前にすすむ

第29話


メッセージアプリで和弘に同棲に同意する旨を伝えた。和弘は喜んでくれて、時期の都合の良い時に物件を見に行こうと言われた。和弘が忙しいさなかにそうするのは躊躇われたので、和弘の繁忙期が過ぎたらということになった。

水占いの店は続けることにした。地元の観光資源がなくなる、と倉田夫妻を始め、近所の人たちに説き伏せられたことが理由だ。どんな田舎であっても、舞白の故郷には変わりがない。少しでも栄えてくれれば、舞白としても嬉しいからだ。

やがて和弘の繁忙期が終わり、引っ越し先を選ぶのに、週末、二人で不動産屋さんを回った。急いでいるわけではないので、駅からの距離や商店などの商業施設の有無、防犯の面でも和弘は男一人じゃないから、と言ってセキュリティのしっかりしているところを選びたいようだった。

今日もそんな、物件選びのデートの帰りだった。新しい生活に心が弾んでいたら、龍神神社の鳥居の前で、龍由が立っているのを見つけた。龍由は空を見上げており、細い月を眺めているのかもしれなかった。月に何を思うのだろう。緋波と一緒に見た月でも思い出しているのだろうか。そう想像しただけで舞白の胸はしくりと痛む。今さっきまで一緒に居た和弘のことを考えたら、そんな気持ちになる筈なんてないのに。

それでも龍由は舞白を見つけると目を細めて嬉しそうに微笑んだ。それが舞白に向ける真っすぐな笑みだと分かって、舞白は戸惑った。

……本当に、なんで、こんなタイミングで会ってしまうのだろう。和弘の事だけを考えて居たかったのに。

でも、そんな気持ちとは裏腹に、鼓動を刻むリズムが早くなる。嫌だ……。本当に絵里の言う通り、不誠実な女に成り下がっている……。

「舞白、今帰りか。遅かったな」

「……和弘と会って来たの……」

龍由を避ける意味で舞白が言うと、匂いで分かるよ、と龍由が言った。

「龍由さんは、私が貴方を選ばないとは考えないの?」

まるで余裕の笑みを崩さない龍由に、少し腹が立った。神様だから舞白の心を動かすことなんて朝飯前だとでも言うのだろうか。すると龍由は、意外にも、それは考える、と弱く微笑んで応えた。以前の笑みとはまるで違う、寂しそうな笑みだ。そんな顔をさせてしまった自分の問いに、胸がしくりと痛む。

「舞白が私を振り向いてくれない未来を少しでも否定したくて、私は舞白に会いに来ている。以前も言っただろう、舞白の心は自由だからだ」

ぱちりと瞬きをして、少し龍由を見つめてしまった。この人は自分が持つ神秘の力で舞白の前世の緋波ごと手に入れようとするのではなく、あくまでも『舞白』を見てくれているのだ。

……でも、そこに緋波への未練はないの? 三百年間待ち焦がれた緋波の魂への愛は消えてしまったの?

「……龍由さんは、もう緋波を愛していないの?」

そう舞白が聞くと、今でも想っているよ、と答えがあった。

「そんな……、過去の女性(ひと)を想いながら、私に振り向いて欲しいって、不誠実だとは思わないの?」

絵里に言われたことを、そっくりそのまま龍由に問う。すると、緋波と舞白は違う故、という返事が返った。

「緋波は運命だった。人に生まれながら私と同質だった。それ故、惹かれずにはおれなかった。……しかし舞白は違う。舞白が緋波を前世に持っていても、舞(・)白(・)は(・)舞(・)白(・)だから(・・・)だ(・)」

「じゃあ、最初に緋波に会いたがって私に思い出してくれって言ったのは何故? 緋波に会いたかったからなんでしょう?」

「あの時は舞白の人となりを深く知らなかった。今の私なら間違いなく舞白を選ぶよ」

舞白の目をまっすぐ見てきっぱりと言うその言葉に呆気にとられる。三百年待った緋波のことを、そんなに簡単に諦められるものなの……? 何がきっかけだったのだろう。

「……どうしてそんなことがはっきり言えるの……?」

舞白が問うと、龍由は穏やかに微笑んだ。

「以前舞白と待ち合わせをした時に、舞白が約束もせぬのに弁当を作ってくれただろう。あの時私は心底嬉しかったのだよ。舞白の私に対する行動が、私に対する心遣いで溢れていた。弁当を作ろうと思ってくれたことも、それを実行してくれたことも、遅れて慌てて駆けつけてくれたのも。それら全部があの時の私の心に触れた。……それでは答えになっておらぬか?」

たった……、たったそれだけのことで?

ぽかんと自分を見る舞白をどう思ったのか、龍由ははにかむように笑った。今までの余裕さも、寂しさもない、龍由の心に触れるような笑みだった。

「私はいつも神であることを求められていた……。それは、緋波が居た時代も、その前も、緋波が居なくなってから姿を成せなかった時代でもそうだった。人々の寄進の裏には、いつも恵みを欲する心があった。それが嫌だなどと思うことはなかったが……、しかしあんな風に一人の『人』として気遣われたのは初めてで、嬉しかったのだ……」

微笑む龍由が眩しいものを見るように舞白を見る。その視線が、龍由の気持ちが本当なのだと教えていた。そのことにどきりと胸が鳴る。

でも、そうしたら舞白は? 今のこの気持ちが、緋波に引きずられていないと言えるの? それに、和弘の事だって大切だ。龍由や和弘が舞白に真っすぐな好意を示せば示すほど、自分の気持ちが分からない恐怖を味わう。

私の心は何処……?

舞白が迷ってしまっても、仕方のないことだった……。


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