第42話
その、隙間から。
白く光る牙が見えた。
脳裏にフラッシュバックするのは、緋波が喰い殺されたときの記憶。
閃光のように思い浮かぶ鬼羅の鬼のような形相が和弘の燃えるような瞳に重なって、気が付いたら、どん! と和弘の胸を押し返していた。
「……っ!? 舞白……?」
「……あ……、……ご、ごめ……っ!」
恐ろしい記憶がよみがえってきて、舞白の手は細かく震えていた。当たり前だ。自分(・・)の悲惨な死に目を思い出したのだ。しかし和弘にはそうは伝わらない。握っていた腕を離すと、物憂げにごめんな、怖がらせて、と謝って来た。
「ち、違うの……っ。今のは……」
今のは? なんて説明したら良いんだろう?
言葉に詰まった舞白に、和弘はそれでも微笑んだ。
「いいんだ、舞白。俺はこの部屋に君を迎えられただけでも嬉しいんだから。最初に言ったろ? 女の子は守られるべき立場なんだ。舞白が良いって言うまで、俺は何時までも待つよ」
誠実な和弘の言葉に泣きそうになる。
なぜ今、鬼羅の顔が思い浮かんでしまったのか。
舞白の中に居る緋波が、舞白と和弘の仲を妨害したいだけの嫌がらせなのか。
それとも何かほかに理由があるのか。
今、それらを和弘に説明できる言葉が舞白にはない。舞白は和弘の胸に手を当て顔を寄せた。和弘がやさしく舞白の肩を抱いてくれる。
「……ごめん……。ちょっと怖かっただけ……。でもいつか……、……いつか、私を抱いてね……」
「うん。舞白が良いって言ったら、そうするよ。やさしくする。幸せにする。約束するよ」
とくとくと刻まれる和弘の鼓動を感じてほっと息を吐く。舞白の幸せは、間違いなく此処にあるのだ……。
和弘との同棲生活はその後も続く。お互いあの夜のことには触れないで、日常を微笑みながら過ごしていった。舞白も徐々に外へ出て会社へ復帰する準備を始めたし、二人の生活も、怪我人と同居人、ではなく、普段通りの恋人二人になっていった。
体が回復してくると、徐々に和弘との同棲生活を楽しめるようになってきた。拙いながらも頑張って作る舞白の料理を和弘は何時も美味しいと言って食べてくれるし、まだ舞白が職場復帰していないのに、家事の分担にも積極的だ。
夜は至って清らかに舞白を抱き締めて寝てくれたし、いろんな面において和弘は理想的な恋人だった。
そんな和弘との都会での同棲生活は舞白の憧れていたそれそのものであり、田舎だった実家では出来なかったことも存分に楽しんだ。マンションのエントランスでキーを空けて自動ドアを入るのだって、実家の引き戸暮らしでは叶わなかったことだ。
部屋の窓からはスカイツリーの一部が見えるし、夜中の夜景はきれいだ。星空がきらきらしていることよりも、人々の暮らしの灯りが美しいほうが満足だった。
(そうよ。私は今の生活が楽しいわ)
そう思ってもふとした瞬間に龍川町がよぎる。
……今、あの神社はどうなっているだろうか。龍由は無事なのだろうか。
こうして思い出してしまう気持ちを封印したくても出来ない。
緋波さえ自分の中に居なかったら。
今日もそう思って眠りに就くのだった……。
今日はアパレルショップに舞白の洋服を買いに来ていた。和弘が見立ててくれたセットアップを試着してショップの鏡で確認すると、和弘がにこにこと似合うよ、と言ってくれた。
「舞白は色が白いから、淡い色が本当に似合うね」
その言葉を聞いて思い出す。
『舞白は色が白い故』
龍由が舞白に躑躅を挿してくれた時の言葉だ。いちいち思い出してしまうのは緋波の龍由に対する未練の所為なのか。ふるふるとかぶりを振って考えを散らす。
「でも私、濃い色も挑戦してみたいわ」
敢えて龍由に従わないようなことを言ってしまう。そうか? と言って和弘はディスプレイの中から紺色に小花模様のワンピースを選んでくれた。
「これも舞白に似合いそうだ」
うん。この色なら躑躅も被らないし、似合えば和弘に近づける気がする。舞白はワンピースを持って、試着室へ入った。
結局和弘の見立てのワンピースを買った舞白は、和弘のネクタイを選びに行った。しかしそれは失敗だった。龍由の洋服を見立てた思い出が頭をよぎり、辛い気持ちになってしまった。
口数少なくなった舞白を和弘は労わってくれて、今日は外食にしようと店に入ってくれた。和弘の選ぶ店はいつも外れがない。グラスに注がれたミネラルウオーターを前に、今度の休みは何をしようか、なんて話していた時だった。
二人とも気が楽になってテーブルに腕をついて話をしていた。すると、二人の間に置かれた二つのグラスの中の水がさざ波立ってきた。波紋を描くように水面が揺れ、同心円状の波が寄せて返して中央でぶつかって跳ね上がる。その様子を舞白は驚きで見ていた。
今は水に集中していたわけじゃない。それなのに水占いのときのように水が波立つなんて……。
はっとして思い浮かべたのは、緋波の事だ。龍神の力を受け継いだ緋波が、和弘とたのしい時間を過ごしていることを、嫌がっているのかもしれない。
「ま、舞白。今占いをしてるの?」
和弘もグラスの中の水面を見て驚きの表情だ。
「占い……、ではないんだけど、水が共鳴しちゃって……」
咄嗟に言いつくろった言葉を、和弘は信じてくれたみたいだ。
「舞白は本当に龍神伝説に出てくる巫女さんなんじゃないのかなあ。だったら凄くドラマティックだよ」
笑って言う和弘は何にも悪くない。ただ、舞白に返事が出来なかっただけなのだ……。
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