第44話


夕方六時になり、しとしとと雨が降る中、マンションに帰る前に気持ちを決めようと舞白は神社へと赴いた。どうやったら緋波から受け継いだ力と舞白が龍由に貰った力を彼に返せるのか、それを知りたかったのだ。

木々に囲まれた鳥居を潜って境内に入る。しかし、以前と違って其処には彼の気配がしなかった。

『なに、気配で分かるから、呼ばなくても大丈夫だぞ』

確かに彼はそう言っていた筈なのに、当たりを見渡しても境内の何処にも彼の姿はない。

……もしかして、舞白に力を渡してしまったから、緋波のときのようにまた眠りに就いてしまったのだろうか。

思い出した記憶の中にある神社より、うんと寂れてしまった今の神社を見つめて、あの頃は幸せしか見えていなかった、と過去を懐かしんだ。鳥居も、手水舎も、狛犬も本殿も、舞白の目に映る全てが古ぼけて寂しい。こんな寂しい神社に、龍由はずっと眠っていたのだ。今度何時生まれるか分からない緋波の生まれ変わりを信じ続けて……。

傘が雨を遮っている筈の地面に、ぽたりと雫が落ちる。舞白の目から、涙が溢れていた。

(私がこんなに龍由さんを好きなのも、私が本当に緋波の生まれ変わりだからなのね……)

事故で前世の記憶がよみがえってから、何時でも何処にいても、緋波の記憶が舞白の頭の中にある。緋波の生まれ変わりである限り、決して消えないそれをこの先ずっと抱えて生きていくのかと思ったら、また涙が溢れてくる。龍由が再び眠りについてしまったということは、緋波から受け継いだ力を龍由に返せないということだ。それ故、緋波を自分と別離出来ないということになり、つまり自分の気持ちじゃないそれを抱えながら龍由を避けて生きていかなければならないことになる。それは辛い。そう思って雨の音に紛れさせて涙を零していたら、ざり、と砂利を踏む音がした。

「舞白……」

はっと声の方を見ると、其処には龍由が立っていた。雨の所為なのか、姿が霞むように見える。彼の姿が靄となって消えてしまうのではないかと思って、舞白は慌てて龍由の許へ駆けより、手を握った。良かった……。少しひんやりしているけれど、ちゃんとあたたかい。

「龍由さん……。龍由さんは、緋波のことを……本当に愛していたんですね……。命に代えても構わないと思うくらいに……」

「思い出したのか……」

「はい……」

伏せるまつ毛の影が頬に落ちる。口許に寂しい笑みを浮かべて、舞白は続けた。

「緋波を愛していたから……、生まれ変わりの私のことを好きだと錯覚しただけで、龍由さんの本当の気持ちは、今でも緋波にあるんでしょう?」

何度考えてもそうでなければ説明がつかない。三百年も生まれ変わりを信じて居られたのだ。明らかに舞白は緋波の『代わり』だった。

「違う! 舞白、それは誤解だ」

「なに? 何が誤解? 龍由さんは最初に会った時に、思い出してくれと言ったでしょう? それはつまり……、緋波に会いたかった、ということでしょう? それに、命を懸けたのだって、緋波にだけだわ」

悲しくて、また泣きそうになる。龍由に求められているのは舞白(じぶん)じゃない。緋波なのだ。緋波に命を賭して、龍由は眠りに就いた。舞白の目の前に龍由が居るということは、彼は舞白に対しては命を懸けていないということだった。

幾度となく感じてきた。龍由が求めるのは舞白じゃない。此処にはもう居ない、彼女……。

「違う、舞白……。確かにあの時はそう言った。しかし、それからおぬしと過ごした時間を私は大切に思っている。一緒に舞う桜を見たこと、町を巡ったこと、水の行いにびっくりしていた様子。舞を待ってくれたこと、人間が沢山居るところへ行ったこと。全ての舞白と過ごした時間が眩しく、大事だ。舞白が見返りなしに私にしてくれた全てのことを、私はこの身が震えるほど嬉しく感じている。舞白が身を挺して私を守ってくれた時、私は真におぬしを助けたくて、力を使った。緋波を起こす為ではない。それだけは、真実(まこと)だ」

蒼色の瞳が真っすぐに舞白を見る。その瞳の奥には紛れもなく舞白を求めて燃える炎があって、でも、にわかにはそれを信じられなかった。

「三百年も、緋波のことを想って眠っていたくせに、今更……っ!」

緋波の想いと舞白の想いがごっちゃになる。三百年間、想われて続けて嬉しいのも本当だった。でも私は舞白だ。

「三百年の眠りより、いっときの現実の方がはるかに眩い。私が今愛しているのは、おぬしだ、舞白」

ぐいっと龍由が舞白を抱き締めた。

あ、と思った時には、手に持っていた傘が地面に落ちていた。

抱き締められた胸板から、龍由の鼓動が聞こえた。……この拍動が、舞白を求めるリズム……。

舞白の中の拍動が、それに沿うようにリズムを刻み始める。

体の奥から波を感じる。

頭が痺れて、その痺れが手足にまで伝染するようだった。

体は、心は、龍由を求めているのだ。

「う、嘘……」

「嘘ではない。どうしたら信じてくれるのだ。今一度、命を懸ければよいか」

自分の気持ちを認めきれなくて呟いた言葉に龍由がそう返した時、境内に人の争う声が聞こえてきた。

「舞白……っ」

「カズくん! そんな女のこと追いかけるなんて、もう止めて!」

声に振り返ると其処には呆然と舞白たちを見る和弘と絵里が居た。

「か……、和弘……」

彼らの姿に愕然とした。

……事故の前と同じことを繰り返してしまった。

しかも、あの時と舞白の気持ちが違う。

龍由に抱き締められながら、彼と共に刻む鼓動を否定できない。

心は確かに龍由を欲していたのだ。

舞白が和弘に歩み寄ってなんとか説明しようとした時、和弘は一歩、舞白に近づいた。その彼の様子がおかしい。

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