10. 空位転術

 魔導士が警告を口にしたそばから、崖を崩して巨人の這い上がってくる音が響いてきた。


 俺はさっきとは逆にドルイエに肩を貸すと、その熱を持った体を立ち上がらせようとした。

「歩けるか? 歩けなくてもここから逃げないと……」

 だが、ドルイエの体にはまったく力が入らない。

 

 崖の下からは、巨大な足が岩肌を削りながら這い登る音が近づいてくる。

 ついに赤い指が崖の淵にかかり、巨体がそこを乗り越えようとし始めた。


 魔導士がつぶやいた。


「もう一度……飛ぶぞ……」

「無茶を言うな! 立てもしないのにそんなことが……」

「今度は……違う。飛翔術じゃない。空位転術で……」

「なんだそれは……」


 ドルイエは力を振り絞って俺にしがみついてきた。

 俺は思わず体を崩し、膝をついて魔導士と抱き合うような姿勢になる。

 噛みタバコの残り香が鼻をついた。


「いいか……目をつぶれ。わしがよしと言うまで決して開けるんじゃないぞ。途中で目を開けたら……」

「開けたら?」

「お前は……いや、わしも一緒に時と空の狭間に取り残され、永遠にさまようことになる……」


 どういうことなのか聞き返す間もなく、ドルイエは俺を抱いた手に一層力を込めた。


 巨大な赤い手が俺たちのすぐそばでバンと地面を叩いた。

 巨人が崖下から一気に体を引き上げようとしている。

 耳を弄する咆哮が、俺たちのまわりの空気を激しく揺さぶった。


「目をつぶれ!」


 魔導士が俺の耳元で、呪文を詠唱した。


「エク、エク、エッカーモル、サーシェ、レルカン……」


 俺の背中で、ドルイエの握る七芒星の杖が熱を放つ。

 固く目をつぶった俺の体を、不意に不思議な感覚が包んだ。

 

 自分の体が無限に小さくなっていく感じ……

 いや、まわりの空間が無限に広がっていく感じか……

 と思ったら、その空間が次第に細くなっていくような……閉じていくような様子が感じ取れた。


 目をつぶっているのに、俺には何か異常なことが起きているのがはっきり感じられた。


 出し抜けに、自分を包んでいるその閉じた空間が、大きな力で引き延ばされ、次の瞬間には縮んで俺たちをつぶそうとするような圧をもたらした。


 始まった時と同じように、それは終わった。


 闇の中で魔導士と抱き合った俺の耳に、水の滴がに落ちて何か跳ね返る音が届いた。


「もう……いいぞ……」


 そう言うドルイエの声は息も絶え絶えだった。

 俺が目を開けると同時に、ドルイエの体がどうと地面に倒れ込んだ。


 俺たちは、洞窟のようなところにいた。

 闇の中で、どこからか微かに届く光に濡れた岩肌が光っている。


「ここは……どこだ……」

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