第38話 対空戦闘用意
戦艦出雲の入港に「子爵以上の者を出迎えに出せ。」とグリトニル辺境伯が命じたところ、塩梅良くティアマト号のバース艦長の爵位がが子爵であったため、彼が属領主代官の名代として出迎えに遣わされることになった。
「役目、慎んでお受けいたします。」
この世界で最も早く日本人と接触した一人で、日本艦隊とは浅からぬ縁を持つ彼は、何か運命のようなものを感じずにはいられなかった。
そんな彼が馬車に乗り込もうとしたときのことである。
ガランガランガラン……。
トゥンサリル城を始め、デ・ノーアトゥーンの街のあちこちから、一斉に鐘の音が聞こえ始めた。
城内にいた、大谷地中佐や豊平少尉、清田上等兵曹らは、今晩、夜会が開催されることから、何かお祝いの合図かとも思ったが、城内の慌ただしさは尋常ではない。
大谷地たちが控えていた部屋のドアが少々乱暴にノックされたかと思うと、甲冑を身に纏い、兜を小脇に抱えた騎士が息せき切って飛び込んで来た。
よく見ると、その騎士は、奇麗な顔立ちや柔らかい体形と、後ろで束ねられた赤毛の長髪から、女性であることが分かった。
「私め、カロリーン・ダクネス・ファン・メルテニス勲爵士と申します。当トゥンサリル城とグリトニル辺境伯をお護りすることが役目にてございます。只今、何者かの襲撃近しとの警報が発せられております。皆様におかれましても、今少し安全な場所へご案内いたします故、どうかご一緒くださいませ。」
メルテニスは、落ち着いた声で澱みなく言上を申し立てた。
「何者かの襲来、と言われますと、やはり海賊でしょうか。」
大谷地が聞いた。
「いえ、おそらくはワイバーンとハーピーの空からの襲来では、と思われます。」
「空から…空襲ですな。どのくらいの数が来襲するのですか?」
「それは分かりません。まだ城の物見台からは見えませんが、各所に配置した烽火台から、烽火の合図がございましたので、それと分かる次第です。」
「その連中は、空襲で何を落として行くんですか。やはり爆弾でしょうか」
「『バクダン』というものがよく分かりませんが、
大谷地とメルテニスの会話を聞いていた豊平少尉が
「城の防備は、自分たちもお手伝いをさせていただくであります。」
と申し出た。
メルテニスは、表情を明るくして
「おお、異世界のセンシャに助太刀いただけるとは、百人力、いや千人力を得た思いでございます。なにとぞ我が主をお守りいただくようお願い申し上げます。」
と言った。
戦艦出雲の防空指揮所でも、街中で鳴らされる鐘の音が聞こえていた。
防空指揮所見張り員が
「南東方向に、信号の烽火と思われる煙3条が見えまーす。」
と大声で報告した。
上陸の準備中であった艦長の白石大佐が、異常な気配を悟って防空指揮所へ上がって来た。
「街中から聞こえる鐘の音といい、烽火といい、何が起こっているのだ?」
言われてみても、見張り員たちには烽火以外は見えないので、何とも答えようがない。
「ちょっと待って。」
クリステルが、鞄から例の本を取り出し、パラパラとページをめくったかと思うと、真ん中あたりでめくるのを止め、ブツブツと小声で何かを唱え始めた。
「何をしているんだね、このお嬢さんは。」
「クリステル姉様は、魔術の呪文を詠唱しているの。」
白石の問いにエミリアが答えた。
「魔術って、魔法のことかね。どんな魔法が見られるんだね。」
「見ていれば分かるわ。」
からかいを込めた白石の質問に、エミリアは、少し不機嫌そうに答えた。
詠唱はそれから10秒ほどで止まり、クリステルがタクトを振ると、見張り員の横に四角い画面が現れ、よく見ると、その中には大きな点と、それを取り巻く小さな胡麻粒のような点が見えていた。
「見えている大きな黒点がワイバーン、小粒な点がハーピーね、きっと。」
「おお、そうすると、この画面は双眼鏡で拡大したものと一緒なのか!」
「そうよ、『千里眼の
「凄いな、嬢ちゃんたちは。」
「私たちに言わせれば、この艦の方がよっぽど凄いのだけれど。」
白石は、噂に聞く魔術を見て、驚いた。
しかし、驚いてばかりではいられない。
「出港準備、緊急出港だ、急がせよ。令川丸と櫟にも送れ。電探、探査を開始せよ。」
白石が矢継ぎ早に命令していると、桑園少将も防空指揮所に上がり
「艦長、何か危険な兆候かね。」
と尋ねた。
「はい、空襲です。ワイバーンとハーピーという、空飛ぶ生き物だそうです。目視ですと、合わせて、ざっと5、60ほどおります。」
白石は、クリステルが魔術で出現させた画面を指しながら答えた。
「対空戦闘用意!」
続けて白石は、異世界で思いもよらなかった対空戦闘用意を下令すると
タッタッタッタッタッタッタッタタッタタータ―タター
と、対空戦闘用意のラッパが鳴った。
ほぼ同時に、錨が水面を切ってようやく艦が動かせるようになったので
「両舷前進強速ッ!とーりかーじ!」
と下令し、艦を急速に沖出しさせ、対空戦闘と回避行動が容易になるようにして備えた。
令川丸と櫟も、抜錨して沖出しし、対空戦闘と回避行動に備えようとしている。
令川丸から、零式水上観測機2機が、両翼下に3番(30㎏)3号爆弾を懸吊して発進した。
3号爆弾は、時限信管で炸裂すると、半径100mほどの範囲に弾子を射出するクラスター弾で、元々は飛行場などを面で攻撃する目的で開発されたが、主に爆撃機の迎撃に転用されるようになった爆弾で、零式水上観測機も、南方で米軍の重爆を攻撃する際などに、使用していた。
「本艦も、瑞雲を上げられるだけ上げよ。接近するまでに、少しでも数を減らすのだ。」
白石が、伝声管に向かって発破を掛ける。
伊勢型航空戦艦は、理論上は搭載する瑞雲全機を5分で射出できる能力を持つが、それは、あらかじめ後部飛行甲板に瑞雲を用意しておいての話であり、格納庫からいちいち甲板へ引っ張り上げるのとは効率が違う。
「電探、目標編隊を探知。方位270度、電測距離
電探士から報告が入る。
「クリステルさん。あのワイバーンやハーピーは、どのくらいの速さで飛ぶのかね。」
白石が尋ねると
「そうね。だいたい半刻(1時間)で30ノイル(30マイル、約48㎞)ってところかしら。」
クリステルはそう答えた。
「だとすると、上空まで達するのに3,40分というところか。薄暮の来襲になるな。」
彼がそう思った瞬間、左舷の上空で、何かが光ったかと思うと、無数の白煙が飛散しながら落下して来るのが見えた。
「あ、タコ爆弾だ!」
見張りの誰かが叫んだ。
3号爆弾は、炸裂すると、弾子が放射状に白煙を曳いて落下する様から、将兵たちからは「タコ」とか「タコ爆弾」などと呼ばれていた。
見張りの望遠鏡や双眼鏡ではよく分からないが、クリステルが魔術で作った画面をよく見ていると、黒点が幾つか落下していくのが見える。
続いて、同じように3号爆弾が炸裂し、今度もかなりの数の黒点が落下して行くのが見えた。
さらに、傾いた夕日を、時折、キラッキラッと反射している物が見えることから、零式水上観測機が空戦に入ったことが分かった。
ワイバーンは、令川丸搭載の廣田少尉機が撃墜しており、ハーピーも言ってみれば大きな鳥であるから、撃墜はさほど困難ではないが、2機では相手の数が多い。
出雲から発進できた瑞雲も、結局は8機だけだったので、空戦はこの10機が戦力ということになり、どこまでワイバーンとハーピーを減らせるかが勝負であった。
「それにしても、こんな大群を誰が差し向けて寄越しやがったんだ。」
白石が呻く様に言うと
「詳しくは分からないのだけれど、ミズガルズ王国が征服する前の旧ブリーデヴァンガル公国の残党とか、クビになっちゃう前の属領主一派とか、あの若いグリトニル辺境伯に一泡吹かせてやろうって連中がいるとは聞いたことがあるわね。」
クリステルはそう言った。
「そうすると、俺たちは、完全にあの若殿様の味方になるって訳か。」
白石は、どの道、この世界の政治情勢からは抜けられないものと悟った。
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