第28話


同棲を切り出されてから三週間が経った。その間メッセージは送りあっていても和弘が忙しかったので直接顔を見ることはなく、あの話はなんとなく有耶無耶になるかな、などと考えていた。だから木曜の夜に飛んできたメッセージにどきりとする。

――『明日、ちょっと遅くなるけど飯でもどう? 舞白の顔を見れなくて疲れたよ』

どうしよう。断る理由はないが、頭の隅で和弘を怖いと思っている自分が居る。それでも舞白に会いたがっている恋人を無視することは出来なかった。

――「いいよ、時間と場所は和弘が決めて」

返事を送信すると、直ぐに了承の返事が返って来た。今日はやさしい和弘を思い出して寝よう。あの悪夢を見ませんように、と願いながら、舞白はベッドに入った。


和弘が舞白を連れてきたのはクラフトビールのお店だった。ザワークラフトやオリーブの実のマリネ、ジャーマンポテト、生ハムの盛り合わせをテーブルに並べて和弘が週末のビールを気持ちいいくらいにあおった。その様子の何処にも恐怖を抱くことがなく、舞白は自分の思い込みで怖いだなんて思ってかえって悪かった、と反省した。

和弘がオリーブの実を食べながら舞白に話を向けた。

「舞白が元気そうでよかった……、って言いたいけど、会えなくてちょっと元気なくても良かったかな」

和弘が笑いながら言うので、あっごめん、と咄嗟に返す。

「いや、冗談だよ。舞白には何時でも元気で居て欲しい。声も聴きたかったけど、あまりに夜が遅かったからさ」

「じゃあ、今日はこんな時間にこんなとこに居て大丈夫なの?」

舞白が和弘の心配をすると、土日で取り返すよ、と返事が返って来た。

「まだ丸一日どころか半日すら自由にはなれなくてさ。こうやって三時間が限度だ」

「……体、壊さないでね……」

「ありがとう。……そう言う面でも、舞白と一緒に暮らせたら、安心できるんだけどなあ」

不意に振られた話題に心臓が跳ねあがった。和弘は食べていた生ハムを飲み込むと、舞白に向き直った。

「あんまり舞白を追い立てたくないけど、俺もあの男が舞白の近所に居るって考えるだけでむかむかするしさ。出来れば前向きに考えて欲しいな。舞白を守る為でもあるんだ」

真摯な瞳に怖さはない。やはり緋波さえ出てこなければ、舞白の心は和弘を求めているのかもしれない。舞白は自分の揺れ動く気持ちを固める為にも決めた方が良いと思って、和弘に返事をした。

「……一度、両親と相談してみるね……。大学も自宅から通ったから、なんていうか分からないけど……」

舞白の返事に明らかにほっとした和弘にも怖れを感じない。こんなことを考えて、本当に申し訳なかった、と舞白は思った。


日曜日の夜、舞白は改まって両親の前に座った。なんなの、急に、という母に、実は……、と和弘との同棲話について相談を切り出した。父親は口を引き結んで、母親はまあまあと口を押えてそれぞれ舞白にこう言った。

「舞白が決めることなら、お母さんは賛成するわ。それにしても、今の子は結婚へ向かう手順も違うものねえ。悪いことされるのでなければ、良いじゃない。綿貫くんはそれを思うと紳士な人だし、そんな間違いもなさそうよ。それになんて言ったって、舞白の料理の出来なさを分かってもらわなきゃ」

「綿貫くんが舞白を弄ぶような青年だとは思わんが、男は舞白が考える以上に手に負えないところがあるぞ。まず、絶対に力では勝てないからな」

双方とも舞白のことを思って言ってくれているのが分かる。分かるからこそ、どうしたらいいのか分からない。

「今は交際が始まって割と直ぐに同棲スタートって人たちも居るんでしょう?」

「それは二人ともが一人暮らしの場合が多いわ」

舞白のように実家暮らしだと、家を出るのに勇気が要る。

「綿貫くんは良い人だったし、舞白との良いとこ悪いとこを綿貫くんとすり合わせていくことが出来るのは、良いと思うわ。それに結婚してからでは取り返しがつかないけど、同棲だったら舞白が無理だと思った時に何時でも止められるじゃない。舞白も結婚前に独り立ちを覚えるのは良いことだと思うし」

確かに、同じ『一緒に住む』でも、戸籍に傷がつく離婚より同棲解消の方が、女性にとっては傷が浅い。

「まあ、なんだ」

父が口を開く。

「舞白も、よく考えて結論を出しなさい。綿貫くんは良い青年だと思ってるし、お父さんとお母さんは舞白の気持ちを尊重するよ」

結局結論は舞白の気持ち次第だということになった。そりゃそうだろう。でも、両親が同棲に反対していないということは、和弘との未来を考えるうえでプラスに働いた。

(緋波に引きずられて龍由さんに心が動くよりは、うんと現実的だわ……)

いくら龍由が舞白に言葉を尽くしても、龍由が舞白の中に緋波を見ていることを舞白自身が否定できない。三百年の想いだからだ。

(そんなに長い間、好きだったって、凄いことなのよ……)

良くも悪くも、舞白の想いはそこまでではない。だから、緋波が命を救われたように、舞白に何かあった時に龍由が舞白を助けてくれるなんてことも思えない。

(自分の中で天秤に掛けてみなさいよ……。絶対緋波なんだから……)

今は実在しない緋波の代わりを、舞白に見ているだけなのだ。舞白は緋波の代わりでしかない。そうとしか思えなかった。


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