第20話


神社に行くと龍由が呼ばなくても現れるというのは本当だった。舞白が境内に入ると、会いたかった、と隠しもしない表情で微笑んで出迎えてくれる。その笑顔に引き寄せられて、思わず駆け寄ってしまうほどだ。

「会いたかったぞ、舞白。ご覧、丁度躑躅(つつじ)が見ごろを迎えておってな」

そう言って境内の奥の植え込みに咲いている躑躅を一輪手折ってどうするのかと思ったら、舞白の髪に挿してくれた。そして躑躅を挿した手でさらりと髪をなでる。艶やかな所作に、そんなことをされたことのない舞白はびっくりして動けなくなった。

「良く似合っておる。舞白は色が白い故、鮮やかな色も良く映える」

「そ……っ、そうかな……。あんまり髪に花を挿すってことがないから、良く分からないです……」

少し照れながら龍由に言うと、龍由は目を細めて微笑んだ。まるでいとおしいというような目で見られてしまって、本当に顔が赤くなりそうだ。恥ずかしいのを隠そうと俯いたら、逆に顎を掬われて、上を向かされてしまって、ますます頬にカーっと熱が集まった。

逃げるように顔を背けると、龍由が嫌だったのかと、少し傷付いたような声で問うた。

「い、嫌って言うか……、いや、嫌には違いないんですが、嫌いって意味じゃなくって、恥ずかしいって意味です」

「何故だ。このぐらい、普通だろう。あの男と変わらん」

「ふ……っ、普通じゃありません!」

和弘とは、手を握ったり頭を撫でられたりというスキンシップはあるが、頬に触れるようなことはスカイツリーの展望回廊の一件以来、していない。しかもあの時は未遂。それから今まで、至って健全なお付き合いだ。

「神様って手が早いの?」

「心外な。人と神との関係は、それぞれの心の中にあるものだろう」

「じゃあ、私が……、こんなことを望んだっていうの?」

少しむくれて言うと、龍由は苦笑した。

「いや……、今のは私の意思だ。おぬしがきれいだったのでな。嬉しくなってしまったのだよ」

きれいで嬉しいなんて言葉、和弘は言わない。嘘の混じらない真摯な言葉に、舞白は甘い砂糖水に浸かったみたいに蕩けてしまう。

「……女たらし……」

「舞白にだけだ」

そう言って綺麗に微笑む龍由は、真っすぐな瞳で舞白を見た。本気だと言っている美しくて深い蒼の瞳で見つめられると、簡単に心臓が走り始める。

(……私、こんなに浮気性だったのかな……)

舞白が自分でそう戸惑ってしまうくらいに、龍由を前にすると心が簡単に浮き立った。素直に楽しいし、嬉しい。その気持ちは、和弘と会っているときよりはるかに大きい。

「龍由さんって、もしかして私に何かおまじないとか掛けたりしてないですよね?」

「まじない? 何のことだ?」

龍由が全く思い当たらないと言った顔で言うので、違うんだな、と思った。

「だって……、龍由さんとはこの前会ったばっかりなのに、こんなに龍由さんと居るのが楽しいなんて、思わなかったんだもん……。和弘と会ってる時よりもだなんて、ちょっとおかしいから……」

舞白がそう言うと、龍由は目を少し見開いて、それから深く微笑んだ。意味ありげな微笑みに、舞白は眉を寄せた。

「な、なに? 理由があるの?」

「いや……。もしかしたらそれは、おぬしが過去を思い出すきっかけになるのではないかと思ってな」

過去を……。

龍由は舞白に過去を思い出して欲しくて、待っているのだ。舞白の忘れてしまった過去に、何があったんだろう。

「龍由さん……。龍由さんは、私が過去のことを思い出すのを期待して、私と会うんだよね? それって、過去の思い出がなかったら、私には用はないってこと……?」

不安になって問う。もし龍由にとって、舞白が忘れてしまっている過去にしか価値がないのなら、今舞白の中に芽生えた龍由への淡い想いはどうしたら良いのだろう。こうやって向かい合って視線を合わせているだけでも、心の奥から痺れるような高揚感が沸き上がってくるのに。

「そんなことはない、舞白。私は、ずっと見守って来たおぬしが大切なのだよ」

「ずっと……って、……二十四年の間、ずっと……?」

そう問うと、龍由は憂いのある目をした。

「……もう、ずっと……。三百年の間、おぬしの魂が生まれてくるのを見守って来た……」

三百年……!? それは舞白の過去と言うより……。

「……龍由さんが私に思い出して欲しい過去って……、私が生きてきた時間の事じゃないの……?」

愕然とした舞白に、龍由が静かに頷く。……その答えを、信じられない気持ちで見た。

舞白が生きてきた中で忘れてしまったことがあったのなら、それは舞白が思い出すべきだと思っていた。でも、舞白の人生じゃないところを忘れたと言われても、思い出しようがない。

(龍由さんは、『私(ましろ)』を見ていたんじゃなかった……)

龍由が舞白のことを見ていたのではないのだと分かって、頭を殴られたような気持ちになった。それと同時に、自分がどれだけ龍由に心を傾けていたのかということを知った。

悪夢を見たあの朝の日には心細かった舞白を守ると言ってくれた。会うたびに包み込むようなやさしい瞳で見つめてくれて、いつも親切にしてくれた。そんないくつもの彼の行動が舞白の心を動かしたというのに、それが全部三百年前の舞白の事を想っての事だったなんて……。

今、裏切られた気持ちになるのは、間違っているのだろうか。

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