私が、私であるために、私は、ささくれをめくる

京京

ささくれを……

 指先から流れでるこの血だけが、生きていると実感させてくれる。


 私はささくれをめくった。


「痛い!」


 思いのほか大きい声が出る。


 めくった部分から赤い液体が滴った。

 私はその液体に触れる。


 温かい。


 あぁ、本当にこの瞬間が好きだ。


 自分が生きていると実感できる。

 自分が幸せなんだと実感できる。

 

 皮を剥ぐときに出る痛みもそうだ。


 全部私を肯定してくれている。


 そんな気がした。


 私の手にある白い欠片。

 薄らと血の色がついたそれはこの上なく愛おしい。


 私はそれを飲み込んだ。

 あぁ、小さな細胞の欠片が私の中に溶け込んでいく。


 気持ちいい。噎せ返るほどに気持ちがいい。


 錯覚だということはわかっている。

 妄想だとういうこともわかっている。

 もしかしたら悪夢なのかもしれない。


 それでも私は……

 私は、ささくれをめくり続ける。

 この生きているという実感のために。

 幸せであるということを噛み締めるために。


 もう、私はささくれを見ると取らずにはいられないのだから。

 きっとそれは呼吸と同じ。

 生きていくために必要な行為。


 でも問題がある。

 いつでもささくれがあるわけじゃない、ということ。

 そして綺麗にめくることがそうそう出来ない、ということ。


 考えてみれば、これは宝くじみたいなものだ。


 普通の人はささくれを嫌う。

 次いで、あったとしても血が出ないようにめくる。出血しない方が良かったと思うのだろう。

 

 だけど、私は違う。


 まず、ささくれがあることを願う。

 加えて、血が出れば当たりだ。痛みもあればさらに大当たりだ。


 血も出ない、痛みもない。そんなささくれだと逆に落胆してしまう。


 だからこそ、今は最高の気分なんだ。

 今なら何だってできる気がした。


 血の温かさは私を奮い立たせくれる。


 そんな時、


「エ?」


 不意に私のパソコンに通知が届いた。


 一瞬で萎える。興醒めだ。


 私は嘆息しながら画面の前に座る。

 パソコンを起動して、通知をプッシュした。


 なんのことはない。

 いつもの上司の小言付きの指示書だった。


 明日まであれをやっておけ。確認するから朝一番に持ってこい。


 うんざりする。

 休日のときまで私に干渉しないでほしい。

 

 私の中でどす黒い怨嗟が渦を巻いて生まれていった。

 吐き気を催すほどの怒りに私は髪を掻き毟る。


 折角のいい気分が台無しだ。

 洗った洗濯物が泥で汚されたかのような虚無感が私を襲う。


 私は自分の指先を眺めた。


 有名なエステとネイルサロンに通って手入れをした私の手は見目麗しく透き通るように美しい。

 指は大理石のように艶やかで、爪は宝石のように煌めいている。

 

 あぁ、この手だとささくれなんかめくれないし、もう出来もしない。

 だからといって、ささくれだらけの頃には戻りたくもない。


 私は力任せに立ち上がると、またささくれをめくりに行った。


 部屋の片隅に置かれた安楽椅子。

 そこに縛り付けた女の子。


 通販で買った有刺鉄線と鎖で無理矢理括りつけているから身体中傷だらけだ。

 初めて会った時と同じ制服姿だが、もうその服は赤色に染まっている。


 顔は可愛い部類なのだろうけど如何せん田舎臭い。正直タイプじゃないな。

 餌は与えているけど、排泄の処理が面倒臭いことこの上ない。

 最近この子自身の臭いも酷くなってきていて困っている。


 年頃は多分、十七歳前後かな。詳しくは知らない。

 家出少女をネットで適当に拾ってきただけだから。

 名前もわからない。預かっている財布やスマホを見れば一目瞭然かもしれないけど興味がない。


 きっと私が同性だから油断したんだろうな。

 会ったときはあんなにキラキラした目で私を見てくれていたのに、今では薄汚い濁った目を向けてくる。


 それは怯え? 怒り? 悲しみ? それとも恨みなのかな。

 まぁ、どうでもいいのだけれど。


「もうやめて……痛い……痛いよ……助けて……」


 相変わらず、五月蠅い。

 捕まえてきてからずっとこの調子だ。


 少しは理解してほしい。全部無駄だということを。

 騒ごうが喚こうが貴方はもう私のモノ。

 

 私が生きているという実感を、幸せだと実感するためだけに……

 貴方は……

 

 私に、ささくれをめくられ続けるの。

 

 その血が、痛みが、そしてささくれが!

 私を私でいさせてくれる!


 私は猿轡をその子にはめた。それでもウーウー五月蠅いけれど鳴き声だと思えば、まぁ可愛いか。


 私は彼女の手を見る。

 その手は震えていた。


 止まってほしいな。

 ささくれが取れない。


 私は彼女の頬を思い切りビンタした。


「うー!」

「ダマレ」


 ビンタは嫌いだ。

 私の手も痛くなる。


 でもこれをしないと黙らないから。

 これは躾。そう躾なの。


 私は改めて彼女の手を眺める。

 ささくれはない。


 というか、もう粗方、皮を剥ぎ取ってしまっている。


 彼女の指先は真皮が抉れ、赤黒い皮膚が見えていた。

 零れ落ちた血が黒く渇き始めている。

 

 さっきのが、最後だった……

 もうめくれるのは剥き出しの皮膚だけ。

 それはささくれじゃない。


 ささくれじゃないと私は喜べない。

 

 私は力なく頭を垂れる。

 苦悩が私をイライラさせた。


 怒りで目の前が真っ赤になる。

 いっそこのままこの怒りに任せてこの子を……


 あまりに暴力的な発想に自分でも驚いてしまう。


 落ち着こう。

 そうだ、落ち着かないと。


「ア……」


 まさに天啓。

 ふと下を見ていた私の脳に雷の如き閃きが落ちた。


 きっとこれこそ神様の思し召しだ。


 私は破顔しながらその子の足に触れた。

 厭がる彼女を無視してその足を擦る。


 連れてきた時のままの白い靴下。

 もう汚れてくすんだ色の靴下を私は脱がした。

 

 彼女は暴れるがその度、有刺鉄線の棘がその身に突き刺さる。


 悶える声が響く中、私は歓喜に震えていた。


 あった。


 まだあった!


 そう、足だ。

 足の指があるじゃないか。


 彼女の足にはまだ皮が張り付いている。


 私はささくれを探す。

 有名な絵本に出てくる旅人を探すように。

 

「ア……」


 ダメだ。

 希望はすぐに絶望に変わった。


 汗や、血、汚水などで濡れていた所為か、彼女の足はふやけていたのだ。

 ささくれは皆無。


「クソ……」


 仕方ない。


 余り強引な手は使いたくないけれど……

 緊急事態だ。


 私の心は癒しを渇望している。

 一刻も早く。一刻も早く。

 ささくれを!


 私はカッターナイフを取り出して彼女の足の親指を少し切る。


「うー! うー!」


 五月蠅いな。

 でも、もうどうでもいい。


 私は強引に作ったそのささくれの先を抓んだ。


 あぁ、この瞬間だ。

 私は笑いながらそのささくれをめくる。


「あぁー! あぁー!」


 けたたましい悲鳴と共に鮮血が、飛んだ。


 瞬間、脳髄まで痺れるほどの感動が押し寄せる。

 

 私の指先に触れる温かい血が、また私に生きていると実感させてくれた。

 そして、幸せが降り注ぐ。


 あぁ、素晴らしい多幸感が私を包み込んでいく。


 私は生きている。

 私は幸せだ。

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私が、私であるために、私は、ささくれをめくる 京京 @kyoyama-kyotaro

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