第7話 もうひとりのリン

「皇子さま。もう少しお召し上がりくださらないと」

「そうですよ。いつまでたってもお身体が元気になりませぬ」

「……もう結構です」

「では果物だけでもお食べください」

「いえ。もう放っておいてください」

「かしこまりました。では明日はもう少し量を減らしましょう」

「……ええ。そうしてください」 


「ではお召替えをいたしましょう」

「今日は皇子さまに似合う淡い色目のお着物をご用意しました」

「このままで結構です」

「このお色目は青龍せいりゅう様も気に入られておいででしたよ」

「……わかりました。着替えます」

 身元もわからないおれの後見人に青龍せいりゅうがなってくれたらしい。青龍と言えば四神だ。いわば神だ。少しは顔を立てて置かないといけないかもしれない。


――――四神なんておとぎ話しみたいだ。ふざけてる。


 侍従達は代わる代わる皇子というおれの世話に忙しく立ち回る。

「皇子様の髪は黒くて艶やかで美しいですね」

 櫛で髪を整えている侍従が褒めたたえる。

「今日はゆるく編んでおきましょうね」

「……ありがとうございます」

 なんでこんなことしなきゃならないのか? 髪なんて渇いてればいいのに、編むなんて。面倒くさい。そんな俯き加減に下を向くおれの姿に周りにいる侍従達がため息をつく。

「切れ長の瞳に青白い肌。長いまつげは影を落としどこか儚げでございますねえ」

 なんだそれ? えっとそのため息は惚気てくれたってこと?



 おれはどうしてここに来たのだろうか。思い出せそうで思い出したくない。

 あの日、空から降ってきたと言われたがまったく覚えてない。ただ青龍に抱き上げて運ばれたのは覚えている。青龍せいりゅうの体温が暖かく心地よかったからだ。ひと肌が恋しかったからかもしれない。

 それからは記憶があいまいで気づくと皇子と呼ばれていた。次の日から多くの侍従に囲まれあれこれ世話をされてしまっている。


 なんでもこの世界の麒麟きりんと呼ばれる霊獣は弱っていて番が必要なんだそうだ。その番っていうのがリンだと言う。名前が同じなだけでおれではないと言い張ったが、記憶もない上に突然空から渡ってきたのだから間違いないと言い切られてしまった。

 大勢にかしづかれるのが怖い。おれは聖なる皇子なんかじゃない。

 ……息が詰まりそうだ。



「皇子。また食事を残したと聞いたぞ」

「青龍っ! どこに行ってたんだよ?」

 青龍の顔を見た途端に皇子の口調がくだけた。


麒麟きりんの、皇子の片割れに会いに行っていた」

「っ。おれはどうしてもつがいにならないといけないのか?」

「この世界に来られたからにはそういう使命がおありかと存じます」

「……そうなのか」

「皇子よ。心配するでない。一麒かずきは心優しい麒麟きりんだ。何も怖がる事はない。彼なら幸せにしてくれるはずだ」

「…………」


「心配することはありませんよ」

「そうですよ。われらはこの時を待っていたのです」

「あとは体力をつけて早くつがっていただけねば」

「…………」

「少し皇子と話がしたい。皆部屋から出てくれないか」

「かしこまりました」


「皇子よ。何が気になるのだ? 今なら二人きりだ。言いたいことを言ってくれ」

「……まだこの世界の事がわからない」

「そうだな。学ぶ時間を増やそうか?」

「違うっ! そうじゃないっ。おれは……皇子と呼ばれたくない」


「どうしたんだ? 何かあったのか?」

「何かがないといけないのか? おれの事なぞ誰も気にしてないのに?」

「そんなことはないぞ。侍従達も皆、皇子のために世話を焼いているだろう?」

「世話を焼くのは俺が皇子だから。皇子のためにだ! おれではない」

 皇子は自分の身体を描き抱くようにして丸くなった。


「リン……すまない。お前に負担をかけてしまってるな」

「……青龍。おれ、不安なんだ。怖いんだよ」

 青龍はそっとりんの手を取る。その長い指先は冷たかった。青龍はその手を温めるように両手で包み込んだ。

「何が怖いのだ?」

「……わからない」

「いきなりこちらに渡ってきて訳も分からぬうちにつがいなどと騒がれては誰でも不安になる。リンには少し落ち着く時間が必要だと考えてはいる」


「……おれ、触られると緊張するんだ」

「まだこの世界になれてないだけだ」

「侍従もいらない。自分のことは自分で出来る。あんまりベタベタ触られるのは好きじゃないんだ」

「やつらは麒麟きりんの信者だ。一麒かずきが眠りについてから侍従たちは世話すらできなかった。だからリンが来てくれて嬉しくて世話を焼きすぎるんだよ」

「ありがたいとは思っている。でもっ息が詰まるんだっ」


◇◆◇


「わかった。ではリンが落ち着くまで時間が許す限りは傍に居よう」

「本当に? 青龍の傍が一番安心できるんだ」

「そうか。夜もあまり眠れてないのだろう? 顔色が悪い」

「うん。もたれてもいいか」

「ああ。眠るまで傍に居てやる」


 もたれかかった肩に艶やかな黒髪がかかる。

「綺麗な髪だな」

 青龍は無意識に黒髪を撫でていた。指先にあたる絹のような感触。

 気持ち良さげに目を瞑る皇子の顔を覗き込めば、艶やかな唇。少し上がった切れ長の目じり。筋の通った鼻。それに身長もある。

「どこをとっても非の付け所がない容姿だ」


 それなのに、なぜか影があるのだ。またそこがなんともいえず心惹かれるのだが。麒麟きりんとしてはどうだろうか? 他者を愛し愛を与える霊獣。彼はその責任を重圧に感じてるのではないだろうか?

 すぅすぅと安心したように寝入る姿を見ながら青龍は頭を抱える。

「皇子よ。お前は何がそんなにつらいんだ? 私はお前に何がしてやれるのだ?」


 

 あのとき、皇子が空から降ってきたとき、この子の後見人は自分がなると名乗り出た。

 それはただ単に皇子が心配だったからではない。自分の立場上の問題もあったからだ。


 麒麟きりんが眠りについてから朱雀すざく玄武げんぶがチカラを分ける役目を授かり、この聖廟殿せいびょうでんに足を向ける機会が増えてしまっている。

 ここは四神のチカラを癒す場所。そんな場所に多く滞在するということはそれだけチカラを蓄える機会も多くなるというもの。チカラ関係を考えると特定の四神にだけ偏るのは良くない。

 しかし、青龍せいりゅうは他へチカラを譲渡する能力は持ち得てなかった。


 このまま何もできないよりは麒麟きりんの皇子の後ろ盾になるという立場が欲しかったのだ。

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