私はあなたのもの

第40話



はっと目を覚ますと、視線の先には見たことのない白い天井があった。両脇はクリーム色のカーテンで覆われており、消毒薬の匂いもして、此処が病院なのではないかと思い至った。

(どうして病院に……?)

考えを巡らせようと頭に手をやると、頭部を包帯で巻かれていた。そして蘇る目を覚ます前の光景。

急に車が龍由の方へ向かって突っ込んできた。舞白は龍由を庇って、多分車に跳ねられた。

夢の中の私(・)は、龍由と恋仲だった。止めようとした佳那を振り切って鬼と化した鬼羅が私(・)を襲い、私の命を繋げるために、龍由が力を放ち、眠りに就いた。

以前までよく見ていた悪夢は、緋波が鬼羅に襲われた瞬間の出来事だった。緋波が自分の中に居るのだということを、ますます否定できなくなった。

(私はホントに緋波だったんだわ……。それに龍由さんだって、あんなに緋波を愛していて、生まれ変わりだからと言って命を賭しても良いと思うほどに私を好きになれるはずがない……)

だとしたら、それは大きな失恋を意味する。舞白の中で龍由は、自分の命を引き換えにしても良いくらい大事になっていた人だったが、龍由は『緋波の生まれ変わり』の舞白を見ていただけに過ぎない。躑躅が似合うと言ってくれたのだって、緋波に寄せた想いがあったからなのだ。

体の芯に、ぽっかりと大きな穴が開いた気分だった。龍由を街へ連れ出して感じた幸福感がいっぱい詰まっていたそこが、急に真っ暗な空洞になって抜け落ちる。龍由という一人の存在が、舞白を天国から地獄へ突き落とした。

(……龍由さんが命を賭けても救いたいと思った緋波を、眠りに就いたくらいであきらめる筈がない……)

そう思うと、自分の淡い恋が可哀想で泣けてきた。ぽろぽろと涙が零れ、しゃくりあげてしまう。

「ふ……っ、うう……っ」

舞白の押し殺した泣き声に、カーテンの向こうからこちらに飛び込んできた人が居た。

「舞白、起きたのか!」

「……和弘……」

舞白は、目の前に現れた人の姿にほっとしていた。……今、龍由が居ても、顔を見れないと思う……。和弘は此処に連れてこられるまでの顛末を話し、舞白の容体を訊ねてきた。

「交差点で車がいきなり舞白たちの方へ突っ込んでいったんだ。倒れた舞白を前に、あいつがお前を助けるとか言ってたけど、結局何も出来ずに何処かに消えた。頭を打っていたから、俺が救急車の手配をして此処まで付き添った。幸い頭部はレントゲン、CT、MRIも問題なしで、ご両親にも連絡済みだ。ご両親も暫く此処に居たけど、休むにも付き添いのベッドは寝心地が悪いだろう? 兎に角俺が付いてるからって言って帰って頂いた。舞白、今、痛い所とか具合の悪いことはないか?」

「う、ううん、大丈夫よ……。何処も痛くないわ」

舞白の返事に、和弘は安心したようだった。

「そうか、良かった。取り敢えず、看護師さんを呼んで来るな。じっとしてろよ」

そう言ってカーテンの向こうに和弘は消えた。しんとした病室に窓の外から雨の音が聞こえていた。


入院していたのは事故現場から程近い渋谷区の総合病院だった。

「舞白を待っていようと思って、俺、あの部屋で暮らしてるんだ。退院したら一緒に帰ろう」

和弘は事故前に決めた部屋を契約し、住んでいると言った。舞白のことを思って一人あの部屋で暮らしてくれていた和弘のことを思うと、涙が出そうだ。

例え龍由に受け入れられなくても、『舞白』を支えてくれる人が居る。その事実は舞白の心を救った。

両親も入院期間中に何度か様子を見に来てくれて、舞白が事故に遭ったのに元気そうだったので安心したようだった。和弘はその時に、このまま舞白と引っ越して一緒に暮らしたい旨を両親に伝え、両親は舞白さえ良いなら、と返事をしていた。

このまま龍由のことは忘れて、和弘の事だけを考えて過ごす時間ばかりになればいい……。

舞白は心の底からそう思った。


すっきりと片付いた部屋に通された舞白は、病院から持ってきていたものをバッグに詰めてぎゅっと抱きかかえていた。

「そんなに緊張しなくても良いよ。舞白が気に入らない所は、あとから二人で直そう。これは俺が勝手に使っていた名残だから」

舞白は取り敢えず荷物を置いた。このまま同棲を始めて、それでゆくゆくは……、なんてことも思い浮かんでしまう。折に触れ思ったように、舞白を透かして過去の緋波を見ている龍由より、今の舞白を見てくれる和弘の方が何倍も誠実だ。和弘が想いを寄せて続けてくれれば、何時か龍由を忘れて和弘を愛せるようになると思う。

「舞白、コーヒーはどう?」

和弘がマグカップに淹れてくれたコーヒーを受け取って、二人でソファに腰掛ける。

「舞白がさ……」

ふと和弘が話し始めた。

「あのまま目ぇ覚まさなかったら、どうしようかって思ってた」

長い夢を見ていた間、和弘を心配させてしまったようだった。素直にごめんと言うと、舞白が悪いわけじゃないさ、と和弘は笑った。

「事故はドライバーの責任だからね。でも、あの時どうしてあいつと一緒に居たのかは聞いて良いのかな?」

和弘は表情こそ笑っているが、目つきで怒っていることが分かる。ごめんなさい、と謝ると、聞きたいのはそう言うことじゃないよ、と更に問い詰められた。

「俺は、あの時舞白とあいつが一緒に居た理由を聞いてるんだ。謝るのはそれからだろう?」

「うん……」

しんと静まり返った部屋の窓から風が流れ込んで来る。マグカップを両手で包みながらごくりと喉を鳴らして、舞白は口を開いた。

「……あの人は……、……龍神神社に祀られてる神様なの……」

「…………は……?」

和弘が思いもよらない話向きに驚いている。

「……龍由さんのその昔の恋人だった人の生まれ変わりが、私なんだって……。それで、……あの時、一緒に居たの……。……デートみたいなもんよね。和弘が怒って当然だわ……」

「ちょっと待ってくれ、舞白。お前、そんな神様だなんて古臭いこと、嫌いだって言ってただろう? それがどうしちゃったんだよ。頭打ったのが悪かったのかな……」

困惑した様子の和弘が舞白を見る。

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