ひび入る関係

第23話


今日は第四土曜日だった。舞白は倉田夫妻のカフェに赴き、占い用のブースを整えていた。カランカランとドアベルが鳴り、カフェにお客さんが入ってきたことを知らせる。舞白はカフェスペースの邪魔にならないように、占いブースの中の椅子に座った。

ふと視線を上げると、店に入って来たのは絵里だった。絵里は迷いなく舞白の前に歩いてきて、そして水瓶の前に座って居た舞白を見下ろした。

「舞白さん……」

「こんにちは。今日はどうされましたか?」

舞白は絵里に向けて微笑んでそう言うと、テーブルの前の椅子を勧める。絵里は椅子に座り、舞白の顔をじっと見つめた。……なんだろう?

すると絵里はスマホを取り出して、その画面を舞白に見せた。

「え……」

其処に写っているのは、お弁当を入れた大きなバッグを肩にかけた舞白と、その横を微笑みながら歩く龍由の姿だった。

ハッとして視線を絵里に合わせると、絵里は目に怒りを湛えて泣きそうな顔をしていた。

「これ……、貴女に占ってもらったこと、もう一度聞こうと思ってこの町に来た時に見かけたのよ……。二股なんて、汚いわ……っ。貴女はカズくんに相応しくない。早くカズくんと別れて……っ」

ふたまた、という言葉が舞白に重たく伸し掛かった。そんなつもりはなかったけど、傍(はた)から見たらそう見えるんだ……。龍由にも返事を出来ていないし、和弘に全てを話せてもいない。二股と言われても、仕方がなかった……。心臓の奥の方がジクジクと痛む。

「す、みませ……」

「謝ってなんて欲しくない。早くカズくんと別れて」

それだけを言うと、絵里は席を立ってカフェから出て行った。カランカランとドアベルの音が大きく響く。舞白は自分の目の前にある瓶に湛えた水面を見つめていた……。


自分の不誠実さを突き付けられた……。

舞白は帰宅の道を歩きながら、スマホを見ていた。シーサイドのカフェで笑いあってる自分と和弘。この頃は龍由にこんな気持ちを持つなんて思ってもみなかった。でも、それだって前世に引きずられているだけのかもしれない。

(こんな気持ち捨てちゃって、和弘とちゃんとする方が、私の本当の気持ちなのかもしれない……)

でもそうすると、絵里の想いは行き場を無くす。

どうしたら良いのだろう、と悩んでいた時、スマホにメッセージが届いた。和弘だ。

――『今週末、神社でお祭りなんだろ。舞白の舞を見たいから、そっちまで行くよ』

こんな風に舞白を想ってくれる和弘の心に寄り添いたい。心底そう思うのに、龍由に惹かれる自分が信じられないし、怖い。舞白(じぶん)という存在は、本当にこの世に存在しているのだろうか。自分のことを信じられないことが、一番怖い。

スマホから顔を上げると、道の右手に緑に囲まれた朱色の鳥居が見えた。

『舞白が悩む必要は何もない。全てのゆがみの根源は、私にある故』

ふと、龍由の言葉を思い出す。『ゆがみ』とは何のことだろう。根源、というくらいだから、多分過去のことだろう。ならば今すぐ『ゆがみ』を正して、こんな底知れない恐怖から解放して欲しい。過去のことが解決したら、龍由に惹かれる想いもなくなるはずだし、そうすれば和弘だけに寄り添っていける。絵里の占いは、きっと和弘以外の、誰か親しい人のことなんだろう。

「……舞白……」

自分の名前を呼ばれてはっと気が付いた。自分はまた、惹かれるようにしてこの敷地に入ってきてしまったのか……。

舞白の困惑を分かったように、龍由も何を言ったら良いのか迷っているようだった。その戸惑いの表情に、怒りがこみ上げる。全ての根源が自分にあるから舞白は悩む必要はない、と庇ったくせに、舞白が悩んでいるときにそんな表情をするなんて……!

「龍由さんが悪いのよ……! 龍由さんさえ居なければ、私は和弘と楽しく過ごせていたのに! 絵里さんにだって文句は言わせなかったわ! 龍由さんが全部をぐちゃぐちゃにしたのよ!」

舞白が叫ぶと、龍由は黙ってその全てを受け入れたような顔をした。

どうして……。どうしてこんなに罵倒されたのに、怒らないの……。神様だから人間の感情を受け止めるのは自分の役割ってこと!? どうして……!!

「どうしてそんな顔できるのよ! 自分が悪く言われて悔しくないの!? そんな、自分が居ない貴方に求められた過去の私は可哀想だわ!!」

可哀想……。

そう叫んだとき、龍由が口許を歪めたのを見て、舞白は心が引き裂かれそうな気持ちになった。神様というだけで責められて言い返すことも諦めている龍由こそが、可哀想なのだ。神様だって笑ったり驚いたり……、その鮮やかな感情を舞白は目の前で見てきたじゃないか。

「……っ!」

驚いた表情をしたのは龍由だった。舞白が咄嗟に龍由の袖を掴んだのだ。

「ご、……ごめんなさ、い……、わたし……っ」

飛び出てしまった言葉は取り返しがつかない。自分勝手に龍由を傷付けたのは舞白なのだ。緋波のことがあるからと言って、彼が舞白のことを見放してもおかしくなかった。それなのに。

「……舞白が怒る気持ち、分かるよ……。おぬしを過去に縛り付けてしまった責任は、私にある……」

舞白が傷付いたことに対して泣きそうな顔で、そんなことを言う。

違う。そう言うことじゃない。舞白が過去に縛られているのではない。龍由こそが、過去に縛られているのだ。舞白は緋波から解き放たれた龍由と向き合いたかったのに……。

ぼろぼろと舞白の目から涙が落ちる。神様って、こんな悲しい存在なのか……。居て居ないようなもの……、そうで『あらねば』ならないのか……。だって、目の前に、舞白の前に、確かに居るのに……。

「舞白、泣くな……。おぬしが泣かねばならぬ理由がない……」

違う……。罵声を浴びせられて悲しまない龍由の代わりに舞白が泣いているのだ。此処に居るのに居ないように振舞っている龍由の代わりに泣いているのだ。舞白が泣いているわけじゃない……。

ぐすぐすと拭っても拭っても零れてくる涙を止められないでいると、ぐっと頭と肩を抱かれた。涙を肩口に染みこませて、抱えた頭にいとおしそうにほおずりされた。それが、あたたかい。

……体温がある……。龍由は、生きている……。

そう感じたら、余計に涙腺が崩壊した。こんなに悲しい『人』を捉えて離さない緋波とはいったいどんな存在だったのか。

舞白は叶わぬ想いにさいなまれながら、龍由の胸にしがみついて泣きじゃくった……。


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