第24話



どうして自分の中に緋波が居るのか。どうして過去の誰かじゃなく舞白じゃなきゃいけなかったのか。龍由に問うてみたが、彼にもはっきりしたことは分からないようだった。

「巡りあわせなのだよ。魂の輪廻は全てそうだ」

龍由は舞白に対してぽつりとそう言った。では龍由はその巡りあわせを信じてずっとこの神社で眠っていたのか。

過去に囚われた、悲しい神様。

せめて緋波と会える日が早く来ればいいのに、と思う。しかしそれは龍由と舞白の別離の時だ。じくじくと痛む胸を押さえて、舞白は龍由の水の気配に包まれていた……。



ぱっと晴れない日が続いていたが、本格的に雨が降るようなことはなく、今日は梅雨時期を前に町を挙げての雨乞い祭りだった。神輿が町内を練り歩き、神社には氏子や見物客が訪れていて、龍由の力を感じる舞白にも、彼が喜んでいることが伝わった。

(いつもお祭りの時は楽しかったけど、龍由さんも同じなんだわ……)

神は民の信仰心を力にすると何かの本で読んだことがある。普段は寂しい龍神神社だったが、今日ばかりは一年に一度の祭りとあって、人が押し寄せ、賑やかになっている。神様である龍由は、それが嬉しいのだろうと、舞白は推察した。

あの後、今年は舞白が雨乞い祭りの舞い手だと言ったら、しかと見届ける、と微笑んで言われた。その時に嬉しいと思ったのは舞白だったのだろうか、緋波だったのだろうか。龍由の言動にいちいちそう考えてしまう自分を嫌になってしまう。それに、絵里の言っていたことだって未だ解決できていない。

(駄目よ、今は舞を舞うことに集中! それ以外のことは考えない!)

ぱちんと両頬を掌で軽くたたく。泣いた舞白を慰めてくれた時、舞白は龍由と約束したのだ。今まで舞ってきた誰よりもきれいに踊って見せる、と。だから約束は果たさなければならない。

龍由(かみさま)が見てがっかりするような舞だけはしないと気合を入れた。

古い刺繍の施された巫女のような衣装に着替えると、竜胆の花を模(かたど)った金の冠を被せてもらう。それだけで厳かな気持ちになって、心が穏やかな水面のように落ち着く。最後に唇に紅を差して完成だ。

手には扇を持ち、古ぼけてしまった舞殿に上がると、大勢の見物客が舞白と唄い手のことを見ていた。こんな大勢の人が注目する中で失敗しないかと一瞬緊張したけど、舞殿の上の空間には水の気配が感じられてやさしかった。舞白は小さく一つ、深呼吸をした。


「――我が郷、龍の神様のお慰みに、

  今日も唄を歌いまする。

  郷の巫女の差し上げる、

  声を貴方に届けませう。――」


低く静かに始まった唄に合わせて扇をひらめかせ、ゆっくりと舞う。舞を練習し始めたころはまさか神様が本当に居るとは思ってなかったから、今日は舞を舞うにも心境が違う。

ひらりと扇を翻して空気を切ると、其処に水の匂いが流れる。この匂いも龍由が『此処』に居るからこそなんだな、と思うと指先もつま先も伸びた。

すり足で舞殿の上で舞う。体の奥から『波』が打ってきて、今自分の体が龍由と同調しているのを喜んでいることが分かった。それに呼応して舞白の心は踊るが、龍由と同調して嬉しいのはどうしてなのか。舞白が緋波だから、龍由は舞白を通じて緋波を見て、それで喜ぶ龍由に呼応した舞白の中の緋波が喜んでいるのだろうか。舞白は自分の気持ちが分からなくなって唇をきゅっと噛んだ。

こんなに龍由のことを感じているのに、それが自分の感覚だと信じられない不安。自分なのに、自分じゃないみたいな、『舞白』を否定された悲しみ。それを愁う心が現れてしまった。

舞殿の天井に彫られた龍神の像に向かって両手を伸ばす。指先まで龍神を求めて……、でもこの気持ちは緋波のものなのか、舞白のものなのか、分からない。差し出した指先にひやりとしたものが触れたような気がした時、雲も出ていないのに天からぱらぱらと水滴が落ちてきて、観客や氏子が、おお、とざわめいた。まるで舞白の心に流れる涙のようだった。


「――我も我も、貴方様を恋ひし恋う。

  龍の恵みの、郷にこそ在れば。――」


唄い手の唄が止み、舞が終わる。ふわっと水の気配に包まれた気持ちがした。

今、龍由は緋波を抱き締めたのか、舞白を抱き締めたのか。

それを知るのが怖かった。


奉納の舞が終わってもまだざわつく境内の中を人を避けながら、舞の衣装から着替え終わった舞白は本殿を見上げる場所に来ていた。水の気配の濃い其処は、確かに龍由の居場所なのだと分かった。屋根越しに青い空を見上げていると、躑躅の植え込みの陰から龍由が姿を現した。

「美しかったぞ、舞白。舞白の祈りのおかげで、私も調子が良い」

あ、雨乞いの舞って本当に神様に届くものなんだ。

そんなことを思えたのは、龍由が朗らかに舞白を見て笑ってくれたからだった。でも、それは『舞白』が舞ったからなのだろうか? そう考えてしまうと、どうしても緋波のことが頭をよぎる。

「龍由さんは、緋波が踊ってるみたいで嬉しかったの……?」

そう思えて仕方がない。三百年も待った気持ちの原点は緋波にあると思うから。それなのに龍由は首を横に振った。

「舞白が舞ってくれて、嬉しかったよ。あの舞には緋波は関係ない。緋波の時代には雨は豊富だったのでな。郷の者には悪いことをしたと思っているよ」

確かに言い伝えでは、愛した巫女を救った龍神を祀るために奉納が始まった筈だから、言い伝えの巫女が緋波なら、彼女はこの舞を知らないのだろう。しかし、龍由が『愛した巫女』を救ったことに由来してこの舞が奉納されるようになったことに違いはない。舞を見て彼女を思い出さないわけがないのだ。その巫女が緋波ではないかと、舞白は思っている。

「舞白、どうしたら私の想いを信じてもらえるのだ。何を示せば、おぬしは納得してくれるのだ」

龍由が、舞白だけを見てそう言ってくれるのだと信じられれば一番良いが、事実、龍由は緋波に会いたがっていたではないか。

「龍由さんは緋波に会いたいんでしょう? 緋波が私の中で蘇れば、私なんてどうだっていいんでしょう?」

「舞白、それは違う」

龍由が舞白の腕をぐっと引く。その力強さに驚きながら、それでも舞白は抗った。

「だって、緋波に会いたかったんでしょう!?」

「舞白!」

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