第4話
*
最初のデートの時は渕上さん、と呼ばれた。二回目のデートでは舞白ちゃん。五回目のデートで呼び捨てになった。綿貫からも、自分のことを呼び捨てにしてくれて構わないと言われていて、男の人に名前を呼ばれる経験も、男の人の名前を呼び捨てにする経験もなかった舞白は、それだけで心をときめかせていた。
和弘は仕事の関係から御朱印集めが趣味になったとかで、今は御朱印長もかわいいものが揃っていることから一緒に神社巡りを始めた。
EUへの留学中に現地のミネラルウオーターの地域ごとのブランド化に着目し、帰国後、全国の湧水(ゆうすい)を渡り歩き、現在は土地土地の水を発砲水に仕立て上げ、売り文句に民話や伝説を取り入れた『産地ウオーター』の販売に携わっている。和弘が初めて舞白と会った時に、倉田夫妻に龍神神社の言い伝えを尋ねていたのはその所為だったのだと、仕事のことを明かされて初めて知った。
思えば舞白が龍川町の龍神神社以外に詣でるのは珍しい。氏神様は龍神神社だし、節目ごとのご挨拶も龍神神社に詣でていた。勿論新年の挨拶も龍神神社で、友達に誘われて他の神社にお参りしたことはあったけど、今は水占いをやっていることもあって、やっぱりなんだかんだ言っても龍神神社が肌に合うなあ、なんて思っていたのだ。
今日は和弘と二人で今月の御朱印をもらいに都心の神社に出向いた。神社の境内の、参道の外のざわめきが遠くなる感じ。うん、これぞ神社だ、という印象を持って舞白は和弘と拝殿でお参りした。その後で御朱印をもらう。今月は梅の柄らしく、梅がピンク色のインクでスタンプされた。こうやっていろいろな柄を集めていくのは、成程楽しいなあと、舞白は新たな発見をしていた。
社を写真に収めるなどと言う罰当たりなことはせずに、舞白は和弘と記念の写真を撮る場所を工夫していた。最近はSNS映えを意識してか、手水鉢に花が活けてあるところが多い。写真家でも題材に用いることがあって、舞白もそんな様子に自分たちを収めようとした。ところが。
「う~ん……」
二人して指でピースを作り、指と一緒に手水鉢の花を写真に撮ろうとしたのだけど、なかなか手水鉢の中の水が穏やかにならない。風が吹いているので、花も舞白の傍から遠ざかり、鉢の中で偏ってしまって、綺麗な写真にするのに一苦労だ。
取り敢えずシャッターを切ってみたが、どれも花の位置が微妙で、SNSを賑わせている花たちの写真と比べると、どうもバランスが悪い。
「そんなに風は強くないのにね」
そう和弘が言う。でも、軽い花は些細な風でも水の上で滑って行ってしまう。不思議はないことだった。
しかし。
和弘の言葉に水面をよく見てみると、弱いさざ波が舞白の周辺から起きている。今まで水を動かしたのは水占いのように波を意識した時だけだったので、舞白は驚いた。
(えっ? 占いもしていないのに?)
舞白が水を波立たせることが出来るのは、舞白が占う人の波動を水面に映すからだ。今は占う相手がおらず、こんな形で波が立つことは今までなかったことだ。波は舞白を中心として円状に立っており、まるで舞白の心を映しているかのような波の立ち方だった。
……でも、なんで? 舞白が占う気もないのに、なんで舞白の心が水に現れているのだろう。
じっと水面を見ていたら、和弘がどうしたの? と問うてきた。
「う……、ううん、なんでもない」
理由が分からないことなんて、別に言う必要がない。それに、占いもしていないのに水が波立ったなんて気持ち悪いと思われたくない。舞白は笑顔で和弘の隣を歩いて神社を出た。
それから何度か、神社巡りのデートを繰り返した。和弘が話す神社にまつわる民話や伝説も興味深かったし、初めて男の人と二人で歩くのには、和弘のエスコートに任せるのが何より安心だったからだ。
でも、これだけ神社を巡ってきて分かったこともあった。あの時、手水鉢の水が波立ったのは、風の起こした偶然じゃなかったということだ。無風の天気の許で花の手水鉢の写真を撮ろうとしても、僅かにだが水が波立つ。和弘は気にしていないようだったけど、和弘の波も見ていない状態での波立ちに、舞白は心底疑問を持った。
それに、水が波立つときに、舞白の心もまたざわつくのだ。水に何かを訴えかけられているような、そんな錯覚すら覚える波立ちに、ざわざわと舞白の心も波立つ。そして、その理由が分からずに不安に駆られる。そんな気持ちのループだった。
そう思いながら今日も帰宅の途に就く。バス停でバスを降りて自宅へと慣れた道を歩いていくと、右手にこんもりとした木々の生い茂った茂みが見える。木々の枝の間から朱色の鳥居が見えて、其処が龍川町の神社である龍神神社だ。舞白はふと思い立って、神社に立ち寄ってみることにした。占いの店を営業するにあたって神社にはお参りを欠かさなかったが、そう言えば最近和弘とのデートで他の神様にばかりお参りして、氏神様にお参りをしていなかった。地元の気候を思うと神様を信じるわけではなかったが、まだ慣れない男性との二人でのデートに少し疲れたのかもしれない。安心感を求めて、舞白は鳥居を潜った。
ふうっと清涼な空気に包まれる。この神社には小さい頃から訪れているが、やはりこの感覚はこの神社ならではのものなのか、と思った。今まで和弘と廻ったどの神社で安心感は覚えたが、こんなに清涼な空気を感じるのは、この神社だけだった。
(……不思議よね……。小さい頃から来ている所為もあるけど、なにより息がしやすいわ……)
田舎ならではの周りの緑も影響しているのだろうか。都会の神社は境内に緑は豊富でも、境内を出るとコンクリートジャングルで土の匂いもしない。土の匂いは水の匂いに通じるものがある。今の季節なら朝早くに畑の土を持ち上げる霜柱なんかが、水の匂いを運んでくる。そう言う土地柄の神社だから、境内もこんな風に清涼な空気が流れているのだろうなと、舞白は思った。
短い参道を歩いて拝殿の前に来る。古ぼけた社は舞白の目には新鮮に映らない。古臭いな、という印象だ。ただ、此処に来ると波を感じる感覚が研ぎ澄まされるようで、それが己と向き合っている気分になれて、舞白は好きだった。
二礼二拍したのち、目を伏せ、手を合わせる。
(……こんなに穏やかに手を合わせられるのも、慣れた神社だからよね)
和弘の隣で手を合わせた時よりも、若干力が抜ける。するとその舞白の頬を、誰かが撫でたような気がした。
「……っ!?」
その感覚に驚いて顔を上げたが、古びた社の前には自分しかいない。境内を囲む木々の枝がさわ、と揺れて、風が通ったことを教えた。
(風が撫でたんだわ……。びっくりした。誰か居るのかと思っちゃった……)
こんな時間にこんなところで人に出くわすなんてありえない。舞白は最後に一礼すると、拝殿に背を向けて神社を出た。
……社の前で、舞白の後姿を見送った人影があったのに、舞白は気づかなかった……。
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