第3話
ぱしゃん、ぱしゃん。ぱちゃぱちゃっ。
水面が音を立てて、今まで経験したことがないほどに暴れている。
水しぶきが水面にかざした舞白の手を濡らした。
跳ねた水しぶきが瓶の中の水面に更に波紋を描く。
こんな、水をコントロールできないなんてことは初めてだ。
水が暴れる様子を見ていた男の人も驚いた顔をしていたけど、舞白も初めての経験に驚いていた。
体の内側からざわざわと違和感が溢れてきて体が震えそうになっている。占い中に体の内側からうねりのような波を感じることはあったけど、こんな違和感と漠然とした不安感を覚えたのは初めてだった。
それでも水面に浮かべた和紙が一旦中央から外れて舞白の方へと来たと思ったら、その後ゆっくりと彼の方に寄っていき、その場でくるくると回り始めたので、「新たな出会いが運命を動かします」と、彼の運勢を占うことが出来た。
舞白が水面にかざしていた手を下ろし、彼に向き合うと、彼は興奮したようにこう言った。
「凄いですね! 手をかざしただけで水が跳ねるなんて、思いもしませんでした!」
そうだろうな。舞白も初めてのことに驚いている。でも、占い師として動揺を顔に出すことはせず、いい出会いがあると良いですね、と微笑むことに成功した。
「でも、何もしないのに水が跳ねるなんて凄いものを見ちゃったなあ……。もしかして占い師さんは神社の関係の人ですか?」
と男の人は舞白に尋ねた。実際、叔父が宮司をしているので、関係者と言えばそうだ。彼の言葉に頷くと、
「それなら納得がいきます」
なんて笑ってたけど、叔父にはこんな力はない。血縁は関係ないんじゃないかなあと思ったけど、彼が納得していたので、それで良しとした。
とはいえ、舞白にとって町の龍神神社が特別だなと思うことは良くあることだった。神社に行くと、その神聖な雰囲気に守られているような感じを受けるし、『波』を感じる力が研ぎ澄まされるように感じるのだ。子供の頃は神様が舞白を守ってくれているんだと思っていた時期もあって、両親も舞白のことを龍神様に守られていると言うようになった。
しかし、龍神様がいるなら、この町が昔から雨に恵まれない理由が分からないし、結局神様なんて存在は、人間の作りだした勝手な想像だよなあ、と大人になるとそう思うようになっていた。
男の人は、貴重な経験をありがとう、と言って帰って行って、扉が閉まってしまうと倉田さんが、
「今の水は凄かったなあ」
と驚いていた。
それくらい、ありえない水の暴れ方だったのだ。
その日、舞白は友達に誘われて合コンに来ていた。二十四歳、恋に対するあこがれが強くて、未だ彼氏が居たことがない。王子様がいつか運命の相手として自分を見つけてくれることを望んでいた。でも、こういう話題が必要な場では、舞白の『波』を見る力は必ず釣り餌として場を盛り上げるために話題に上ってしまうのだ。
「舞白、あれやってよ。水占い」
ほら、今日だって。誘ってくれた友達が、その場を賑わそうと舞白に占いを振ってくる。舞白もそういう話を断り切れなくて(だって、断れるのなら倉田さんのカフェでの占いもしていない)、ウーロン茶のグラスに割り箸の袋を千切った紙を浮かべて『波』を見る。占って欲しいことは、この場に居るのだから当然恋占いだ。
「残念。相手は遠くに居ます」
「身近な人と距離が縮まる運勢が出てますよ」
「最近出会った人と恋に落ちるでしょう」
「ここから恋が始まりそうだと出ています。出会いを大事にしてください」
等々。占いが出るたびに、集まった全員でその結果に話の花が咲く。恋愛の話をしている皆からは、それぞれ心地よい波動が感じられて、占いを楽しんでくれていることが分かった。
合コンが終わる頃には雰囲気の良い一組が出来上がっていて、それが占い通りだったから、ますます周りは彼らを冷やかしたし、舞白の占いの信ぴょう性が増してしまった。
そして友達とも別れて駅へと向かおうとしたその時、背後から名前を呼ばれた。
「渕上さん!」
舞白を追いかけてきたのは、綿貫和弘(わたぬきかずひろ)という男の人だった。彼はその甘く整った顔立ちで、女の子たちの視線を集めていた人だ。彼は駆け寄ってきてくれて、あの、と言葉を継いだ。
「渕上さんは、今居た男の中に、良いなって思う人は居なかったの?」
そう言われて戸惑った。どちらかというと占いをして傍観者に回ってしまったから、男性陣を恋の相手として観察する熱心さがなかった。場の盛り上げ要員として駆り出されている感は無きにしも非ずだったので、そこは諦めていた。出会うなら数多の女性の中から舞白を見つけて欲しい。そんな乙女チックな気持ちを持っていた。
「ええと、私いつも、こういう場では盛り上げ要員で参加してるので、そういうことは望めそうもないって言うか……」
舞白が言うと、綿貫はそうなんだ、とほっとした様子で言った。
「俺、渕上さんに会ったの、多分初めてじゃないんだよね。……二週間前に、龍川町のカフェで、龍神伝説を尋ねた男、覚えてない?」
倉田さんに龍神伝説を尋ねてきた人、居たな。ついでに占いもしたっけ。
「それ、俺なんだよ。あの時、『新たな出会いが運命を動かす』って言われてそれがずっと気になってて。なんせ渕上さんが手をかざすだけで水が揺れるんだから、不思議で神秘的なものを感じたんだよね」
それに、と綿貫は続けた。
「そんな人と、今日、偶然また会えてさ……。それに今日の占いも、『最近出会った人と恋に落ちる』だったから、もう僕の運命は君と始まるんじゃないかと思って……」
まさか、意識しないで占ってた人と再会していたとは思わなかった。しかも綿貫は舞白のことを運命の相手だと言う。……こんな、ドラマティックなことがあるだろうか。舞白は綿貫の告白に心臓を高鳴らせた。
「……そういう訳で、俺と付き合ってくれないかな?」
まさかこんな展開が自分に訪れるとは思っていなかった。舞白の地元で会った人と、合コンで再び会うなんて言うのも運命づいている。綿貫の言葉に舞白の乙女心は一気にその坂を駆け上がり、綿貫にこくんと頷くことで返事をした。
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