第39話
「緋波。彼の様子がおかしい。おぬしは後ろへ下がれ」
「で、ですが……」
様子のおかしい鬼羅さんと龍由さまの間に何事かあったらと思うと、私はその場から動けなかった。
その瞬間。
「鬼羅!」
泣きながら走ってくる佳那さんの叫びと共に、鬼羅さんが驚くほどの跳躍力で一気に私の方へ詰め寄った。力任せに私の隣にいらっしゃった龍由さまを弾き飛ばし、私は骨が砕けそうなくらいの力で肩を掴まれ、その場に仰向けに倒された。鬼羅さんは私の上に馬乗りになり、驚いて言葉も出ない私のことを赤く光る瞳で睨みつけると、うう、と唸った。
「鬼羅! 止めて! その女は貴方のものにはならない!」
「緋波は俺のものだ。……誰にも渡さない……!」
必死で止めようとする佳那さんを軽々と腕で吹き飛ばして、狼が唸るような声でそう言い、そうしたら次の瞬間、私の喉に耐えきれないほどの痛みが襲った。
「きゃあああああ……っ!!」
視界が真っ赤に染まる。鬼羅さんが大きく伸びた八重歯――まるで牙のようだった――で私の喉を食いちぎっていた。めりっと皮膚の避ける音がして、血しぶきが上がった。
痛い! 痛い! 痛い! 熱い!!
皮膚の裂けたところが焼けるように痛くて熱い!!
虚ろになりつつある視界に、鬼羅さんと龍由さまがもみ合う姿が映った。
「緋波!! 鬼羅! おぬし何をする!!」
「鬼羅! 鬼羅!!」
弾き飛ばされたところから駆けよってくださった龍由さまが私の上から鬼羅さんを退(しりぞ)けようとする。鬼羅さんの目は尋常じゃなくぎらぎらと赤く輝いており、その目で龍由さまを見たかと思うと、龍由さまの左の肩に食いついていた。ガリっという骨の砕ける音がした。
「くっ、鬼羅、おぬし鬼に魂を売ったか!」
「そうよ! 鬼羅は鬼になってしまったんだわ! 緋波の所為! 緋波がいけないのよ!」
泣き叫ぶ佳那さんは鬼羅さんに縋りつき、龍由さまの肩からは青い血がどくどくと流れる。龍由さまが怪我をしていない右手で鬼羅さんに向かって気を放ち、鬼羅さんは佳那さんと一緒にその衝撃で境内の外に弾き飛ばされた。ドオンという大きな音を立てて、鬼羅さんと佳那さんは龍由さまから受けた衝撃で死んでしまったようにも、気を失っただけのようにも見えた。
鬼羅さんたちの様子を見届けた龍由さまが私に駆け寄ってくださる。
「あ……、あ、あ……」
私の喉からはひゅーひゅーと息が零れ、言葉を成さない。目が霞んで龍由さまの顔が良く見えない。
「緋波! しっかりしろ! 今助ける!!」
大きな声だと思うのに、私の耳には掠れてしか聞こえてこない。私はこのまま死ぬんだわ、と思った時に、痛みがふっと軽くなった。
霞んでいた視界が少し明瞭になる。倒れた私の傍で手にご神体の水晶……龍の宝珠を持った龍由さまが、その蒼白く輝く宝珠を私の体に埋め込もうとしていた。
宝珠のあたたかい水の気配を体の中に感じる。流れ出た血の分を補って、傷を塞ごうとしているのが分かった。しかし、体の中に宝珠の気配を強く感じるようになればなるほど、私の傍に居る筈の龍由さまの気配が薄らいでいく。
「緋波、おぬしの中に私の宝珠(ちから)を預ける……。おぬしは生きて、人生を全うしろ……。私はこれより眠りに就く。何時かおぬしが宝珠を携え生まれ変わった時、私は今度こそおぬしと添い遂げよう……」
消えそうな声に涙が溢れる。
行かないで……。
私を残して居なくならないで……。
そう訴えたかったけど、自分の意識がはっきりしてくるごとに、龍由さまの気配が薄くなる。
「龍由さま……っ、龍由さま、消えないでください……。此処に居て……」
ぼろぼろと泣く私の目の前で龍由さまの擬態が解けて、白い龍の姿になる。そのきれいな鱗がばらばらと空に散っていき、龍神様の姿は跡形もなくなった。私は鱗が散っていった空に向かって泣きながら呟いた。
「龍由さま、龍由さま……。私は必ず生まれ変わって龍由さまの許へ戻って参ります……。それまでどうか、待っていてください……」
……私は涙を流しながらいつまでもいつまでも、その場に蹲っていた。もう、その場に龍由さまが帰ってこないことを分かっていても、そこを動けなかった……。
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