第9話


「見送りは良いよ。夜道は危ないし、バス停までの道は覚えたから」

そう言って和弘とは玄関先で別れた。住宅と、その間にぽつぽつとある畑の間をまっすぐ続いている道を帰っていく和弘の後姿を見送っていて、ふと見えたものがあった。

道路の片側に設置された街灯の灯りではなく、和弘の後姿の周りに蒼白く光って浮いているもの……。遠目にまるで人魂か鬼火のような……。

ごしごしと目をこすってもう一度見送れば、そんな灯りは和弘の周りの何処にもない。見間違いだったのか、びっくりした。多分、母親が神様だのなんだのと言ったのが頭の片隅に残っていたのだろう。この世に実在しない存在なんて、居ないも同然なのに。

あとで今日両親に会ってくれたお礼をメッセージで送っておこう。舞白はそう思って、家の中に入った。


夢の中で、あの人と会う。舞白を見て微笑むあの男の人。何処か、……あの悪夢で見た、舞白を見て叫ぶ男の人と印象が似ている。そう思ったら、夢はあの悪夢に繋がった。自分の死に際を予言するかのようなあの夢の映像が目の前に流れて、今日も嫌な気持ちで飛び起きることになった。どうせ見るなら和弘との甘い夢が良いのに。嫌な一日の始まりだ、と舞白は思った。


その日の午後、舞白は神社に赴いていた。神社の桜がどれほど咲いたか見て来いと母親に言われたのだ。冬の頃とは違ってあたたかい風がスカートの裾を揺らす。神社の境内の空気はすっかりピンク色だった。

「わあ、もう直ぐ満開だなあ……」

現在、七~八分咲きと言ったところで、古木の桜は舞白にとって今が一番見ごろのような気がする。満開になれば後は風が吹くのに合わせて花びらを散らせる未来しかないが、七~八分咲きの今は、これから満開を迎える桜の花たちの喜びが詰まっているように思う。

(来週、和弘と何処かお花見に出かけても良いな……)

そんなことを思って桜を見ていた時の事だった。舞白と同じように桜の枝を見上げながら、境内の奥から此方へ歩いてくる男の人が居た。……以前見間違いかと思ったあの男の人だ。やっぱり今日も桜の花を見ている。

桜の花に気持ちが浮かれてしまうのは、日本人の習性のようなものなのだなあと、彼の様子を見て思う。とても熱心に桜の枝ぶりを眺めていた。その時、舞白が境内の砂を足で踏んで、ざり、という音をさせてしまった。

ふっと男の人の視線が舞白の方へ来る。男の人は舞白に対して優美に微笑んだ。落ち着き払ったその笑みに、舞白はその人に対する抵抗感を全く抱かなかった。

「こ……、こんにちは。桜が良い頃合いですね」

「そうだな。いつ見ても、桜は良(よ)い。心穏やかになる」

男の人の声は低くて耳なじみが良かった。桜という日本人共通の話題があったのも助けになったかもしれない。舞白の心は自然と解れたものになった。

「日本人ですものね。DNAに埋め込まれてるのかもしれませんよね」

ふふ、と笑うと、男の人も口許に微笑みを浮かべたまま桜をもう一度仰いだ。その様子をそれとなく観察する。

和弘もかなりのイケメンだが、この人も不思議な雰囲気を漂わせたイケメンだ。長身に長い髪、着物という体の厚みが分かりやすい格好でも貧弱な印象を受けないスタイル。そしてなんといっても切れ長の双眸とすっと通った鼻筋に、薄い唇。和弘が洋風の人懐こさだったらこの人は和風の涼し気な美形だ。あの合コンで一緒に居たら、間違いなく女子たちの人気の一、二を争う人だった筈だ。そんなことを和弘に言ったら、また拗ねられてしまうかもしれないけど。

「もう一日、二日で満開ですものね。そうしたら、あとは風になびく散り際の花びらが見事ですよ」

今までこの人を見かけたことがなかったので、この町の人ではないと確信してそう言うと、そうだな、といらえが返った。

「またおぬしとこの桜を見ることが出来て、嬉しく思う。……良ければ、この桜の花びらが舞い散るときに、また一緒にこの桜を見ないか」

知らない男の人に再度の花見を誘われてしまった。でも、「またおぬしとこの桜を見ることが出来て」とはどういう意味だろう。自分は過去、この人と会ったことがあっただろうか? しかし、古臭い物言いをする人だな。

「え、えーと……。私、貴方に会ったことって、ありましたか? あ、もしかして、ものすごく小さい頃とか? だとしたら、覚えてないです、ごめんなさい」

ぺこりと頭を下げると、男の人は少し寂しそうに口を開いた。

「覚えて、おらぬか……?」

眉をもの悲しそうに寄せて、その人が言う。……あれっ、この人のこういう表情、見た記憶がある。誰かとの既視感(デジャヴ)だろうか?

「私と貴方は、初対面だと思いますけど……。何処かの駅とか電車とかで見かけて下さったとか、そう言うことですか?」

舞白がそう言うと、男の人は悲しそうな瞳のまま、口許に笑みを浮かべた。

「覚えておらぬのなら、これから思い出してくれれば良い。それでは、またな」

男の人がそう言うと、ざあと風が舞った。舞白はその風に目を瞑って、そして再び目を開けた時にはもうその男の人は居なかった。風が水の匂いを連れてきたような気がした。


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