みんなあくまのしわざ

兵藤晴佳

第1話

昔々、あるところに、若いのに怠け者の大酒飲みの男がいました。

真夏の夜中、男はちょっと涼しくなったからといって朝まで飲んだせいで二日酔いになってしまいました。

近所に住む可愛らしいお針子さんが、心配して声をかけてくれます。

「身体を大事にしなさいね。人間、いつまでも生きていられないんだから」

そんな忠告にはみみを貸さず、男は寝転がったまま、いびきで返事をします。

お針子さんは腹が立つやら呆れるやらで、そのまま仕事へ行ってしまいました。

昼近くなってから酒代を稼ぎにぶらぶらと外へ出ましたが、そんな時刻から見つかる仕事などありはしません。

あっても、この男に頼む者はいなかったでしょう。

そんなわけで、男はすっかり疲れて、木陰で横になることにしました。

すると、この暑いのに手袋をはめた老人がひょこひょこ駆け込んできて、ばたばたと扇を使います。

それがうるさくて眠れない男は、文句を言いました。

「取りゃあいいだろ、その手袋をよ」

 老人は、ぼそりと答えます。

「また着けるのが難しいでのう」

 おかしなことを言うとは思いましたが、男は尋ねてみました。

「怪我でもしてるのか」

 まあそんなもんだ、と答えた老人は言いました。

「代わりに、きゅっと冷えた酒でもあればいいんだが」

 昼間から飲む相手ができたと思うと、男は一張羅を質に入れて金を作ると、老人に冷酒をおごりました。

 飲むたびに、盃を持つ手にはめた手袋からは煙が立ち上るように見えました。

 酔いつぶれてしまったところで、手袋を取ってみると、ひどいささくれができていました。

 それをむしったり、引き抜いたりしたのか、その跡は青紫色に膿んでいます。

 傷口からは、あれよあれよという間に、蛇のようなものが飛び出していって消えてしまいました。

 老人が大慌てで飛び起きます。

「いらんことをしてくれた! 俺はささくれの悪魔なんだ」

 男は驚きましたが、悪魔はせこい駆け引きが好きなので、弱みを見せたら負けです。

 ここは開き直ることにしました。

「お前の仕事を手伝ってやっただけじゃないか」

 とんでもない、と悪魔はムキになります。

「勝手に広めちゃいけないんだ。疫病っていうのはな、当たり前になったら、誰も気にしなくなるもんだからな」

 この程度の理屈でも、男にはよく分かりません。

 理屈をこねて食い下がります。

「どうなるってんだ? 広めちまったら」

 老人は、諦めたかのように溜め息をついて答えました。

「こうなったからには仕方がない。酒のお礼に、治す薬をやろう」

 大きな貝に盛った膏薬を手渡すと、それがなくなったときのためのおまじないも教えてくれました

 それが、これです。


地底の小人に沼の主

炎のトカゲに暴れる風と

ぽっかり空いた夜闇の穴

そうら、そろっておでましだ

剥くと痛いの、抜くと痛いの

飛んでけ、山の向こうまで

飛んでけ、空の彼方まで


 ただし、と老人は付け加えました。

「それで何か手に入れようとしたら、命をもらうぞ」

 酒代が欲しい男は、すぐに医者のまねごとを始めました。

 あちこちうろついては、ささくれに悩む人を見つけて膏薬を塗り、お礼を巻き上げるのです。

 実は、男がお酒を飲むのにはわけがありました。

 毎朝、可愛いお針子さんに声をかけてほしかったのです。

 しかし、お金が入るようになると、男はお酒を飲まなくなりました。

 お針子さんに想いを告げて、結婚するためにお金をためることにしたのです。

 ところが、お針子さんが男を励ましに来ることはありませんでした。

 心配になって家を訪ねてみたところ、食うや食わずの有様で、すっかりやつれていました。

 どうしたのかと尋ねたところで、お針子さんは手袋をはめた両手を差し出します。

「こんな格好、見せたくなかったから」

 いつかこんな光景を見たのを思い出した男はどきっとしました。

 あの、ささくれの病です

 たぶん、指先が膿んで、とても針仕事などできないのでしょう。

 男は、すぐに膏薬を塗りました。

 ところが、他の人にはすぐに効いたのに、お針子さんの腫れた指は治りません。

 そこで、背中から囁く声が聞こえました。

「悪魔の上前をはねおって」

 男は老人に告げます

「わかった、もう金儲けはしない」

 何のことを言っているのか分からない娘は、怪訝そうに眉を顰めるばかりです。

 それに気づいたのか、老人は面白そうに笑いました。

「遅いんだよ、欲しいものを手に入れた分、お前の寿命も縮んでるんだ……」

 かまうもんか、と男は呪文を唱えました。


地底の小人に沼の主

炎のトカゲに暴れる風と

ぽっかり空いた夜闇の穴

そうら、そろっておでましだ

剥くと痛いの、抜くと痛いの

飛んでけ、山の向こうまで

飛んでけ、空の彼方まで


お針子さんが、はっとした顔で手袋を取ると、そこには艶やかでしなやかな指があります。

男は、すかさず言いました。

「お嫁さんになってください」


 それから男は、奥さんとなったお針子さんと共に旅に出ました。

 どこまでも広がる、ささくれの病を治すためです。

 膏薬はもうありませんが、おまじないがあります。

 これを覚えてしまえば、もう、薬はいりません。

 教えて、それでおしまいです。

 奥さんは言いました。

「約束してくれてありがとう、お金儲けをやめてくれて」

 このひと言に応えるために、男はどこまでも旅をします。

 いつまで寿命が残っているか分かりません。

 どこか遠くで、男が教えたおまじないで金儲けをしている者もいることでしょう。

 そのときは、そんな連中を追い越して、先におまじないを教えてしまえばいいのです。

 

 どれほどの時が過ぎたでしょうか。

 ささくれの病は、消えてなくなりました。

 誰もが、おまじないを覚えてしまったからです。

 こうなってしまうと、秘密の呪文も、たいした価値はなくなるというものでしょう。

 それに気づいたのか、ある日、悪魔が再び、男の背後にやってきて囁きました。

「やってくれたな。残った命を大事にしろ」

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みんなあくまのしわざ 兵藤晴佳 @hyoudo

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