第8話
「まあまあ、良くいらしてくれたわね。待っていたのよ」
家でにこにこと両親が和弘を迎える。和弘も落ち着いて両親に挨拶していた。
「初めまして。舞白さんとお付き合いさせて頂いています、綿貫和弘です。これ、お好きだと聞いていたので、良かったら召し上がってください」
和弘がそう言って座卓の上に差し出したのは、父親の好物の、長崎のからすみだった。
「おお、これは日本酒に合わせるのが一番旨いでな。綿貫くんも飲まれるのかな」
「多少は嗜みます」
和弘の応えに父親は頬を緩ませた。
「では、あとでゆっくり飲もう」
「はい、喜んで」
和弘と両親の様子が好感触なので、舞白はほっと胸を撫で下ろした。和弘も同じ気持ちだっただろうと思う。ちらりと舞白の方へ目線をくれて、にこりと微笑んだのだ。
「舞白。そう言えば神社には報告に行ったの?」
「ううん。前は通ったけど」
舞白の言葉に母親は眉を寄せた。
「神様に紹介するなら早い方が良いわ。神様も祝ってくださるだろうし……」
舞白と母親の話に和弘が口を開いた。
「舞白。神様に紹介って、なに?」
和弘の疑問も尤もだった。田舎くさい風習を和弘に伝えるのが躊躇われたが、それよりも和弘の好奇心に満たされた目に負けた。
「……以前倉田さんが言ってたみたいに、この辺りでは昔、龍神様が住人を見守ってくれてるって言う言い伝えがあったの。でも実際は、龍神様は雨を降らせてもくれないし、川が小さいから少しの雨で川の氾濫が起きて、町も田畑も水浸しになったりと、水に関しては良い記憶のない土地だわ。それなのに、お年寄りたちは相変わらず龍神様を信じてるの。だから、新しい家族になる人を神様に紹介して、水の禍から守ってもらうように、って言うのが、今の話」
「ふうん。……でも、僕が紹介してもらえれば、神様はどうか分からないけど、ご両親の了承は得られたと思って良いってことなのかな?」
「まあ! そんなこと、綿貫くんさえ良ければってことよ。舞白のお守りは大変でしょう?」
母親が舞白をそんな風に言う、和弘は微笑んで、いいえ、と応えた。
「舞白さんは朗らかでとてもやさしい素敵な女性です。僕の方が惚れこんでしまっていて、むしろ舞白さんに迷惑なんじゃないかって思うくらいです」
和弘の言葉に母親は大袈裟に笑った。
「あらやだ。舞白がそんなに褒められたところを見るのは初めてだわ。お父さん、どう思います?」
母親に話を振られた父親はむず痒い顔をしていた。
「まあ、なんだ。綿貫くんともまだ付き合って三ヶ月だろう。儂は良いが、綿貫くんに見捨てられんよう、舞白も頑張るんだな」
「やだわ、お父さん。本当のことを」
父親の言葉に母親が笑う。古い家に笑い声が木霊した。
夕方になって父親がお酒を持ち出してきた。和弘は言葉通りお酒は嗜むので、父親の相手をしている。母親も舞白もお酒は飲まないので、お酒の相手が居て父親は嬉しそうだった。
「それで綿貫くんは、一体全体舞白の何処が良かったんだ」
少しほろ酔いで機嫌のいい父親が和弘に問いかけている。娘の初めての恋人だから、浮かれているのかもしれない。
「ええと、僕と舞白さんは友達を介しての集まりで会ったんですけど、その時に舞白さんが占いをしてくれたんですよね、余興みたいな形で。その時に僕のことを占ってくれて、『最近出会った人と恋に落ちるでしょう』って言ったんです。それで気になってた舞白さんに、帰りがけに声を掛けたんです」
「ああ、舞白が龍神様に貰った『水を読む』の力の事ね」
母親がにこにこと舞白の力のことを言う。両親は未だ、舞白の力のことを龍神様に頂いたんだと信じているのだ。
「確かに神社に行くと不思議な気分にはなるけど、でもそれだって神様なのかどうかは分からないわよ? だって、神様が居たら今頃ここら辺はもっと豊かな土地だし、もっと水の加護だってあったっておかしくないでしょ? 結局信仰は心のよりどころなだけであって、人間は自分たちの力で生き抜かなきゃならないんだと思うの。だから奉納の舞も神様の為というよりは、氏子の皆の為にやるだけよ」
奉納の舞とは、毎年梅雨になる前に神社で行われる祭りの際に奉納する舞のことで、雨乞いの神事の一部だ。かつて龍神様が愛した巫女が龍神様に命を救われたという伝説から、町の女性が神様に舞を奉納するようになったとか。今年は舞白が舞を奉納する順番になっていて、去年の秋から練習をしているところだった。
「沢山の中から選ばれるなんて光栄だよね。僕も時間さえ合えば観に来るよ」
「ありがとう、和弘。でも、神様に奉納というよりは、町の皆に見せるという気持ちの方が強いわ。それに、神事で使う着物を着る機会なんて普通だったらありえないから、それはちょっと嬉しいかな」
軽い気持ちで練習をしている舞白に、母親は困った顔をしている。
「そんなこと言って、舞い手さんに選ばれるのは町の女性の名誉なのよ? それに、子供の頃に川でおぼれかけて助かったのは、龍神様のおかげと思えないの?」
舞白は五歳の時に町の外れを流れる小さな川でおぼれかけた。たまたま川岸の道を歩いていた倉田が舞白を助けてくれたのだ。
「あれは、たまたま通りかかった倉田さんが居たから助かったのよ。あそこに人が居なかったら、溺れてしまっていたと思うわ」
「倉田さんは舞白がおぼれてた場所まで、川の水が避けて通り道が出来たって言ってたわ。そんなこと、神様にしか出来ないじゃない」
「そんなの錯覚よ。倉田さんは夢中で川に入ってくれて、それでそんなことを思ったのよ。古臭いことを和弘の前でいわないでよ、恥ずかしいじゃない」
まったく年寄りとは話が合わない。そう思っていると、和弘がまあまあ、と仲裁に入った。
「いいじゃないか、舞白。龍神様の力があると思っておけば。それがもし本当に神様の力だったとしたら、占いの通り、僕たちのことを神様が認めて下さったってことだろう?」
その言葉は神様だのを信じていない舞白にも刺さった。恋する乙女はロマンチストなものなのだ。
「それに、僕は水に係わる仕事をしてるから、もし龍神様に守ってもらえるなら、それほど嬉しいことはないよ」
和弘の言葉は龍神信仰のある両親を喜ばせた。多分、初めての顔合わせにしては好印象だっただろうと思った。
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