第16話


……とはいえ、一日まるまる和弘とピクニックデート(しかもバドミントン付き)していた舞白は翌朝、すっかり寝坊をした。許して欲しい。平日は毎日まじめに仕事をして、週末はここのところずっと和弘と会っていた。つまり、休養が取れていなかった。

「おかあさーん、おかあさーん。後片づけお願いっ! 明日からちゃんとお手伝いするからっ!」

舞白はスマホのアラームより一時間遅く起き、今、台所でドタバタとお弁当を作っている。龍由にお弁当を作るとは言わなかったが、舞白が作っていきたかったのだ。

「そんなこと言って、いつもしてくれた試しなんてないじゃない……」

「ああっ、もう時間ないっ! 行ってくるっ!」

出来上がったお弁当を持って急いで家を出た。残されたキッチンはまるで戦争のあとのようだった。


バタバタと神社に駆け込むと、其処にはもう龍由が居た。彼は舞白の大きなバッグを見て、夜逃げか、と驚いたように言った。

「ばっ、馬鹿! そんなこと言うなら食べさせてあげないっ! 折角お弁当作って来たのに……」

舞白の言葉を聞くと龍由はまた別の意味で驚いたような顔になった。

「いや、すまぬ。しかし昨日はそのようなこと言っておらなかったではないか……」

「食べたいの? 食べたくないの?」

言い訳をする龍由をきろりと睨む。こうなると、お弁当を持ってる舞白が強い。龍由は直ぐに頭を下げて、食べたい、是非とも、と言った。その様子がおかしい。最初に会ってから今まで、ずっと澄ました顔をしていた龍由が、舞白の行動でこんなにも表情を変える。それがなんとも嬉しかった。

「ふっ、あははは。ごめんなさい、言い過ぎたわ。確かに昨日は言わなかったし思ってもいなかったけど、寝る前に作ってあげたいって思ったの。だからアラームも早めにセットしたんだけど……」

嬉しくて笑って説明していたら、その舞白を龍由が目を細めて見つめていた。顔になんて書いてあるか読めるような気がするけど、敢えて読まない。

「そういう訳で遅れました。待たせてごめんなさい」

ぺこりと頭を下げると、龍由も気にするなと言ってくれた。

「舞白の心遣い、嬉しく思う」

微笑む龍由の、なんときれいなことか。昨日と同じように朝から晴れ渡っていた空に輝く太陽のように、龍由の笑顔がきらきら光って……。

「あれっ、ちょっと雲が出てきたなあ」

家を出た時は昨日と同じように透き通るような快晴だったのに、急に雲が出てきた。龍由は、ふむ、と腕組みをしてそれから、大したことは無かろう、と言った。

「そうね。昨日は雲がなくて多分日焼けしたから、今日は少しくらい曇ってくれても良いわ」

「そうか。それで何処へ行く?」

「龍由さんは何処に行きたいとかないの?」

舞白が問うと、龍由は舞白を見つめて微笑んだ。

「舞白と一緒なら、何処へでも行ける。舞白が行きたいところへ行こう」

やさしい視線にどきりとするが、胸の鼓動を抑えて応じた。

「いやいや、今日は龍由さんに合わせるよ。私は昨日、たっぷり楽しんできたところだから」

「そうか? ならば、水のある所が良い。この日和で水の傍は気持ちいいだろうしな。この町には小さな川が流れていただろう」

……あの川か……。あそこは子供の頃に溺れかけた記憶のある場所だ。舞白には良い思い出はなかったが、龍由が行きたいと言うならそれを叶えてやりたい。まだ町のことをあまり知らないであろう龍由に、町案内を買って出た。

「じゃあ、まず川の方に行ってみよう」

そう言って川を目指して歩き出す。川は町の中心部を挟んで神社と反対方向にあった。道すがら、公園や史跡の案内もする。

「この公園は私が小さい頃よく遊んだ公園なの。あのベンチの上の藤棚は、満開の時はそれはそれはきれいよ。隣の鬼岩町には神社にもっと立派な藤棚があって、正直それには負けるんだけど……。鬼岩町はね、昔人を喰う鬼が居たのを、神様がやっつけて封じたっていういわれのある神社があってね、その鬼のことを慰めようと鬼が好きだった藤の花を植えたらしいんだけど、まあ言い伝えよね。で、その向こうは桜と銀杏の木。此処は明治時代に杉の植林が進んで、周囲で花を見れなくなったから、住人が町で花を楽しめるように植えたって聞いてるわ」

鬼岩町の伝説は和弘の受け売りだ。それでも龍由は微笑んで舞白の話を聞いてくれた。

「鬼岩町の藤の花のことは、結局知らぬままだったな。舞白から聞けて良かった」

「龍由さん、藤の事聞いたことがあったの?」

「そうだな、そうは言っても昔のことだ」

龍由が言う『昔』がどのくらいのことを指すのかと思ってしまう。彼が語る過去が全て舞白の失った記憶に繋がるとは限らないのに、そういう取り方をしてしまう自分が不思議でたまらない。

咲き残りの藤を眺めながら公園脇を歩いていく。町の中心部へ伸びる道と、町の外に伸びる道の分岐点に看板が立っていた。

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