第21話
「舞白……」
龍由が困ったように舞白を呼ぶ。その声に、舞白は自分の目に涙が滲んでいることを知った。
「あ……」
呟くと、ぽろりと零れる雫が、あとからあとから止まらない。龍由に認められていなかった。そのことがこんなに舞白に喪失感を味わわせることだとは思わなかった。
「……っ、…………」
零れる涙を手の甲で拭う。後から後から伝う雫を何度も擦っていると、ふわりと抱き締められた。
「た……、つよし、……さ……」
驚きと混乱でいっぱいだった。舞白を見ていたわけではない龍由が、舞白を抱き締めなければならない理由は何だろう。ただ、目の前で泣いてる人が居たから、抱き締めたんだろうか。
「泣くな……。舞白に、泣いて欲しくない……」
どんな気持ちで、そんなことを言うのか。舞白の過去にしか興味がないのなら、目の前の舞白が泣いていようがいまいが、関係ない筈だ。
「過去の私の『器』には、用はないんでしょう……?」
思い出してくれと、龍由は言った。それが舞白の人生のことだと思ったから、思い出そうとした。でも、舞白のあずかり知らぬことを思い出せなんて、そんなこと出来る筈がない。
舞白が龍由から逃れようとするが、思いの外強い力で抱き締められてそれは叶わなかった。舞白の問いに、龍由が応える。
「今、分かった。今の私の心に、緋波は関係ない。私には、今を生きているおぬしが眩しいのだ。泣いて欲しくない……」
ひなみ、と。
龍由の声でそう呼ばれたときに、体の奥の方からどくんと湧き上がる熱の塊を感じた。
それは全身の血液が体の隅々まで巡って、その一滴さえもが龍由を求めるように舞白の体の中で荒れ狂う感覚だった。
――恋しい、愛しい……! 目の前の貴方が恋しい……!!
鼓動が激しく打つ。こんな動悸は初めて感じた。こんな激しい感情を、舞白は持ったことがなかった。勿論、今、龍由を前にしても。
……これは、龍由が思い出して欲しいと言う、舞白の三百年前の人格なのではないか。そう感じた。
視線の端の、手水鉢の水が跳ねている。舞白の鼓動に連動しているように見えた。どくりと、嫌な汗がこめかみを伝う。……今、舞白が龍由を慕う想いだって、舞白の過去の人に引きずられているだけなのかもしれない……。そう思うと、自分の何もかもが信じられなかった。
「……わたしは……、なに……? 過去を引きずった、……入れ物でしかないの……?」
水が跳ねたことに気付いた龍由が、呆然と呟く舞白をぎゅっと抱き締める。その力は確かに舞白を抱き締めていて……、でも彼が舞白を抱き締めたつもりなのか、それとも過去のその人を抱き締めたつもりなのかは、舞白には分からなかった……。
少し話をしよう、と龍由は言った。神社の石段に座ってぼんやりと町を見つめる。
「……舞白が言う通り、私は最初、緋波の魂を受け継いだおぬしに会いに行った」
やっぱりそうだった。龍由は、舞白の事なんか見ていなかったのだ。
「しかし、おぬしは緋波とは全く違っていた。緋波は私に運命を決められていたが、舞白は違った。……生まれた時、おぬしは波の波動も大きな良く泣く赤子だった。お宮参りに来たおぬしは両親に守られて、かわいい顔をして良く寝ていた。つかまり立ちを覚え、おぼつかない足取りで歩くようになったおぬしを、母親がはらはらしながら追いかけておったな……。転んで大粒の涙を零しても、母親が慰めるとけろりとして笑った。その笑みが太陽のようであったことを昨日の事のように思うよ……」
舞白の思い出話をする龍由の口許の笑みが浮かんでいる。それが決して過去の舞白を思い出しての記憶じゃないのだと言われているようで、それは嬉しかった。
「おぬしは事あるごとに此処へ来てくれたな……。黄色い帽子を被って頬を上気させたまま祈りに来てくれたり、赤い背負い鞄を背負って『字が上手に書けるようになりますように』と願いを言ってくれたこともあったな」
黄色い帽子とは幼稚園の時の事だろうか。だとしたら赤い背負い鞄は小学校だ。舞白は節目節目に親と共に神社に参拝に来ていたので、そのことを言っているのだなと思った。
「おぬしが他の土地の守り神の匂いをさせるようになってからは、気が気でなかったな。近しい男の匂いも混じるようになって、ますます焦ったよ」
神様でもどうにも出来ないことで焦ったりするんだ……。舞白は龍由の口から語られることを、不思議な気持ちで聞いていた。
「交際しておる相手が親に会いに行くのは、婚姻の約束を交わす時だと知っていた。だからあの時、堪らずおぬしに会いに出てきたのだ」
龍由と初めて会ったとき。幻のように桜の下に現れて、一瞬ののちに消えた彼。そんな想いで、あの時表れてくれたのかと思うと、龍由の気持ちを感じて切なくなる。でも、出会いも告白も、和弘の方が先だ。少なくとも舞白の人生の中では。
「……私は龍由さんに会う前に和弘に会ってるし、告白されてるし……、だから和弘と一緒に居るところを責められる覚えはありません。……龍由さんの気持ちは、正直、舞白としても嬉しいです。……だけど、私は前世にとらわれることなく選びたいんです……。……ごめんなさい、今はこんな中途半端な事しか、言えない……」
こんな短期間に、どうして龍由に気持ちが揺さぶられるようになったのか。そこには前世の記憶は関係していないのか。舞白は、舞白としてちゃんと判断できているのだろうか。今、舞白自身が、そこに自信を持てないでいた。
もし舞白に自分の気持ちがはっきりと見えたら、その時こそきちんと返事が出来ると思う。……龍由にも、和弘にも。
いつ、そういう日が来るのか、舞白には分からなかったけれど……。
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