残機のある世界

algo

第1話 目覚め

 「残機」。それはゲームでよくある死んだ際、健康状態で生き帰るあの機能。22世紀初頭、それが発明された。当初は末期の癌患者をはじめ、もう医療技術が尽くせない患者のために利用され、時代と共に市販の商品としても売られた。残機のある世界は着実に明るくなっていった。しかし、それも束の間。

 人類はこの技術を最も愚かな方法で使った。

 

 2158年3月22日  日⬛︎戦争

戦場 ⬛︎⬛︎県 ⬛︎⬛︎市


 風の音がひどく寒さを際立てる。

 皆、来ないでほしいと願う突撃のラッパを待つ。

 生きたい。泣きたい。逃げ出したい。しかし、どんなに辛くともそれらは許されない。それが戦争だった。


 「なんでこんな時代になって塹壕戦になんてやるかね?良い武器とか作れよ。」

 「金だろ。お国はカツカツなんだろ。新しいルールで決まっただろ?予算とか残機数とか。」

 「3つ残機があるんだっけ?俺は絶対できねえな。この戦いの報酬で2回目の出兵は免除だな。」

 「俺もそうだな。3回も戦うのは耐えきれん。」

 「帰ってもあの廃村みたいなところで暮らすのか。クソッ。」

 「俺らのとこも鉄や資材は軍が全部持ってっちまった。でも貧しくても故郷で暮らしてえなぁ。」


 待機する中、みな戦友との最後の会話を交わしている。

 

 塹壕の中で一人黒髪で戦場に不釣り合いなほど若く、周りよりも体躯が小さい少年が大きめのコートに顔をうずめて座っている。時々右手で左目の眼帯を直したり、銃剣を持ち直したりする。隣の顎ひげの生えた男は少年を一瞥するなり、問う。

 「なあ、あんたなんだろ?」

 「ん?」

 男は少年の右目に指をさし、

 「赤狼あかおおかみだよ。ここじゃ有名だ。で、あんたなんだろ。赤狼は碧眼って噂を聞いたことがある。その青い目でピンときた。瞳は澄んだ良い色だが、その目つきじゃ台無しだな。狼みてえだ。」

 少年はムッとする。

 「俺は全然髪も服も赤くないぞ?」

 「ふっ、それで誤魔化したつもりか?赤狼の由来は狼のように敵地に潜り込み、敵を殺しすぎた結果、多くの返り血を浴びて赤く体中が染まるからだろ。その左目の怪我。4日前の突撃のだろ?それに、その左腕も。そして、その左肘から先の肉を削ぎ、骨を研ぎ、槍状にしてやがる。俺の知る限りそんなことをするのは赤狼しかいない。

 それに噂じゃ、4日前に赤狼が左手と左目をやられて野外病院に来たんだってな。その日の夜、偶然俺もそこにいたんだ。その時にガリガリと何かを削っている音を聞いたんだ。その左腕に違いない。」

 少年は目を瞑り、背を冷たい塹壕の壁につける。

 「そこまで良い目と耳をしていれば情報屋の方が向いてるな。」

 「俺もできたらそうしたいものだな。ところでなんでそんな無茶な戦い方をするんだ?」

 少年は少し考える。

 「...そうだな。強いて言えば、無茶な戦いをしない理由がないからだな。戦場に立てば皆平等に罪人だ。命を惜しむ道理は俺にはない。」

 そう、この戦争には残機はあっても命はない。国からすれば首のない兵隊が敵地に踏み込むだけ。しかし、それを飲み込むには戦いの痛みは強すぎる。

 男はこの自分よりも小柄な少年に畏怖さえ感じた。

 (お前に痛みはねえのかよ...)

 「...やっぱり狼さんはおっかねえや。最後に有名人に会えて良かったぜ。良い土産話だ。最後に名前を聞いても良いか?」

 「...白井篤矢しらいあつや。」

 「じゃあ次の人生でまた会おうぜ!篤矢!」

 

 男は場にそぐわない笑いを見せた。

 少しして首の後ろをいやに冷たい風が吹いた。少年は目を開け、しゃがんだ。そして、男に警告する。

 

 「構えておけ。もうそろそろだ。」

 

 少年の目はより一層鋭くなる。その眼差しは狼のようだった。

 遠くからラッパの音が聞こえる。それに合わせて爆発音や喊声、おたけびが戦場にこだまする。


 狼は駆け出した。誰よりも速く。そして、みるみる赤くなっていった。

 そして、この戦で狼は冷たくなった。



 2158年 3月23日 ⬛︎⬛︎県 ⬛︎市 帰省

 ——起床

 以前に見た気がする天井を黒髪の少年は見つめる。

 起き上がり、大きいあくびを一つする。

 「あ〜あ。また死んじゃったか。」

 長い夢を見ていたような気分だった。体が少し重い。辺りを見渡すと柔らかな色のカーテンが春のそよ風に揺れ、花瓶にはオリーブが生けてあるどこにでもある病室だと分かった。胸のあたりに一瞬ズキッとした痛みを感じた。病衣をめくり、見る。

 「気のせいか。確かこのあたりだったんだけどな。」

 

 視界の端で扉が開くのが分かった。顔を向ける。ギイと重い押し戸を開けたのは40後半くらいの白衣を着た柔和な顔立ちの男だった。

 「白井篤矢さんですね。お機嫌はどうですか?」

 「いえ、大丈夫です。もうどこも痛みはありません。」

 そう少年が答えると白衣の男はにこやかに微笑んだ。

 「では本日で退院になりますね。えっと...今回で3回目になりますね。兵役お疲れ様でした。こちらをどうぞ。よく頑張りましたね。」

 そう言うと白衣の男は緑色のミサンガを渡した。

 「ありがとうございます。話しではよく聞きましたが、実物ってこんな感じなんですね。」

 少年はミサンガをまじまじ見る。

 「ええ、戦争に3回出兵することなんて、そうそうありませんからね。これはあなたが3回、文字通り死ぬほど頑張った証です。」

 少年はさっそく左手首にそれを巻いた。

 「さあ!これからは自由の世界です。ぜひ羽を伸ばしてください。何かすることでも決まってますか?」

 「いや...特にすることが決まってなくて。」

 「そうですよね。自由は時に人を迷わせます。旅なんてのはどうですか?私の旧友にミサンガ持ちで旅をしている方がいます。月に一度手紙や写真などを送ってくるのですが、それはそれは楽しい日々を過ごしているようですよ。人生で大切なものも見つかったとか。本当に羨ましい限りです。」

 そう言って写真を内ポケットから出し、見せてくれた。広大な山に囲まれ焚き火をしたり、爽やかな海ではしゃいだり。まさに「満喫」の二文字が相応しい写真ばかりだった。少年はそれにひどく惹きつけられた。

 「旅ですか...良いですね。迷ったらそれにします。」

 白衣の男は写真を戻し、

 「良い人生を願いますよ。それではお大事に。」

 「はい。お世話になりました。」

 そう言って、退院の身支度を始めた。

 

 (そうだ。俺の戦争はもう終わったんだ。もう狼はどこにもいないんだ。)

 

 ——退院

 日が少し上がり、穏やかな風が頬に触れる。

 病院を出たが誰も来ない。この時間帯だったら母はおそらく機械工場とかで頑張っているんだろう。

(1人だけど久しぶりに実家でも行くか。バス停はたしか...)

 バス停でバスを待つ。ベンチで隣のメガネの年老いた男がかすれた声で話しかけた。

 「なあ、あんちゃん。戦にも行かず、どこに行くんだい?」

 少し怒っているようにも聞こえたが、仕方ない事だと思い、

 「あぁ、俺一応これなんで。」

 少年は緑のミサンガを見せた。すると老人は驚いて詫びる。最初から戦争の辛さを頭ごなしに言わない辺りはこの人は良い人であり、戦争の痛みをよく知っているのだろう。

 「あぁ、これは失礼しました。」

 少年は特に気にせず言った。

 「大丈夫ですよ。誰だって、これはわからないですし。」

 老人は聞く。

 「今の戦況はどんな感じなのですか?国はずっとこちら側が優勢だと言っていますけど...」

 「そうですね...あまり良いとは言えない状況です。しかし、新しい戦争のルールが打ち立てられて、4000億円以内で戦い合うってのでしたっけ?昔ながらの塹壕戦とはいえ少ない予算内でこの戦法に持ち込めているので、よくやっている方ではありますね...」

 老人は少し俯く。

 「やはり...そうだったのですね。国は最新鋭の武器だの超高性能AIによる戦術だの使っているって話は全部嘘なのですか?」

 少年はそんな話を初めて聞いた。

 「...場所にもよりますけど、私がいた戦場にはなかったので、おそらく...」

 少し間が開く。

 「でも、大層お辛かったでしょう。まだ、こんなにもお若いのに...あんまりじゃないですか?」

 少年は手を組み、前屈みに座り直す。

 「まあ...確かにそうですね。辛くないと言えば嘘にはなります。ですが、今現在も戦っている戦友や殺した敵兵の苦しみに比べれば軽いもんですよ。それに敵兵が正確に心臓を貫いてくれたので、苦しくない方だったと思いますよ。」

 少年は少し笑って見せた。老人は、切なそうな顔をしている。

 突然前方に日陰が現れた。

 「あっ、バス来ましたね。」

 老人とバスに乗車する。中は運転手だけだったようだ。ミサンガがチラリと見えたのか運転手は帽子を摘み、軽く礼をする。少年もすかさず軽く礼をする。

 バスの中は左折右折で日のあたっている箇所があっちこっちに移動するのがよく見える。日なたがゆらりと移る様が戦争で倒れた仲間たちを思い出させる。ゆらり...ばたり...ゆらり、ばたり。少年は雲の影がバスを覆うまで少しばかり目を閉じることにした。

 ミサンガ持ちは公共料金及び指定された店では全て無料もしくは大割引きされる。場所に着いたので、老人に軽く手を振り、ミサンガを運転手に見せ、バスを降りた。少年は何か悪いことをしているような気になったが、当たり前のことなんだと割り切った。

 

 ——到着

 「ただいま。」

 ガチャ... 鍵が閉まっていた。

 (相変わらず人の気配を感じない家だな。)

 村もだった。家の周りは田んぼばかり。もうこの世界に自分しかいないようなそんな雰囲気を感じる。それもそうである。ここらにいる人は今、出兵か住みつきで武器工場にいるはずだった。

 玄関が開いていなかったので、裏口の扉から入ることにした。そうして、玄関横の植木鉢をあげ、鍵を手に入れた。

 「やっぱり、ここだよね。」

 ガチャガチャ、ガチャリ。

 「ただいま。」

 誰もいない。暗く殺風景な8畳。時代は進んだはずだが、戦争によって資源が大量に必要になり、昔のような木造で貧しい暮らしをしいられている。狭いはずだが、何も家具がないせいか、やけに広く感じる。居間の机にはポツンと置き手紙があった。母のものだろう。開封する。

 <篤矢へ

  兵役ご苦労様。これを読んでいる頃おそらく私はこの世にいません。うちは貧しいかったばっかりに命の残機を買うお金なんてありませんでした。将来で篤矢が一人になってしまうことが一番怖いです。新しい人生の始まりにも一緒にいられず面目ありません。その上片親で寂しい思いをさせて本当に申し訳ありません。篤矢には心配ごとを増やしてしまったね。本来ならその不安は私が払うべきなのに。

 私は工場勤務で体を壊してしまい、常に工場の居住スペースにいます。最後に会えないのは悲しいけどこの手紙だけでも渡せたらと思って。この先大変なことが山積みだろうし、こんなダメな母親だけど、胸に一つ覚えておきなさい。大切なものを見つけ、手放さず、見失わず、分け合って生きなさい。>

 

 最後になるにつれて文字が震えている。手紙には数箇所字が滲んでいるのも見えた。

 少年はうずくまる。もう唯一の家族もないのだと思うと胸は苦しく、手は冷たくなった。しかし、泣くに泣ききれない。戦争の過酷さが篤矢の涙を出させない。

 「泣けよ...俺。泣けよ...」

 声は震え、鼻もツンとする。だが、目は人を排し、まだ狼に縛られていたのだ。しばらくして少年はそのまま眠りにつく。


 起きると懐かしい天井。そして、起き上がれば壮大な孤独感。どうやって生きれば良いか迷う。

 ふと玄関に目をやる。玄関は車庫と一体化していて、少し錆びた小さいバイクがぽつんと置いてある。このバイクは少年が小さい頃に父が一度だけ乗せてくれた思い出のバイク。父はまだ少年が生まれる前にはこのバイクでよく旅をしたそうだ。父の顔や名前、声さえもう覚えていないが、そのことだけは鮮明に覚えている。

 次第に孤独から迷いが少年を襲う。背中に何かドロッとした冷たいものが張り付くようだ。胸もどんよりと一層苦しい。

 (どうしよう...どう生きよう...どう進もう...)


 何気なく手紙が目についた。手紙の下側に折り目がついてあり、手紙に続きがあるのが分かった。それを見て少年は驚いた。


<人生は旅なんだから迷って良いんだよ。

戦って、泣いて、逃げ出してでも手に入れた旅路が「大切」なんだよ。

                母より>

 胸に詰まった煙が晴れるのが分かった。背中も随分と楽になった。

 もう少年は戦いの強制から自由となった。

 そう分かった時、少年の目から瞼を焼くような熱いものがボロボロとこぼれ落ちた。

 (そうか。迷って良いのか、逃げて良いのか...じゃあ)

 少年は涙を拭う。そして、笑った。

 「旅にするか。」

 

 少年は立ち上がり、玄関に向かってゆっくりと歩く。一歩ずつ歩くたびに今までにあったことを思い出す。戦友との談笑...医者の助言...おじいさんの心傷...そして母の手紙...

 言葉が胸に静かに沁み込む。ハンドルを握る手にじんわりと人としての温かさを感じる。

 

 少年はゆっくりエンジンをかけた。

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