと塗られている。

 緑地に黄と赤を使った格子模様は細かく、なかなかに美しい色合いだ。


 が、塗った本人が器用でないのか、本来なら真っ直ぐであるべき線が曲がっていたりくっついていたり、線の太さすらバラバラだった。

 かろうじて最低限、色が混ざるなどということは無かった。 その程度である。

 つまり素人の塗りも同然だ。



 しかもよく見れば、爪ごとに乾き具合が全く異なっている。

 人差し指などは完全に乾いているのに、最後に塗ったと思われる小指は今さっき塗り終わったようだ。

 

 これは、エドゥアルが仕事に向かう昼から開始していた作業だ。

 なのに今は夜で、ようやく十本の指全てに塗り終わったばかりと言うのだから、いくらなんでも時間がかかりすぎている。


 それがどういう意味なのか、エドゥアルには理解出来ていた。



「アタシって、やっぱり天才じゃない? 芸術的な感性の塊すぎて目眩がしそう、今から画家として絵を描いてみようかしら? 大金持ちになれるかも」


 女はとても上機嫌に、己の成果たる爪を見つめる。

 画家になるというのも適当な発言ではなく、半ば以上本気の発言だろうというのは容易に読み取れた。



「さあエド、アタシの力作に対しての感想を言いなさい」

「……感想?」

「そうよ感想。 ほら、どうぞ?」


 エドゥアルは静かに爪を見る。

 何の感慨も見せない表情で黙って眺めた後、自信満々な顔をしている女を見た。


「不揃いな箇所が十三ヶ所もある」


 そう、エドゥアルは素直な感想を口にした。


「この出来では芸術品としての評価をすることは出来ない。 俺が塗った方が整った出来となるに違いない」


 大変、傲岸不遜な物言いだった。

 まだ十三歳という少年といってもいい年齢のエドゥアルが、三十も過ぎた女にそのような口を利くなど『生意気だ』と言われる行為だが、女は一切怒らない。


 むしろ慣れたように、挑発するように聞き流す。



「エドに、アタシのこの完璧な美的センスを再現出来るとは思えないわ。 美術センス無いもの、アタシと違って」

「ならまず、その美的センスに溢れる図案を師匠が用意すればいい。 俺がそれを模写しよう。 俺は師匠より器用だ」


 だが、エドゥアルは続ける。


「しかしその参考となる図案すら、師匠は丁寧に描くことが出来ないだろう。 俺がどれほど完璧に真似したところで、師匠の頭の中にあるものを再現することは無理だ」


 エドゥアルは――表情を一切変えることなく、冷酷にそう言い切る。



「更に加えれば師匠はよく殴り蹴る、杖を用いない肉体派魔法使いだ。 爪を整えたところで、すぐ無駄になる」

「爪を傷付けないようにお上品にすれば良いだけ。 アタシなら簡単よ」

「果たしてその決意は何日持つだろうな」

  

 エドゥアルは何の抑揚もなく、淡々としていた。

 あまりにも無表情すぎて、もはや相手のことを見下しているようにすら見える。



「好きなだけ言ってなさい」


 普通ならやはり怒りだしても不思議でない、いいやエドゥアルの将来を心配する人間であればむしろ『もう少し愛想良く言え』とでも怒った方がいい。

 だが女は、苛立ちすらしなかった。



 何故ならこういった会話は、二人にとっては日常で常にやっている会話でしかないからだ。

 女もエドゥアルも、どちらも方向性は違えど常に偉そうな物言いをしている。


 が、決して険悪な間柄による罵り合いなどではない。


 むしろその正反対、相手への確かな信頼と親愛があるからこその和やかな会話だ。


 

 周囲に第三者が居れば『どこが?』と言いたくもなるが、本人達にとっては何の問題もない。

 相手の性格、そして言いたいことや望むことを確実に読み取れている会話なので、お互いに非常に楽しんでいる部類だった。



「でもね、エドはそのうちアタシの高尚な感性に気付き、ひれ伏すことになるのよ」

「既に俺は師匠の感性にひれ伏している」

「あらそう。 じゃあもっとひれ伏すことになるのね、そして咽び泣きながら感謝するのよ」


 挑発的な笑みを浮かべて、女は机の引き出しから書類の束を取り出した。

 結構な分厚さをしている書類は、とても質の良い紙だけで構成されている。


 エドゥアルはそれに一度だけちらりと視線を向け、それから真顔を女に向ける。



「これは――――」

「ヴィオーザ魔法学院の、入学許可書類」


 エドゥアルが何かを言う前に、女は非常に気軽にそう言った。


 確かに束の一番上の紙にはそのような文面が書かれている。

 しっかりとそこの紋章が刻まれ、まるで重要書類であるような厳かな雰囲気を放っていた。

 


 だがエドゥアルには、そんなものを用意される覚えがまるで無い。



「それを――――」

「エドは、学校に行くのよ」


 更に女がそう、エドゥアルより先に言った。


 女は自分の爪をうっとりとして眺めている。

 よっぽど会心の出来だったらしいが、エドゥアルにはそのようなことは関係ない。



 エドゥアルは何か言いたげに師匠を見る。



「……師匠、それは第四魔法騎士団としての仕事か?」


 第四魔法騎士団。

 王国に公に存在する魔法騎士団は第一から第三までの三つしか無く、第四のそれは本来存在しない騎士団だ。


 その仕事は主に、公には言えぬ秘密の部類のもの。

 凶悪な犯罪者を取り締まり、危険な魔法生物や魔族を捕縛するのが任務。

 命のやりとりなど珍しくもないもので、公に存在しないからこそ未成年のエドゥアルが所属出来ているものだ。


 その仕事のうち一つとして、潜入がある。

 理由は護衛や調査などが主だが、いずれにしてもエドゥアルは一度も回されたことがない部類だった。



「護衛か? 相手は誰だ?」


 どういうわけか、エドゥアルは護衛任務を任されたことがなかった。

 公に存在しないのが第四騎士団なのでもちろん堂々と名乗って立つことは出来ず、ひそかに護衛することになるのだが、いずれにしても何故かやったことがない。


 エドゥアルは、これは直接の上司である師匠に関係があると思っていた。

 戦闘においては『天才』あるいは『最強』と称えるしかない師匠だが、どういうわけか何処でも人目を引く。

 地味とは無縁な師匠の弟子なので、自分も同じように護衛には選ばれないのだろう、とエドゥアルは思っていた。

 


「護衛なんかしないでいいの、エドは一人の普通の学生として、ごく普通に学校に行くのよ。 仕事はしばらく休業ね」

「……何故、そんな無駄なことをする必要がある?」


 エドゥアルは真顔だった。

 本気で『行く理由が無い』と思っていた。


 実際、勉強と魔法の鍛練は師匠の元で十分に賄えている。

 先日は師匠の友人が突然現れ、抜き打ち試験と称して分厚い紙の束を渡してきたが、特に困ることなく全て解くことが出来た。

 多少の間違いはあったとしても、八割以上は解答に成功している自信がある。



 なので、エドゥアルは今さら『学校』になど一切の魅力を感じていなかった。


 そんな無駄なことをしている暇があれば師匠の元で、第四魔法騎士団として活動している方がよっぽど師匠と社会に貢献出来るだろう。



「あら、ヴィオーザ魔法学院は名門よ? 将来有望な子達が貴族も平民も集まって、自分の才能をより高め磨く場所。 此処に通えるってだけで『すごい!』って言われてしまうほどなのよ?」

「それぐらいは知っている」



 女――エドゥアルの師匠、ニーケ・アマルディが見せたのは国内外でも非常に有名なヴィオーザ魔法学院の入学許可書類だ。


 入学出来るだけでも天才、卒業出来れば将来の職業には全く困らず、外国の王族だって通う名門中の名門。


 そこに通えると言われれば、大抵の人間は喜ぶか驚く。

 もちろん、そんな基礎も基礎な知識はエドゥアルだって持っている。


 エドゥアルのような反応は論外も論外で、おそらく歴代の生徒でも唯一の反応だろう。


  

「そこはアンジュが行く場所だ、俺には関係ない。 そしてアンジュが行くのは再来年だ」


 そう言ってエドゥアルは、この場に居ない妹弟子の話をした。

 ヴィオーザ魔法学院に通いたいと前から言っている妹弟子なら間違いなく喜ぶ話だが、エドゥアルには微塵も関係ない。


 しかしニーケは笑って首を横に振る。



「エドが、行くのよ?」

「……俺は自分のことを自覚している。 その自覚から判断するに、俺にとって同年代の子供など修行相手にもならん」


 それは驕りなどでなく、本気の考えだった。


 師匠ニーケの元で修行し戦い続けてきたエドゥアルにとって、たかが同年代の少年少女など相手にならない。

 勉強でも実戦でも、単純な運動能力でもそうだ。

 それがたとえ名門に集まるような子供でも同じである。


「師匠は俺に、師匠より強くなることを望んだ。 なら、俺にとってはそれが最重要責務だ。 学院に行くなど、時間の浪費でしかない」


 エドゥアルは堂々と言いきった。

 世間一般の考え方からいけば『なんて傲慢な』と怒られてしまう発言ばかりだったが、しかしエドゥアルは本気だった。


 

「つまり師匠は、俺の能力が信頼に足りないと言いたいのか? 俺では力不足だと言いたいのか?」


 だとしたらそれはとても不満のある評価だ、とエドゥアルの顔には書いてあった。

 ニーケは『まさか』と言って笑う。



「戦闘能力に関しては、少なくともアンタの世代ではアンタが一番だと思ってるわ。 知識量だって、他の生徒に劣ると思ってないわよ?」

「なら学院には価値が無いと分かるはずだ。 仕事をする方が、金銭の観点から見ても師匠への恩返しになる。 俺の能力は、未だ師匠を越えるものへ至っていない。 これでは師匠への恩義を返すことができない」


 そこまでつらつらと抑揚の一つも無くエドゥアルは言いきった。

 間違いなく本気である。


「ずいぶんと可愛いこと言うようになったわねぇ。 確かに第四魔法騎士団で犯罪者は魔獣を殴ってた方が有意義ね? でもアンタ、そういうところなのよ」


 女は少し呆れつつも、エドゥアルに向かって書類を軽く叩いた。

 


「此処でなら、今のエドに決定的に欠けていて、エドをもっと強くさせるものを得られるわ」

「……なんだそれは」

「友達よ」


 女は笑う。

 エドゥアルは軽く眉を曲げた。


「友達」


 エドゥアルは恐ろしく真顔で、その単語を復唱する。

 友達。 友達、など。


「それは利用価値のある知人という意味か?」


 それはエドゥアルにとって、まるで縁の無い言葉だった。


 小説でも読んで、妹の話を聞いていれば、まるでそれが貴いものであるかのように言われているが、今のところ、エドゥアルの人生に必要なものではなかった。

 ということは、きっと今後も必要ではないのだろう。


「違うわ」


 しかしニーケにとってはそうではない。



「アタシはアンタを拾ってから今まで、ずーっと育ててきました。 アタシだって自分の教育が『普通』ではないぐらい分かってるわ。 十三歳のお子様をむさ苦しい大人どもに混ぜて、人間の汚い部分を見せるのが良くないことだっていうのもね」

「俺はそれでも構わない」

「アタシが構うの」

「…………」


 エドゥアルは黙る。

『なら仕方ない』と思っているからだ。


 ニーケは自分の手を軽く振って、マニキュアを乾かそうとする。

 しかしそう簡単に乾くものでもないのか、途中であきらめた。

 


「アタシは若い頃、そこを卒業したの。 単純に強くなる以上に、とても大切なものを得て、強くなったわ」

「それが師匠の言う『友達』だと?」

「そ。 あと、何よりも楽しかったわね。 『楽しい』がどれほど重要か、分かるわね?」


 ニーケは意味ありげに笑った。

 

 彼女の言う『楽しい』とは何よりも上に位置する欲望だ。

 そうでなければやっても意味が無い。

『楽しい』ということは、強いということである。



 そうと知っているエドゥアルは、本気でその件について考え込んだ。


 

「というわけだから、ヴィオーザ学院に行って、友達をぱぱっと百人ぐらい作ってきなさい」

「…………」


 エドゥアルは沈黙する。

 だがすぐ、師匠の意図を深く読み取ったように頷いた。


「了解した」


 そしてエドゥアルは改めて書類に目を落とす。

『百人など無理だ』や『急すぎる』と真っ当な抗議をするのではなく、声だけは無感情なままで書類を読み上げた。



「だが師匠、この書類には『ユリウス・ヴォイド』と書いてある。 誤送ではないか」

「アタシが用意した偽名よ。 アタシの姓を名乗ったら、アタシのファン達が自主的にうれし涙を流して、積極的に友達になってしまうかもしれないものね。 そんなの一切無いところから始めないと意味が無いわ」


 ニーケはにっこりと笑い、堂々と言い切る。

『何か問題でもある?』と顔には書いてあり、エドゥアルは何も言わなかった。



 エドゥアルは書類を見て、そしてニーケを見て、視線を何度か往復させる。

 その視線には困惑がより濃くなっていく。


 

「……師匠」

「なぁに? アタシの圧倒的な優しさに気付いてうち震えてる? 良いわよ別に、その場で泣き崩れても。 この胸で慰めてあげようじゃない」

「…………」

「あ、それとも入学試験のこと気にしてる? 大丈夫よ、この前アンタに渡した紙が今年の入試問題だったもの。 ばっちり合格水準よ? 堂々と行ってきなさい」

「そうではない」


 エドゥアルは書類の一角を指さす。

 そこには、入学したばかりの生徒がまず受ける入学式についての詳細が記されていた。


 

「師匠、入学式はもう一か月前に終わっているようだ」

「え?」


 ニーケはぴたりと止まった。

 口に笑みを貼りつけたまま、視線をちらりとエドゥアルの指先に向けた。


「……………………」


 そこに書かれていることを確かめて、沈黙。


「…………………………」


 手を伸ばし、意味も無くマニキュアの蓋を一つ開けて、また意味も無く閉める。

 更に足を組みかえて、また組み替える。

 視線をそっと逸らして窓へ向けて、またしても沈黙。


「……………………………………………………」



 それを何度も繰り返して。


「フッ」


 と、肩を軽く上げて笑う。

 


「よく気付いたわね……流石はエドゥアル、このアタシが育てただけはあるわ……」

「早期の老化現象が始まっていると思われる。 医者に看られることを勧める」

「あん? なにアタシのことをボケ老人扱いしてるのよ、ボケてないわ、わざとよ。 アンタが気付くかどうか、試してあげたのよ。 ええ、よく出来たわね。えらいえらい」


 ニーケは明らかに自分の失態を誤魔化していた。

 誤魔化そうとしていたが、声は上ずっていて、視線も泳いでいる。

 誰がどう聞いても、どう見てもニーケが入学式のことを忘れていたと分かるだろう。


「試した?」


 エドゥアルは、師匠の言葉に驚いた。


「まさか師匠は、俺が書類を的確に読み解き、日付の間違いに気付けるかどうかを試していたと。 そう言いたいのか?」

「ええ、そうよ?」

「単に師匠が書類の存在や日付を忘れていたのではなく?」

「もちろん」


 ニーケは頷いた。

 それがただの誤魔化しでしかないぐらい、誰でも気付けることだ。

 それぐらいニーケの言っていることは無茶苦茶だった。 


 エドゥアルはそんなニーケの顔をじっと見つめる。

 無表情で、冷淡に。

 人によってはあかさまな嘘を見抜かれているように感じる目だ。

 


「そうか……俺に楽しい友達作りをするよう提案し、そのための場所すら用意し、更には俺の成長を試すとは、流石は師匠だ」


 しかしそんなことは微塵も思っていなさそうな顔と声で、しかしエドゥアル自身は間違いなく本気で呟いた。


「師匠の思慮深さには感動の涙を禁じ得ない。 この世の如何なる賢人も、師匠には劣るだろう」


 まるで泣きそうにない顔と、感動など一切感じていない声でエドゥアルは言う。



 エドゥアルは、師匠のことはとても尊敬している。


 師匠とは一切の血縁関係が無いどころか、いくつも問題を抱えている自分を弟子兼養子にし第四魔法騎士団としての活動を許し、此処までしっかりと教育してくれたような心優しく素晴らしい大恩人だ。

 雑な人だが、エドゥアルはそれを悪いように思ったことも、ましてやバカにしたことなど一度もない。 


 今までの会話だって、血の繋がらない親子がいつも通りに仲良くじゃれあっているだけで、互いに気にしていなかった。

 


「理解した、師匠。 俺はヴィオーザ学院に行き、友達を百人どころか千人も作り、師匠を驚愕させるほど強くなって帰還しよう」


 エドゥアルはエドゥアルなりに、信頼と確信をもって本気で頷いた。

 これを見てニーケもにっこりと笑う。



「上を見るのを忘れないなんて偉い偉い、結果報告を楽しみにしてるわ。 もしも学院でいじめられたら、帰ってきてもいいのよ?」

「虐められることがあるのか?」

「あるに決まってるわよ。 だって、エドはこーんなに可愛い顔をしてるんだもの」

「そうか。 俺は可愛いからな」


 そしてエドゥアルは、エドゥアルなりに笑みを浮かべて、確信をもって頷いた。

 


「だが問題ない師匠。 俺の前に如何なる障害があり、虐められることがあったとしても、それら全て俺一人の力で打ち砕いてみせる。 そして師匠に『友達を千人作った』と報告する」

「うんうん、楽しみにしてるわね」


 

 そして、そういうわけでエドゥアル・アマルディ――改め、ユリウス・ヴォイドは、そんな理由で学院に入学することなった。


 多くの生徒が自己の研鑽のために通う学院。

 そこに、『友達を千人作る』ためというだけの理由で。



 

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