神さまと緋波
第32話
*
――かみさま、かみさま。今日よりおつかええします。ひなみは一生、かみさまのものです。
雪のように、ちらちらと花びらが舞う。澄んだ空気の中、私(・)は境内を掃き清めていた。サッサッという竹箒の音に草履が砂利を踏む音が混じった。顔を上げると鳥居を潜って来たのは見知ったこの郷の住人で鬼羅さんという、旅人相手の履物屋の息子さんだ。
この神社の参道から見える道は遠く都まで続いていて、都と故郷を行き来する人が良く通る。鬼羅さんのお店の草履は丈夫で足にやさしいと旅人伝手に評判で、情報を仕入れた旅人たちが、鬼羅さんのお店で新しい草履を買うことがよくあった。おかげで鬼羅さんのおうちはこの郷で一番のお金持ちになって、鬼羅さんはそのお金でよく私に贈り物をしてくださる。今日も手にはきれいな花を持っていて、美しい鬼羅さんはそれだけで都の絵師に描かせたような佇まいだった。
「鬼羅さん。おはようございます」
「おはよう、緋波(・・)。水仙がきれいな花をつけたんだ。君にあげようと思って持ってきた」
鬼羅さんは美しいかんばせに微笑みを浮かべて、私の方へと歩いてきた。
「ありがとうございます。なんだかいつも気遣っていただいて申し訳ないです」
私はそう言って、彼の持ってきた水仙の花を受け取った。竹箒を境内の中にある粗末な家の入り口に立てかけ、小さな自分の部屋の花瓶に活けると、この部屋にも春が訪れたような雰囲気になって、気持ちがふわっと和らいだ。やさしい香りが、部屋の中を満たす。その空気を胸いっぱいに吸い込んで、私は少し微笑むことが出来た。
外に戻るとまだ鬼羅さんが居て、私が出てくるのを待っていたようだった。
「鬼羅さん、お花をありがとうございます。私のお部屋に活けました。お部屋が明るくなって嬉しいです」
「喜んでもらえて良かった」
鬼羅さんは私の言葉に照れくさそうに笑う。その笑う口許からは八重歯が見えていて、それが鬼羅さんを幼い印象に見せていた。
「緋波」
鬼羅さんに呼ばれて、はいと応じる。すると鬼羅さんの後ろから、元気な声が聞こえた。
「鬼羅! また龍神様にご挨拶? だったら私も一緒に」
そう言って微笑みながら鳥居を潜ってくるのは佳那(かな)さんとおっしゃる、鬼羅さんの幼馴染み。よく鬼羅さんと一緒に神社へいらっしゃってお参りをされていく。私は佳那さんにも挨拶をすると、佳那さんも私に挨拶をしてくれた。
「おはようございます、佳那さん。今日はお天気がよさそうですね」
「そうね、緋波。貴女も早くからお務めご苦労様」
にこりと微笑んで、佳那さんは私と話をしていた鬼羅さんの腕に腕を絡めた。途端に鬼羅さんが慌てたように佳那さんに言う。
「こ、こら、佳那。そういうことを外でするのは止めてくれって、いつも言っているだろう」
狼狽える鬼羅さんに、佳那さんは頬をきゅっと引き上げて微笑んだ。
「あら、外だろうと家の中だろうと、私の気持ちは変わらないもの。私は何時だって鬼羅の傍に居たいのよ。今だって、鬼羅が勝手に出かけるから、追いかけてきたんじゃない」
曇りなく鬼羅さんを見つめる佳那さんはきれいだ。きっと佳那さんは鬼羅さんに恋をしている。その眩い瞳が羨ましくて、私は少し俯いた。
「お参りをされるのでしたら、私は邪魔ですので向こうへ下がりますね。何か用事があったら、仰ってください」
ぺこりとお辞儀をしてその場を去ろうとした時に、鬼羅さんが私を呼び止めた。
「ひ、緋波……っ」
「はい?」
振り返ると、鬼羅さんが何かを言いたそうにした。その時。
神社の前の街道を、花嫁行列が通りかかった。静々と歩む白無垢の花嫁と、その家族が列をなして歩いていく。そう言えば、郷の宿屋の娘の美知さんが近々嫁入りするんだと聞いていたが、今日だったのか。穢してはならない程美しい白を身に纏った美知さんは頬を紅潮させてゆっくりゆっくりと歩いていく。これから嫁いだ家で嫁として暮らし、二度と元の家には帰らない。そんな決意も秘めた強い瞳で前を見て歩く美知さんをとても美しいと思った。
「……美知、綺麗ね……。花嫁だもの、当たり前だわ……」
佳那さんがそう言った。私も同じ気持ちで鳥居の前を通り過ぎて行った行列を見送った。ぼうっと三人で美知さんの嫁入り姿を見送って、はっと気付いたときには佳那さんが鬼羅さんの腕に手を巻き付けていた。
「私も鬼羅に嫁入りするときはあんな風にするのよ」
佳那さんは迷いない目で鬼羅さんを見つめた。それなのに鬼羅さんは何処か困ったようにこう言った。
「そ、そんな大事なことを、勝手に決めないでくれないか。僕には僕の考えがある」
「あら、考えって、なあに?」
「そんなの、言えないよ」
そう言って鬼羅さんは何故か私の方へと視線を寄越した。……何だろう?
「緋波、佳那の言うことは気にしなくて良いから」
鬼羅さんはそう言ったが、その意味が分からない。
「……はい? そうですか……?」
疑問も露わに鬼羅さんに応えると、佳那さんは鬼羅さんを急かした。
「鬼羅。そんなことよりも、早くお参りをして帰らないと、おじさんが店を開けると言っていたわ。手伝わないと」
佳那さんの言葉に鬼羅さんは、ああそうだったね、と肩を落として私の方を見た。
「また来るよ、緋波」
「はい、また是非お参りにいらしてください」
そう言って、お参りをして鳥居を潜って去って行く二人の後姿を見送った。
なんて眩い、後姿。
私には、望むべくもない。
そう見つめて、ため息を零してしまった。
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